一回お休みしましたが、欧州一周大旅行の「クロニクル」を続けます。
今でこそアフリカなど、地球のほかの地域にも関心を抱けるようになったが、当時まだ若かった私にとっては、欧州以外の海外旅行の目的地は考えられませんでした。
今回は、いくつか初めて足を踏み入れる国がありました。
ハンガリーもその一つで、当時はビザを必要としていたから、出発前に三田の大使館に行って、ビザの申請・取得をしてきました。
当時のユーレイルパス通用17ヶ国では唯一、入国にビザが必要でした。
残念ながら、1日だけの滞在でしたが。
1996年10月21日(月)
ブタペスト行ECのウィーン南駅出発は7時ちょうどと早く、朝起きてすぐ、駅に移動。
ブダペスト行のEC41列車<レハール>。
レハールとは、作曲家の名前。
客車は6両と短いが、ちゃんと食堂車が連結されています。
1等車と食堂車がハンガリーのMÁV、ELと2等車4両がオーストリアのÖBBという混成。
1等車はMÁVだが新型で、思いのほかモダン。
出発して10分そこらでもう農村地帯。
美しい夜明けだが、1等車や食堂車はビジネスパーソン中心で、目をやる人は少ない。
1等車だと、サービスの新聞を読む人や書類を広げる人、ワープロ … 当時はまだノートPCは一般的ではなかった、と思う … を打つ人が多い。
普通の旅行者には、少々場違い?
食堂車の朝食。
残念な事に少々揺れが大きく、コーヒーがカップからこぼれたりもした。
国境はヘジェシャロムだが、はるか手前からオーストリア側の国境警備兵がやってきた。
私のパスポートをチェックしたのはお姉さん、という感じの美人だったが、腰にはしっかりと銃が…。
ヘジェシャロムに着くと、今度はハンガリー側の警備兵がぞろぞろ乗り込み、ビザに判を押し、控えを返していく。
このルート、案外日本人の利用があるのか、カタコトで「カンゼイヒンハ、アリマセンカ?」などと聞いてくる兵もいました。
ELはÖBBがそのまま直通。
ハンガリーの農村地帯。
直線が長い。むしろオーストリア側より、こちらの方が揺れが少なく感じられた位。
ブダペスト・ケレティ駅には定刻の到着。
このECだけ見れば、ハンガリー、やるじゃん。
ただ、駅構内はなにやら客引きがしつこい。タクシー?
ハンガリーは、夕方になったらすぐにチューリヒ行の夜行で離れてしまうのだけれど、せっかくの初めての国、どこか1箇所、ICで行きたい。
ミシュコルツなら楽に日帰りができそう。
10時05分発の快速に乗ります。
確かニュイーレジハーザへ行く列車だったと思う。
写真がなくて申し訳ないが、沿線は農村地帯が広がるが、通過する駅は鉄筋コンクリの無愛想な造りが多かったようだ。
やはり、社会主義国だからだろうか。
ミシュコルツ・ティシュザイ駅は、一転して宮殿のような駅舎。
駅舎の中。
出発案内表示板。
行先+種別も、番線も、時刻表示も全て手動。
時刻表示なんて、針だ。
ミシュコルツ駅構内で見かけたレールバス。
親子方式で、動力車両が、トレーラーを牽引します。
駅前からは、小規模な市電が2系統出発します。
1系統。
2系統。
今回は残念ながら乗る機会なし。
7年後に乗る事になります。
帰りはすぐ、IC505列車でブダペストにトンボ返り。
当時のMÁV一押し、と見えて、客車自体は普通に見えたが車体には「InterCity」のロゴ、1等車の車内はモダンなインテリアの2-1配置、車内誌や経済誌のサービスもあります。
ビジネス特急、という性格でしょうか。
もっとも、空席の方が多かったようでした。
5両編成と短いのに、食堂車もあります。
オムレツ。
食後のデザート、チョコパンケーキと紅茶(2杯)。
これだけ飲み食いして755HUFと、日本人の感覚ではかなり割安。
沿線はひたすら秋の農村地帯。
もっとも、車内ではほとんど寝ていましたね…。
改めて、ブダペスト・ケレティ駅。
西側へ行く列車の大半は、ここを起点とします。
ケレティ駅構内で見かけたEL。
MÁVではない、と思うが、どこの車両だろうか。
ハンガリーは東西を結ぶ鉄道路線網の十字路だけあって、様々な国籍の車両が姿を見せます。
ブタペスト市電。
チューリヒ行の夜行434列車。
チューリヒまで15時間かかる、長距離列車です。
客車9両のうちチューリヒへ行くのはクシェット4両、食堂車と1・2等合造車はオーストリアのブルック・アンデア・ムーアで切り離し。
後部の3両はハンガリー国内ショプロン切り離しの座席車で、私鉄のGySEV籍。
チューリヒ行の車両のサボ。
この列車はブダペスト~ジェール~エ-ベンフルス~ウィーナー・ノイシュタット~ブルック・アンデア・ムーア~インスブルック~フェルトキルヒ~ブークス~チューリヒと運行。
つまりウィーンは経由しない、裏街道経由で走る事になります。
そのせいもあるのか、乗車率は全体的に低調に思えました。
この晩は座席車で過ごしました。
2等車の車内。
ここまで乗ってきたMÁVの車両は皆、思ったより上等と感じました。
ハンガリーは東側なので、レベルは西側より低いと、勝手な先入観もあったもので。
(最もローカルには、かなりくたびれた車両も見かけるが)
国境はまだ先の話だが、ジェールを出てしばらく行くと、もう国境警備兵の姿を見る。
「コンニチハ」「サヨウナラ」と気さくそうではあるが、デッキの天井のフタを開けて中を覗き込んだりする。密輸品のチェックか?
行きもだったが、こんな厳しい国境越えは初めての体験でした。
食堂車の夕食から、まずグヤーシュ。
メインのポークとライス。
食後のジャム入りパンケーキとココア。
しかし、せっかくの食堂車なのに全然利用がない。
きれいにセッティングされたテーブルが寂しげ。
列車全体が、冴えないなあ。
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1996年10月22日(火)
深夜のオーストリア国内で連結・切り離しを繰り返し、フィラッハやグラーツからの客車も交えて、編成の姿を大きく変えて、スイス国内に入ります。
スイス国内区間が、一番車内が賑わっていたような。
ほぼ定刻にチューリヒ中央到着。
この夜行列車は今はなくなり、ウィーン・ザルツブルグ経由のEN<ウィンナー・ワルツァー>号が運行されています。
チューリヒ中央駅。
今回は滞在はなし、すぐにベルンに向かうICに乗り換えます。
朝食は食堂車。
コンチネンタルスタイルだが、皿に盛られたマーガリンやジャムが、なんとなく良い雰囲気を与えてくれるような。
利用者も多く、ブタペストから列車とは雰囲気が全然違った。
食堂車を連結するなら、こうでなくては。
以前も御覧頂いた、ベルン駅。
公用4ヶ国語で「駅」と記されています。
駅舎内のコンコース。
ベルン駅近くの朝市。
時計塔をバックに、ベルンの市電。
比較的古いタイプ。
ベルンからルツェルンに向かう途中の車窓。
ルツェルン駅。
今の駅舎は近代的だけれど、駅前には旧駅舎の玄関部分がモニュメントとして残されていました。
旧駅舎は大分前に、火災で焼失してしまったとの事。
インターラーケン行のスイス国鉄ブリューニック線2474列車。
4年前とは逆の方向で乗ります。
食堂車も連結されています。
ナローゲージなので、さすがに狭い。
ハンガリー風のスープ。グヤーシュ?
凝ったトレイで運ばれてきました。
デザート。
右は「ブリューニックコーヒー」と言うのだが、若干アルコールが入っています。
峠を越えて、ブリエンツ湖畔へ。
今回利用した、1等パノラマカー。
車内の写真がないのは申し訳ないが、座席そのものは4人掛けボックスシートで、何の変哲もありませんでした。
以前も御覧頂いたが、インターラーケン・オスト駅。
夕方のグリンデルヴァルトはすがすがしい青空。
今回も宿泊はユースホステル。
2年前と比べて改装され、部屋はカードキー式になっていました。
ただ、この晩はなぜか夕食の提供がなかった。
これはちょっと困った。安く食事ができそうな店が、近隣にはないから。
(ホテルに併設の高そうな所ばかり)
結局駅前のキヨスクでポテトチップとキットカット、コーラを買って…って、こんなの夕食じゃないよ。
飼い猫は、元気でした。カワイイ。
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《今日のニュースから》
鳥取・境港 クロマグロ初水揚げ