№957 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行1

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 1992(H4)年以降、年1~2回のペースでヨーロッパ1ヶ国、または数カ国を巡る旅をしてきました。
 この経験を踏まえ、一度はやってみたかった、欧州全体を鉄道で巡る3週間以上にも亘る1996(H8)年10~11月の大旅行を、12回に亘って書きたいと思います。
 今思えば、良くこんな旅ができたな…。
 少しずつ溜めてきた有給休暇を一度に消化して実現したものだが、こんな大それた行為を認めてくれた、当時の会社・職場には感謝したいと思います。

 欧州の鉄道旅行の際のツールとして一番有名な乗車券は、「ユーレイルパス」でしょう。
 しばらく利用しない間に大分システムが変わったようだが、当時一番ベーシックなタイプでは、次の17ヶ国の鉄道に乗る事ができました。

 アイルランド・イタリア・オーストリア・オランダ・ギリシャ・スイス・スウェーデン・スペイン・デンマーク・ドイツ・ノルウェー・ハンガリー・フィンランド・フランス・ベルギー・ポルトガル・ルクセンブルグ
(日本語名50音順)

 この17ヶ国全てを巡ってみようと言う訳です。
 南のギリシャ・アテネから出発して、北のフィンランド・ヘルシンキに向かいます。
 全ての国の首都の駅を経由する事とします。
(通過だけで終わってしまった所もありますが)
 これまでに何度も出てきた所もあるが、一方でオランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・ハンガリーは初めて足を踏み入れる事となりました。
 何しろ相当の長期だし、ハンガリーは当時入国にビザが必要だったので、三田の大使館まで申請に行ったり、アイルランドへは片道航空便で移動するため航空券の手配もしなければならなかったりと、準備も相当大変だった事も思い出されます。

 当然旅の途中、何度もプランの変更を余儀なくされたりしたが、とりあえず出発前に組んだプランを簡単に記して置きます。

10月17日 東京 (空路) アムステルダム (空路) アテネ
  18日 アテネ - パトラス (フェリー) -
  19日 - ブリンディシ - レッチェ -
  20日 - ローマ-ウィーン
  21日 ウィーン - ブダペスト -
  22日 - チューリヒ - ベルン - ルツェルン - インターラーケン - グリンデルヴァルト
  23日 グリンデルヴァルト - インターラーケン - シュピーツ - ツヴァイジンメン - モントルー - ブリーク - ミラノ -
  24日 パリ (空路) コーク
  25日 コーク - ダブリン - ロスレア (フェリー) -
  26日 - シェルブール - パリ -
  27日 - トゥールーズ - ラ・トゥール・ド・キャロル - バルセロナ
  28日 バルセロナ - マドリード -
  29日 - リスボン - ポルト -
  30日 - アンダイヨ - パリ
  31日 パリ滞在(休息日)
11月1日 パリ - リェージュ - ルクセンブルグ
  2日 ルクセンブルグ - ブリュッセル - アムステルダム-
  3日 - ベルリン - ハンブルグ - コペンハーゲン -
  4日 - オスロ
  5日 オスロ - ストックホルム -
  6日 - ボーデン - ハパランダ - ケミ - ロバニエミ
  7日 ロバニエミ - ヘルシンキ
  8日 ヘルシンキ (空路) フランクフルト (空路) -
  9日 - 東京

 なお、一連の行動は一応メモに記してありますが、事実と違う所があったりするかも知れません。
 その場合はゴメンナサイ。

1996年10月17日(木)

 
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 アムステルダム行、JAL411便。
 なんと、「エコノミークラスが満席」とか何とかという理由で、エクゼクティブクラブ(ビジネスクラス)にアップグレード。
 今ではやっていないだろうが、当時は運賃の種別によっては、こういう事もある程度の頻度で起きていたようです。
 出発前に小さなグラスでシャンパンのサービスがあったりして、少し戸惑う。

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 成田を離陸して、九十九里上空でUターン。

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 印西牧の原駅。

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 中禅寺湖。
 自分が知っている場所を見下ろしながら飛んでいくのは、楽しいものです。

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 で、エグゼクティブクラスのキャビン。
 今の目で見ると、これでもグレードが多少低く見えてしまうのだろうけれどねぇ。

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 当時は、パーソナルテレビがあるのは上級クラスだけ。
 それと、アメニティキット。

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 食事の時間になると、まず食事は洋食・和食どちらにしますか?などと聞かれる。
 その後テーブルクロスがセットされたりして、少々こそばゆい。
 まずオードブル。

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 メインの洋食。

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 上級クラスとなると、スイーツも選択できます。
 エクレアにしました。

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 離陸から約2時間で日本海上空からシベリアへ。

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 さらに約1時間でアムール川上空。

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 ウラル山脈。

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 到着前の、2度目の食事。
 恐らく、エコノミークラスと同じだったでしょう。

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 アムステルダムが近づき、オランダのどこかの街の上空を通過していきます。
 やはり日本とは全然違う…。

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 アムステルダム・スキポール空港到着。

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 アテネ行のKLM105便、B737-300。

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 D54番ゲート付近は、ベンチが34人分しかありませんでした。
 高齢の方々が多かったようなのと、日本人グループの姿もありました。
 20時25分出発予定で、この時間はまだ明るかったが、やがて見る見るうちに暗くなってきました。

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 離陸前に、CAの実演で行われた非常デモ。

 ところで、どうした事か、長い待ち合わせの間に体調を崩してしまったようです。
 時差の影響もあるだろうが、頭がボォッとしてしまった…。
 こんな事は珍しいのだが、下界がもう真っ暗な事もあって、体調回復を優先、機内食も食べずにアテネまで約3時間半、ひたすら寝ていました。

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 日付が変わった頃、アテネ到着。
 当時は旧空港のヘレニコン空港でした。
 ターミナルまではバスで移動。
 最もターミナルまで、僅か30秒だったのだが。

 市内までのバスは24時間運行だが、深夜は1時間間隔運行。
 1時ちょうど発の便は30分程度走って、市内のオモニア広場に着きました。
 ファストフードの店がオープンしていて、真夜中なのに活気がありました。
 ホテルを探し当て、さっさと爆睡。

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1997年10月18日(金)

 ペロポネソス半島の西のパトラスから、フェリー(パス通用)でイタリアへ渡る事になるが、アテネ出発は午後で良さそう。
(と思っていたのが、いきなりの躓きの元になる)

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 当時のアテネ市内には、テッサロニキ方面に向かう標準軌の本線のラリサ駅と、ペロポネソス半島へのナローゲージ路線が出発する、このペロポネソス駅がありました。
 この駅から、パトラスに向かうはず、だったのだが…。

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 せっかくの初のギリシャなので、午前中は市内観光。
 パルテノン神殿。

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 丘から眺める、アテネの市街地。

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 ポセイドン宮。

 午後になって、パトラスからのフェリーを予約すべく旅行代理店へ。
 ところが、大変な事が判明した。当初予定していたパトラス深夜発のヘレニック・フェリー便が、運航されないという。
 別会社の便はあるが、パトラスの出航時刻が早く、列車では間に合わない。
 やむなく鉄道の利用はあきらめ、郊外のバスターミナルからの長距離バスで、パトラスへ向かうハメになった。
 こんな事になるならアテネ市内をウロウロせず、さっさと列車に乗っていた所なのに、これでギリシャの鉄道は、今回は全く乗らずじまいで終わる事になってしまいました。
(バスはもちろんユーレイルパスも通用しない。日本人には割安な運賃ではあったが)

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 パトラス行長距離バスは、ベンツO303型。
 以前日本急行バスが名神高速バスに使っていたものと同じタイプになるが、少々古い。

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 車内はやっぱり少々狭い。
 トイレはある。
 通路側しか空席がなかったので、車窓の写真がないのはゴメンナサイ。

 パトラスまで車内はほとんど動きがなく、ひたすら淡々と目的地を目指すだけ。
 やはり、列車の方が良い。

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 パトラスまで約3時間半、出航予定時刻ギリギリの到着で少々冷や汗だったが、何の事はない、フェリーもトラックの積み込みの遅れなのか、40分程遅れての出航になりました。
 メッドリンク社の「ポセイドン」号。
(ユーレイルパスは通用しない)

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 船内のサロン。

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 出港前にターミナルで購入した乗船券は「デッキクラス」だったが、レセプションで追加料金を払い、部屋に変えてもらいました。
 相部屋。

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 驚いた事に、船内には至る所に日本語の標記がありました。

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 マットにまで。
 BARには「雪印アイスクリーム」「キリンレモン」と書かれた冷蔵庫も見られたし、日本語の飲料の自動販売機もいくつか見られました。
「\120」の文字までそのまま(もちろん使われていない)。

 体調の回復はまだ万全ではなく、相部屋のお客さんも既に寝てしまっているので、こちらも少々早目に床に就く事にしました。
 まだ先は長いし。
 出だしから躓いた格好の長旅だが、翌日イタリアに着いたら、本格的に鉄道乗り歩きです。
 
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《今日のニュースから》
全国最年少28歳 岐阜県美濃加茂市新市長に当選証書

 20代の自治体首長って、世界的にもどの程度例があるのだろう?
 美濃加茂市は長良川鉄道に3.7%の出資があるそうだが、なにか影響が出たりすることも考えられるのでしょうか。