№958 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行2

画像

 フェリーを降りてイタリア半島を夜行で縦断、1年ぶりのヴェネチアを経由して、ウィーンに向かいます。

1996年10月19日(土)

 5時30分には目が覚めた。
 外はまだ暗かったが、7時位になってようやく、東の方からジワジワと明るくなってきました。

画像

 やがてイタリアの地が見えてきて、大きな煙突が建っているのも解ります。
 港の入口に建つ建物は、なんだかクラシック。
 遺跡?

画像

 タグボート。

画像

 11時前(イタリアはギリシャより-1時間)にブリンディシ港着。
 パトラスから16時間、出港の遅れを引きずったままでした。
 しかしこの港、本当も何もない。
 ターミナルの類も建っていないし(パスポートコントロールは船内で行われた)、中心部へのアクセスがタクシーしかない。
 1時間待って乗ったタクシーは、果たして正規のものだったかは怪しい気もするが、他の客と相乗りで駅に向かう。 10分ほど走って駅前広場に着いて、ほっとした。
 逆にパトラス行だったら、どう乗りに行けば良いのか、馴れないと途方にくれる事になるかも。

 改めて「ポセイドン」号だが、今回調べてみたら、元は新日本海フェリーの「すずらん丸」として建造、1970(S45)年より舞鶴~敦賀~小樽の航路に就航していたらしい。
 メッドリンクに売却されたのは1994(H6)年、この後2006(H18)年にはドバイでフローティングホテルに転用されたという事です。
 
 駅前のディスカウントチケットショップのスタッフの話では、本来乗船するはずだったヘレニック・フェリーは、やはり9月から運航が止まっているそう。
 本来のヘレニックフェリー利用だったらブリンディシ到着が夕方となり、レッチェから夜行で翌朝ローマ到着、ECに乗り換えてウィーンを目指す予定でした。
 全体的にプランを若干変更し、ナポリからヴェネチアへ行く夜行に乗る事とします。

画像

 ブリンディシ駅。
 ホームにはヘレニック・フェリーの広告があちらこちらに見られたのだが。

画像

 ブリンディシ駅で見かけたEL。
 2車体型だが、どうもこのネズミ色の車体は不気味な印象もあって、正直好感が持てない…。

画像

 この後前年も訪ねたバーリ、カセルタと乗り継いで、ナポリへ向かう。
 沿線の農村地帯。

画像

 ナポリからの夜行E844列車。
 ヴェネチアの他、スロベニア国境に近いウディーネに行く編成も連結。
 なぜか始発は中央駅ではなく、郊外のカンピ・フレグレイとしているが、駅舎の屋上で女の子達がピーピー口笛を鳴らしながら大騒ぎしているような駅で、駅自体も長距離の夜行列車が出発するようなムードじゃない。
 時間が経つにつれて旅行者も三々五々集まっては来るのだが、早く出発してしまいたいと思った。

 この列車は寝台・クシェットの割合は非常に少ないが、そのクシェットのコンパートに落ち着く事になった。
 若い男女のカップルと同室で、女の子からビスケット1パック分貰ってしまった。

画像

 23時過ぎ、ローマ・テルミニ駅到着。
 本来は翌日朝に到着し、ウィーン行に乗り換える事となっていたが、結局スルーに変更する事となりました。
 せめて、暗くなってしまっているが、停車時間中に駅の写真を1枚。
 駅のすぐそばのマクドナルドはまだ営業していたし、市電も頻繁に行き来しているようでした。
 ここで進行方向が変わります。
 出発を見届けて、就寝体制に入ります。

********************

1996年10月20日(日)

 5時30分頃、検札の車掌に強引に起こされる感じ。
 コンパートの明かりがつけられ、預けられていたパスとパスポートが返却されたが、クシェットの寝台券はそのまま回収。

画像

 終点のヴェネチア・サンタルチア駅は、ほぼ定刻に到着。

画像

 到着の頃はまだ暗かったが、市内バスはもう動き出しているし、駅の中のビュッフェコーナーも賑わっていた。

画像

 日の出を海岸で見られないかなー、と思いながら街中をテクテク歩いていたが、全く訳が解らないまま、リアルト橋についてしまいました。
 ヴェネチアは、通りの広いとか、狭いとかはあまり関係なくて、まるで迷路、の感じがしました。
 だからヴェネチアなのだろうけれど。

画像

 ウィーン行E232列車。
 途中のタルビシオ切り離しを含めた客車7両中FSは6両、1・2等合造車両1両だけがÖSSで、他車両に比べてややランクが上に感じられました。

画像

 いきなりオーストリアに入って、フィラッハ駅。
 ここで、ザルツブルグ発の編成が連結される。
 というか、ザルツブルグ発が本体で、ヴェネチア始発はオマケ?という感じ。

画像

 複雑な入れ替えの結果、ウィーンまで客車11両編成の布陣となりました。
 列車番号もIC191と、本格的な特急スタイルになりました。

画像

 しかし、ザルツブルグからの編成には食堂車があったのに、コックが乗っていないからと、本格的なメニューが作れないというのは、せっかくのお楽しみなのに何とも残念…。
 一応昼食になりそうなサンドイッチとオレンジジュースを注文。
 大した内容ではなかったが、おいしく感じられました。

画像

 しかし、コーヒーすらできないとは…。
 ケーキとジュースで、食後のデザート。
 お兄さん2人だけで切り盛りしていて、メニューは少なくなっているものの、割とお客さんが多いので忙しくて大変そうだ。

画像

 センメリンクの山間部。

画像

 定刻にウィーン南駅到着。

画像

 広々した駅舎内。
 2009(H21)年に新駅工事のために廃止になるまでは、南部へ向かう列車の始発駅でした。

 この日はウィーン市内、鉄道の各ターミナルからは少々離れたホテルに投宿。
 アテネ以来、3日ぶりのホテル。
 部屋のTVではCNNが見られるが、日本の衆議院総選挙で自民党(LDP(Liberal Democratic Party of Japan)
と記されていた)が過半数を獲得した、と伝えていました。
 これを見届けて就寝。

 次回は、初めてのハンガリーです。
 ただし、明日は「クロニクル」はお休みし、違う事を書く事にしています。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 サッカー日本代表、W杯ブラジル大会出場決定、おめでとうございました。
 しかし、さすがにすんなりとは行かないものですねぇ。

《今日のニュースから》
羽田空港着陸進入時高度引き上げ 11月から実施

№957 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行1

画像

 1992(H4)年以降、年1~2回のペースでヨーロッパ1ヶ国、または数カ国を巡る旅をしてきました。
 この経験を踏まえ、一度はやってみたかった、欧州全体を鉄道で巡る3週間以上にも亘る1996(H8)年10~11月の大旅行を、12回に亘って書きたいと思います。
 今思えば、良くこんな旅ができたな…。
 少しずつ溜めてきた有給休暇を一度に消化して実現したものだが、こんな大それた行為を認めてくれた、当時の会社・職場には感謝したいと思います。

 欧州の鉄道旅行の際のツールとして一番有名な乗車券は、「ユーレイルパス」でしょう。
 しばらく利用しない間に大分システムが変わったようだが、当時一番ベーシックなタイプでは、次の17ヶ国の鉄道に乗る事ができました。

 アイルランド・イタリア・オーストリア・オランダ・ギリシャ・スイス・スウェーデン・スペイン・デンマーク・ドイツ・ノルウェー・ハンガリー・フィンランド・フランス・ベルギー・ポルトガル・ルクセンブルグ
(日本語名50音順)

 この17ヶ国全てを巡ってみようと言う訳です。
 南のギリシャ・アテネから出発して、北のフィンランド・ヘルシンキに向かいます。
 全ての国の首都の駅を経由する事とします。
(通過だけで終わってしまった所もありますが)
 これまでに何度も出てきた所もあるが、一方でオランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・ハンガリーは初めて足を踏み入れる事となりました。
 何しろ相当の長期だし、ハンガリーは当時入国にビザが必要だったので、三田の大使館まで申請に行ったり、アイルランドへは片道航空便で移動するため航空券の手配もしなければならなかったりと、準備も相当大変だった事も思い出されます。

 当然旅の途中、何度もプランの変更を余儀なくされたりしたが、とりあえず出発前に組んだプランを簡単に記して置きます。

10月17日 東京 (空路) アムステルダム (空路) アテネ
  18日 アテネ - パトラス (フェリー) -
  19日 - ブリンディシ - レッチェ -
  20日 - ローマ-ウィーン
  21日 ウィーン - ブダペスト -
  22日 - チューリヒ - ベルン - ルツェルン - インターラーケン - グリンデルヴァルト
  23日 グリンデルヴァルト - インターラーケン - シュピーツ - ツヴァイジンメン - モントルー - ブリーク - ミラノ -
  24日 パリ (空路) コーク
  25日 コーク - ダブリン - ロスレア (フェリー) -
  26日 - シェルブール - パリ -
  27日 - トゥールーズ - ラ・トゥール・ド・キャロル - バルセロナ
  28日 バルセロナ - マドリード -
  29日 - リスボン - ポルト -
  30日 - アンダイヨ - パリ
  31日 パリ滞在(休息日)
11月1日 パリ - リェージュ - ルクセンブルグ
  2日 ルクセンブルグ - ブリュッセル - アムステルダム-
  3日 - ベルリン - ハンブルグ - コペンハーゲン -
  4日 - オスロ
  5日 オスロ - ストックホルム -
  6日 - ボーデン - ハパランダ - ケミ - ロバニエミ
  7日 ロバニエミ - ヘルシンキ
  8日 ヘルシンキ (空路) フランクフルト (空路) -
  9日 - 東京

 なお、一連の行動は一応メモに記してありますが、事実と違う所があったりするかも知れません。
 その場合はゴメンナサイ。

1996年10月17日(木)

 
画像

 アムステルダム行、JAL411便。
 なんと、「エコノミークラスが満席」とか何とかという理由で、エクゼクティブクラブ(ビジネスクラス)にアップグレード。
 今ではやっていないだろうが、当時は運賃の種別によっては、こういう事もある程度の頻度で起きていたようです。
 出発前に小さなグラスでシャンパンのサービスがあったりして、少し戸惑う。

画像

 成田を離陸して、九十九里上空でUターン。

画像

 印西牧の原駅。

画像

 中禅寺湖。
 自分が知っている場所を見下ろしながら飛んでいくのは、楽しいものです。

画像

 で、エグゼクティブクラスのキャビン。
 今の目で見ると、これでもグレードが多少低く見えてしまうのだろうけれどねぇ。

画像

 当時は、パーソナルテレビがあるのは上級クラスだけ。
 それと、アメニティキット。

画像

 食事の時間になると、まず食事は洋食・和食どちらにしますか?などと聞かれる。
 その後テーブルクロスがセットされたりして、少々こそばゆい。
 まずオードブル。

画像

 メインの洋食。

画像

 上級クラスとなると、スイーツも選択できます。
 エクレアにしました。

画像

 離陸から約2時間で日本海上空からシベリアへ。

画像

 さらに約1時間でアムール川上空。

画像

 ウラル山脈。

画像

 到着前の、2度目の食事。
 恐らく、エコノミークラスと同じだったでしょう。

画像

 アムステルダムが近づき、オランダのどこかの街の上空を通過していきます。
 やはり日本とは全然違う…。

画像

 アムステルダム・スキポール空港到着。

画像

 アテネ行のKLM105便、B737-300。

画像

 D54番ゲート付近は、ベンチが34人分しかありませんでした。
 高齢の方々が多かったようなのと、日本人グループの姿もありました。
 20時25分出発予定で、この時間はまだ明るかったが、やがて見る見るうちに暗くなってきました。

画像

 離陸前に、CAの実演で行われた非常デモ。

 ところで、どうした事か、長い待ち合わせの間に体調を崩してしまったようです。
 時差の影響もあるだろうが、頭がボォッとしてしまった…。
 こんな事は珍しいのだが、下界がもう真っ暗な事もあって、体調回復を優先、機内食も食べずにアテネまで約3時間半、ひたすら寝ていました。

画像

 日付が変わった頃、アテネ到着。
 当時は旧空港のヘレニコン空港でした。
 ターミナルまではバスで移動。
 最もターミナルまで、僅か30秒だったのだが。

 市内までのバスは24時間運行だが、深夜は1時間間隔運行。
 1時ちょうど発の便は30分程度走って、市内のオモニア広場に着きました。
 ファストフードの店がオープンしていて、真夜中なのに活気がありました。
 ホテルを探し当て、さっさと爆睡。

********************

1997年10月18日(金)

 ペロポネソス半島の西のパトラスから、フェリー(パス通用)でイタリアへ渡る事になるが、アテネ出発は午後で良さそう。
(と思っていたのが、いきなりの躓きの元になる)

画像

 当時のアテネ市内には、テッサロニキ方面に向かう標準軌の本線のラリサ駅と、ペロポネソス半島へのナローゲージ路線が出発する、このペロポネソス駅がありました。
 この駅から、パトラスに向かうはず、だったのだが…。

画像

 せっかくの初のギリシャなので、午前中は市内観光。
 パルテノン神殿。

画像

 丘から眺める、アテネの市街地。

画像

 ポセイドン宮。

 午後になって、パトラスからのフェリーを予約すべく旅行代理店へ。
 ところが、大変な事が判明した。当初予定していたパトラス深夜発のヘレニック・フェリー便が、運航されないという。
 別会社の便はあるが、パトラスの出航時刻が早く、列車では間に合わない。
 やむなく鉄道の利用はあきらめ、郊外のバスターミナルからの長距離バスで、パトラスへ向かうハメになった。
 こんな事になるならアテネ市内をウロウロせず、さっさと列車に乗っていた所なのに、これでギリシャの鉄道は、今回は全く乗らずじまいで終わる事になってしまいました。
(バスはもちろんユーレイルパスも通用しない。日本人には割安な運賃ではあったが)

画像

 パトラス行長距離バスは、ベンツO303型。
 以前日本急行バスが名神高速バスに使っていたものと同じタイプになるが、少々古い。

画像

 車内はやっぱり少々狭い。
 トイレはある。
 通路側しか空席がなかったので、車窓の写真がないのはゴメンナサイ。

 パトラスまで車内はほとんど動きがなく、ひたすら淡々と目的地を目指すだけ。
 やはり、列車の方が良い。

画像

 パトラスまで約3時間半、出航予定時刻ギリギリの到着で少々冷や汗だったが、何の事はない、フェリーもトラックの積み込みの遅れなのか、40分程遅れての出航になりました。
 メッドリンク社の「ポセイドン」号。
(ユーレイルパスは通用しない)

画像

 船内のサロン。

画像

 出港前にターミナルで購入した乗船券は「デッキクラス」だったが、レセプションで追加料金を払い、部屋に変えてもらいました。
 相部屋。

画像

 驚いた事に、船内には至る所に日本語の標記がありました。

画像

 マットにまで。
 BARには「雪印アイスクリーム」「キリンレモン」と書かれた冷蔵庫も見られたし、日本語の飲料の自動販売機もいくつか見られました。
「\120」の文字までそのまま(もちろん使われていない)。

 体調の回復はまだ万全ではなく、相部屋のお客さんも既に寝てしまっているので、こちらも少々早目に床に就く事にしました。
 まだ先は長いし。
 出だしから躓いた格好の長旅だが、翌日イタリアに着いたら、本格的に鉄道乗り歩きです。
 
 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
全国最年少28歳 岐阜県美濃加茂市新市長に当選証書

 20代の自治体首長って、世界的にもどの程度例があるのだろう?
 美濃加茂市は長良川鉄道に3.7%の出資があるそうだが、なにか影響が出たりすることも考えられるのでしょうか。