№961 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行4

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 グリンデルヴァルトからパリまでの間、プランを少々変えました。
 ミラノ経由はやめにして、バーゼルへ北上してフランスへ。
 今回も、ユングフラウヨッホには行かなかった…。
 翌日はこれも初訪問の国、アイルランドに空路で向かいます。
 ユーレイルパスでアイルランドに渡れる足が、長距離フェリーしかないので…。

1996年10月23日(水)

 インターラーケン・オストに戻り、乗り継いでシュピーツへ。

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 インターラーケンで見かけた、BLSの旧型EL。

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 美しいトゥーン湖。

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 シュピーツ駅。

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 BLSのRe465型EL。
 スイス国鉄のRe460とほぼ同じ。
(どこが違うのだろう?)
 ドイツDBの客車を牽引しています。
 私鉄が国際列車の運行に大きく関わっているのも、スイスの特徴。

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 シュピーツ駅構内で見かけた、入れ替え用のクラシカルなEL。

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 ここも何度か御覧頂いたツヴァイシンメン駅、今回は構内を御覧頂きます。
 MOBには「ゴールデンパス」を構成するモントルー~ツヴァイシンメンの本線の他、レンクへの支線があります。
 先にこの路線に挨拶してきました。

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 終点のレンク駅。
 スイスらしい田舎の駅。

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 モントルー行<パノラミック・エクスプレス>。

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<パノラミック・エクスプレス>の車内。
 車窓の写真がないのはゴメンナサイ。
 まあ、以前に少し御覧頂いているので。
 とにかく空はどこまでも青く、景色は最高です。

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 モントルー駅は大改装工事中でした。
 ローザンヌで乗り継いで、バーゼルへ。

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 バーゼル駅。
 ここからフランスSNCFの路線に乗り継ぐ事になるが、駅構内のパスポートコントロールは誰もいなくてフリーパス状態。
 もう夜になっていて、あたりは真っ暗です。

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 ストラスブール行60240列車。
 車内の放送では、必ず冒頭に「マダム・マドモアゼル・アン・ムッシュー」で始まって、フランスにいる事を強く感じさせます。

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 LRTの革命児、ストラスブール市電。
 なるほど、ガラス張りの斬新(見方を変えたら妙ちくりん?)なスタイル。
 SNCF駅では、地下ホームに発着します。
 今回は乗る機会はなし(未だ乗った事はない)。

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1996年10月24日(木)

 ストラスブールからパリへの夜行に乗るが、出発は日付が変わってから。
 客車は既にホームにいるのだが、出発時刻が近づいても機関車が連結されていなくて、明かりがついていない。

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 パリ行夜行1621列車。
 出発20~30分前にELが現れて連結。
 車内の明かりがつきました。
 この列車は寝台・クシェットはなくてオール座席車。
 でも座席でもすぐ爆睡、気付いた時はもうパリ到着間近。

 列車は定刻にパリ・エスト駅に到着しました。

 アイルランドは島国で、ユーレイルパス目線で見れば「飛び地」(パスはイギリスでは使えない)、パスで利用できるアイルランドまでの足は、シェルブール~ロスレアのフェリーのみ。
 しかし片道がまる1日近くかかり、さすがに往復共の利用は時間が足りない。
 出費が少々痛かったのだが、パリからアイルランドへは片道空路とました。
 当時はエア・リンガス(EI)のシャルル・ド・ゴール(CDG)発ダブリン経由コーク行という便があり、この便で一気に南西部のコークを目指します。

 何回か書いているが、CDGには旅客機の撮影に適した「展望デッキ」というものはありません。
 ただ、ターミナル1の到着階(このターミナルは、なぜか到着階が出発階より上にある)を周回する道路上から、旅客機を撮影する事ができます。
 ちょっとしたコツが必要だが、コーク行出発までの間に撮影した旅客機を数点御覧頂きます。

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ブリティッシュ・エア・バーミンガム B737-200

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エール・ジェット BAe146

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ブリティッシュ・ミッドランド航空 B737-500

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タイ国際航空 B747-400

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 CDG31番ゲート。
 コーク行EI521便の姿が見えます。

 搭乗開始。
 あれ、1Aって、ビジネスクラスではないの?
 CAに聞いても、ここで良いとの事。
 エコノミークラスの運賃だったが、成田出発のJALに続いて、ここでもアップグレードですか。
(プレミア・ヨーロッパと呼称)
 CAの制服なども、座席のシートなども、皆アイリッシュ・グリーンで統一されてしゃれている。

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 離陸直後の、どこかメカニカルな印象も与える農村地帯と、所々の小集落。
 何度も見ているが、フランスは本当に集落と農地がはっきりと分かれている。

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 機内食はサーモンのステーキ。

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 イングランド上空をかすめるようにとび、アイルランド上空へ。
 農村地帯だが、シャープなフランスと違って、こんもりした感じがする。

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 1時間30分のフライトでダブリン到着。
 コークまで乗り通す乗客は、機内で待機する事になります。
 30分程でコークに向けて出発。

 この先コークまではジャンプ程度、僅か30分のフライトでコークに到着しました。

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 誘導路もないローカルな空港で、ターミナルまで歩いていく事になります。
 雨は降っていないが、風が強い。

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 ターミナルは、新しい。

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 コークの中心部への空港バス。
 古めかしいが、左側通行なのでなんとなく親近感も感じました。
 平日は45分間隔、日曜日は4本しか運行がありません。

 当初はここに泊まるつもりだったが、田舎町だからホテル探しが面倒くさそうで、すぐに乗れる次の14時45分出発のICで、ダブリンに戻る事としました。

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 コーク駅は赤レンガ造りの重圧な駅舎だが、町外れ、という感じ。

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 ドームのコーク駅に停車中の、ダブリン行IC。
 アイルランドの列車は、やはり趣きが大陸とかなり違って、やや小振りな感じ。

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 車内。

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 食堂車が連結されていて、当然、ここで昼食。
「The Allaboard Grill」はハム・ソーセージとグリーンピース、トマト、ポテトの付け合せ、3枚のパン、紅茶またはコーヒー。
 こちらも大陸の食堂車とは若干趣きが違うよう。
 ただ、こちらの食堂車も、利用者がほとんどいなかったですね…。
 時間帯もあるのだろうが、テーブルで食事をする人は、全くいなかった。
 食料を買って席に戻って行ったり、電話をかけたりする客は多いのだが、おばさんコックはデッキでヒマそうにしていました。

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 コークから約3時間、15分程の遅れでダブリン・ヒューストン駅に到着。
 駅前に見つけたホテルに投宿。
 外はザンザ降りになってしまって、雷鳴まで轟きました。
 明日はどうなる?

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 明日・明後日の更新はお休みです。

《今日のニュースから》
仏オランド大統領 国会で演説 円安の進行に懸念

№960 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行3

 一回お休みしましたが、欧州一周大旅行の「クロニクル」を続けます。
 今でこそアフリカなど、地球のほかの地域にも関心を抱けるようになったが、当時まだ若かった私にとっては、欧州以外の海外旅行の目的地は考えられませんでした。

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 今回は、いくつか初めて足を踏み入れる国がありました。
 ハンガリーもその一つで、当時はビザを必要としていたから、出発前に三田の大使館に行って、ビザの申請・取得をしてきました。
 当時のユーレイルパス通用17ヶ国では唯一、入国にビザが必要でした。
 残念ながら、1日だけの滞在でしたが。

1996年10月21日(月)

 ブタペスト行ECのウィーン南駅出発は7時ちょうどと早く、朝起きてすぐ、駅に移動。

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 ブダペスト行のEC41列車<レハール>。
 レハールとは、作曲家の名前。
 客車は6両と短いが、ちゃんと食堂車が連結されています。
 1等車と食堂車がハンガリーのMÁV、ELと2等車4両がオーストリアのÖBBという混成。

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 1等車はMÁVだが新型で、思いのほかモダン。

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 出発して10分そこらでもう農村地帯。
 美しい夜明けだが、1等車や食堂車はビジネスパーソン中心で、目をやる人は少ない。
 1等車だと、サービスの新聞を読む人や書類を広げる人、ワープロ … 当時はまだノートPCは一般的ではなかった、と思う … を打つ人が多い。
 普通の旅行者には、少々場違い?

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 食堂車の朝食。
 残念な事に少々揺れが大きく、コーヒーがカップからこぼれたりもした。

 国境はヘジェシャロムだが、はるか手前からオーストリア側の国境警備兵がやってきた。
 私のパスポートをチェックしたのはお姉さん、という感じの美人だったが、腰にはしっかりと銃が…。

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 ヘジェシャロムに着くと、今度はハンガリー側の警備兵がぞろぞろ乗り込み、ビザに判を押し、控えを返していく。
 このルート、案外日本人の利用があるのか、カタコトで「カンゼイヒンハ、アリマセンカ?」などと聞いてくる兵もいました。
 ELはÖBBがそのまま直通。

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 ハンガリーの農村地帯。
 直線が長い。むしろオーストリア側より、こちらの方が揺れが少なく感じられた位。

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 ブダペスト・ケレティ駅には定刻の到着。
 このECだけ見れば、ハンガリー、やるじゃん。
 ただ、駅構内はなにやら客引きがしつこい。タクシー?

 ハンガリーは、夕方になったらすぐにチューリヒ行の夜行で離れてしまうのだけれど、せっかくの初めての国、どこか1箇所、ICで行きたい。
 ミシュコルツなら楽に日帰りができそう。
 10時05分発の快速に乗ります。
 確かニュイーレジハーザへ行く列車だったと思う。

 写真がなくて申し訳ないが、沿線は農村地帯が広がるが、通過する駅は鉄筋コンクリの無愛想な造りが多かったようだ。
 やはり、社会主義国だからだろうか。

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 ミシュコルツ・ティシュザイ駅は、一転して宮殿のような駅舎。

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 駅舎の中。

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 出発案内表示板。
 行先+種別も、番線も、時刻表示も全て手動。
 時刻表示なんて、針だ。

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 ミシュコルツ駅構内で見かけたレールバス。
 親子方式で、動力車両が、トレーラーを牽引します。

 駅前からは、小規模な市電が2系統出発します。

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 1系統。

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 2系統。
 今回は残念ながら乗る機会なし。
 7年後に乗る事になります。

 帰りはすぐ、IC505列車でブダペストにトンボ返り。

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 当時のMÁV一押し、と見えて、客車自体は普通に見えたが車体には「InterCity」のロゴ、1等車の車内はモダンなインテリアの2-1配置、車内誌や経済誌のサービスもあります。
 ビジネス特急、という性格でしょうか。
 もっとも、空席の方が多かったようでした。

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 5両編成と短いのに、食堂車もあります。
 オムレツ。

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 食後のデザート、チョコパンケーキと紅茶(2杯)。
 これだけ飲み食いして755HUFと、日本人の感覚ではかなり割安。

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 沿線はひたすら秋の農村地帯。
 もっとも、車内ではほとんど寝ていましたね…。

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 改めて、ブダペスト・ケレティ駅。
 西側へ行く列車の大半は、ここを起点とします。

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 ケレティ駅構内で見かけたEL。
 MÁVではない、と思うが、どこの車両だろうか。
 ハンガリーは東西を結ぶ鉄道路線網の十字路だけあって、様々な国籍の車両が姿を見せます。

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 ブタペスト市電。

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 チューリヒ行の夜行434列車。
 チューリヒまで15時間かかる、長距離列車です。
 客車9両のうちチューリヒへ行くのはクシェット4両、食堂車と1・2等合造車はオーストリアのブルック・アンデア・ムーアで切り離し。
 後部の3両はハンガリー国内ショプロン切り離しの座席車で、私鉄のGySEV籍。

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 チューリヒ行の車両のサボ。
 この列車はブダペスト~ジェール~エ-ベンフルス~ウィーナー・ノイシュタット~ブルック・アンデア・ムーア~インスブルック~フェルトキルヒ~ブークス~チューリヒと運行。
 つまりウィーンは経由しない、裏街道経由で走る事になります。
 そのせいもあるのか、乗車率は全体的に低調に思えました。

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 この晩は座席車で過ごしました。
 2等車の車内。
 ここまで乗ってきたMÁVの車両は皆、思ったより上等と感じました。
 ハンガリーは東側なので、レベルは西側より低いと、勝手な先入観もあったもので。
(最もローカルには、かなりくたびれた車両も見かけるが)

 国境はまだ先の話だが、ジェールを出てしばらく行くと、もう国境警備兵の姿を見る。
「コンニチハ」「サヨウナラ」と気さくそうではあるが、デッキの天井のフタを開けて中を覗き込んだりする。密輸品のチェックか?
 行きもだったが、こんな厳しい国境越えは初めての体験でした。

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 食堂車の夕食から、まずグヤーシュ。

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 メインのポークとライス。

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 食後のジャム入りパンケーキとココア。

 しかし、せっかくの食堂車なのに全然利用がない。
 きれいにセッティングされたテーブルが寂しげ。
 列車全体が、冴えないなあ。

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1996年10月22日(火)

 深夜のオーストリア国内で連結・切り離しを繰り返し、フィラッハやグラーツからの客車も交えて、編成の姿を大きく変えて、スイス国内に入ります。

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 スイス国内区間が、一番車内が賑わっていたような。
 ほぼ定刻にチューリヒ中央到着。

 この夜行列車は今はなくなり、ウィーン・ザルツブルグ経由のEN<ウィンナー・ワルツァー>号が運行されています。

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 チューリヒ中央駅。
 今回は滞在はなし、すぐにベルンに向かうICに乗り換えます。

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 朝食は食堂車。
 コンチネンタルスタイルだが、皿に盛られたマーガリンやジャムが、なんとなく良い雰囲気を与えてくれるような。
 利用者も多く、ブタペストから列車とは雰囲気が全然違った。
 食堂車を連結するなら、こうでなくては。

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 以前も御覧頂いた、ベルン駅。
 公用4ヶ国語で「駅」と記されています。

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 駅舎内のコンコース。

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 ベルン駅近くの朝市。

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 時計塔をバックに、ベルンの市電。
 比較的古いタイプ。

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 ベルンからルツェルンに向かう途中の車窓。

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 ルツェルン駅。

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 今の駅舎は近代的だけれど、駅前には旧駅舎の玄関部分がモニュメントとして残されていました。
 旧駅舎は大分前に、火災で焼失してしまったとの事。

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 インターラーケン行のスイス国鉄ブリューニック線2474列車。
 4年前とは逆の方向で乗ります。
 
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 食堂車も連結されています。
 ナローゲージなので、さすがに狭い。

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 ハンガリー風のスープ。グヤーシュ?
 凝ったトレイで運ばれてきました。

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 デザート。
 右は「ブリューニックコーヒー」と言うのだが、若干アルコールが入っています。

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 峠を越えて、ブリエンツ湖畔へ。

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 今回利用した、1等パノラマカー。
 車内の写真がないのは申し訳ないが、座席そのものは4人掛けボックスシートで、何の変哲もありませんでした。

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 以前も御覧頂いたが、インターラーケン・オスト駅。

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 夕方のグリンデルヴァルトはすがすがしい青空。

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 今回も宿泊はユースホステル。
 2年前と比べて改装され、部屋はカードキー式になっていました。
 ただ、この晩はなぜか夕食の提供がなかった。
 これはちょっと困った。安く食事ができそうな店が、近隣にはないから。
(ホテルに併設の高そうな所ばかり)
 結局駅前のキヨスクでポテトチップとキットカット、コーラを買って…って、こんなの夕食じゃないよ。

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 飼い猫は、元気でした。カワイイ。

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《今日のニュースから》
鳥取・境港 クロマグロ初水揚げ

№959 横浜市営交通でアフリカ気分

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「クロニクル」は1回お休みします。
「アフリカ開発会議」(TICAD=Tokyo International Conference on African Development Ⅴ …「T」って、「東京」のT…)が1日~3日の間横浜市内で行われ、合わせて市内の各地でアフリカに関する様々なイベントが展開されています。
 横浜市交通局でも、地下鉄を中心にいくつかイベントがありました。

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 市営バスのフロントに掲げられていた、TICADのPR幕。
 まだ未見だが、市営バス2台に、日本とアフリカの学校の合作による絵画がラッピングされて運行中です。

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 地下鉄では、ブルーラインの「はまりん号」(3321F)を「アフリカ号」と題して、車内にアフリカの装飾を施し、天井吊りや窓上にアフリカの風景や民族のデザインを展示しています。
 この列車は、次の日曜日(9日)まで運行予定。
(運行ダイヤはWebで公開されているが、明日と日曜日は朝だけの運行)

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 中吊りはこんな感じ。
 ケニアのナクル湖国立公園で、フラミンゴの群れが湖面を赤く染めています。

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 窓上。
 コンゴ民主共和国のプジョング族が作るテキスタイル(織物)で、ハンマーで叩いた結果あいてしまった孔を、アップリケを縫い合わせている事で補修しているのだそう。

 1両ごとに、展示される地域を変えています。
 どんな内容だったのか、記してみました。

(湘南台方)
1号車(3321) <砂漠気候>
1.フェズ・エル・バリ モロッコ王国 世界一の迷宮都市 (中吊り)
2.フェズ・エル・ジュティド モロッコ王国 閉ざされた王宮の門 (中吊り)
3.タッシル・ナジェール アルジェリア民主共和国 先史時代の岩絵 (中吊り)
4.フェズ モロッコ王国 職人街の臭いと香り (窓上)
5.アッタリーン・マドラサ モロッコ王国 美しい男子校 (窓上)
※「マドラサ」=神について勉強する男子校だそう。
6.ギザ エジプト・アラブ共和国 ピラミッドの由来 (窓上)

2号車(3322) <砂漠気候>
7.ヴォタベ族 ニジェール共和国 コンテストの勝負服 (中吊り)
8.バナマ族 マリ共和国 魔除けの泥染め (中吊り)
9.トゥアレグ族 マリ共和国 砂漠の民トゥアレグ族 (中吊り)
10.ソンゴ族 マリ共和国 儀式の岩絵 (窓上)
11.ドゴン族 マリ共和国 崖の民の仮面舞踏 (窓上)
12.メロエ スーダン共和国 文化の交錯する遺跡 (窓上)

3号車(3323) <ステップ気候・サバナ気候>
13.ディダ族 コートジボアール共和国 絞り染めが描く文様 (中吊り)
14.アシャンティ族 ガーナ共和国 縫いつながれる色彩 (中吊り)
15.アシャンティ族 ガーナ共和国 スタンプで彩る喪服 (中吊り)
16.ウィダ ベナン共和国 ブードゥ教の祭 (窓上)
17.ダカール セネガル共和国 ド派手な庶民の足 (窓上)
18.ガ族 ガーナ共和国 ユニークすぎる棺桶 (窓上)

4号車(3324) <ステップ気候・サバナ気候>
19.ピグミー族 コンゴ民主共和国 森の挿絵 (中吊り)
20.ヨルバ族 ナイジェリア連邦共和国 こだわりの藍染め (中吊り)
21.ンゴンゴ族 コンゴ民主共和国 ラフィアの絞り染め (中吊り)
22.ヌアバレ・ンドキ国立公園 コンゴ共和国 アフリカ一豊かな森 (窓上)
23.プショング族 コンゴ民主共和国 アップリケの布 (窓上)
24.ショワ族 コンゴ民主共和国 価値あるテキスタイル (窓上)

5号車(3325) <温暖湿潤気候・ステップ気候>
25.ケニア共和国~タンザニア連合共和国 密やかなメッセージ (中吊り)
26.ケニア共和国~タンザニア連合共和国 身にまとう絵画 (中吊り)
27.ナクル湖国立公園 ケニア共和国 ピンク色に染まる湖 (中吊り)
28.アザレ湖 エチオピア連邦民主共和国 塩が描く景色 (窓上)
29.ケニア共和国 万能アイテム「キコイ」 (窓上)
30.エチオピア連邦共和国 カラフルなバスケット (窓上)

6号車(3326) <温暖湿潤気候・西岸海洋性気候>
31.ケープクロス ナミビア共和国 オットセイの海 (中吊り)
32.ナマクワランド 南アフリカ共和国 魔法の花畑 (中吊り)
33.ツインギ・デ・ベラマ厳正自然保護区 マダガスカル共和国 尖った世界遺産 (中吊り)
34.ケープタウン 南アフリカ共和国 アフリカのペンギン (窓上)
35.コサ族 南アフリカ共和国 ネックレスの身分証 (窓上)
36.モロンダバ マダガスカル共和国 人類を支える逆さの樹 (窓上)
(あざみ野方)

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 ドアの窓ガラスには、民族衣装が貼られている所も。
 つまり地下区間で、自らの姿を窓ガラスに映して重ね合わせると、民族衣装を着ている雰囲気を味わえる、という仕掛け。

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 先頭車両の車内には、乗務員室の仕切りに装飾が施されています。
 これは6号車で、1号車は砂漠の装飾になっています。

 駅においては、「1駅1国運動」として今日5日まで、各駅にアフリカ各国を紹介したパネルが展示され、スタンプが置かれていました。
 この運動は2002(H14)年に日本・韓国で行われたサッカー・W杯の際、出場国と地下鉄の駅の数がちょうど同じ32だった(グリーンラインは未開業)事から、各駅毎に出場国にまつわる展示が行われた事が始まりで、5年前の「TICAD Ⅳ」でも行われました。
 ただ、アフリカの国の数(今回は54ヶ国)は地下鉄の駅(40)より多いから、一部の駅では複数の駅の展示を行っています。
 国は前回と同じだが、一昨年独立した南スーダンは、下飯田駅に割り当てられていました。

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 各駅では、このようなパネルがあります。
 これは日吉本町駅のコモロ連合。
 国によっては日本との「意外な」結びつきも記されていて興味深い事柄も多いが、全54ヶ国をじっくり読むには、時間がないなあ。
 どこかネット上でまとめて読めると良かったのだが。

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 ラリーのスタンプには、その国にまつわるワンポイントの図柄があしらわれ、シートにはその図柄の説明と、各国の国旗に正式な国名、首都、人口が記されています。
 北新横浜のスワジランドはスタンプがなくなってしまい、改札の窓口でシールを配布していました。
 北新横浜を含め、比較的乗降が少ない駅に複数国が当てられているようです。

 このラリーでは、アフリカ大陸を5ブロックに分け、各ブロック毎に1つ以上集めて指定の駅に持って行くと、粗品がプレゼントされます。

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 54ヶ国の国旗があしらわれた、特製クリアファイル。

 この他、中山と戸塚でミニコンサートも行われています。

 これらを見て感じた事だが、アフリカに関する国際会議が2度も行われたのだから、会議の時期だけ、というのではなく、何か小規模なもので良いから、横浜とアフリカの恒常的な、目に見える結びつきが欲しいな、と思いました。
 駅におけるパネル展示、程度でも良いので。
(その意味で、先の絵画を描いた市営バスの運行が数年程度、とされているのは良いと思う)

 地下鉄の電車や駅の展示を見て、アフリカ大陸に関する興味が強く沸きました。
 残念ながらまだネガティブな印象を持つ人の方が多いだろう(正直私もその一人)アフリカ大陸だが、一方で魅力的な部分も多いと感じられるようになりました。
 アジアや欧米のように思い立ったらすぐ出発、という訳には行かないのも現状だが、一度はアフリカ、できれば赤道より南を、訪れる機会を作れたら良いなと思っています。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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《今日のニュースから》
「合計特殊出生率」1.41 前年より上昇 16年ぶり1.4台