№967 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行8

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 長旅も、2/3が終わろうとしています。
 後半に向けてリフレッシュのため同じYHに連泊、予備日も兼ねてパリで1日休息日を取っています。
 パリでは4年前、郊外のサン・ドニにLRTが開業、「パリに路面電車が復活!」と騒がれたものでした。
(正確にはパリ市ではないが)
 そのLRT路線に乗ってきました。
 翌日はTGVで、初訪問のベネルクス3国に足を踏み入れます。

1996年10月31日(木)

 LRTに乗る前に、不要になった衣類や資料などは、郵便局から日本に送ってしまいました。
 小箱2個を航空便で、当時は確か950FFR。
 荷物が急に軽くなって、ホッとしました。存分にLRTに乗れそうです。

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 今で言うT1系統は3年前にも乗って、№388で書きました。
 その時には地下鉄やバスと共通のカラーに変わっていたが、当時は独自のカラーでした。
 路線がまだ整備途上で、当時はサン・ドニ ~ ボビニー・パブロ・ピカソの運行でした。
 車両は1987(S62)年開業のグルノーブルの車両と同型。

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 車内は変わりがないようです。

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 最初はメトロ13号線でサン・ドニ バシリックまで行って、そこから乗りました。
 新興ニュータウンのイメージで、新しい建物が並んでいました。
 広場みたいな所にホームがあって、全く段差がなく、乳母車もラクラク。
 当時も3年前も感じた事だが、色々な人種の乗客が乗っていました。

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 サン・ドニ駅前。
 RERの駅前にあり、橋の上にホームが設けられています。

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 当時のもう一方の終点、ボビグニー・パブロ・ピカソ。
 当時は全線で所要40分前後だったでしょうか。
 2往復ぐらいしてみたが、終始乗客が多かったです。

 この路線はこの後、ノアジー・ルゼックまで延伸された時点で再度乗る事になったが、さらにその後サン・ドニ側が大幅に延伸され、メトロ13号線のもう一方の終点(13号線はラ・フルシュで分岐する)レ・クルティーユまで延伸されている模様。

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 メトロなどの駅から数点。
 高架駅だが、名前を失念してしまいました。

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 メトロ地下駅入口。
 ここも名前を忘れてしまったが、良い雰囲気です。

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 古い路線の地下ホームは、皆こんな感じです。

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 RATPと共に地下鉄ネットワークを成す、RERの地下駅。
 エッフェル塔の最寄のシャン・ド・マルス・トゥール・エッフェル駅。
 この駅も以前御覧頂いたが、当時はサインシステムも違っていました。

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 サン・ドニ駅。
 この街に大スタジアムが建設され、2年後のサッカー・ワールドカップを迎える事になります。

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 当時RATPが発行していた、ポケット路線図の表面。
 バス路線が書かれているが、ルートだけで途中のバス停はほとんど書かれていない。
「PC]という大環状路線があるが、この後一部区間が、LRTの新路線に取って代わられる事になります。

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 裏面はメトロとRER。
 どちらもLRTが記されていない…。

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1996年11月 1日(金)

 この日のフランスは「諸聖人の祝日」。
 大通りも昨晩の大混雑がウソのような静寂さでした。

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 北を目指す、後半の旅が始まります。
 パリ北駅から、TGVのブリュッセル行で出発。

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 朝のパリ北駅構内。

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 パリ北駅ホーム。

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 ブリュッセル行TGV9413列車。

 この列車に関しては車窓の写真がいっさいなくて申し訳ないのだが、それには理由があって、実は前日指定券を手配した時、間違って昨日(10月31日)の指定券を購入してしまったからなのです。
 恥ずかしながら気付いたのは、「指定」されていた席にいた韓国人のお客さんに指摘されてから。
 車掌に相談したら、取りあえず乗っていいよといって下さった。
 日本だったら一発アウトのはずで、よく認めてくださった、とは思うが、それゆえさすがに客席は憚り、デッキの補助席で過ごす事になったのでした。
 一応デッキから外を見る事は出来ましたけれどね…。

 高速新線はとにかく早いです。
 ユーロスターやタリスとすれ違う時なんか、「シュヴンシュピシュピ…シュピシュピシュヴン」と、わずか1~2秒の出来事。

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 BAR。
 朝早かったから食事みたいなものは採らず、コーラとパンみたいなもので済ませる。
 このBARでは、パリ・ブリュッセル・アムステルダムの市内交通の切符を売っているようでした。

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 定刻にブリュッセル・ミディ到着。
 曲線を描いた、大きな屋根に覆われていました。

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 ブリュッセル・ミディ駅。
 駅舎そのものは大きいが、少々古めかしい。
 ただ、全体的に工事中でした。
(ユーロスターの始発駅になった事もあるだろう)
 交通広場みたいなものもありませんでした。

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 ミディ駅のコンコース。

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 ミディ駅のホーム。

 この駅では、

GARE DU MIDI

と、

ZUID STATION

と、2種類の言語で駅名が記されています。
 他の各種案内標記も2種類の言語で記されていました。
 ベルギーは北部の「フラマン語」系と、南部の「ワロン語(フランス語)」の対立が長年続いて、最近でも分裂一歩手前か?と騒がれる程の政治的な対立がおきました。
 ブリュッセルは首都だからか、一応2種類の言語が共存しているようだが、ベルギーでは言語だけでなく、市内交通機関などでも、南北で運営体制が異なったりしています。

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 ベルギーの近郊電車。
 水泳のゴーグルを装着しているような、イマイチ垢抜けないスタイル。
 ベルギーの鉄道はNSCB(フラマン語 Nationale Maatschappij der Belgische Sporwegen)/SNCB(ワロン語 Societe Nationale des Chemins defer Belges)によって運営されています。

 ブリュッセルから、ルクセンブルクの首都・ルクセンブルクを目指します。

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 国境に近い、アーロン駅。

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 ルクセンブルク行の近郊電車。
 ベルギー方面行は、電気方式の違いから、全てベルギー側の車両で運行されています。
 この後新型車両が導入されるが、当時はこれが最新車両だったようです。
 ブリュッセル~ルクセンブルクは、1時間間隔で列車があります。

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 ルクセンブルク駅のホーム。

 ルクセンブルクはベルギーの他、ドイツとフランスにも挟まれた小国で、ちょっと遠くへ行く列車は、すぐに国際列車、という事になります。
 その中から、ドイツのトリエへ行く列車に乗ってみました。
 コブレンツ方面へ行く列車だったと思う。DBの編成。

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 ドイツにある、トリエ駅。

 
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 トリエと、ルクセンブルク側のワッシャービリクの間に流れる国境の川、モーゼル川。
 ルクセンブルク~トリエだと、DBのDCによる快速的な列車も運行されている。

 
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 ワッシャービリク駅。
 こことルクセンブルグの間を走るローカル電車は、地元CFL(Chemins de fer Luxembourgeois)の運行。

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 そのCFLの電車。

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 CFLの路線図。
 ルクセンブルクは神奈川県程度の面積しかなく、自前の国鉄または相当する基幹鉄道を保有する国としては、欧州では最小。
 これをバスが補完する事になります。

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 CFLはこの年開業50周年で、記念のステッカーが貼られていました。

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 ルクセンブルクは、城の跡全体を街にしたようなイメージ。
 断崖絶壁が構成する深い渓谷が旧市街地にあり、ここで宿泊したYHもその谷間にあります。
 鉄道は高いアーチ橋で見下ろしながら走ります。
 通過音が、YHの内部でも聞こえてきました。

 明日は再びベルギーを経由してオランダへ、そして夜行でベルリンに向かう事になります。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
錦織圭 テニス世界ランク11位 日本男子最高順位を更新

№966 東横フラワー緑道

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「クロニクル」は1回お休みします。
 3月のメトロ副都心線相互直通運転開始に沸く東急東横線ですが、9年前の2004(H16)年1月31日、横浜市内の反町~横浜の地下線化、みなとみらい線との相互直通運転も、首都圏の鉄道史上に於ける一大事といえました。
 在来の高架線はその後神奈川区によって整備、以前の高架橋は一部を残して撤去され、「東横フラワー緑道」の名がついた、全長1.4㎞の遊歩道として整備されました。
 以前№316で少し書いた事があるが、この当時は高島山トンネルが整備途上で通行止めになっていました。
 しかし一昨年の4月に整備が完了、全区間で通れるようになりました。
 首都圏ではめずらしい、鉄道の廃線跡を利用した緑道をたどってみようと思います。

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 入口は東白楽駅の近く、東横線と横浜上麻生道路が交差する地点から「滝の川せせらぎ緑道」として始まります。
 噴水が整備されているが、下水を処理しているものだそうで、飲んだり、水浴びしたりしないように。
(緑道の所々に水のみ場があります)

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 入口に立つ地図。

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 二ッ谷公園。
 ここで滝の川せせらぎ緑道と別れ、本格的にフラワー緑道が始まります。
 東横線はここから地下線へ、急勾配で下っていきます。

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 地下線へ下っていく東横線。
 電車は東京メトロ副都心線の7000系。

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 その、東横線が地下線へ進入する入口の真上から、反町方向を見ます。

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 記念植樹。
 かつて高架線上に設けられていた、「新太田町駅」の跡地だそうです。

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 高架線を撤去した跡に整備された、遊歩道。
 両側には、割と古い商店が並んでいたりします。
 途中で、「三ッ沢せせらぎ緑道」が分かれます。
 先の「滝の川せせらぎ緑道」と合わせて、神奈川区内の緑道のネットワークを形成しています。

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 反町駅の手前で、かつての鉄橋を利用した橋に上がり、国道1号線と交差します。

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 この階段を上がって、今歩いてきた東白楽方向を見ます。

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 反対側、横浜駅方向を見ます。
 左側にエレベーターもあります。
 奥の緑の屋根が反町駅、その脇、遠くに小さく見えるのは、横浜駅西口前のシェラトンホテル。

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 反町駅付近。
 反町駅については№231で書いたので、そちらも御覧いただければ。
 駅舎は、2階以上はハリボテになっています。

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 この鉄橋を、国道から見ます。
 左が反町駅、右が東白楽方向。

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 反町駅を跨いでいた、桐畑橋。
 鉄道時代は、この両側に相対式でホームがありました。
 今の時期だと、やはり紫陽花がきれいです。
 この歩道の右手に降りると、№316で取り上げさせて頂いた銭湯「SPA 反町浴場」があります。
(営業時間が13時~と変更されているのでご注意を)

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 いよいよメインの「高島山トンネル」。
 ここを通行できるのは、6時~21時30分の間。
 24時間通行でいいじゃないか、とも思うが、やはりトンネルなので、治安の事もあるのでしょうか。

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 トンネルの内部。
 複線の鉄道が走っていたにしては、多少狭いという感覚もしました。

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 中には、フラワー緑道や神奈川区に関する掲示盤があります。

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 トンネルの出口(横浜側の入口)。

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 終点は、環状1号線に接続しています。
 東横線はここを鉄橋で渡り、左側のビルの脇を高架線で走って、駅ビルの2階にあった横浜駅に達しました。

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 出口(横浜側入口)。
 画像の右手の方向に、京急線の神奈川駅があります。

「フラワー緑道」とは言え、年がら年中お花畑の如く花々が咲き乱れるという事もないのだが、それでも四季折々の花々を愛でながら、鉄道旧線跡をたどる事ができます。
 のんびり歩いても1時間はかからないはずで、一度訪れてはいかがでしょうか?
 個人的には、かつての東横線に関わる展示や説明が、少しはあっても良かったかな?とは思っていますが。

 №334で書いた、横浜~桜木町の跡については、自転車も通行可能な歩道として整備される計画だそうだが、今の所は進展がないようです。
 さて、今回地下線切替で廃止になった、渋谷~代官山の高架線は、今後どうなるでしょうか。

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 明日・明後日の更新はお休みします。
 明日の晩、本体の更新を行います。関東地方を中心に、バス車両の画像の追加を行います。京王バスの100周年記念旧塗装復刻車(取りあえず2種類)や、富士急のユニヴァースなどです。また、ICカードに関するコンテンツを新設します。
 なお、予告していた中部の事業者の新規公開は、(私的な部分で)多忙につき、今回は見送りとさせて頂きます。ご了承下さい。

 都議会選挙が始まってしまいました。
 7月には参議院の選挙もあるし、演説や街宣車の騒音が憂鬱だなあ。
 選挙がない時でもうるさいけれどね…。

《今日のニュースから》
エアバスA350 フランス南部で試験飛行

 いよいよこの時が来ましたか。
 先行していたライバルB787がトラブルで長期運航停止に追い込まれただけに、一気にセールスを伸ばすチャンス、かも知れません。
 長胴形のA350-1000はJALが関心を示している、と一部報道もあったようだが…。
(私は懐疑的だが)

№965 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行7

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 ポルトガル滞在は1日のみ、ポルトへ北上の後、再び夜行でスペイン、さらに国境で乗り継いでパリまで戻ります。
 少々写真が少なくなってしまっているのはゴメンナサイ。

1996年10月29日(火)

 幸い国境越えでパスポートコントロールのために叩き起こされる、という事はなかったが、リクライニングが少々中途半端で眠りづらい。
 他の客もそう感じているのか、斜め後の女の子なんか、床に寝ちゃっている…。

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 食堂車では、何もオーダーを聞かれないまま、トーストとクロワッサンを出された。
 メニューはこれしかなかったのだろう。
 100%オレンジジュースではなく、やや砂糖の味が混ざったドリンクなのが残念 … とは贅沢?

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 サンタ・アポローニャ駅到着。
 5分程度の遅れだったからまずまずか。

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 半年振りのサンタ・アポローニャ駅の界隈。
 今回はリスボン観光はなし。
 ローカル列車を3本乗り継いで、北部のポルトに向かいます。
 エントロンカメントまでは、今来たルートを逆行する事になるが(トマル行)。

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 いきなりエントロンカメント駅。
 広い構内の真ん中にある、ホームのさらに真ん中に駅舎があります。

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 当時のポルトガルの近郊電車。
 電化区間なら、全国的に見られます。
 車掌は乗務するが、ドアを開けるのは運転手の仕事らしい。
(半自動で、動き出した時点で自動的にロックされるように見えた)

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 エントロンカメントから、コインブラに向かう途中の車窓。

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 当時のポルトガルは、幹線区でも踏切が相当多かった。
 しかも日本で言う「第3種」踏切が大半で、このような踏切番がいるのが普通だった。
 それ以上に、踏切でない所を横断する公衆が非常に多い。
 どこかの駅では、反対列車の警笛がけたたましく響くので何事と思っていたら、電車から降りたばかりの、足が非常に弱そうなおじいさんが、反対側のホームによじ登ろうとしていた所だった。
 足がホームに上がるのと、列車が通過するのがほとんど同時のように見えて、思わず「危ない!」と(日本語で)叫んでしまった程でした。
(ポルトガルはホームが他の国より若干高い。おじいさんはホームと反対側のドアから降りたようだった)
 さすがに幹線区だと、この後の「アルファ・ペンドラー」運行開始に合わせて、踏切の撤去などをかなり行ったようだが。

 コインブラ B駅(コインブラは中心部が幹線から離れていて、シャトル電車が接続している)で、さらにポルトガル行に乗り換え。

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 ポルト到着直前のドゥーロ川。

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 終点のポルト・カンパーニャ駅。
 この駅も中心部からは離れていて、「アズレージョ」が見事と言われるサンベント駅のほうが中心部に圧倒的に近いが、長距離列車は皆カンパーニャ発着になっていて、ここでもシャトル電車が運行されていました。

 ポルトもあまり時間がなく、今回は市内観光はなし。
 7年後にまた来る事になり、この後新設されるLRTに乗る事になります。

 アンダイヨ行夜行ですぐポルトを後にします。
 慌しい事…。
 かつてはパリまで直通の<南急行>だったが、TGVアトランティックの開業以降、スペイン・フランスの国境で打ち切りになっていました。
 ポルト発編成は、客車は2両だけ…。
 2等クシェットの1室に落ち着きました。

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 出発してすぐ、左手にポルトの市街地を見ます。
 右手に見える大きな橋は、ドン・ルイス1世橋。

 パンピローサでリスボンからの編成を連結。
 8両編成となって、ようやく国際列車らしくなりました。

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 リスボン発編成には、食堂車も連結。

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 食堂車の夕食。
 ハム・ソーセージ・ポテト・トマト・オリーブにファンタとカフェオレ。

 食事を終えてコンパートに戻ると、もう皆寝ていて、明かりが消されていた。
 まだ21時前だったけれど…。

 1年間で2度のポルトガル訪問だったが、この7年後の2003(H15)年1月に、本格的に乗り歩く事になります。
 ポルトではLRTにも乗りましたが、別の機会に書きます。

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1996年10月30日(水)

 列車は既にスペイン入り、スペイン時間7時に目を覚ますが、このクシェットのお客さんは早寝+朝寝坊の人が多い気がする。コンパートを抜け出すのに一苦労でした。

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 朝食のメニューは、前夜のタルゴと全く同じでした。

 山間部を走っているようだが、バスクの近郊区間ですれ違う近郊列車は意外に多い。
 イルンからさらに一駅、国境を越えてフランスに入ります。

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 アンダイエ駅。

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 構内にいた、フランスSNCFの電気機関車。

 ここからパリまではTGV、ではなく、在来線の列車を乗り継いでパリへ向かいます。
 ダックス行の列車の乗客の大半は高齢の方々で、とにかく皆やたら大荷物なので、車内に運び込むのが一苦労。

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 ダックス駅。
 ここで、タルベス始発パリ行に乗り換え。

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 フランスはやはりイベリア半島とはかなり違って、緑が美しい。
 19時目にパリ・オーステルリッツに戻ってきました。

 今回は写真が非常に少なくて、申し訳ありませんでした。
 さて、長旅も2/3程度が終わりました。
 パリで1日、予備日を兼ねた休息日を作っています。
 パリではYHに連泊、明日は丸一日パリ市内で過ごします。
 パリ郊外にもLRT(当時はまだ、この3文字は一般的ではなかったが)が開業した、と聞いていたので、迷わず乗りにいこうと思います。
 もちろん、地下鉄も。

 明日は「クロニクル」はお休み、違う事を書きます。
「クロニクル」の次回は、来週月曜日の予定。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
「あべのハルカス」 近鉄百貨店開店

「あべのハルカス」は高さ300m・地上60階建て、横浜のランドマークタワーを抜いて、日本最大のビルとなります。
 百貨店も良いのだが、大阪阿部野橋駅に乗り入れる近鉄南大阪線は車両の新陳代謝が進まず、一般通勤車両に至っては、2002(H14)年の6820系「シリーズ21」4両を最後に、新車両が全く入っていません。
 6020系・6200系など在来通勤車両の老朽化が進んでいるし、他線からの転用もできないのだから、これを契機として、通勤車両の近代化を一気に進めるべき時ではないでしょうか。