№970 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行11

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 スウェーデンとフィンランドの間は、かつては鉄道もあったらしいが廃線となったようで、陸路で国境を越えようとしたらバスしかありません。
 しかも直通ではなく、時刻表ではボーデンから国境手前のハパランダまで、徒歩で国境を越えてトルニオからケミと乗り継ぎを必要とします。
 このルートで、いよいよ最後の訪問国・フィンランドに入り、ロバニエミで一泊の後、旅の終点・ヘルシンキを目指します。

1996年11月 6日(水)

 朝起きて外を見ると、もう一面の銀世界。

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 食堂車の朝食メニュー。
 そんな大それたものではないが。

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 ボーデン到着。
 雪ではなく、雨が降っていた。
 ハパランダ行のバスはここから出るが、終点を極めたかったから一旦ルレオを目指します。
 重連のELはキルナ行編成を切り離した後、そのままこちらの編成の反対側に連結。

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 終点のルレオ到着。

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 ルレオ駅は3年前にも半年前にも来ています。
 郊外に世界遺産の集落があるとはいえ(私は当時は知らなかった)、目立った観光地ではないはずで、こうも度々来る事になるとも思わなかった。

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 ただこれまでは解らなかったのだが、駅から歩いて数分の所にショッピングストリートがあって、人通りもそれなりに多い。

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 引き返して、ボーデン駅。
 イェリヴァレ駅のような、山小屋風の駅舎。

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 結局、ハパランダ行のバスはユーレイルパスOKでした。
 他にも列車から乗り継ぎの乗客が多いようで、SJの乗車券が多く見られました。

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 ひたすら森の中の雪道を淡々と走る。
 交通量自体は非常に少ないが、雪のせいか大型車とのすれ違いや追い抜きは少々苦しい。

 思い出したようにバス停が現れるが、日本と違ってバス停には名前がついていないし、時刻表もないよう。
 本当にただの「標識」に過ぎない。
 これでどうやって利用するの?と思ってしまうのだが、このロケーションでは地元の人しか乗り降りしないのだろうし、彼らさえ事前に通過時刻を知っておけばそれで十分、と言うことなのでしょう。

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 ハパランダまであと100㎞、というローネオーのバスステーションで、車両交換という事で乗り換えになりました。
 やがてやってきたのは連接式の貨客混載型「コンビバス」。
 車両交換と言うより、「コンビバス」はウメオからルレオを経由してやってきた便のようです。
(ルレオからユーレイルパスが使えたかどうかは不明)

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 2時間強で終点のハパランダのバスステーション。
 町外れの平原のような所にあります。
 ステーション内のハンバーガーショップで昼食。

 北欧のバスステーションって、この前でも後でも北欧のバス旅のたびに感じるのだが、厳しい寒さでも、周辺が閑散としていても、どこかすがすがしく思えるのは、なぜだろう。
 自分の感性に合った所があるのだろう。
 鉄道ももちろん最高だが、北欧の長距離のバス旅、もっともっとしてみたい。
 鉄道が全くない町へ、「コンビバス」で行けたら最高だろうなあ。

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 ハパランダから、国境を越えてケミへ行くバス路線がありました。
 スウェーデン側とは違って、普通の市内バスという感じ。
 古くて、フロントガラスにはヒビが入っていた…。

 ちょっと走ってパスポートコントロールを過ぎたらもうフィンランド。
 フィンランドはスウェーデンより1時間早いのだが、同乗の乗客2名がどちらも時計を修正したりしなかったのは愉快。
 国境など意識せず、毎日頻繁に両国間を行き来しているのだろう。

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 バスは30分程度でケミに到着するが、駅前ではなく、バスステーションに到着。
 駅は歩いて2~3分程度だったが、最初は貨物駅なのか?と思った位寂しい。
 付近にはキヨスク1軒しかなかった。

 列車でこの日の投宿地、ロバニエミへ向かうが、もう真っ暗。
 タタン、タタン、タタン…と単調なリズムが、車内に響く。
 ロバニエミ駅も閑散とした雰囲気だったが、乗客を迎えに来たマイカーが多いようだった。
 この晩泊まったYHは駅から歩いて15分程、少々小ぢんまりしていました。

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1996年11月 7日(木)

 ついに旅の終点、ヘルシンキを目指す事になるが、列車の出発は9時45分。
 時間に余裕があって、7時過ぎまでたっぷり寝ていました。
 YHの落書き帳には、3ヶ月かけて北欧を歩くんだ、という日本人女性のメッセージもありました。
 このYHには3年後にも泊まりますが、今はなくなってしまったようです。

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 ロバニエミの湖。

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 ロバニエミの教会。
 付近に建物が少ないので、広々とした感じがしました。

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 駅で買った、ロバニエミの駅と街の絵葉書。
 森に囲まれた小規模な街、という印象がします。

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 ロバニエミ駅。
 構内は広いが、貨物列車が中心。

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 その駅舎の中。

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 構内の傍らの広場には、静態保存のSLの姿があります。

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 いよいよ旅の終点、ヘルシンキに向かう54列車。
 ロバニエミ付近は非電化で、最初はDE10に似たDLに牽引された、短い4両編成。

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 ケミまでは前夜も乗った区間です。
 曇り空だったし、雪が覆った地面と合わせて、車窓はとても寒々しい。
 10㎞位直線が続いていた所も。

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 本当に小ぢんまりした、コイヴュ駅。
 ここで、ヘルシンキからの夜行列車と交換。
 向こうはマイカーを積んだ車運車を連結していました。

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 オウルは3年前にも来ていて、宿泊もした事は以前も書きました。

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 ロバニエミから来ると、ここから電化となり、機関車がELに交換。
 客車も増結、食堂車も連結されます。

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 ビアンティでは、すぐ隣で貨車への材木の積み込みが行われていました。
 先のコイヴュもそう、3年前のカウハヴァもそう、ビアンディもそう、フィンランドの小駅はどこも民家のようにさりげなく建っている、という感じ。

 一眠りしても、窓の外に現れるのは森ばかり。

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 食堂車。
 3年前にも乗った、テーブル配置がユニークな車内。

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 食堂車の食事。
 メニューカードはフィンランド語、スウェーデン語の他に英語もあって選びやすい。
「Meat balls in cream sause」。

 タンペレを過ぎると、一気に外は暗くなってきました。
 北欧は秋になると、夜が訪れるのがとても早い。
 しかし、リーヒマキを過ぎると、さすがに民家の明かりが切れ目なく見られるようになって来ました。
 ヘルシンキが近づき、線路もいつの間にか複々線。
 パシラで近郊電車、そして路面電車のレールも見ました。

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 ハプニングのアテネ出発から3週間、とうとう着きました、ヘルシンキ!
 さすがに、長かった…。

 この晩はホテルに宿泊、帰国の途に就くのは明日です。
 でも、なぜだかすぐには寝付けず、なかなか眠れなかった。
 旅の終わりで、興奮してしまったのだろうか…?

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《今日のニュースから》
「世界ウイグル会議」代表 都内で記者会見 中国習近平政権を批判

№969 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行10

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 長旅も大詰め。いよいよ北欧です。
 夜行でオスロに着いた後、市電や郊外電車に乗ります。
 翌日は再びスウェーデンへ。
 北欧も3年前にも訪れたばかり、スウェーデンに至っては半年前にも来ているので、同じような画像がまた現れる事になりますが、ご承知置きを。
 でも、3年前と違っている所もありました。

1996年11月 4日(月)

 6時前、ノルウェーの国境警備のお姉さんに叩き起こされ、パスポート・パスの提示を求められた上、行先なども聞かれた。
 一体のイメージが強い北欧3国だが、国境越えは意外に厳しい?と思ったのだが…。
 次に放送で起こされた時はもう7時。オスロが目の前。

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 3年ぶりのオスロ中央駅。
 晴れだと思うのだけれど、7時30分を回っても東の空の雲がオレンジ色に染まるだけで、陽がまだ差さない。
 秋の北欧の朝は遅い…。

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 中央駅のコンコース。

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 改めて、静態保存のSL。

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 オスロ市電。
 このタイプが最新鋭なのは、3年前と変わっていないようでした。

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 旧型の市電。
 以前御覧頂いたものよりさらに古そうで、かなり無骨。

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 市内バス。

 フロッグナーズタレンへ行く郊外電車は、3年前の年代物車両に変わって、新型車両が導入されていました。

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 新型電車の車内はユニークで、ワイドボディ旅客機のように、1-2-1配置でシートが並び、通路が2本あります。

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 山の中腹に位置する、終点のフロッグナーズタレン駅。
 民家がチラホラ見えるけれど、レストランや商店などの類は何もない。

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 フロッグナーズタレンからの展望。
 見晴らしは最高だが、冷たい風が吹いて、強烈に寒かった…。

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 オスロ市中心部にあるストーテインゲット駅。

 この日は郊外にあるYHに宿泊します。

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1996年11月 5日(火)

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 そのYHの最寄り、グレフセン駅。
 きれいなお姉さんの駅員がいるが、停車する列車は、多くはない。
 でもいい駅舎ですねー。

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 やや旧型の、NSBの近郊電車。

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 以前も御覧頂いた、相鉄8000系似のICE。

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 ストックホルム行のIC55列車。
 2国の首都を結ぶ国際列車というのに、客車は僅か3両…。
(本来は6連らしいが)
 機関車も含めた4両全てがスウェーデンSJ車。

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 本来は1両丸々が1等車になる所、この列車では2等との合造でした。
 オープンとコンパートに分かれ、コンパートはサロンのよう。

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 ノルウェー国内の車窓は、農村地帯が続く。

 スウェーデン国内に入っても、この列車に関してはパスポートコントロールはありませんでした。
 列車や場所によって扱いが違うのだろうか?
 カールスタットで客車4両を増結、機関車も同型同士で交換。

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 スウェーデン国内では、森と湖の車窓が続く。

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 どこの駅だったかな?エーテボリ行の近郊電車。
 地域カラーではなく、SJオリジナルカラーです。

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 小型の入換用ELも、どこかの駅で見かけました。

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 ストックホルムが近づくと、いきなり都会という感じ。
 終着直前、メーラレン湖を渡ります。

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 ストックホルム中央駅。

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 中央駅のコンコース。

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 出札窓口。
 最後の訪問国、フィンランドへの入国にはボーデンからのバスを利用するが、ユーレイルパスが通用するかどうか聞いてみました。
 結局、バスのドライバーに聞いて下さいという事になりましたが。

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<ノルトピレン>904列車。
 半年前に乗ったばかりの列車だが、今回は最初からボーデン(一旦ルレオへ)が目的地。
 冬が近いからか、半年前より編成が短い。
 今回は、クシェット利用。

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 食堂車の夕食。
 メインはミートボールにポテトとサラダの付け合わせ(70SEK)。

 外は当然ほとんど真っ暗、夜中まで真昼間のようだった半年前とは大違い。
 時々、明かりを見ることもある。民家の窓際には、必ずと言ってよいほどスタンドの明かりが見える。
 家だけでなく、リュースダル駅の駅舎も、駅員の姿はもうないようだったが、窓際にスタンドの明かりだけがポツンとついていて、夜行列車の旅情を感じさせる気がしました。
 食堂車の方は、遅くまで賑わっていましたが。

 部屋に戻って横になると、下からビリビリ振動が伝わって来て、列車の夜行に乗っている事を感じさせてくれました。

 明日はいよいよ最後の訪問国、フィンランドへ。
 超長旅も、終わりが近づいてきました。

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《今日のニュースから》
「民活空港運営法」 参議院本会議で可決・成立

「公設民営」という事になるのでしょうかね?

№968 思い出の海外旅行クロニクル 7.1996年ヨーロッパ一周大旅行9

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 ルクセンブルグ → ベルギー → オランダとベネルクス3国を列車で乗り継いで縦断し、アムステルダムから夜行でベルリンへ。
 翌朝はベルリン観光の後、いよいよ北欧に足を踏み入れます。

1996年11月 2日(土)

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 改めて、ルクセンブルク中央駅。
 リェージュ行の「EXPRESS」は発車すると、アーチ橋を三つ渡って、昨晩泊まったYHの真上を通過していきます。
 森の中を走るが、単線と複線が入り混じって、意外に忙しい路線。
 本数は多くはないが。

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 国境を越えて、3時間弱でリェージュ・ギユマン駅に到着。
 当時は、正直あまり面白みがない駅、というイメージでした。

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 アントワープ行のローカル電車。
 ガチャ目のフロントマスクが面白いが、当時のベルギーは、泥臭い列車ばかりというイメージがありました。
 この電車は、車内をかなりコマゴマと分けていました。
 最前部の1等室の座席はソファのよう。

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 10分停車のハッセルト駅。

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 アントワープ中央駅。
 駅舎は随分豪華絢爛。
 ただ、駅前は車が多くて、市電も走りづらそうだった。

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 そのアントワープ市電。
 この日は土曜日だったから単車のようだが、平日は連結運転を行っている様子。

 今度はオランダ(NS)の列車に乗り換え、ドルドレヒトへ。
 アムステルダム~ベルギーを走るICのプッシュプルトレイン。

 牛が何十頭もゴロゴロしているのを見るうち、オランダへ。
 線路が左→右に変わります。

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 この列車でアムステルダムへ直行しても良いのだが、ローカル列車にも乗りたいから、ドルドレヒトで下車。
 ホームの真ん中にクロッシングを配置した線路配線が特徴。
(ここに限らず、オランダ全土で見られる)

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 ドルドレヒト駅前を発着する市内バス。
 これはネオプラン。

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 こちらはバンホール。

 ドルドレヒトからは、ゲルダーマルセン、ユトレヒトを経由して乗ります。
 ゲルダーマルセン行は「犬の鼻」電車でした。

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 オランダの車窓は、街中以外はどこもこんな感じ。

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 アムステルダム中央駅。
 17時を過ぎたばかりだが、かなり暗くなってきました。
 ライトアップされています。
 東京駅の丸の内赤レンガ駅舎とは、あまり似ていないと思う。
 東京駅の方は、「参考にした」という程度ではないですか?

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 中央駅のコンコース。
 色々な店が並んでいるが、一方では怪しげな人影も少なくない…。

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 アムステルダム中央駅のホーム。

 前後してしまうが、ここでNSの列車から何点か。

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 有名な「犬の鼻」電車。

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 こちらはごく普通のローカル電車。

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 ダブルデッカーの客車列車。
 この他、ユトレヒトからアムステルダム中央へ行く列車は、VVVF制御の新型ダブルデッカー電車でしたが、撮り損ねました。
 予告してしまうと、オランダの鉄道には翌年また乗りに行くので、そこで御覧頂けると思います

 ベルリン行の夜行列車が出発するまでにはかなり時間があるので、スキポール空港に立ち寄って見ました。
(この夜行は空港駅始発)

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 16日ぶりのスキポール空港。
 この空港にも、展望デッキがあります。
 さすがにこの暗さでは、旅客機の撮影はありませんが。
 中央に、JALのMD-11がいます。
「AM7:00~PM9:00OPEN」と書いてあったのに、18時30分になったら、係員より「クローズ」と言われた。
 もう暗いからか。
 セルフレストランで夕食、JAL機が成田に向けて飛び立っていくのも見ました。

 待ち時間はまだまだ長く、といって中央駅に戻る気にもならず、ターミナル内の色々な店をウィンドウショッピングして回る。
 航空機のグッズショップもあったが、驚いた事に、ANAのA340のモデルプレーンがありました。
(当時ANAはA340-300を発注していた)

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 地下ホームの空港駅に現れた、パリからのTGVタリス。

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 後を追って入線してきた、ベルリン行夜行D341列車。
 機関車はNSだが、客車は全てDB。
 クシェットと座席車は全てDR車でした。
 今回は座席車。
 アムステルダム中央駅出発後検札に現れたのは、随分太ったおばさん車掌。
 パスの他パスポートも要求し、あちらこちらページをめくって眺めていました。

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1996年11月 3日(日)

 急にドタドタやかましくあって目を開けると、黒人男性がコンパートに入って横になり、その後も他の客がドアを開けて中を覗いたり、通路を大勢の人々がウロウロして、深夜と言うのに騒々しい。
 列車はハノーファーに停車していました。
 次におばさん車掌に起こされると、Sバーンが見えて、もうベルリンだ。

 ベルリンは曇り空、町は薄暗い。
 ベルリン滞在は午前中だけ、歩いて見所を回ってみました。
 日曜日ゆえ、早朝は人出も少ない。

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 ブランデンブルグ門。
 統一から6年以上経って建設ラッシュを迎えたのか、あちらこちらにヤジロベエのようなクレーンが並んでいました。

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 戦勝記念塔。

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 ベルビュー宮殿。

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 記念教会。
 だんだん晴れてきて、観光客の姿も多くなってきた。
 その中には、韓国の若者のグループも見られました。
 身体の前後にリュックを抱えるのが、彼の地の流行なのか?

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 ハンブルグ行のICが出発する、ベルリン・ツォー駅。
 東西統一からまだ間がなく、鉄道も統一されたターミナルがまだありませんでした。
 半年前のマルメ(スウェーデン)行の夜行は中央駅発だったが、この日のハンブルグへ行くICは、ツォー駅からの出発です。

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 ベルリン・ツォー駅のコンコース。
 小ぢんまりしているが、きれいに改装されていました。
 カフェテリアでクロワッサンと紅茶の、本当に簡単な朝食、甘い紅茶を口にすると、旅の疲れも抜けていく気がします。

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 ベルリン・ツォー駅のホーム。
 ICはプッシュプルトレイン。
 右手を走るSバーンは旧型。

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 食堂車で食べた、ボリュームある昼食。
 ジャガイモとソーセージを煮込んだハンガリー風シチュー「グヤーシュ」に、パン付。

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 その食堂車の主なメニュー表が手元にありました。
 今回食したシチューは、右上。

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 ハンブルグ中央駅。

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 ドームの中にホームがあります。

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 外部から見たドーム。
 中央に停車しているのが、これから乗車するコペンハーゲン行のIC3。
 出発5分前の入線なので、少々慌しい。

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 ホームの出発案内のソラリー。

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 IC3には3年前にデンマーク国内線のICで乗っていて、№840でも書いているが、そのときは2等車。
 今回はユーレイルパスだったから、1等車に乗車しました。
 2-1シートで、部屋の片隅にコーヒーやティーパック、砂糖、ミルク、お湯のポット、それに新聞が用意され、1等車の旅客は好きなように利用できます。

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 IC3には、編成毎に偉人の名前がつけられ、外部には由来のマーク、車内の壁にはイラストが描かれています。
 デンマーク人に限らないようで、今回乗車した5076Fには"Thomas Mann"という、ドイツ人の作家の名前がついていました。

 3編成連結の9連だったが、1編成は自国には渡らず、フェリー積み込みのプットガルデンで早々にお別れ。

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 プットガルデン出航。
 甲板に出ると、雨・風はやや強いものの、気持ち良い。

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 フェリーの中はどこも大賑わい。
 カフェテリアは大食いが多いし、免税品店は行列が長くて、精算が済むより前にロドビューに着いてしまうんじゃないの?と思ってしまったほど。

 デンマークはだんだんと暗くなって、ネストベズでもう真っ暗。
 まして人家が少なくて明かりもほとんどない。

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 ほぼ定刻にコペンハーゲン中央駅到着。

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 コペンハーゲン中央駅は、ライトアップされています。

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 様々な店が並ぶコンコース。

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 スルー式のホームが並びます。
 長距離列車の他、Sバーンも頻繁に運行されます。

 ここからオスロ行の夜行に乗ります。
 デンマークは、今回は夜の通過だけになってしまいました。

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 エーレ海峡越えの鉄道の開通は今だし、ヘルシンゴア経由で、スウェーデンのヘルシンボリまでフェリーで航送になります。
 当時はまだ、コペンハーゲンからちょっと列車だけで遠出をしようとしたら、国内線も国際列車も、フェリー航送が必須になりました。

 10分程度の航行だったが、出航前からカフェテリアや免税品店には行列ができていました。
 船の旅、特に北部はどこも同じような光景が見られます。

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 オスロに行く夜行も、3年前乗りました。
 この時はマルメから乗車し、ヘルシンオアでコペンハーゲンからの車両を迎えて、複雑な編成変えを行いました。
 今回も同様にマルメからの車両を連結し、機関車もSJに交換されました。
 星空が美しい…。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 台湾のエバー航空が本日、スター・アライアンスに加盟しました。
 もちろん加盟申請は前々からあったけれど、スター・アライアンスの場合は事前に「○月○日より正式加盟」という発表がなく、正式加盟の当日にリリースが出るので、少々面食らうもあります。
 これで台湾も、「スカイチーム」のチャイナ・エアライン vs 「スター・アライアンス」のエバー航空、という構図が出来上がりました。
 いずれ羽田あたりでも、スター・アライアンスカラーのエバー航空機が見られる事になるのでしょうか。
(羽田だと「キティ・ジェット」が優先だから難しいかな?)
 三大ワールド・アライアンスに所属する、中国(台湾・香港を含む)のキャリアを整理してみました。

スター・アライアンス
 中国国際航空(CA)
 エバー航空(BR:台湾)
 深セン航空(ZH)
  ※「セン」=「土」編に「川」

スカイチーム
 中国東方航空(MU)/上海航空(FM)
  ※上海航空はスカイチームの公式Webには名がない
 中国南方航空(CZ)
 廈門航空 (MF)

ワンワールド
 キャセイ パシフィック航空(CX:香港)/香港ドラゴン航空(KA:香港)

 中国は今も航空需要が伸びているから、今後もアライアンス加盟を目指すキャリアはあるかもしれないが、ワールドワイドな規模のキャリアはさすがに多くはないと思うので、日本では全然聞いた事ないよ、というキャリアが加わるケースが今後は多くなるでしょう。 

《今日のニュースから》
経営破綻の「安愚楽牧場」 経営陣3人逮捕