№924 思い出の海外旅行クロニクル 5.1995年イタリア 2
本格的にイタリア鉄道の旅がスタート、ミラノで乗り継ぎトリノ始発の夜行列車でナポリへ。
ナポリではベスビオ山を巡る私鉄に乗ります。
翌日は半島を横断、アドリア海沿岸へ抜けます。
今回は写真が凄く少なくてゴメンナサイ。
1995年11月22日(水)
座席車という事もあったのか、夜中なのに何度か検札があった。
イタリアらしいと言えばらしいが、ナポリ中央駅到着が1時間40分も遅れました。
特に重大なアクシデントもなかったとは思えないが、放送が全くないので理由が全然解らない。
サレノへは、私鉄のチルクムヴェスビアーナ鉄道で行きます。
中央駅から若干離れた地下駅から出発。
電車は小振りな3連接車で、車内のシートはプラスチック製、ベンチのようだ。
ヴェスヴィオ山が近づき、また遠のいていきます。
終点のサレノ駅。
別の場所にFSの駅もあります。
チルクムヴェスビアーナ鉄道というと、ソレントへは行かなかったの?と思われるだろうが、5年後に訪れる事になります。
晩はメリジャーナ駅近くのYHに宿泊します。
意外に大きな駅で、ETRを始めとする長距離列車も停車します。
中央駅との間に国電的な電車もあります。
YHは、日本人ホステラーも数多く見られました。
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1995年11月23日(木)
一方、中央駅付近は交通量がとても多い上に、歩道がきちんと整備されていないようで、どこか危なっかしい。
それと、ノラ犬がとても多かった…。
ここからターラント行急行949列車に乗ります。
理由も解らないまま5分遅れで出発。
この列車は1等3両、2等2両と1等車の方が多い。
岩山を縫って、半島を横断していきます。
ピチェルノ駅で6分停車、のはずが、車掌から早く乗れとせかされます。
なんと1分早く出発。
ポテンツァを過ぎると穏やかな農村地帯となり、丘の上に集落があるのが見える。
トリカーリコか、グラッサーノか。
ターラント駅は定刻の到着。どうにも運行がアバウト。
半島を足に例えれば、ターラントはかかとの付け根。
この駅もなんだかノラ犬が多いなあ。
ブリンディシ行8339列車はDC2連。
かかとの部分を横断する形でブリンディシに向かいます。
この後もう1本列車を乗り継いでバーリへ。
駅前のホテルに投宿するが、遅くまでやたらクラクションがやかましいなあ。
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《今日のニュースから》
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