№927 思い出の海外旅行クロニクル 5.1995年イタリア 5

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 前回書いた通り、本来はカターニアに泊まる予定を変更し、晩の内に夜行でローマに移動しました。
 元々ローマでは若干時間に余裕を持たせたプランを組んでいて、滞在時間がかなり増える事となりました。
 初日は地下鉄、2日目は市電に乗ります。

1995年11月28日(火)

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 カターニアから乗車した、ローマ行夜行1996列車。
 ローマ・テルミニ駅には2分だけ遅れて着きました。
 イタリアの列車は、当たりハズレの差が大きいような。

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 当時のローマには地下鉄が2路線。
 まず、アナニーナ~バッティスティーニを結ぶA-Line。

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 その車内。
 折り返し駅で撮影したので客は他に誰もいないが、中心部は混雑が激しい。
 運転が少々乱暴でした。
 編成は2連-1両-2連の5両編成。
 プラグドアなのだが、片方が開かない所が多かった。
 全体的に、どこか殺風景な印象がありました。
 テベレ川を渡る区間以外は全線地下。

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 A-Lineから、バルベリーニ駅。

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 中間のオッタビアーノ駅のホーム。

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 レビッビア~ラウレンティーナのB-Line。
 こちらは地上区間がいくらかあります。
 6両固定編成で、落書きが酷い。
 車内もアコーディオンやバイオリンを弾いている者がいたりして、騒々しい。
 この路線は車内信号を採用しているようでした。

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 北側の終点、レビッビア。
 団地の中にあり、駅の上部はバスターミナル。

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 コロッセオ駅。

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 テルミニ駅のホーム。
 A-LineとB-Lineはここで交差するが、A-Lineと比べると大分広々しています。

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 車内に掲げられる、「スリ注意」のステッカー。
 上からイタリア語・英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語、でしょうか。

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 ホームに掲げられている、ローマ地下鉄の路線図。

 観光案内所で予約してもらったホテルに投宿するが、えらく高かった。
 日本人の姿が多いし、部屋にも日本語の案内書きが見られました。

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1995年11月29日(水)

 朝食会場も日本人ばかり。
 日本のホテルか?と錯覚してしまうほど。
 他には台湾の団体もいました。
 この日は路面電車に乗って、それと観光です。

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 当時見た限りでは最新鋭の部分超低床電車。
 ソシミ社製と言われています。
 サウンドからすると、サイリスタ・チョッパ制御?

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 その車内。
 シートはプラスチック。

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 当時は新型はまだ少数、このような旧型電車が大半でした。
 ビューゲルの形がユニーク。

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 その車内。
 ローマの市電は、バスのような一方向タイプ。

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 こんな連接車も走っていました。

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 こんな緑色の電車も走っています。

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 同型で、こんなカラーの電車が走り回っていました。
「SCUOLA」=イタリア語で「学校」の意味、「スクールバス」ならぬ「スクール電車」という事?

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 市電が走るシーンから、マッジョーレ門。
 ここは多数の系統が集中します。

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 フラミーニョ。
 この区間の線路は、現在は撤去されているようです。

 ローマにはもちろん、バスも走っています。その中から2点。

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「INBUS]とはメーカーなのか。
 セーフティウィンドウ?が特徴的。
 中ドアは4枚折戸×2。

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 これは古い!センタアンダフロア?
 ローマに限らずイタリアのバスは地域に関係なく、市内路線=黄色、郊外路線=青色で統一されているようでした。

 ローマとなれば観光資源には事欠かないが、その中から数点。

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 何てったってコロッセオ。

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 コンスタンティヌスの凱旋門。

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 サンピエトロ大聖堂。

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 ベネチア広場。

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 トレビの泉。
 どこもかしこも言うまでもなく、右も左も日本人ばっかり。
 ここに関しては、中高年のカップルが多かった…。

 ローマなのだから、右も左も朝も夜も、日本人ばかりになるのは、致し方ないことでしょう。

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 しかし、これにはさすがに驚いた!
 こういうの、私的にはやめて欲しいと思うんだけれどなあ。

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 時間を少し戻して、ローマ・テルミニ駅。
 夕方に撮ったのだけれど、この時間は無数の鳥が集まってきて、ギャーギャーやかましくて、薄気味悪い事この上なし。
 エサを狙っているのか?

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 そのコンコース。
 当時は改装前。

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 最後に、テルミニ駅のホーム。

 またも夜行列車でミラノへ向かう。
 17連のうちミラノ行は6両。
 他にヴェローナ・ヴェネチア・ボルツァーノに行く客車も連結しています。
 コンパートの1室に落ち着いた…が、とにかく暖房は効き過ぎ、夜中なのに検札に加えてミニバー(車内販売)が、ご丁寧にベルを鳴らしながら回ってきたりして、いくら座席車とはいえ、落ち着いて眠れやしない。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 次の日曜日と月曜日、泊りがけで出かけてきます。
 本体のWebサイト10周年記念の企画で、どこに出かけるのかは帰ってからご報告します。
 15日(月)は帰宅が遅くなる予定なので、本体の更新は17日(16日夜間更新作業)に行います。
 このため、当ブログは4連休とし、イタリア編残り2回は、次回更新の17日以降に書きます。

《今日のニュースから》
新たなナスカの地上絵発見 山形大学研究チームが発表

№926 思い出の海外旅行クロニクル 5.1995年イタリア 4

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 フランスとの国境付近には、山岳地帯を走るローカル線があり、ところどころ国境を跨ぐ区間もあります。
 この路線に乗るつもりだったのに…。
 晩はまた夜行で南下、翌日は一気にメッシーナ海峡を渡り、シチリア島に入ります。

1995年11月26日(日)
 
 耳栓して寝ていたのがたたり、寝坊してしまった!
 時計は7時を回っていた。
 ヴェンチミリアに行く列車は、次は9時前までない…。

 それでも定刻に走ってくれれば、ヴェンチミリアからの列車には乗り継げるのですが…。

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 ジェノヴァ・プリンシペ駅は神殿のような駅舎。
 行き止まりと、トンネルの先へスルーする線路があります。

 ヴェンチミリアに行くICは国境を越える列車で、客車はフランスの編成でした。
 何度か途中で停止。

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 ヴェンチミリア近くの海岸線。
 遠くはモナコではないか、と思うのですが…。

 ヴェンチミリア
は17分遅れ。
 ところが、接続するはずのクーネオ行は、とっくに出発してしまった!
 ローカル列車がICを待ってくれないとは、日本ならこの程度だったら待ってくれると思うのだけれど。
 本数が少ない路線で、今後の乗換えを考えると次の列車は待てず、サヴォナ経由のルートでトリノに向かう他はなくなりました。

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 ヴェンチミリアからサヴォナまでIR、ここからトリノまでこのD2528列車で戻ります。
 ひたすら曇り空…。

 さすがに今はなくなったようだけれど、当時はトリノ発パレルモ行の長距離夜行列車がありました。
 北部からローマ・ナポリを経由、一気に南端、そして海峡を渡ってシチリア島へ。

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 客車は寝台3両と2等クシェットが10両。
 そのうちパレルモ行は寝台1両とクシェット3両。
 この列車では、本格的な寝台を利用しました。
 その指定券。

 トリノ・ポルタ・ヌォーヴァ駅は16時55分出発とあるのに、出発時刻を過ぎても機関車が連結されない…。
 いきなり32分遅れで出発、先が思いやられる…。

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1995年11月27日(月) 

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 寝台車。
 側面には「TEN」の3文字があります。
 このロゴ自体は欧州共通だが、N(夜)が国によって異なり、イタリア語では「Notte」。

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 寝台コンパートの昼間の様子。

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 夜はこんな感じになります。
 かつての<出雲>のシングルDXに似ていると感じました。
 ベッドメイクは車掌がやってくれて、ついでに翌朝コーヒーが必要か?と聞いてくれます。

 翌朝、ヴィラ・サンジョヴァンニ到着後、レッジョ・デ・カラブリア行が切り離された後、カターニア行1両と共に、フェリーに積み込まれます。
 30分ほどの航行。

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 メッシーナ海峡には、フェリーの他、FS直営の高速船もあります。

 対岸のメッシーナ到着後、座席車両2両を増結。
 遅れが48分に増幅。

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 カマロ駅でローマ行ICを待ち合わせ。

 ミラッツィオでは、ついに遅れが1時間以上に拡大してしまいました。

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 右手は海。
 とにかく澄み切ったブルーで美しい。

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 終点、パレルモ中央駅は、ちょうど1時間遅れの13時05分着。
 トリノから、約19時間の長旅でした。

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 駅前の銅像。誰でしょうかね?

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 山間部のローカル線を行く、カターニア行のD3938列車。
 カルタニセッタまでは3連、その先は単行でした。

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 沿線はほとんど木々がなくてノッペリとした感じ。
 所々、イタリア南部特有の山上集落を見かけます。

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 冬の欧州は夜の訪れが早く、17時40分定刻到着のカターニアはもう真っ暗。
 大聖堂がライトアップされていました。

 最初はここに泊まるつもりだったが、駅付近には宿が見当たらず、土地勘がない悲しさ、大荷物で宿探しにウロウロするのがバカバカしく思えてきて、夜行でさっさとローマに戻る事としました。
 クシェットを確保し、ひたすら爆睡。
 海峡越えに全く気付かないほどでした。

 今回の「クロニクル」、写真が極めて少ないと言うか、全くない場面が多いのですが、撮っていない訳ではなくて、実は理由があります。
 口を濁す訳にはいかないのだが、それについては終盤で書きます。
 お察しの方、多いと思いますが…。

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 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
日本ハム・大谷翔平投手 2軍戦で初先発 4回3失点

№925 思い出の海外旅行クロニクル 5.1995年イタリア 3

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 バーリの近郊には世界遺産が2箇所、アルベロベッロとマテラがあります。
 集落の建築に特徴があり、バーリ駅から私鉄で行くという共通点があります。
 少し遠いが、両方一辺に巡りたいと目論んだのですが…。
 翌日はICで一旦ミラノに戻り、乗り継いでジェノヴァへ。

1995年11月24日(金)
 アルベロベッロへは、南東鉄道(Ferrovie Sud Est = FSE)で行きます。
 まずプティニャーノへ。
 FSに似たDC列車。

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 途中の駅で行き違った、バーリ行の客車列車。
 かなりてんでバラバラな客車をつないでいます。

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 プティニャーノ駅。
 この付近から既に、「トゥルッリ」が見られるようになります。

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 バーリから2時間弱でアルベロベッロ駅。
 思ったより小駅。

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 アルベロベッロのトゥルッリ群。
 狭い路地にはみやげ物店が軒を並べています。
 観光客だけでなく、住人にも日本人の方が居られました。
 3年前に結婚し、この地に住まわれているそうです。

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 教会。

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 民家。

 アルベロベッロからバーリに戻り、次はマテラだと思ったのだが、列車が遅れた上、切符を買うのに手間取っている内、マテラに行く列車は発車してしまいました。
 本数が非常に少ないのでマテラ行は今回は断念、違う私鉄の電車に乗ります。

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 バーリ北鉄道(Ferrobie Bari Nord = FBN)の電車。

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 北部のバルレッタまで、FSとは別のルートで走ります。
 バルレッタはFSと共同。

 この後、FSの列車でバーリへ戻りました。

 FSEもFBNも、もっと大規模な路線網を持つ私鉄らしいが、全容は良く解りません。

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1995年11月25日(土)

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 バーリ始発7時44分と少々早いのだけれど、IC572列車で一気にミラノまで北上します。
 まずは定刻の出発。
 後から2両め(最後部車両は荷物車なので、事実上最後部)のコンパートが指定されています。

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 農村地帯。
 この路線に限らず、南部ではところどころ、崩れかけた廃屋を多く見かけます。

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 右手はひたすらアドリア海。
 リゾートホテルがいくつも見られるが、シーズンオフだからか、休業している所が多いようだった。
 幹線だけあってすれ違う列車は多い。

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 2等コンパート。
 この車両では何だか知らないが、明かりがついたりつかなかったり、ドアが故障していたり、車両全体の電気回路のどこかに異常が起きているのではないか?と思った。
 外部のサボ表示部のネジがバカになっていて走行中バタンバタンしていたり、この列車に限らず、イタリアは車両の不備が多いように思えました。

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 長距離ICの楽しみは、何といっても食堂車での食事。
 食堂車は本格的な食堂と、BARスタイルの合造になっていました。

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 昼食の定食。
 まずオードブルのスナック。

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 パスタ。

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 メインはビーフ(ヒラメとのチョイス)にポテトとアスパラ。
 薄味のクリームがおいしかったです。

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 食後のケーキは、これもチーズとの選択。
(「チーズ」というのが欧州らしい)

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 食後の「カフェラッテ」(カフェオレ)。
 若干脱線するが、ご存知の方の方が多いだろうけれど、イタリアでコーヒーといったら「エスプレッソ」。
 イタリアに入って最初に「コーヒー」を注文したらエスプレッソが出されて、カップがものすごく小さいのにまずビックリ。
 これがとてつもなく苦かった!
 なんでこんなものを皆楽しそうに飲んでいるんだ?とか思った。
 馴れない人だったら、最初からカフェラッテを注文した方が良いでしょう。

 大きな駅付近以外ではひたすら農村地帯だが、北部は南部と明らかに違う。
 何より、廃屋が全く見られない。
 イタリアはやはり、南と北で経済の格差がかなりあるように見えました。

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 ミラノ中央駅は定刻の到着しました。

 この後列車を乗り継いでジェノヴァに向かいました。
 翌日はフランス国境近くの山岳ローカル線に乗る…予定だったのですが…。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
 ANAがAKB48の「オフィシャル・エアライン」となり、共同プロジェクトを展開させていくと、今日リリースがありました。
 まずは今年も実施の「総選挙」の順位予想で、上位10人を的中させるとオリジナル限定グッズがプレゼント。
 機内でもトーク番組の他、国際線ではビデオプログラムを上映。
 この他にも各種企画が予定されていて、5月以降順次特設サイトを開設するとの事です。
 姉妹グループも国内外にいくつかできているので、そちらとの提携もあるかも知れません。
 とりあえず今日は何も書かれていなかったけれど、いずれ機体にAKB48を描いたりするのでしょうかねぇ。
 JALの「嵐ジェット」のように…。
(嵐(5人)と違って48人もいるから難しいか?)

《今日のニュースから》
国会 弾劾裁判所 盗撮の裁判官を罷免