№933 Webサイト開設10周年記念 三陸BRTと仙台の旅 3.いよいよBRT乗り継ぎ

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 今回の旅のメイン、盛から気仙沼を経由して柳津に抜ける、大船渡線・気仙沼線BRT乗り継ぎの旅が始まります。
 大船渡線BRTは、先月2日に運行を開始したばかりです。
 利用形態や道路事情を踏まえてか、主に3つの運行系統があります。

①盛~(直行)~陸前高田~気仙沼
②盛~(小友経由)~陸前高田~気仙沼
③盛~(小友経由)~陸前高田~陸前矢作
(この他、気仙沼~上鹿折はミヤコーバスの在来路線バスをBRTとしている)

 まず、③の10時ちょうど発、小友経由陸前矢作行でスタートです。

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 始発の盛駅。
 今の所は駅前広場発着、一般の公道に出て行きます。

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 陸前矢作行、ブルーリボンシティ・ハイブリッド。
 車体にはJR東日本としか書かれていないが、大船渡線では、実際の運行は岩手県交通に委託しています。
 車体には、沿線の自治体などの「ゆるキャラ」があしらわれています。
(車両によって異なる)

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 車内は座席数を多くしているが、ごく普通の市内バスという感じ。
 この日は交通量調査が行われていて、黄色のジャケットのスタッフが、乗客一人一人に調査票を配って回っていました。

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 盛駅を出発してしばらく走ると左折、隣接する専用道路を快走。

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 しかし、大船渡で早くも専用道は終了。
「駅」を出ると、強引にUターンする形で「駅前広場」に出て、再び国道45号線に戻ります。
 その先はまだ整備の手がついていない様子で、わざわざ国道から分かれて「駅前広場」を経由した下船渡は、レールが残っていました。

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 鉄道は湾に沿う形で、築堤上を走っていきます。
 BRTはさらに高い国道を走るが、小友経由便(②)③)は「(大船渡三陸道路)大船渡碁石海岸IC」交差点で左折、海側へ下って鉄道の下をくぐります。
 直行便(①)はそのまま直進。

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 海岸線。
 県交通バスの立根行とすれ違います。
 細浦は路上の、普通のバス停然としたたたずまい。
(県交通の細浦駅前バス停とは別の場所)

 山道を越えて、大船渡市から陸前高田市へ。
 未だに更地同然の被災地が広がるのが見えてきました。

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 小友付近は今現在は路上の停留所だが、専用道の整備中。

 脇ノ沢は、本来の駅からは相当離れた県道38号線(「アップルロード」と呼ぶらしい)上に停留所があります。
 高田病院を経由して、アップダウンがきつくて舗装状態もイマイチな山道を経由、鳴石団地の中を抜けて陸前高田駅に向かいます。
 ルート選定に苦心した部分と感じました。
 ここは陸前高田はスルーし、そのまま陸前矢作へ直行。

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 広田湾からはかなり離れているはずなのに、津波の直撃にやられてしまった、大船渡線の気仙川橋梁。

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 え、こ、ここが終点?
 陸前矢作は、国道343号上の、本当に普通のバス停。
 バスは行先表示を「回送」に変え、さっさと走り去ってしまいました。
 なんて中途半端な…。

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 反対側の乗場付近には重機が並び、折返し場所の整備は行われているようです。
 現状は、停留所脇に仮設のトイレがあるだけ。

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 本来の陸前矢作駅は少々遠く、BRTの終点からは、1㎞位は離れていました。
 国道は山間部に向かうので駅から遠去かり、駅前の道路は狭くて大型車は入れなさそうだったから、このような形にしたのでしょう。
(県交通のバス路線はある(米崎小学校~的場及び合場線))

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 どこまで行ってきたのやら、折返し11時40分発は陸前高田までの区間運転。
 陸前高田で乗り継ぐ際は、ドライバーに申告すると精算証明書が発行されます。

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 陸前高田「駅」。
 今朝<けせんライナー>で経由した、仮設の陸前高田市役所に隣接。
「みどりの窓口」もあると言ったって、営業は週3日(火・木・日)の昼間だけ…。
 隣接して観光案内所があり、ここを待合場所としています。
 バスの折返し機能はなく、回送で車庫(竹駒にある)に向かいました。
 この車両は後続の気仙沼発盛行で、東武バス?

 市役所付近には飲食店も、コンビニすらなく、飲み食いは歩いて10分程竹駒方に戻る必要があります。
(県交通の見世前バス停近辺)
 ほとんど仮設だけれど、とりあえずは活気があるようでした。
 気仙沼行が来るまで、ラーメンで昼食。
 何しろ朝飯食べてなくて、腹ペコ…。

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 1時間程の待ち合わせ、12時50分発の気仙沼行。
 左は陸前矢作発の区間運転便で、川崎市営バス。

 高台を下ると、しばらくは被災地の真っ只中を走ります。

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「奇跡の一本松」は、保存工事中。
 それでも、大勢の見物客がいるようでした。
 傍らのYHは、ペシャンコ…。

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 気仙中学校の校舎の跡。
 ここは幸い人的被害はなかったらしいが、今は矢作に移転して授業を続けているそう。

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 鉄道は山越えで県境を通過するが、BRTは海岸沿いの国道45号線を経由、臨時駅の扱いで長部に停留所を設置。
(県交通の上双六バス停と同位置)
 沿道にはこのように「津波浸水区域 ここまで(ここから)」の標識が繰り返し現れます。

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 県境を越えて気仙沼市街地に入るが、鹿折唐桑は、<けせんライナー>からも見た、第十八共徳丸のまん前に停留所がありました。

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 気仙沼駅到着。
 大船渡線に関しては、専用道は今の所大船渡付近の1区間だけでした。

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 気仙沼線のBRTバスは、ミヤコーバスに委託されています。
 本吉までは30分間隔、まずは14時20分発の便で、その本吉まで。

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 不動の沢付近で、今回初めて渋滞に巻き込まれる事になりました。
 AEONやHOMACへの買い物客?
 幸いそれ程酷い渋滞にはならなかったが、不動の沢付近は専用道の整備が進行中で、早期の開通が期待されました。

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 最知~陸前階上が最初の専用道で、初めてバス同士の行き違いを見ました。

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 陸前階上は行き違いもできた駅だが、ホームを削ってバスの待合室にしていました。

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 幸い大幅な遅れにはならずに、本吉に到着できました。

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 本吉では、駅舎の傍らにBRTのホームがありました。
 近くのJRの職員の話では、月末から使い始める事になるという事。
 何のかんの言ってもGW中の気仙沼は渋滞が激しくなりそうだし、不動の沢付近と合わせて早期の開通が待たれると思いました。
(明日から使用開始、ダイヤも一部修正)

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 本吉駅から徒歩2~3分の場所にミヤコーバスの津谷営業所があり、BRTバスもここで待機します。
 緊急支援として、明石市営バスや、岐阜市営→岐阜バス経由でやってきた車両が、そのままのカラーで見られます。

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 今回の乗り継ぎの最終便、15時37分発の柳津行。
 ここでドライバーが交代します。

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 この先は気仙沼・陸前高田等と並ぶ最大級の被災地・南三陸町に向かうルートだけに、あちらこちらにいまだ爪痕が残されています。
 ここ、陸前小泉駅でしたっけ…?

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 陸前港~歌津は専用道となり、歌津トンネルを抜けていきます。
 大分昔に乗った、JRバスの柳ヶ瀬線(柳ヶ瀬トンネル)をなんとなく思い出しました。

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 志津川駅も、もはやほとんど更地。

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 BRTの志津川駅は鉄道よりやや内陸にあり、カプセル状の駅舎?が建つ回転場があります。

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 沿道は瓦礫の山。
 悲惨・凄惨とか、胸が痛むとか言うより、何か虚しい、というのが、本当に正直な実感でした。
 それでも、かろうじて難を逃れた民家の軒先の木々は、鮮やかな花々を咲かせて、滅入りかけた気分を慰めてくれるようでした。

 陸前戸倉から先はもう内陸で、ごく普通の山間部のローカル線のたたずまい、とも見えました。

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 17時少し前、ほぼ定刻に柳津到着。
 盛から7時間のBRT乗り継ぎも、ついに終わりました。
 しかし、観光物産館「ゆうキャビン」にスタッフはいるものの、JRの駅員はいない無人駅だし、集落からは離れているのか人家もほとんどなく、なんだか侘しさを感じさせる場所でした。
 BRT以外にも、「町民バス」を名乗るミヤコーバスが入ってきたりはしたのですが…。

 あくまで鉄道としての復旧までの一時的な手段、というのがBRTの位置づけとされていると思うのだが、こうしてほぼ全区間乗り通し、被災した鉄道や地域を、本当に簡単なのだけれど車窓などから眺めてきた印象として、本当に「一時的」で終わるのかどうかは、少々疑問に思えてきた。
 私は以前、「鉄道として復旧させるならどの道多大な費用がかかるのだから、高規格の新線を整備して、仙台直通のビジネス特急を走らせるべき」と書いた事があるが、これが本当に正しい選択なのか、正直気持ちがかなり揺らいできました。
 三陸鉄道以上の長区間の鉄道を、一から高規格で造り直すとしたら、ものすごい費用がかかって、県町村レベルはもとより、国家レベルでも手に余るかも知れません。
 震災復興はもちろん大事だが、他にも必要な使い道があるのも事実だし。
 これ以上、車内から漫然と眺めるだけのよそ者がああだこうだと言うのは失礼になりそうで、とにかく関係する市町村や被災者を中心とした住民、JR東日本や、県交通・ミヤコーバスなどがとことん話し合って、誰もが納得できるような交通体系が整備される事が求められると感じました。
 ただ、そのためにはまず、街づくりをどうするか(特に核となるべき鉄道の駅を失った陸前高田市)が大問題でしょう。
 短期的にはやはり、専用道区間の延伸を急いで、BRTがその効果を充分に発揮できるような土壌作りをすべきでしょう。
 それと、在来の岩手県交通・ミヤコーバスも交えた、公共交通ネットワークの整備。

 柳津から仙台まではさすがにバスとは行かず、JRの列車乗り継ぎになります。

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 前谷地行934D。
 画像では解りづらいが、キハ110-123は塗装の剥離が酷い。

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 前谷地では小牛田方面への接続が悪く、1時間以上も待たされてしまう。
 ちょうど窓口の営業が終了した所で、JRの職員も戸締りをして、帰ってしまいました。

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 待ちくたびれる内にやってきた1644Dは、おお、「マンガッタンライナー」ではないか!
 運用指定ではなかったのだが、ラッキー?

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 車内の壁に貼られていた、「人造人間キカイダー」のキャラクター。
 左から(たぶん)、光明寺ミツコ、ジロー、イチロー、ハカイダー。
 要は「車内では静かにしましょう」という、乗客へのマナーのメッセージと思うのだが。
 他にもロボコンなど、似たような趣旨のキャラクターのステッカーが見られました。

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 小牛田からの東北本線2586M。
 719系4連。

 この日の晩は、仙台市内・泉区のホテルに投宿。
 明日は晴なら、仙台市内のバスを撮りまくる事にしましょう。
 間にJRやSATの電車を入れるかも知れない。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
 今回のBRT乗り継ぎ(盛→柳津)については、もう少し画像やテキストを追加した上で、改めて本体でも公開します。

 相鉄⇔JR相直事業はやはり3年遅れと、昨日のうちに鉄道・運輸機構から発表がありました。
 工費も100億円程度増額になる見込みとの事です。

《今日のニュースから》
JR秋葉原駅 エスカレーター破損 6人重軽傷

№932 Webサイト開設10周年記念 三陸BRTと仙台の旅 2.再開・南リアス線

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 三陸鉄道南リアス線・盛~吉浜21.6㎞は今月3日、新型車両36-700形導入の上、2年ぶりに運行を再開しました。
 BRT乗り継ぎの前に、まず南リアス線に挨拶をしてこようと思います。
 三陸鉄道自体、何年ぶりだろう…。

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 三陸鉄道の盛駅。
 JRの盛駅とは独立しています。

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 三陸鉄道盛駅の駅舎内。
 今は「ふれあい待合室」と称して、NPO法人に運営が委託されています。
 盛駅付近にはコインロッカーがなくて難儀したが、吉浜までの往復の間バッグを預かってもらえて、とても助かりました。

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 壁に貼られた、「さんてつ通信」。

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 駅で配布されている「復興ニュース」。
 NPO法人が発行しています。

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 駅南側の歩道橋から見下ろした、盛駅の構内。
 JR大船渡線の方はBRT専用道路の整備中、線路の跡が舗装道路で埋められています。

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 盛駅のホーム。
 跨線橋は使用停止、駅舎からは舗装部を歩いて渡って行きます。
 専用道路が開通すると、南リアス線→BRTは同じホームで乗換え可、逆も横断歩道の横断だけで乗換えができる事になるでしょう。

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 8時05分出発の吉浜行703D。
 36-702号。
 乗客は10人ちょっと、意外に「鉄」は少なく見えたけれど、時間がまだ早い事もあるでしょう。

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 大津波で手酷くやられた甫嶺駅付近は、まぶしい位真新しい線路が続いていました。
 駅自体は若干の手直しの上で、そのまま使っている様子。

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 現行のダイヤでは行き違いの設定はないが、三陸駅では全列車、5分以上の停車の設定があります。
 駅前の桜はまだつぼみ。

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 三陸~吉浜は暫定的に「指導式」の閉そくとなり、運転士が信号の職員より「指導票」を受け取ります。

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 信号は回復しているが、加えて信号職員の手信号の現示を見て出発。

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 当面の終点、吉浜に到着。
 遠くに線路終端の標識が見えます。
 この先、釜石までの開通には、あと1年。

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 吉浜駅には、桜のデコレーションが施された駅舎がありました。
 ただし駅員無配置。
 本物の桜は、ここも開花の一歩手前。
 広場には岩手県交通バスの吉浜出張所前バス停があり、大船渡~釜石の路線が経由します。
 乗り継げば釜石へ行けるが1日4往復だけ、6時49分の後は夕方15時前までなし。

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 36-700形の車内。

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 クウェートからの支援に感謝するメッセージ。

 折返し704Dは日曜日という事もあってか、女の子達のグループが乗り込んで、車内が華やぐ。

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 三陸駅付近の仮設住宅。
 奥の茶色の建物は、越喜来地区の公民館だったらしい。

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 三陸駅に戻ってきて、指導票が返納されました。
 盛~吉浜では三陸と綾里で行き違いが可能で、信号も生きているのだけれど、現状では盛起点で単純に7往復するだけ。
 臨時列車の設定でもあれば、行き違いのシーンが見られるかもしれないが。

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 トンネルが比較的多い路線だが、トンネルとトンネルの間から見られる海岸沿いの光景は、ほとんどが更地のままという感じ。
 それでも綾里でも乗車が割と多くて、日曜の朝方にしては活気が感じられるのは頼もしくも感じました。

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 盛の車両基地。
 36-702は吉浜まで2往復すると、一旦入庫になります。

 南リアス線南側は、当分は36-700形3両が護っていく事になります。
 来年(2014(H26)年)4月1日、三陸鉄道は開業30周年を迎えます。
 何とかそこまでに北リアス線も含めて全線が再開し、節目の年を祝えると良いのですが、ただ前後のJR線は当分は寸断されたままになるため、再開後の方がより厳しいものになるのではないでしょうか。
 私たち外部の人間の応援も大事だが、せっかく多額の費用をかけ、海外からの支援も得て復旧させるのだから、いかに地元の人々が末永く三鉄を利用してくれるかに、将来がかかる事になるでしょう。
 全線開通後に、再度訪れる機会を作れればと思います。
 南⇔北の移動は大変そうだけれど…。

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 岩手開発鉄道は20年以上前に旅客営業を廃止しているが、未だに旅客用ホームが残ったままです。
 小屋の中にはご丁寧に「出札口」のプレートも残されていました。
(もちろん入れない)
 右は、BRTバスの待機場所になるようで、3台分のスペースがありました。

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 岩手開発鉄道の貨物列車。

 この後、駅前を10時に出発する陸前矢作行より、今回の旅のメインイベント、BRTバス乗り継ぎが始まります。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 JR⇔相鉄の相互直通開始は遠のくのか?
 今朝の読売新聞横浜版では、工事の遅れにより、相互直通の開始が当初予定の2015(H27)年3月から2~3年程度遅れる可能性が出てきたと報道しました。
 地下駅となる羽沢新駅と貨物線をつなぐためには、貨物線の地下に新線を建設する必要があるが、工事を行うには貨物列車の運休や迂回が必要になり、JR貨物等との調整が進んでいないとの事。
 また一部は用地買収も済んでいなくて、接続部分の工事にも着手できておらず、工事を行っている支援機構は、「予定の期間で工事を終わらせるのは非常に厳しい」と話しているそうです。
 大手私鉄と言いながら、昨今の広域化する首都圏鉄道ネットワークから孤立した感が否めない相鉄としては、早急な相互直通開始が期待されるのだろうが、工事は全面的に支援機構に委託しているため、手が出ない状況に置かれています。
 これが事実なら、相鉄全体の経営にどのような影響を与えるでしょうか。
(相鉄自体は、今日現在では「自社が発表したものではない」としている)

《今日のニュースから》
H7N9型鳥インフルエンザ 山東省で初めて確認

№931 Webサイト開設10周年記念 三陸BRTと仙台の旅 1.けせんライナー

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 当ブログは、Webサイト「日本の路線バス・フォトライブラリー」の姉妹版として製作・運営しています。
 その本体のWebサイトは、おかげさまで、4月1日に開設10周年を迎えました。
 これを(自己満足的に)記念して、どこかバス乗り継ぎの旅をしたいといくつかプランを考えていましたが、その中で、一昨年の東日本大震災による大津波で壊滅的な打撃を受けたJR東日本の2ローカル線、気仙沼線と大船渡線で、鉄道の代行輸送の手段として、「BRT」(Bus Rapid Transit)の運行を相次いで開始した事があり、復興支援も兼ねて大船渡から柳津まで、BRTの乗り継ぎをやってみようと思いました。
 被災地そのものも、BRTも、まだまだ復興・発展の途上にあるが、今現在ではどのような状況に置かれているのだろうか、主にバスの車窓からのみになるだろうが、自分のこの目で確かめて見ようと思います。
 翌日には仙台のバスの撮影も企画。
 さらに往復の手段、東京(池袋)→大船渡、仙台→東京(新宿)も、高速バスとしました。
 往復とも高速バスという旅行は、このブログを開始してから初めての事になります。
 今日から今週一杯、5回に分けて書く予定です。

2013年 4月13日(土)
 池袋駅西口のバスターミナル付近は、土曜の夜にしては意外に人は少なく見えたが、騒々しいのは想像通り。早く抜け出したい。

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 直前の花巻行エアロクィーンの後、盛経由釜石行<けせんライナー>のガーラSHDが入ってきました。
 東北行らしく?中高年の利用が目立つようでした。

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<けせんライナー>のサボ。
<けせんライナー>は運行開始当初は大船渡営業所を起終点としていたが、後に三陸町経由で釜石まで延伸しています。

 ほぼ定刻に出発。
 ドライバーのアナウンスには、どこか岩手なまりも感じられました。
 途中数箇所停車するが、ドライバー交代と点検のみで乗客は降りられないとの事。

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 最後部の10A席から、車内の様子。
 独立3列シートだが、仕様は一昔のもの。
 オーディオサービスは廃止になり、以前のヘッドホン収納ケースには、紙オシボリが入っていました。
 トイレ部にあった公衆電話も撤去されているが、案内書きとメモ書き用の小スタンドが残されていました。

 川越街道で埼京線を乗り越し、明治通りに入って消灯。
 王子駅前を通過し、王子北ランプから首都高速に乗ります。
 もっと夜景を見ていたかったけれど、日付が変わる寸前で、あっという間に爆睡。

 次に目覚めた時は、もう気仙沼。

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 夜が明けています。
 所々、仮設住宅を見るようになりました。

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 津波で打ち上げられた、第十八共徳丸。
 いきなり被災地の現実を見せ付けられる事となります。
 今後解体になるらしいが、この日の時点では手がつけられていないよう。
 この後BRTでまた通る事になります。

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 気仙川にかかる気仙大橋も津波でやられ、仮の橋が下流側にかかっています。
 海側は厚いカーテンがかかったままで、どのような状況かは解りません。

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 陸前高田は、高台に移転した市役所の仮庁舎前の発着です。
 以前は海沿いの「キャピタルホテル1000」発着でした。
 JRの陸前高田「駅」も見られます。
 ここもまた後で降ります。

 この後、更地の中を突っ切って、一区間だけ大船渡三陸道路を利用。
 最後はBRTバスの後について走ります。

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 定刻より少々早め、7時前には盛の「サンリアSC」前に到着しました。
 ここで降りる乗客が多かったようです。

 次回はBRT乗り継ぎの前に、3日に運行を再開した、三陸鉄道南リアス線(盛~吉浜)に挨拶してこようと思います。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 ルフトハンザ、またストだって…。
 今回は地上職員によるもので、ドイツ国内線・欧州線はほとんど欠航、長距離路線も欠航が多く発生しています。
 日本路線は、明日の発着はセントレア便のみ運行で、成田・関空は欠航との事です…。

《今日のニュースから》
トルコバス事故判決 ツアー企画会社の責任を否認

 7年前にトルコで日本人を乗せたバスが横転して24人が死傷した事故があり、怪我をされた方1人がH.I.Sを訴えていたものです。
 性格は異なるものの、「旅行会社」×「ツアーのバス」と聞くと、もうすぐ1年になる関越ツアーバス事故を思い出させます。
 トルコの事故については、私自身はさすがにH.I.Sにまでは責任は問えないのではないかとも思うが、どんな形態の旅行にしろ、旅行会社は「手配したらもう後は知らないよ」という態度は取るべきではなく、心すべき事でしょう。