№897 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 7.相鉄線横浜駅(前)

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 私鉄のダイヤを、特定の駅の時刻表から振り返ってみるシリーズも久し振りになりますが、第7弾の今回は相鉄線の横浜駅を取り上げます。
 相鉄線は早くから10連運転を行い、1990(H2)年には大手私鉄になったとはいえ、神奈川県東部に本線と支線・35.9㎞の路線を持つだけの小規模な鉄道で、しかも他社との相互直通運転も現状では全く行っておらず、はっきり言って地味です。
 それでも、いずみ野線の開業・延伸があり、沿線の開発が進んだ事で、特に1980年代後半~1990年代はかなり急激に本数が増えました。
 前半はこの時期を中心に記します。
 ここでは、途中星川・西谷の退避についても着目してみます。
 相互直通がないため、改正はいずれも、相鉄の単独で行われました。

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 手持ちの時刻表で一番古いのは、1985(S60)年3月31日の改正になります。
(当時は、土曜日は平日の時刻表で運転)
 この改正で7両編成がなくなり、8連・10連に統一されました。
 いずみ野線はまだいずみ野まで。
 急行各駅停車の2本立てで、早朝・深夜を除いて急行が本線を通しで運行、各駅停車はいずみ野線直通または二俣川折返し。
 当時はいずみ野線沿線の開発はまだ途上、各駅付近はまだどこもほとんど何もない(緑園都市なんて山の中)状況で、いずみ野線の本数も非常に少なくなっていました。
 当時の二俣川駅は2面3線の配線で、下り各駅停車は後続の急行を待たずに二俣川を出発、下りに関してはいずみ野線から見て急行のメリットはほとんどありませんでした。
 平日夕方の急行、休日夜間の各駅停車に大和折返し(当時は地上)の設定がありました。
 全体的には、日中は平日10分サイクルに対して休日8分サイクルで、休日の方が多くなっています。
 横浜などへの行楽客が増えるのでしょうか。
 この傾向はしばらく続きます。
 各駅停車急行通過待ちは、平日朝夕ラッシュ時に星川で行われるのみ。

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 翌1986(S61)年6月16日改正より、土曜ダイヤが独立しました。
 急行各駅停車の2本立ては変わらないが、平日は日中の二俣川折返しが全列車いずみ野線直通になった事、平日夕方の急行・休日夜間の各駅停車が全列車海老名まで延伸された事が目に付きます。
 平日ダイヤでは、旅客列車の走行キロが対前年比約3%増の大幅な伸びになりました。
 土曜ダイヤは、13~14時台が8分サイクルに詰まるのが独特。
 学校帰り対策でしょうか。
(まだ学校完全週休2日制の導入前だったと思う)

 翌1987(S62)年4月4日改正では、いずみ野線の直通がさらに増発。
 平日の朝ラッシュ時は増発されたが、土曜日は5分→5~6分サイクルに削減されました。
 いずみ野線では二俣川始発最終電車の繰り下げも行われ(0時17分→0時46分)、横浜発最終から接続。

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 1988(S63)年3月13日改正。
 休日ダイヤのみ、日中の各駅停車が星川で急行の通過待ちを行うようになりました。
 以前は平日・(土曜)・休日とも日中は各駅停車が二俣川まで(あるいは逆)逃げ切っていたが、8分サイクルだと急行が早めに追いついてしまい、スピードダウンを招いていました。
(特に二俣川折返しの場合、二俣川の中線が空くのを待つため星川で時間調整を行っていて、急行はさらにスピードダウンを強いられていた)
 いずみ野線直通や、深夜の急行の増発も行われたが、土曜ラッシュ時は6分サイクルとさらに削減。

 翌1989(H元)年もいずみ野線直通の増強が進んだ上、休日は8分サイクル運転時間帯が拡大されました。
 平日の朝ラッシュ時も増発されています。
 とにかく昭和の終わり~平成の初めにかけては、旅客が急増した時期でした。
 上りのみ、海老名→横浜の最終電車が繰り下げ。

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 1990(H2)年3月18日、いずみ野線のいずみ野~いずみ中央が、一駅間だけながら延伸開業しました。
 いずみ野行のほとんどの列車がいずみ中央まで延伸しました。
(いずみ野止まりの列車も一部残った)
 また、二俣川駅構内の4線化工事が進展、平日・土曜のラッシュ時間帯で、下り急行が二俣川で先行する各駅停車に接続するようになりました。

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 1991(H3)年3月3日改正です。
 平日朝ラッシュ時、7時台後半に急行が1往復増発されました。
 急行各駅停車が原則1:1である所、急行2本が続行する形になっています。
 各駅停車は星川で急行2本の通過を待つ事になります。
 横浜駅の最混雑時間帯(7時30分~8時30分)に横浜駅に到着する列車は急行が15本、各駅停車が14本、合計29本となって、輸送力増強が限度まで来たと言えます。
 逆に土曜日の朝方は6分→6~7分サイクルに拡大、一方で休日は朝方に増発。
 二俣川駅構内工事の完成により、下り急行は全列車、二俣川で各駅停車に接続するようになりました。

 翌1992(H4)年3月29日改正では、平日のみ最終電車が繰り下げになりました。
 0時27分発かしわ台行を海老名まで延伸し、その後に0時42分発かしわ台行を増発しています。
 二俣川で接続のいずみ野線最終も繰り下げ。

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 1993(H5)年8月8日改正で、土曜ダイヤは休日に統合されました。

 1994(H6)年6月19日改正では、平日の9時台及び21時台が増発され、各駅停車の星川急行通過待ちの時間帯が拡大。
 その一方で17時台は5分→6分サイクルに削減されました。
 1995(H7)年4月1日改正では、土休日ダイヤの午前中の運転間隔が拡大されました。

 毎年のように増発・運転区間延伸が繰り返された相鉄のダイヤも、1990年代半ばには調整局面に入ったと言え、この後1999(H11)年3月30日のいずみ野線湘南台延伸まで、ダイヤ改正が4年間行われませんでした。
 次回は後半、湘南台延伸・快速運転開始後について書きます。

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