№896 TGVも「LCC」?

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 LCCの影響は、直接鉄道業界のサービスにまで影響を与えつつあるようです。
 今朝BSでフランスのニュースを見たら、TGVで格安便の運行が始まると伝えていました。
 まず日本語訳を要約して記してみます。

キャスター:SNCFは、「ウィゴ(OUIGO)」と名づけた、TGVの格安版の車両を公開した。従来のTGVより狭く、荷物も少ししか持ち込めないが、運賃はかなりおトクだ。

リポーター:新しい「ローコストTGV」はスカイブルーの車体。合言葉は「格安」。片道で10~85EURと、平均で通常のTGVの半額だ。そのためSNCFではあらゆる経費のカットに努めた。1・2等の区別をなくし、サービスも最低限に留めた。
 新しいTGVでは、手荷物は1個しか持ち込めない。それ以上は有料になって1個5EUR。座席はシンプルで、前の席との間隔だけは通常のTGVと同じだが、車両によっては3人掛けの所があるのが新しい所。運がよければ2人掛けで、隣とは独立した所に座れる。
 SNCFはLCCと同じやり方を採用した。例えば通常のTGVでは無料の電源(座席下にあるコンセント)を2EURの有料とし、スペース確保のため、個別のゴミ箱をなくした。つまり、今まで私たちが知っていたTGVとは違う乗り物なのだ。
 通常のTGVにあるBARカウンターは「ローコストTGV」にはない。全てはできるだけ多くの座席を作るためで、通常の1,000席に対し、1,268席を設ける事ができる。
 その他、始発もパリではなく、40㎞離れたマルヌ・ラ・ヴァレから出発し、リヨン空港を経由してモンペリエ・マルセイユに向かう。
 チケットは払い戻しはできず、インターネットでしか購入できない。最初の路線は4月2日に運行開始の予定だ。


 映像を見た限りでは、TGVデュプレクスを改装したものでしょうか。
 車内への手荷物持込が有料とはどういう事?と日本では思うだろうが、TGVに限らず欧州の鉄道って、乗客は皆大荷物だから…。
(でも鉄道では、どうやって持ち込む個数をチェックするのだろう?)
 座席は3-1配置と2-2配置が混在しているようです。
 始発駅のマルヌ・ラ・ヴァレはパリの東にある町。
 着陸料の高い安いが関わる航空と違って、線路も基本的に自前の鉄道においてターミナルを郊外に置く事にどの程度意味があるのかとも思ったが、ユーロ・ディズニーランドが近いので、その来園者をメインのターゲットに据えているのかも知れません。
 SNCFの公式Webで検索した所では、4月2日サービス開始時点では次の4往復を運行。

下り
6255 マルヌ・ラ・ヴァレ11:00 → 14:34モンペリエ
 リヨン・サンテグジュペリ(12:48)、ヴァレンス(13:15)、ニーム(14:06)停車
6257 マルヌ・ラ・ヴァレ12:22 → 15:34マルセイユ
 リヨン・サンテグジュペリ(14:08)、アヴィニョン(15:01)停車
6267 マルヌ・ラ・ヴァレ19:24 → 22:35マルセイユ
 リヨン・サンテグジュペリ(21:11)、エクス・アン・プロバンス(22:20)停車
6269 マルヌ・ラ・ヴァレ20:18 → 22:08リヨン・パールデュー

上り
6282 リヨン・ぺラーシュ8:35 → 10:34マルヌ・ラ・ヴァレ
6284 マルセイユ8:25 → 11:43マルヌ・ラ・ヴァレ
 エクス・アン・プロバンス(8:40)、リヨン・サンテグジュペリ(9:56)停車
6290 モンペリエ15:24 → 18:59マルヌ・ラ・ヴァレ
 ニーム(15:52)、ヴァレンス(16:43)、リヨン・サンテグジュペリ(17:13)停車
6292 マルセイユ16:28 → 19:38マルヌ・ラ・ヴァレ
 アヴィニョン(16:58)、リヨン・サンテグジュペリ(空港)停車

 航空にはない「ゆとり」こそが、鉄道が生き残る道だ、昨今日本の鉄道趣味の世界ではよく叫ばれている事と思います。
 しかし、お手本になって欲しいヨーロッパでこんな動きが起きるようだと(元々TGVは機能本位的な所があった鉄道ではあるが)、この流れがやがては日本にまで波及したりはしないかと、少々気にはなります。
 BARすらなくすとはねぇ。
 日本だと今の所LCCの路線網や便数は新幹線と直接対決、という所まではいっていないし(羽田・伊丹の発着でないこともある)、新幹線の側は線路容量が一杯の上、同系なのに車内の設備を2種類にすると運用効率が悪くなるから、JRの側からこういう事は提案する事はないだろう、とも思いますが。

 LCCの普及が日本でも進みますが、私はそれと共に、安全以外の面で懸念を持つようになりました。
 サービスのレベルがダウンし、しかもそれがスタンダードになってしまう事。
 ちょっとしたゆとりが「ムダ」と否定されてしまいかねないので。
 昔の食堂車を懐かしんで復活させるべきだ、という主張もあくまで鉄道ファン達の内輪の事で、「コストのムダだからやめろ」と、安さを求める乗客の側からの声が大きくなってしまえば、それまでです。
 何回か書いているように、私は、鉄道復権は「通常の移動手段のレベルアップ+プレミアム」こそが王道だと考えています。
(だから近鉄の「しまかぜ」には期待)
 しかしこの流れだと、鉄道は「『ななつ星』的な富裕層対象の豪華列車」vs「LCC的発想の格安列車」に2分される事になりはしないか、それは鉄道業界(交通全体にも)にとって良い事なのか、ちょっと心配にさせるフランスからのニュースでした。
 でもパリ郊外~マルセイユが最安で10EUR(約1,300円)だと、この経済状況でもあるし、乗りたいって人、多くなるんだろうなあ。

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《今日のニュースから》
明石海岸歩道橋事故 副署長に実質無罪判決

 12年前の2001(H13)年7月21日に発生した、JR朝霧駅前の歩道橋で、花火見物帰りの観客が歩道橋にスシ詰めになった事で、子供9人を含む13人が犠牲になった事故に関わる判決。
 事故現場の歩道橋を一昨年訪れた事は、№593で書きました。
 裁判はまだ続く事になりそうだが、私の立場としては、犠牲になられた方々の霊を慰めるだけです。

№895 バスグラフィックvol.17(ネコ・パブリッシング)

「バスグラフィックvol.17」が先月末発売になりました。
 少し遅くなったが、ここで取り上げます。
 今後は1・4・7・10月刊行、という事になるのでしょうか。

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 この所「100周年」の交通事業者が目立つ気がするけれど、メイン特集は、1913(T2)年にバス事業を始めた京王グループを据えた「京王のバスで行こう!」
 全体的に事業の大きな柱のはずの高速バスや、各地のコミュニティバスはほとんどなくて、一般の路線バスをメインに据えた構成になっています。

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 タレント起用の「裏高尾小旅行」は、高尾駅~小仏の高01系統を取り上げています。
 恐らく、京王バス隋一のローカル線。
 紅葉のシーズンだったようです。 
 テキストが若干キャピキャピした感はあるけれど、マニア目線抜きでも楽しめそうな路線である事は伝わってきました。
(高尾山以外でも、小仏から小仏峠・景信山・堂所山経由で陣馬山にも行けて、和田峠から西東京バスの陣馬高原下や、津久井神奈交バスの和田に抜けられる。ただ、多少ハードで健脚向き)
 ここでは触れられていないけれど(必要もないか)、どうして京王バス「南」なのだろう?
 高尾駅に発着する他の京王バスは全て京王電鉄バス八王子〔営〕で、京王バス南目線で見ると「落下傘路線」になるので。
(だから「南大沢~富士急ハイランド」の高速バスの幕が、結構違和感を与える)

 棚町宣弘氏のイラスト記事は、中野~練馬に抜ける中92系統。
 南蔵院という行先があるのは知っていて、中途半端だなと思っていたけれど、練馬に営業所があった名残りなのか。
 ただ、高速バスでも長野線は練馬に停車するし、練馬が京王にとって全く無縁の地という訳でもない。
 桜が美しいのか、開花したら見にいこうか。
 京王バスには他にも武蔵小金井や国分寺駅から北上して小平団地へ行く路線もあって、京王に限らないが、「ここにこんなバス会社が?」と意外性を感じさせる路線は、探せば結構あるようです。
「懐かしの車両 ダイジェストアルバム」は、1980~90年代の、ちょうど新CI採用の(1990(H2)年)頃の車両が並んでいて、旧塗装+新CIマークという車両も多く、過渡期という印象がしました。
 もう少し古い、それこそ「弁当箱」装備の実物の写真がどこかにあれば、と思いました。
 
 旧塗装復刻車は既に中野〔営〕に配置され、運用が始まっているようです。
 コラムにあった2種類とはまた違う、今の西東京バスに似たデザイン。

《日本バスめぐり》の第5弾は、たぶん急に決まったと思うけれど井笠鉄道。
 結構地味な事業者だったはずだけれど、よくこれだけの車両の画像が残っていたと思います。
 4枚折戸なんて、結構都市バスっぽい車両もあったのか。

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「夢だけで作った世界一小さなバス会社 『銀河鉄道』に乗ろう!」は、社長へのインタビューを中心に、車両のアルバムと、簡単な路線のガイド。
 感心したのは、この手の事業者だとカラーがてんでバラバラになりがちだと思うのだけれど(移籍車が多いそうだし)、モノコック貸切車、東村山市「グリーンバス」、ユーロツアーのスクールバスを除いてキチンと統一されている事。
 実は先日、この記事を読んだ上で路線バスに乗ってみたのだけれど、車内の広告が全くないのがまず印象的だった。
 ラッピング車もないし、広告収入は当てにしないのか。
 一つ気になったのはバス停の配置が区間によっては少ない事で、東村山青葉恩多町線では次のバス停まで5分という区間もあるが、決して人家がない訳ではなく、2つ3つ増やしてもいいのではないかと思った。
 今後どの程度の規模で経営していくのか、現状を維持するのか、ある程度路線を拡大するのかは解らないが、地域にはっきり定着すれば、それはそれで逆に「夢」だけでは語れない、現実を見据えた判断が求められる場面も現れるかもしれません。
(やっぱりICカードで乗れないのは不便で、投資が必要ではないか、とか)
 G-107号車は、最前部2席を除くと座席がビニール張りで、どこで走っていたのだろう?

《青春バス紀行》は西鉄バスの後編。
 前編でも感じたが、西鉄バスは各ボディ形式毎に仕様が統一されているという印象を抱いていたのだけれど、「カマボコ」「はんぺん」の頃だと、案外バラエティがあるものだと思った。
 4枚折戸採用が相当早かった西鉄だけに、2枚折戸の八幡製鉄所輸送6027号車が異色と思えました。
 空港バスの写真もあるけれど、飛行機のアイコンはやはりコンコルドをイメージしているのだろうか?

 後は大阪市営バスは「赤バス」のみならず、事業全体はどうなってしまうのだろかとか、国鉄バスの近江今津営業所は、昔は相当広範囲に路線があったんだなあとか。
(柳ヶ瀬線は乗った事があります。写真ないんですけれど…)
 都バスはいつか、川崎市営バス・横浜市営バスと合同でイベントやって欲しい。
「みんくる」と「かわさきノルフィン」「はまりん」との3ショットも見たいので。

 最新のバスの写真も募集しているそうだが、やはり「バスグラフィック」の魅力は昔のバスの写真で、次号も期待します。
 
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《今日見た・聞いた・思った事》
 当然鉄道も100周年の京王は22日にダイヤ改正(「改定」という言葉を使う)が行われるが、本日時刻表が発売になりました。
 リリース以外に、マニアックな目線で目についた所をいくつか。
1.平日夕方は、新宿線から直通の急行調布行→調布から高尾山口行各駅停車となる列車が4本設定。
 全て都営運用で、折返しはつつじヶ丘行快速と思われる。
2.平日夜間は、急行は新宿線直通~橋本、快速は新宿~高尾山口通しになり、新宿からの各駅停車は相模原線直通に変更。
3.平日のみ、久し振りに八幡山行の設定が復活。
 朝方新宿発、夕方大島発一本ずつ。
 また午前中につつじヶ丘行各駅停車4本を設定。
 ただし全て逆の始発列車はなく、どこかへ回送されると思われる。
4.平日・土休日とも、上り最終電車の間際で、桜上水行区間急行の設定あり。
 若葉台発、高尾山口発1本ずつ。
 途中駅で種別が変わる場合、まず変更駅までの行先を表示、というのは今回の改正も変わっていません。
 しかし前にも書いた通り、特に遠くまで乗り通す旅客が多い急行系の場合は、最終目的地まで行先を表示しておくべきだと思います。

 イベリア航空で大規模なストライキが発生し、組合の一部がマドリード・バラハス空港を封鎖して警官隊と衝突したと言うニュースもありました。
 昨年のルフトハンザの例もあって、欧州の大手航空はどこも厳しそう。
 ましてスペインは去年スパンエアが破綻しているし、大丈夫なの? 
 
《今日のニュースから》
「光珠内いんせき」 美唄市役所で展示開始

 1905(T14)年に落下したもので、ロシアの隕石落下を受けて、市民からの問い合わせが多かったためとの事。
 来月29日まで。

№894 思い出の海外旅行クロニクル 4.1995年オーストリア 4<終>

 中4日空いてしまいましたが、1995年オーストリア旅行の「クロニクル」は最終回。
 今回のオーストリア旅行は多少慌しく、もうお終いです。
 それでもできるだけ長く鉄道の旅を楽しむべく、インスブルック早朝出発のICでウィーンに向かい、夕方のKLMとJALのフライトを乗りついで帰国という、少々綱渡り的なプランになりました。
 定刻に走ってもらわないと一大事…オーストリアなら大丈夫、でしょ?

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1995年 6月 2日(金)
 従ってインスブルック出発が朝6時17分と早く、ホテルで朝食を食べる時間などなし。

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 IC541の指定券。
 セッツタール駅で発券してもらった、手書き。
 日本人の目には、テキスト(ドイツ語)は少々読みづらいかも。

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 IC541列車<キッツシュタインホルン>のサボ。
 この列車は出発時点ではE(アイルツーク 快速格)で、ヴェンゲルからICになります。

「キッツシュタインホルン」はツェル・アム・ゼーの南、ホーエタウエルン山脈に位置する山岳リゾート。2000(H12)年11月にここを走るケーブルカーで大火災が発生、日本人を含む155名が犠牲になった。

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 車内。

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 朝昼2食を食堂車で採る事となりました。
 朝食85AUS、ハム・チーズが中心のコンチネンタルスタイル。
 英語では次のように、メニューに記されていました。
"2 cups of coffee or 2 glasses of tea or 2 glasses of hot chocolate, butter, jam, ham, cheese, French rolles or bread"
つまりコーヒー・紅茶・ホットチョコのお代わりは2杯まで。

 この列車は№876で書いた<トランサルピン>のような、ドイツ国内をノンストップで経由する「コリドーツーク」ではなく、自国のツェル・アム・ゼーやビショッフォーフェンを経由。
 ザルツブルグでは進行方向が変わり、12分の停車。
 距離以外にこの点も、「コリドーツーク」に対して不利な点か。

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 これは、ザルツブルグの先で一息入れるために頂いたホットチョコ。26AUS。

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 昼食のスパゲッティ。

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 肉団子入りスープ。

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 オーストリアに来たのなら、デザートはやはりケーキ、でしょ?
 以上3点合わせて177AUS。

 食い物の写真ばかりで、車窓が全然ないのは、本当に申し訳ないです。
 でも車内の食事を全部食堂車で採れるのは、今の日本では考えられない事。

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 いきなりウィーン西駅到着。
 インスブルックから、所要7時間8分。
 期待通り、ほぼ定刻に到着しました。

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 ウィーン西駅。
 ここもまた、ガラス張りの吹き抜けが高い、「オーストリアスタイル」の駅舎。

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 今回の鉄道の旅で利用した、「オーストリアレイルパス」。
 10日間の内の4日間利用できるフレキシータイプで、乗車前に自分で日付を入れます。
 あれ、いくらだったっけ…?

 西駅からはすぐに空港バスに乗り、シェベヒャート空港に向かう。
 KL250便は残念ながら窓際席がなくなり、通路側。
 アムステルダムからのJL412便は窓側を確保できました。

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 KL250便、B737-300。

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 そのキャビン。

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 機内食はやはり軽食。
 2時間弱のフライトだから。

 日本でも同じだが、B737のような小型機だと、窓際を確保できないと外の眺めを得られる場所は、キャビンにはないに等しい…。

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 B737-300のコクピット。
 扉が飛行中開きっぱなしで、当時としても大丈夫なのか?と思った。

 定刻より早くアムステルダム・スキポール空港に到着。
 JAL便待ち合わせの間、ターミナル内から旅客機を数枚、ガラス越しではあるが撮影してみました。
(スキポール空港には展望デッキもあるが、さすがに出て行く時間はない)

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 AirUKのBAe146。

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 AirUKからもう1枚、フォッカー100。
 AirUKは英国の航空会社だったが、後にKLMに買収され、KLM UKとなったとの事。

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 KLMシティホッパーのフォッカー28。

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 トランザビアのB757-200。
 トランザビアも、KLMの関連会社。

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 ようやく乗る機会ができました。
 JL412便・MD-11。
 MD-11については№594で書いているが、最初に乗ろうと思った鹿児島線でB747への機材変更があって搭乗できず、この事がMD-11へのこだわりを生みました。
 鹿児島でフラれた翌年、本来の国際線での搭乗が叶いました。

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 離陸してすぐ、空港の全景を見下ろします。
 19時30分を回っているのに、真昼間のような明るさ。
 MD-11のウィングレットには野鳥のイラストがあり、今回搭乗したJA8583にはイヌワシのイラストが描かれています。

 上昇直後にNHKニュースが放映されたが(日本時間6月2日の朝、成田出発前に録画されたもの)、サハリンで大地震が起きて、1,000人以上の死傷者が出たと伝えていた。

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 離陸後の食事。
 牛フィレ肉 シャスルーソース(又は舌平目 ディルソース)、フレッシュサラダ サウザンアイランドドレッシング、カプチーノケーキ、ロール バター、日本風味“素麺”、コーヒー・紅茶・緑茶。

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 普通席は3-4-2配置でB747より若干狭いが、どこがどう違う?というのは感じませんでした。
 青と紫のツートンカラーのモケットが、日本の侘び錆びを感じさせるよう。

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1995年 6月 3日(日)

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 夜間飛行、ではあるけれど、極東の真夏は、真っ暗にはならないのが物珍しく感じられました。

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 アムール川上空を過ぎた頃、2回目の食事が回ってきました。
 プレーンオムレツ・ソーセージ・ポテト/トマト、フルーツヨーグルト、アップルソース、モーニングロール・バター/ジャム、コーヒー、紅茶、緑茶と、日本到着前としては定番メニュー。

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 定刻ぴったり、13時50分に成田空港到着。
 右隣は「スーパー・リゾート・エクスプレス」。

 オーストリアは同じアルプスを抱えた山岳国家、という共通点からか、隣国スイスと同列に語られる事が多いですが、洗練されたスイスに比べると、どこかしら田舎臭さを醸し出しているイメージがありました。
 鉄道も、非電化ローカル線が多いしね。
 列車本数もスイスに比べると若干少なめだが、それでもプランをしっかり組めば、鉄道での旅を存分に楽しめるのは間違いないでしょう。
(その意味でも車窓の写真が極めて少なかったのは申し訳なし)
 オーストリアはこの4年後(1999(H11)年にも訪れ、ウィーンの地下鉄や市電にも乗ったりしました。
 またその前にも数回他の旅行の最中に経由します。
 この機会でもう少し、オーストリアの鉄道について詳しく記せるかと思います。

 次の「クロニクル」は、4月になります。
 同じ1995(H7)年の秋の、イタリア旅行について書きます。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
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