4日間の熊本・長崎旅行をつつがなく終えて、たった今帰ってきました。
主にバス(特に熊本バス・長崎県営バス)の撮影が中心になりましたが、熊本空港で旅客機の撮影をしたり、久し振りに南阿蘇鉄道や島原鉄道に乗ったりもしました。
来月半ばには書きたいと思います。
今朝の朝日新聞 … 長崎版だけだけれど … の「西方見聞録」には、オリエンタルブリッジ(ORC)のDHC-8-Q200が人気、とありました。
同形式は日本ではORCの2機しかなく、イカロス出版とANAセールスが企画した、東京・名古屋・大阪からDHC-8-Q200に乗り継いで長崎の離島を巡るツアーが好評で、4月に再開するとの事。
背景として、離島ローカル線しかないORCは慢性的に経営が苦しく、観光資源も生かしつつ、チャーター便や遊覧便で活路を見出したいという事もあるようです。
ANAとのコードシェア提携も、その流れでしょう。
厳密に言えば確かにDHC-8-Q200はORCの2機だけですが、-200は基本的には-100と同型で、エンジンを高出力型に換装し、より安定した運航を可能にしたタイプです。
基本となったDHC-8-Q100なら、他にも沖縄の琉球エアコミューター(RAC)、そして熊本の天草エアライン(AMX)にも存在します。
AMXの福岡~天草便に4年前、2009(H21)年12月に搭乗した時の事は、№103で書きました。
AMXはDHC-8-Q100を1機のみ保有し、必要があった時には休航になります。
そして、今月は新カラーへの塗り替えのため休航していましたが、いよいよ25日に通常の営業運航を再開しました。
胴体の他にエンジンにもイルカが描かれています。
一つ一つに愛称があり、胴体が親イルカの「みぞか」、エンジンは左が女の子の「はる」、右が男の子の「かい」というのだそうです。
熊本空港にも姿を見せ、長躯大阪の伊丹空港へも乗り入れています。
天草は離島とも言い切れませんが(橋が架かって、熊本市内からバスが通っている位だ)、ORCと同等以上に小規模で、魅力的なエアラインともいえます。
ぜひORCと共にAMXも(もちろんRACも)利用してみましょう。
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なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
帰ってきたばかりでなんですが、明日は本体の更新のためお休みします。
と言っても今回は表紙画像の交換のみになります。
今回の旅行で撮影してきた熊本・長崎のバスの画像は、3月16日(15日夜)の更新で公開したいと思います。
手を加える部分も多々ありますので…。
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《今日見た・聞いた・思った事》
なかなかB787のアクシデントの調査が進展しない中、ANAはB787の運航見合わせを5月31日まで延長すると既に発表しています。
3月31日以降のタイムテーブルも既に発行されているが、これによると富山への就航も予定されていたようです。
(一方で新千歳就航は取り合えず終わり)
しかし3月31日以降、最大で1日22便の欠航が発生、ダイヤの変更(早発・遅発)も相当発生しています。
富山線は全便B767-300で運航。
GW期間は何とか10便前後の欠航で押さえこむようです。
国際線はシアトル・サンノゼ線に加え、関空・セントレア~ソウル(仁川)線(たぶん国内線機材で運航)も全便欠航。
成田~仁川線は既にサマースケジュールからの休止がリリースされていて、仁川空港には少なくとも5月一杯まで、自社機材の乗り入れがなくなる事になります。
しかし、「Q&A」では「乗客側の都合で予約を入れてください」と記されているけれど、これでは欠航が怖くて予約を入れづらくなってしまうのではないかなあ。
私は所詮物見胡散の観光・行楽でしか飛行機をしないからまだいいだろうが、「タイム・イズ・マネー」のビジネスパーソンは、困ってしまうだろうなあ。
JALは、今日現在は「3月30日まで」のままだが、恐らく同じく5月一杯まで取り止めになるでしょう。
また、UAも6月5日まで運航を停止するとの事です。
成田~デンバー線就航は5月12日に延期。
《今日のニュースから》
「整備新幹線」の自民党調査会 完成時期の前倒しを検討
長崎の町にも、あちこちに「整備新幹線」に関わるメッセージがあったなあ。
№898 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 7.相鉄線横浜駅(後)
いずみ野線・いずみ中央~湘南台間1999(H11)年3月30日に開業、新たに快速の運行が始まりました。
相鉄線横浜駅の時刻表からダイヤを振り返るシリーズ、後半は湘南台延伸以降について書きます。
華々しいはずの開業でしたが、その後は何か冴えない改正が繰り返されています。
ダイヤ改正は2月27日に先行して行われ、約1ヶ月の間は、いずみ中央~湘南台間は乗務員の訓練を兼ねた回送になっていました。
(なのでこの期間は「いずみ中央行快速」という列車が見られた)
快速は日中と平日の朝方に設定、日中のいずみ野線直通は全て快速となりました。
逆に各駅停車は、本線の横浜~大和間折返し運転に変更されました。
日中は急行:快速:各駅停車が1:1:1、午前中10分、午後は12分のサイクル。
各駅停車は星川で急行の通過待ち、二俣川で快速から接続。
大和での折返し運転は1986(S61)年改正で廃止になって以来、13年ぶりの設定。
平日朝ラッシュ時が大きく変わり、原則「急行・急行・各駅停車・急行・快速・各駅停車」のパターン。
上りのみ、各駅停車7本(星川で快速の待ち合わせがある列車)が西谷で急行の通過待ちを行います。
遠い昔の事は解らないが、今回取り上げた中で最古の1985(S60)年以降では、西谷での退避は初設定です。
夕方は急行・各駅停車2本立てのままで、平日は5分→6分間隔に削減されました。
2000(H12)年4月1日改正では、日中の追い抜き・退避パターンが変わりました。
各駅停車は星川で快速待ち合わせ・西谷で急行の通過待ちがあります。
次の改正は3年以上先になりました。
2003(H15)年8月23日改正では、日中のパターンがまた変わる事になります。
各駅停車は横浜~二俣川間に短縮、星川での快速待ち合わせのみとなり、西谷での急行通過待ちはなくなりました。
急行は若干の所要時間増を招いています。
平日・土休日共、午後まで10分サイクルに統一されています。
いずみ野線湘南台延伸から4年経ったものの、全体の利用は減少傾向になり、旅客列車の走行キロは前回改正時比2パーセント強の減少になってしまいました。
ダイヤ改正のペースも、3年に1回程度に落ち着いていきます。
2006(H18)年5月20日改正では、日中のパターンがまた大きく変わりました。
快速は20分間隔に削減されましたが、運転時間帯は大幅に拡大、平日は21時台、土休日は19時台まで設定されています。
各駅停車は大和折返しが復活していずみ野線直通と交互に運転、星川・西谷での急行・快速の通過待ち・待ち合わせはなくなりました。
大和発着列車は二俣川で急行・快速の待ち合わせがあります。
「急行・快速・各駅停車・急行・各駅停車」の20分サイクルとなり、いずみ野線は快速・各駅停車を交互に運行。
朝ラッシュピークの前後に、大和始発の急行を4本設定。
2007(H19)年11月3日改正では、星川付近の高架化工事による所要時間増大のため、上りかしわ台始発列車の出発を繰り上、他増発や延長運転などの小修正を実施。
2009(H21)年11月1日改正では、星川付近の高架化工事による所要時間増大のため、深夜を中心に出発時刻を一部変更。
快速は再び星川で各駅停車と相互に接続するようになりました。
問題なのは、日中が21分の中途半端なサイクルとなり、極めて解りにくくなってしまった事。
複数の列車種別を持つ鉄道としては異例です。
最新の2012(H24)年4月29日改正です。
「相鉄・JR直通線」工事のため、西谷駅の上り待避線を廃止・撤去。
(下り線は先行して撤去されていた)
朝ラッシュ時は快速の運転が取り止めになり、急行:各駅停車を1:1で運転するパターンになりました。
いずみ野線湘南台開業より前の形態に戻った事になります。
横浜駅の最混雑時間帯(7時30分~8時30分)の到着は急行13本、各駅停車13本、合計26本。
星川付近の工事の進捗に加え、瀬谷駅付近も工事のため所要時間はさらに増大。
横浜~海老名間の急行は平均して下り34分、上り35分となりました。
日中は再び解りやすい運転間隔となったが、土休日の午後の快速は30分間隔に削減されています。
以上、横浜駅の時刻表から、28年間の相鉄線のダイヤを、簡単ながら振り返ってみました。
全体的な流れは1980年代後半~1990年代前半の急速な伸びにより相次ぐ増発→1990年代後半は調整局面→いずみ野線湘南台延伸で快速設定→以降は利用者減少と工事による本数減と所要時間増大、という事になるのでしょうか。
小規模で、他線との相互直通運転がない事もあるだろうが、特に21世紀に入ってから、改正毎にパターンがクルクル変わり、他の大手私鉄のようなポリシーが感じられない感があります。
一方で、本線・横浜~海老名間の通しの利用が多いにも関わらず、二俣川~海老名間が各駅停車になる急行が最速となるパターンは何十年も変わりません。
両駅間の表定速度が(工事の影響もあるとはいえ)43.3㎞/hに留まり、単純比較はできないとしても、他社と比較してあまりに遅い印象が否めません。
(標準でJR東海道線:横浜~茅ヶ崎間61.5㎞/h、JR横須賀線:横浜~鎌倉間53.1㎞/h、京急線快特:横浜~横須賀中央間61.4㎞/h)
さらに県央最大の都市・厚木へ向かうのに目の前の海老名で乗換えを強いられるのもマイナスで、小田急側の改良工事に合わせて直通運転の復活(終戦後~S30年代まで行われていた)ができなかったのも、惜しまれる点です。
相鉄だけではどうにもできない部分もありますが。
大手の仲間入りをしたといっても(グループ全体で)他社には遠く及ばず、鉄道路線網もJR・東急・京急・小田急各社の支線的な役割に過ぎないのではないか?
そんな印象を与えるダイヤ構成と見えます。
今後のダイヤに大きな影響を与えるのは間違いなく、そろそろ開業が視野に入ってきた「相鉄・JR直通線」です。
相鉄の公式Webサイトに寄れば、開業は2015(H27)年3月予定で、あと2年。
あくまで勝手な推測だが、JR側の相直の相手は恐らく埼京線。
新宿折返しの一部を大崎~武蔵小杉~新鶴見経由で貨物線に直通させ、羽沢で相鉄線に接続。
205系置き換えで今年から投入されるE233系と、相鉄は11000系・10000系が直通運用に入る事になるでしょう。
二俣川~海老名間でも急行運転が行われる事になりそうです。
さらに昨年認可が下りた「相鉄・東急直通線」は一応、2019(H31)年3月開業を予定。
(実際はもっと先になるだろう)
東急側の相手は目黒線になりそうで、日吉から新綱島~新横浜を経由して羽沢で接続する事になるでしょう。
この両線の開業で、いまだローカル色が抜けない相鉄が、真の大手私鉄に発展する事が望まれます。
ただ、ターミナルの横浜から遠く離れた、しかも主要駅とは言い切れない西谷で分岐(合流)する形態は、営業的にはどう転ぶのだろうか?
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何度か書いている通り、明後日から27日まで、九州の熊本・長崎に行って参ります。
JALのMD-90の「お別れ」をしたかったのだけれど、B737になっちゃった…。
(「新鶴丸」のMD-90は、とっくにリタイアしていたのね…)
それとずっと勘違いしていたけれど、熊本市営バスの終了は今年ではなく、「2016(H28)年4月まで」に行うという事でした。
ずっとウソを書いていた事になり、ここでお詫びしたいと思います。
ともあれ、九州の乗り物を存分にエンジョイしたいと思っています。
ただ、後半の長崎は、天気が良くなさそうで、どうしようか…。
このため当ブログの次回更新は、帰宅直後の27日(水)になる予定です。
《今日のニュースから》
西表島漂着の南三陸町のポスト 仙台市で公開
№897 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 7.相鉄線横浜駅(前)
私鉄のダイヤを、特定の駅の時刻表から振り返ってみるシリーズも久し振りになりますが、第7弾の今回は相鉄線の横浜駅を取り上げます。
相鉄線は早くから10連運転を行い、1990(H2)年には大手私鉄になったとはいえ、神奈川県東部に本線と支線・35.9㎞の路線を持つだけの小規模な鉄道で、しかも他社との相互直通運転も現状では全く行っておらず、はっきり言って地味です。
それでも、いずみ野線の開業・延伸があり、沿線の開発が進んだ事で、特に1980年代後半~1990年代はかなり急激に本数が増えました。
前半はこの時期を中心に記します。
ここでは、途中星川・西谷の退避についても着目してみます。
相互直通がないため、改正はいずれも、相鉄の単独で行われました。
手持ちの時刻表で一番古いのは、1985(S60)年3月31日の改正になります。
(当時は、土曜日は平日の時刻表で運転)
この改正で7両編成がなくなり、8連・10連に統一されました。
いずみ野線はまだいずみ野まで。
急行と各駅停車の2本立てで、早朝・深夜を除いて急行が本線を通しで運行、各駅停車はいずみ野線直通または二俣川折返し。
当時はいずみ野線沿線の開発はまだ途上、各駅付近はまだどこもほとんど何もない(緑園都市なんて山の中)状況で、いずみ野線の本数も非常に少なくなっていました。
当時の二俣川駅は2面3線の配線で、下り各駅停車は後続の急行を待たずに二俣川を出発、下りに関してはいずみ野線から見て急行のメリットはほとんどありませんでした。
平日夕方の急行、休日夜間の各駅停車に大和折返し(当時は地上)の設定がありました。
全体的には、日中は平日10分サイクルに対して休日8分サイクルで、休日の方が多くなっています。
横浜などへの行楽客が増えるのでしょうか。
この傾向はしばらく続きます。
各駅停車の急行通過待ちは、平日朝夕ラッシュ時に星川で行われるのみ。
翌1986(S61)年6月16日改正より、土曜ダイヤが独立しました。
急行・各駅停車の2本立ては変わらないが、平日は日中の二俣川折返しが全列車いずみ野線直通になった事、平日夕方の急行・休日夜間の各駅停車が全列車海老名まで延伸された事が目に付きます。
平日ダイヤでは、旅客列車の走行キロが対前年比約3%増の大幅な伸びになりました。
土曜ダイヤは、13~14時台が8分サイクルに詰まるのが独特。
学校帰り対策でしょうか。
(まだ学校完全週休2日制の導入前だったと思う)
翌1987(S62)年4月4日改正では、いずみ野線の直通がさらに増発。
平日の朝ラッシュ時は増発されたが、土曜日は5分→5~6分サイクルに削減されました。
いずみ野線では二俣川始発最終電車の繰り下げも行われ(0時17分→0時46分)、横浜発最終から接続。
1988(S63)年3月13日改正。
休日ダイヤのみ、日中の各駅停車が星川で急行の通過待ちを行うようになりました。
以前は平日・(土曜)・休日とも日中は各駅停車が二俣川まで(あるいは逆)逃げ切っていたが、8分サイクルだと急行が早めに追いついてしまい、スピードダウンを招いていました。
(特に二俣川折返しの場合、二俣川の中線が空くのを待つため星川で時間調整を行っていて、急行はさらにスピードダウンを強いられていた)
いずみ野線直通や、深夜の急行の増発も行われたが、土曜ラッシュ時は6分サイクルとさらに削減。
翌1989(H元)年もいずみ野線直通の増強が進んだ上、休日は8分サイクル運転時間帯が拡大されました。
平日の朝ラッシュ時も増発されています。
とにかく昭和の終わり~平成の初めにかけては、旅客が急増した時期でした。
上りのみ、海老名→横浜の最終電車が繰り下げ。
1990(H2)年3月18日、いずみ野線のいずみ野~いずみ中央間が、一駅間だけながら延伸開業しました。
いずみ野行のほとんどの列車がいずみ中央まで延伸しました。
(いずみ野止まりの列車も一部残った)
また、二俣川駅構内の4線化工事が進展、平日・土曜のラッシュ時間帯で、下り急行が二俣川で先行する各駅停車に接続するようになりました。
1991(H3)年3月3日改正です。
平日朝ラッシュ時、7時台後半に急行が1往復増発されました。
急行:各駅停車が原則1:1である所、急行2本が続行する形になっています。
各駅停車は星川で急行2本の通過を待つ事になります。
横浜駅の最混雑時間帯(7時30分~8時30分)に横浜駅に到着する列車は急行が15本、各駅停車が14本、合計29本となって、輸送力増強が限度まで来たと言えます。
逆に土曜日の朝方は6分→6~7分サイクルに拡大、一方で休日は朝方に増発。
二俣川駅構内工事の完成により、下り急行は全列車、二俣川で各駅停車に接続するようになりました。
翌1992(H4)年3月29日改正では、平日のみ最終電車が繰り下げになりました。
0時27分発かしわ台行を海老名まで延伸し、その後に0時42分発かしわ台行を増発しています。
二俣川で接続のいずみ野線最終も繰り下げ。
1993(H5)年8月8日改正で、土曜ダイヤは休日に統合されました。
1994(H6)年6月19日改正では、平日の9時台及び21時台が増発され、各駅停車の星川急行通過待ちの時間帯が拡大。
その一方で17時台は5分→6分サイクルに削減されました。
1995(H7)年4月1日改正では、土休日ダイヤの午前中の運転間隔が拡大されました。
毎年のように増発・運転区間延伸が繰り返された相鉄のダイヤも、1990年代半ばには調整局面に入ったと言え、この後1999(H11)年3月30日のいずみ野線湘南台延伸まで、ダイヤ改正が4年間行われませんでした。
次回は後半、湘南台延伸・快速運転開始後について書きます。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
大分県「湯けむり発電」 国支援事業に指定