№840 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 8

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 1回お休みして中3日開きましたが、北欧旅行クロニクルを続けます。
 2週間かけてフィンランド・スウェーデン・ノルウェーと回って、海路で最後の国、デンマークに入りました。
 2日間で乗ります。

1993年11月 5日(金)

 フレデリクスハウンからオールボーまでローカル列車、そこからコペンハーゲン行ICに乗り換えるプラン。
 ところが、フレデリクスハウンで待っていたのは、IC3系DCでした。
 日本では特に185系デビュー以降、特急車の普通列車運用も珍しくなくなっていたが、欧州にもあるとは意外でした。
 面白いのは、3車体連接構造なのだけれど、号車番号の上では中間の車体で分割されて、2両編成に見える事。

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 お城のような、オールボー駅。
 オールボーからはそのまま、コペンハーゲン行IC134列車になりました。
 もう1ユニット増結されます。

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 IC3の車内。
 2-2配置のボックスシートスタイル。

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 遊び場はお約束。
 IC3の場合、客室との仕切りもありません。

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 IC3には編成毎にデンマークの偉人?の名前があり、由来のマークが描かれています。

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 デッキには、その人物の解説も書かれています。
 オールボーで増結された29編成は「Jens Vejmand」。

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 IC3には食堂車やBARの類はなく、車内販売(欧州ではミニバーと称されるのが普通)が回ってきます。
 ミニバーのメニューは、あらかじめ座席のポケットに入っていました。
 お菓子やアルコール、新聞・雑誌類も販売しています。

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 当時はストア海峡を越える鉄道新線の開通もまだで、ニュボア~コアセーはフェリー航送になります。
 首都コペンハーゲン自体がシェラン島という島にあるので、どこに行くにも連絡船による航送を必要としていました。

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 カフェテリアで一息。

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 デッキに出ると、ニュボアに向かう連絡船を見ました。

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 終点のコペンハーゲン中央駅。
 オールボアから、当時は6時間強かかりました。
(今だと「リュン・トーク」で4時間20分程度)

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 中央駅のホーム。

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 コペンハーゲン市内のユスターポート駅。
 Sバーンのターミナルとして機能し、近郊列車もここを始発としていました。

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 Sバーンの旧型。

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 Sバーンの新型。

 この晩はユスターポート駅前のホテルに投宿。

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1993年11月 6日(土)

 この晩は夜行でストックホルムに帰り、翌朝の航空便で帰国の途に就くため、北欧の鉄道乗り歩きは実質最終日になります。
 シェラン島南部のローカル線に乗りに行きました。

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 DSB(Danske Statsbaner)のニュケービンク行ローカル。
 プッシュプルトレインで、DLの反対側の客車にも運転台が設けられています。
 485系みたいな高運転台式。

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 DSBのDL。
 デンマークは島がちである事、発電事情から当時は電化があまり進まず、DCやDLがかなり活躍していました。
 この点は、電化率が比較的高いノルウェーやスウェーデンと異なる所。

 沿線は、関東平野みたいな真っ平ではないけれど、スウェーデンやノルウェーの荒々しい景色を見てきた者からすると、かなり穏やかに感じられます。

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 ニュケービン駅。
 この町も、ファルスターという島にあります。
 ここからさらに、西隣のロラン島の西の端・ネクスコフへ向かう鉄道に乗ります。

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 この路線を運営するローランド鉄道はレイルパスが通用せず、40DEK(デンマーク・クローネ)必要です。
 ローランド鉄道の、アメリカンスタイルのDL。

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 ローランド鉄道のDC。
 NSBでも、ローカル線で使用されているタイプのようです。

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 その車内。

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 終点のネクスコフ駅。
 ニュケービンクから48分。

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 中間の駅もいくつか御覧頂きます。
 これはライド駅。
 近くに製材所はあるようですが、正に森の中の静かな駅員無配置駅。

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 今日は土曜日、駅の業務は13時30分で終わっていました。
 翌日曜日は13時15分から営業、この点も北欧らしい所です。
 マリボ駅からは別に鉄道があるようですが、貨物専用の模様。

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 ローランド鉄道では、バスも運営しているようでした。
 これはオレンジ色。
 比較的長距離の路線用でしょうか。

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 そしてクリーム色。
 こちらは短距離用か。

 この後、他のDSBの列車に乗ってロスキレに立ち寄ったり、コペンハーゲンに戻ってストロイエで夕食を採ったりしながら過ごす内、ストックホルム行夜行の出発が近づきました。
 これが今回の最後の北欧の列車になります。

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 夜行382列車。
 ストックホルム行の他、№834835で少し書いた、オスロ行の車両も連結されていました。
 エーレ海峡越えの鉄道の開通がまだだったからヘルシンゴア経由になり、スウェーデンのヘルシンボリまでフェリーで航送になります。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 フランス西部のナント近郊で、新空港建設に反対するグループが抵抗運動を続けていて、闘争の拠点となる小屋を作り始めたというニュースが、今朝のBSでありました。
 ナントの空港の規模がどれほどのものかは解りませんが、なんだか40年位前の「三里塚」を思い起こさせるような話です。
 今の所はまだ「三里塚」ほどは先鋭化していないですが、フランスの事だから、今後の展開によっては過激化する事は充分考えられます。
 反対派の談話 「フランスには空港が140以上もあります。ドイツやイギリスは1/3。もう必要ない」…あれ?似たようなセリフは、これもまた最近日本で聞いたような。
 ドイツのベルリン・ブランデンブルグ空港でも様々なトラブルが収まっていないようで、過去に日本の空港事情に関連してあれこれ議論されたり、時には争い事の元となった事象が、ここへ来てヨーロッパでも表面化しつつある、という事なのでしょうか。

《今日のニュースから》
遠隔操作ウィルス事件 「2ちゃんねる」サーバー運営会社を捜索