№832 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 1
先月から始めた「思い出の海外旅行クロニクル」、2回目は1993(H5)年10月~11月の北欧4ヶ国です。
鉄道網は少々不便なのですが、何よりダイナミックな自然が魅力的に思えました。
前回は写真以外の記録が見当たらず、あいまいな記憶が頼りでしたが、今回からはメモを残してあるので、もう少しマトモなものが書けると思います。
ただ、今回も意外に写真が少なかった…。
特に車窓の写真が少ないのは、今思い返してももったいないと、自分でも思っています。
なお、時々お金についても書きますが、当時は日本で米ドルのトラベラーズ・チェックを購入、現地でその都度通貨に両替するという、今考えればアホな事をやっていたので、日本円ではいくら、という事は書けません。
その点はご了承を。
1993年10月22日(金)
今回はアムステルダム経由でヘルシンキまで、KLMオランダ航空を利用。
初の海外キャリア利用になりました。
前回の旅行の直後の1992(H4)年12月6日、第2ターミナルがオープン。
当時のKLMは、第2ターミナルに移転して発着していました。
KLM862便は、サテライトのC87番搭乗口より出発。
いきなり離陸になります。
R/W34(当時の滑走路は1本)から離陸して、東関東自動車の真上を横切っていきます。
座席が主翼の付け根のすぐ後だったからちょっと見づらいか。
機内アナウンスは、KLMだからオランダ語と英語で、「ナリタエアポート」とか、「シベリア」とかいう単語しか聞き取れなかったけれど、その後日本人CAによるアナウンスもあって、ハバロフスク、シベリア上空、サンクト・ペテルブルグ、フォローニンゲンを経由してアムステルダムに向かうと通訳してくれました。
離陸後、最初の食事。
メインはビーフと魚の二者択一で、ビーフを選択。他にサラダ、テリーヌ、チーズ、クラッカー、スィーツはチョコレートムース。
日本茶のサービスもありました。
シベリア上空で、左下に飛行機雲が現れ、だんだん太くなって、ついには旅客機が現れました。
ロシア国内線だったでしょうか。
2度目の食事が案外早めで、1本目と2本目の映画の合間に提供されました。
2度目もホットミールで、鶏肉とご飯、ブロッコリー、サラダ、パン、ヨーグルト、チョコレートムース。
到着前にも軽食が振舞われ、ロールサンドかオニギリにカップヌードルまで。
862便・B747-400のキャビン。
通常タイプのB747-400に乗るのは、初めてでした。
(400Dは直前にANA「マリンジャンボ」に乗っていた)
アムステルダム到着直前、オランダの町並み。
整然とした町並みは日本とは大分違って見えました。
アムステルダム・スキポール空港到着。
見た事がない旅客機が多かった。
スキポール空港のターミナル。
この後189便に乗り継いでヘルシンキへ向かいます。
日本に関わらないフライトも、初の経験です。
もちろん、日本語が全く通じません。
189便が出発する、D31番搭乗口。
189便はB737-400。
「Vasco Da Gama」の愛称があります。
途中エーテボリ経由でヘルシンキに向かいます。
19時を過ぎて真っ暗なので、この先の外の景色はもう解りません。
189便のキャビン。
他に日本人はいなかったようでした。
アムステルダム~エーテボリ間で提供された食事。
魚・ハム・ポテトサラダのオードブルとクラッカー。デザート、チーズ。
エーテボリ~ヘルシンキ間でも再度食事が提供されました。
牛肉・チーズ・野菜の盛り合わせ、サラダ、ミント入りチョコレート。
ヘルシンキは当然もう真っ暗だったけれど、着陸直前にポツンポツンと見えた街路灯の列が、どうしてだろう、異国の地に来た事を、強烈に感じさせてくれました。
でも日本の自宅をを出てほぼまる1日、頭が朦朧…。
ヘルシンキ・ヴァンター空港の入国審査は割とあっさり。
おかげで20分後の空港バスに乗れました。
乗客は自分一人…。
バスがヘルシンキ中央駅近くのエアターミナルに着いたのは、24時少し前。
何とかホテルを探し当て、眠りに就いた時には、もう1時を回っていました。
日本はもう朝7時過ぎのはず…。
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1993年10月22日(土)
北欧列車の旅が始まりますが、フィンランド国内に関しては行程が緩く、この日はピエクサマキ・イーサルミ経由の急行1本でオウルに向かうだけ。
8時過ぎの出発で寝る間もほとんどなく、駅に向かいます。
2等車の車内。
当時は2/3が禁煙、1/3が喫煙とはっきり分けられていました。
左右で座席の向きが逆になっているのが面白い所。
(転換はできない)
食堂車は売店的な営業で、本格的な食事はなく、パンなどをセルフサービスで発売していました。
列車の中に子供向けの遊び場があるのが、まず北欧らしい所だと思いました。
コウヴォラで進行方向が変わり、ELが付け替えられます。
マンテュハルユは、まるで公園の中にあるような感じの駅。
通過していく駅のいくつかは、北海道にある旧仮乗降場のような感じで、中には土で盛っただけの所も見られました。
沿線は徐々に雪が増えていきます。
積もる、というほどではなく、薄っすら地上が白くなっていきます。
ピエクサマキ。
路線が十字に延びて行くジャンクション的な駅で、構内は広いです。
イーサルミで2両切り離し、ここから非電化となるので、機関車はDLに付け替えられました。
カヤーニ駅。
だんだん車内が空いてきて、外も陽が暮れてきて、灰色の世界になってきました。
やがて電化された路線が合流して終点のオウル。
10時間強の旅が終わりました。
駅前のB&Bに185FIM(フィンランド・マルカ 当時はユーロはなかった)の空室を見つけて投宿。
寝不足気味で疲れがどっと出て、夕食も食べずに20時前にはさっさと床に就いてしまいました。
当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
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《今日見た・聞いた・思った事》
ロシアの航空ではこの所飲酒によるトラブルが後を絶たず、関係当局が規制に乗り出すのだそうです。
乗客が撮影した動画を放映したロシアのニュースを今朝見ましたけれど、大男達がボカスカ他の客や乗務員を殴って、暴れていました。
ある大手航空会社(たぶんアエロフロート)では、この手のトラブルが1年半で1000件に上るそう。
対策として、免税品店で購入したアルコールは全て乗務員に預ける事を義務付ける事が検討されているが、路線によっては乗客ほぼ全員がアルコールを購入しているので、簡単ではないだろうとも。
小手先でしかないと思いますけれどねぇ。
何しろロシアは「ウォッカ」の国、国民の年間アルコール消費量が世界第4位の大酒呑みの国だそうだから、対策は容易ではないでしょう。
でもお酒以外でも、ロシア以外でも、最近は世界各国(特にアメリカ)で機内のトラブルは少なくなさそうです。
幸い私は、国内外共に旅客機内でこの手のトラブルに出くわした事はありませんが、まあ、お互い気をつけましょう。
被害者にも、加害者にもならぬよう…。
《今日のニュースから》
ユーロ圏17ヶ国財務省会議 ギリシャ支援の決定を20日に先送り
ギリシャに限らず、スペインやポルトガルなど、経済が危機的な状況に陥っている国々では、何だか少しずつ人々の心が荒廃しつつあるように見えるのは、気のせいでしょうか?
TVで見るだけだからそれは一面だけだろ?と言われればその通りなのですが、万一国家財政が完全に破綻と言う結末に陥った時、人心がどんな事態に陥ってしまうのか、心配でなりません。
解決は容易ではないが、何度も書きますけれど早く穏やかな、私が大好きないつものヨーロッパの姿を取り戻して欲しいと願わずにはいられません。