№834 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 3

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 1日お休みしましたが、1993年の北欧旅行記を再開します。
 ヘルシンキ市内の市電や地下鉄、バスを乗り歩いた後、トゥルクからフェリーでスウェーデンに渡ります。

1993年10月26日(火)

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 今回市内交通で利用した、24時間乗車券。
 フィンランド語・スウェーデン語・英語・ドイツ語でガイドが記されています。
 25FIMでした。

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 地下鉄は当時はまだ1路線、全体的な印象としては、市内交通というより、郊外の開発のための路線という感じがしました。
 高架区間が長かったし、日本で言えば横浜市営3号線(ブルーライン)や、神戸市営西神線のような立ち位置でしょうか。

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 車内はクロスシートですが、プラスチック製でベンチのよう。
 音からすると、日本でもまだ珍しかったVVVF制御車だったのでしょうか?
 2両1ユニットで、朝ラッシュ時は6連、日中は4連で走ります。

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 ハカニエミ駅の入口。
 なお、右側に記されているのはスウェーデン語での駅名(ハーグネス9です。
 フィンランドはスウェーデン語も公用語としていて、地下鉄では駅名の他、案内標記は全て両国の言語で記されています。

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 ホームの天井はかなり高いのですが、少々薄暗く感じられました。
 案内放送は一切ありません。

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 西の終点、ルオホラハティ駅。
 この駅まで延長されたのは、この年の夏の事だったそうです。
 市電が見えます。

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 もう一方の東の終点、メッルンマキ駅。

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 ヘルシンキの市電。
 当時としては最新鋭だったと思いますが、今の目で見ると、どうという事はない、ヨーロッパでは標準的な連接車という印象です。多少小振り?
 片運転台で、終点ではバスのようにループ線で折り返します。

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 その車内。

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 単車タイプの旧型は、2系統のみで運行されていました。
 この電車はシングルアームに交換されていますが、一般のパンタの車両はかなり大型だった。

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 その車内。

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 市電の走行風景。木々が多くて自然が豊か。
 ヘルシンキの市電では、女性の運転手が多数登用されていました。

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 さらに、市内バスにも乗ってみました。
 連接車。
 市電もそうですが、バスもフロントには系統番号しか書いていません。
 また、車内放送も一切ナシ。

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 20系統はヘルシンキ市の西部、ラウタッサーリ島の住宅地を走り、島北部のカタラハユを終点とする系統です。
 そのカタラハユの終点。ここも静かな住宅地風情でした。

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 ヘルシンキ大聖堂。
 どこまでも広がる青空の下、清楚かつ堂々とした印象があります。

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 ヘルシンキの街角で。

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 ヘルシンキ中央駅のホーム。
 屋根がなく、どこか宮殿の中庭という印象もしました。
 歩いていると「10番線だよね?」とか「小さい駅だね」とか、どこからか日本語が聞こえてきました。

 ストックホルム行のシリヤラインフェリーはヘルシンキからもありますが、今回はトゥルクからの航路を利用します。 トゥルクまでの鉄道は、当時はカリヤから先は非電化。
 トゥルク港行急行131列車は箱型DLが牽引しました。
 幹線だと思うのですが、列車は意外に短く、BAR車を含めても客車は5両。

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 BARの車内。

 フィンランドの10月は、17時を過ぎたらもう暗くて、車窓は全く解りません。
 トゥルクはフェリー連絡のため、中央駅からさらに港駅まで運行。

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 トゥルク港駅はホームだけで駅舎はなし。
 乗客は急いで客船のターミナルに向かいます。

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 トゥルク出航。

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 とにかくこの「シリヤ・セレナーデ」の船内は凄いです。
 クルーズ船ではなく定期のフェリーなのですが、レストランも本格的なフルコースからMini Barまで、銀行に子供の遊び場、カジノにゲーセンまであって、まるで街そのものが海を走っているようなもの。

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 ステージでは、バンドの演奏まで行われていました。
 全部訪ねると一晩では足りないでしょうが、部屋に戻って休みます。

 シリヤラインは「スカンジナビア・レイルパス」で乗れるのですが、無料になるのは座席のみ、寝台(個室)は別に料金が必要になります。
 今回は2人部屋(相部屋)で、170FIMでした。

 スウェーデンはフィンランドより1時間遅いため、時計を1時間戻します。

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1993年10月27日(水)

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 スウェーデン時間で6時過ぎ、ボスニア湾の、美しい夜明け。
 デッキからのオープンな眺めこそ、船旅の醍醐味だと思う。
 島々を縫って走り、7時前にストックホルム港に入港しました。

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 今回乗船した「シリヤ・セレナーデ」の絵ハガキ。

 ここからはストックホルムをベースにして、スカンジナビア3ヶ国(スウェーデン・ノルウェー・デンマーク)を周遊します。

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 ストックホルムからマルメまで、IC25列車で向かいます。

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 スウェーデンの指定券。
 25列車、18号車の2番シート。

 客車7両は、なかなか個性的な車両が連なっています。

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 食堂車。

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 食堂車で食べた、パンケーキ。

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 この列車にも、子供の遊び場が設けられています。

 ここでも車窓の写真がなくてゴメンナサイ。
 もったいない。
 一気に終点のマルメになります。

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 マルメ中央駅はレンガ積みの渋い駅舎。
 当時は改装工事中でした。

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 マルメ駅前の市内バス。
 当時としても古いタイプ。
 この時点では快晴だったのに、突然どこからか霧が立ち込めて、寒くなってきました。

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 海沿いの街、イェスタード行のDC列車。
 カラーリングは近郊の電車列車と共通なのですが、SJ(Statens Jarnvagar)の運営ではないみたいでした。
 スウェーデンでは地域ごとに、共通カラーの近郊列車が運行されています。
 徐行とかはしないけれど、とにかく視界が100mあるかどうか…。
 それと、駅が少なくて、普通列車なのに次の駅まで20分、という区間もありました。

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 イェスタード駅につく頃には霧はなくなっていたものの、17時を回ったら、もう暗くなってしまいました。
 すぐの列車でマルメへ引き返しました。

 この後、22時47分出発の夜行列車でオスロへ向かい、ノルウェーに入る事になります。
 しかし途中のヘルシンボリまでは、オスロ行+ストックホルム行(エーテボリ経由)でも客車4両(クシェットと2等座席車各2両)と寂しい。
 続きは次回ですが、明日・明後日はお休み、月曜日に書く予定です。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 JRグループ各社は、プッシュホンによる予約・空席照会サービスを、来年1月一杯を持って廃止すると発表しました。
 時刻表の緑のページの新幹線・特急のページに予約コード、巻末(JTB2012年11月号では1144ページ)に操作方法が記されています。
 でも私自身、過去には利用した事があったかも知れないけれど、そういえばそんなサービスもあったっけ、と言う程度の知識しかありませんでした。
 今後ははっきりWeb予約中心、となるのでしょうが、JRグループの場合、まだ「全ての人」が、「全ての列車」の予約をできると言う状況にはありません。
(例えばJR東海だと、Webで予約できるのは東海道新幹線だけで、しかもクレジットカードの会員になる必要がある)
 JRグループだと指定席連結の列車が非常に多く、運行形態も複雑なので簡単ではないでしょうが、LCCを初めとする航空などではWeb予約がもはや常識なので、速やかにWebの予約体制を整える必要があるでしょう。
 それにしても、全ての交通で言えますが、予約システムの変遷の急な事…。
 つい10~20年位前までは、高速バスの電話予約が「画期的」とされていたものですが。

 衆議院が解散され、総選挙が来月16日投票で行われる見込みとなりました。
 東京都は、都知事選とのダブル選挙になります。
 このブログをスタートさせたのは2009(H21)年8月16日ですが、3年半経っていないのに、2度目の総選挙という事になります。
 この3年半は右も左も上も下も、ついでに外野も、その場しのぎの「ご都合主義」が幅を利かせた「政治ゲーム」に終始してしまった感が否めませんでした。
 史上最悪級の国難まであったというのに。
 やはり、民主党が一番問題でしたね。党首経験者同士がいがみ合うとは、はっきり「失敗政党」でした。
 今度の選挙では、多数の候補者が所属政党を離脱して臨む事になるようですが、口当たりの良い建前は良いけれど、その本音はどこにあるのよ?と言いたくもなります。
 「総選挙」の3文字自体が急速に軽薄化しつつある感があり、どの候補者も、右とか左とか以前に、もっと政治システムそのものが重大な危機に陥りつつある事を自覚して頂きたい。
 その前に、公示日(4日)以降の街宣車の騒音が、今から憂鬱だなあ…。

《今日のニュースから》
日朝局長級政府間協議終了 拉致問題など協議継続で一致

№833 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 2

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 フィンランドは、今回は若干行程が緩く、鉄道の乗車距離があまり多くはなりませんでした。
 北欧諸国はどこもそうですが、列車の本数があまり多くなくて、限られた日程の中では、行程の構成の幅が狭くなるので。
 初めて足を踏み入れる、不慣れな土地という事もありますが。

1993年10月24日(日)

 朝起きて部屋のTVをつけたら、鈴鹿のF1の生中継が放映されていました。
 アイルトン・セナが優勝しましたが、これが最後の鈴鹿になろうとは。

 この日はダイヤの都合もあって、出だしが遅くなりました。

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 オウル駅の駅舎。

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 構内は9時30分を過ぎて、各方面からの列車が到着して賑わいます。
 ロバニエミからのヘルシンキ行でセイナヨキに向かいます。
 ここで4両増結されましたが、乗客も多くなります。
 日曜日だったからか、大荷物の家族連れが多かった。

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 カフハヴァ駅。
 カラフルでどこかメルヘンチックなイメージがする駅舎です。
 広い青空に翻る国旗が、すがすがしいイメージを与えてくれます。

 ところで、カフハヴァ自体もなんでもない田舎町に見えたのですが、今回この機会に調べてみたら、ここにはフィンランド空軍の基地があって、エアショー開催時には賑わうそう。
 しかも最近は日本のアニメでも取り上げられて … 「ストライク・ウィッチーズ」でしたっけ? … 「聖地巡礼」で訪れるアニメファンもいるそうです。
 鷺宮や秩父に比べて遥かに遠いけれどね…。

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 セイナヨキは一転して大きな駅。
 ICカラーのスズキキャリィがゴミ集めをしていました。

 この日はこの後ヴァーサ行のローカル列車に乗り換えて、ヴァーサ宿泊で終わり。

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1993年10月25日(月)

 ヴァーサも、ボスニア湾に面する田舎町です。
 10月終わりとなると、7時前になっても暗い…。

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 8時を過ぎて、ようやく町にも陽があたってきました。

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 ヴァーサ駅も小さいです。
 セイナヨキ行ローカル列車が停車中。

 この日も、9時を回ってからの出発になりました。

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 再びセイナヨキに戻って、駅前に停車中だったローカルバス。
 古びています。
 フィンランドは、特に地方は古いバスが多かったような。

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 インターシティ(「EP」という種別だった)でリーヒマキに向かいます。
 そのIC客車。

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 その車内。
 かなりのスピードで走っていたはずですが、静かです。

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 食堂車はBARと半分ずつになっているのですが、食堂部分は片通路、窓側と中央部のテーブルが互い違いになったレイアウトがユニーク。
 結構揺れました。

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 パンにチーズをはさんだだけの「Cheese roll」とコーヒー。

 リーヒマキでローカル列車に乗り換え、コウヴォラに向かいます。
 2日前にも通過した区間。
 さらにコウヴォラで乗り換えたコトカ行は、中央の2箇所のデッキで客室が3分割されている近郊電車でした。
 このコトカへ行く支線は、当時は廃止対象だったみたい。
(トーマスクックの時刻表には、そんな事が書いてあったと思う)
 でも乗客は多くて、そんな感じはしなかったけれど。

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 終点のコトカ駅。
 レンガ積みの堂々とした構えですが、中は薄暗い。
 おばさんの駅員がいたのだけれど、駅員がいるのは平日だけらしい。

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 駅前に保存してあるSL。
 フィンランドはSLを静態保存している駅がかなりあります。
 はっきり気付くのは6年後の事になりますが…。

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 街中にある、ルーテル教会の教会堂。

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 コトカの貨物駅。

 コウヴォラの戻る途中、急に雪が降り出しました。
 あっという間に沿線を白く染めていったという感じ。
 このためなのか、電車は空転を繰り返し、コウヴォラ着が5分遅れたのですが、ヘルシンキ行は待っていてくれました。

 コトカへの支線は、今になっても運行されています。
 コウヴォラ駅でもらった時刻表にはコトカへの電車の時刻が記されていなかったので、廃止の動きがあったのは事実だと思うのですが、結局どういう経緯をたどったかは謎です。

 再びヘルシンキに戻って、翌日は市電や地下鉄、バスを乗り歩いてから、トゥルク経由でスウェーデンに渡る事になります。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

 明日は本体の更新のためお休みします。
 佐賀市営バスの画像を新規公開する他、京成バスと京浜急行バスで追加、東急バスで交換を行います。
 東急バスは、ようやく「ミルキーウェイ」色のエアロエースを公開できる事になりました。
 香港のバスについては、12月に公開の予定です。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 仙台空港で今朝、先日見つかった不発弾の処理作業が行われ、無事終了しました。
 太平洋戦争終戦から67年経った今でも不発弾が見つかる事がたまにあって、処理のため鉄道が運休になる事もあります。
 最近では、8月に切替えが行われた京王線の地下線の工事現場で見つかって処理が行われたというのは、記憶に新しい所です。
 空港で見つかるのは珍しいと思うのですが、古い空港だと、日本軍の基地やその関連施設だったという所は少なくないだろうから(仙台空港は、陸軍飛行学校の練習基地が前身だったらしい)、ひょっとしたら今でも息を潜めて眠る不発弾が、どこぞの空港の近くに埋まっているのかもしれません。

 仙台というと、仙台市営地下鉄東西線の車両のデザインが発表になりました。
 先頭部は、伊達政宗をイメージした三日月模様があしらわれるそうです。
 東西線はリニア地下鉄ですが、広瀬川は高架線で交差するので、地上からでも車両を見る事は出来るでしょう。
 でも撮影は相当厳しそう。

《今日のニュースから》
周防大島沖で旅客船座礁 修学旅行生らは全員無事

№832 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 1

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 先月から始めた「思い出の海外旅行クロニクル」、2回目は1993(H5)年10月~11月の北欧4ヶ国です。
 鉄道網は少々不便なのですが、何よりダイナミックな自然が魅力的に思えました。
 前回は写真以外の記録が見当たらず、あいまいな記憶が頼りでしたが、今回からはメモを残してあるので、もう少しマトモなものが書けると思います。
 ただ、今回も意外に写真が少なかった…。
 特に車窓の写真が少ないのは、今思い返してももったいないと、自分でも思っています。
 なお、時々お金についても書きますが、当時は日本で米ドルのトラベラーズ・チェックを購入、現地でその都度通貨に両替するという、今考えればアホな事をやっていたので、日本円ではいくら、という事は書けません。
 その点はご了承を。

1993年10月22日(金)

 今回はアムステルダム経由でヘルシンキまで、KLMオランダ航空を利用。
 初の海外キャリア利用になりました。

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 前回の旅行の直後の1992(H4)年12月6日、第2ターミナルがオープン。
 当時のKLMは、第2ターミナルに移転して発着していました。

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 KLM862便は、サテライトのC87番搭乗口より出発。

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 いきなり離陸になります。
 R/W34(当時の滑走路は1本)から離陸して、東関東自動車の真上を横切っていきます。
 座席が主翼の付け根のすぐ後だったからちょっと見づらいか。

 機内アナウンスは、KLMだからオランダ語と英語で、「ナリタエアポート」とか、「シベリア」とかいう単語しか聞き取れなかったけれど、その後日本人CAによるアナウンスもあって、ハバロフスク、シベリア上空、サンクト・ペテルブルグ、フォローニンゲンを経由してアムステルダムに向かうと通訳してくれました。

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 離陸後、最初の食事。
 メインはビーフと魚の二者択一で、ビーフを選択。他にサラダ、テリーヌ、チーズ、クラッカー、スィーツはチョコレートムース。
 日本茶のサービスもありました。

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 シベリア上空で、左下に飛行機雲が現れ、だんだん太くなって、ついには旅客機が現れました。
 ロシア国内線だったでしょうか。

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 2度目の食事が案外早めで、1本目と2本目の映画の合間に提供されました。
 2度目もホットミールで、鶏肉とご飯、ブロッコリー、サラダ、パン、ヨーグルト、チョコレートムース。

 到着前にも軽食が振舞われ、ロールサンドかオニギリにカップヌードルまで。

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 862便・B747-400のキャビン。
 通常タイプのB747-400に乗るのは、初めてでした。
(400Dは直前にANA「マリンジャンボ」に乗っていた)

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 アムステルダム到着直前、オランダの町並み。
 整然とした町並みは日本とは大分違って見えました。

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 アムステルダム・スキポール空港到着。
 見た事がない旅客機が多かった。

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 スキポール空港のターミナル。
 この後189便に乗り継いでヘルシンキへ向かいます。
 日本に関わらないフライトも、初の経験です。
 もちろん、日本語が全く通じません。

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 189便が出発する、D31番搭乗口。

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 189便はB737-400。
「Vasco Da Gama」の愛称があります。
 途中エーテボリ経由でヘルシンキに向かいます。
 19時を過ぎて真っ暗なので、この先の外の景色はもう解りません。

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 189便のキャビン。
 他に日本人はいなかったようでした。

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 アムステルダム~エーテボリで提供された食事。
 魚・ハム・ポテトサラダのオードブルとクラッカー。デザート、チーズ。

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 エーテボリ~ヘルシンキでも再度食事が提供されました。
 牛肉・チーズ・野菜の盛り合わせ、サラダ、ミント入りチョコレート。

 ヘルシンキは当然もう真っ暗だったけれど、着陸直前にポツンポツンと見えた街路灯の列が、どうしてだろう、異国の地に来た事を、強烈に感じさせてくれました。
 でも日本の自宅をを出てほぼまる1日、頭が朦朧…。

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 ヘルシンキ・ヴァンター空港の入国審査は割とあっさり。
 おかげで20分後の空港バスに乗れました。
 乗客は自分一人…。

 バスがヘルシンキ中央駅近くのエアターミナルに着いたのは、24時少し前。
 何とかホテルを探し当て、眠りに就いた時には、もう1時を回っていました。
 日本はもう朝7時過ぎのはず…。

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1993年10月22日(土)

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 北欧列車の旅が始まりますが、フィンランド国内に関しては行程が緩く、この日はピエクサマキ・イーサルミ経由の急行1本でオウルに向かうだけ。
 8時過ぎの出発で寝る間もほとんどなく、駅に向かいます。

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 2等車の車内。
 当時は2/3が禁煙、1/3が喫煙とはっきり分けられていました。
 左右で座席の向きが逆になっているのが面白い所。
(転換はできない)

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 食堂車は売店的な営業で、本格的な食事はなく、パンなどをセルフサービスで発売していました。

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 列車の中に子供向けの遊び場があるのが、まず北欧らしい所だと思いました。

 コウヴォラで進行方向が変わり、ELが付け替えられます。

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 マンテュハルユは、まるで公園の中にあるような感じの駅。
 通過していく駅のいくつかは、北海道にある仮乗降場のような感じで、中には土で盛っただけの所も見られました。

 沿線は徐々に雪が増えていきます。
 積もる、というほどではなく、薄っすら地上が白くなっていきます。

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 ピエクサマキ。
 路線が十字に延びて行くジャンクション的な駅で、構内は広いです。

 イーサルミで2両切り離し、ここから非電化となるので、機関車はDLに付け替えられました。

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 カヤーニ駅。

 だんだん車内が空いてきて、外も陽が暮れてきて、灰色の世界になってきました。
 やがて電化された路線が合流して終点のオウル。
 10時間強の旅が終わりました。

 駅前のB&Bに185FIM(フィンランド・マルカ 当時はユーロはなかった)の空室を見つけて投宿。
 寝不足気味で疲れがどっと出て、夕食も食べずに20時前にはさっさと床に就いてしまいました。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 ロシアの航空ではこの所飲酒によるトラブルが後を絶たず、関係当局が規制に乗り出すのだそうです。
 乗客が撮影した動画を放映したロシアのニュースを今朝見ましたけれど、大男達がボカスカ他の客や乗務員を殴って、暴れていました。
 ある大手航空会社(たぶんアエロフロート)では、この手のトラブルが1年半で1000件に上るそう。
 対策として、免税品店で購入したアルコールは全て乗務員に預ける事を義務付ける事が検討されているが、路線によっては乗客ほぼ全員がアルコールを購入しているので、簡単ではないだろうとも。
 小手先でしかないと思いますけれどねぇ。
 何しろロシアは「ウォッカ」の国、国民の年間アルコール消費量が世界第4位の大酒呑みの国だそうだから、対策は容易ではないでしょう。
 でもお酒以外でも、ロシア以外でも、最近は世界各国(特にアメリカ)で機内のトラブルは少なくなさそうです。
 幸い私は、国内外共に旅客機内でこの手のトラブルに出くわした事はありませんが、まあ、お互い気をつけましょう。
 被害者にも、加害者にもならぬよう…。

《今日のニュースから》
ユーロ圏17ヶ国財務省会議 ギリシャ支援の決定を20日に先送り

 ギリシャに限らず、スペインやポルトガルなど、経済が危機的な状況に陥っている国々では、何だか少しずつ人々の心が荒廃しつつあるように見えるのは、気のせいでしょうか?
 TVで見るだけだからそれは一面だけだろ?と言われればその通りなのですが、万一国家財政が完全に破綻と言う結末に陥った時、人心がどんな事態に陥ってしまうのか、心配でなりません。
 解決は容易ではないが、何度も書きますけれど早く穏やかな、私が大好きないつものヨーロッパの姿を取り戻して欲しいと願わずにはいられません。