№837 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 6

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 11月になりました。
 バスでナルヴィクに向かい1泊、翌日はスウェーデンに戻って夜行列車〈ノルトピレン〉でストックホルムに向かいます。

1993年11月 1日(月)

 この日は列車には乗らず、バス1本だけ。

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 7時30分発ナルヴィク行「NOR WAY」バスの便が出るバスターミナルは、ホテルの目の前。
 バスはレイルパスは利用できず、163NOK(ノルウェー・クローネ)。
 7時を回っているのに、曇り空もあって暗いです。

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 ファウスケ駅。
 ボーデーからファウスケまでは前日列車で乗っていて、ここまでは逆行。

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 ここで、トロンヘイムからの夜行列車からの連絡のため30分停車、同じNOR WAYバスのソートラン行、ハーシュタ行のバスと共に、列車の到着を待ちます。
 列車は定刻に着いて、大勢の旅客が3台のバスに分乗していきます。
 ドライバーは切符を切って、車内で改札してと結構忙しそう。

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 ソートラン・ハーシュタ行と共に国道E6号線を行きます。
 とにかく人家が少なかった…。
 途中インハヴェンのハマレイホテルで、20分の休憩停車。
 ホテルのカフェテリアは、3台から降りた大勢の乗客で賑わいます。

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 連続するフィヨルドをトンネルなどでクリアしてきたが、Bognesでついに行き止まりになり、Skabergetまでフェリーにバスごと乗る事になります。
 他2台はヒン島へ渡る別のフェリーに乗り、ここでお別れ。

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 カフェテリアで一息。
 カウンターにいる男性は、バスのドライバーです。

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 Tysフィヨルドを横断。
 外は風が冷たかった…。

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 定刻どおりナルヴィクのバスターミナルに到着。
 ボーデーから約7時間。
 ずっと一人で運転してきたドライバーは、この後の折返しボーデー行でそのまま戻るようです。
 大変な激務だと思いました。

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 ナルヴィクは、スウェーデンのキルナで産出された鉄鉱石等を送り出す港があり、思った以上に大きな街です。

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 街角で見かけた、パフォーマンス。

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 この日はナルヴィクに一泊。郊外のYHに宿泊します。
 そのYHのある地区から眺めた、ナルヴィクの風景。

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 夜になって、ナルヴィク駅にキルナからの貨物列車が到着しました。
 SJのELは3車体、動輪が大きくてロッド式という旧型ですが、新色になっていました。
 暗くて良く解らなかったですが、貨車は30~40両はつないでいるようでした。

 夜になって、イズミさんという日本人が相部屋でやってきました。
 3ヶ月の間、ヨーロッパを旅行して回っているそう。
 ピザをご馳走になりました…。

 翌日はボーデンまで、イズミさんと同じ列車に乗る事になります。

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1993年11月 2日(火)

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 改めて、ナルヴィク駅。
 構内は広いですが、旅客駅としては小ぢんまりしています。

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 ナルヴィク駅は西側ヨーロッパでは最北の鉄道の駅であり、証明書を発行してくれます。

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 9時40分発ルレオ行981列車は、ローカル列車ですが、一応指定券を必要とします。
 列車は荷物車を入れても、客車は4両。
 一方、直前にキルナから到着した貨物は、貨車がなんと53両。
 やはり貨物中心の路線と感じます。

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 2等車のクロスシート。

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 こんな短編成のローカル列車でも、子供の遊び場が設けられていました。

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 アナウンスがあって、汽笛が鳴って出発。
 すぐにぐんぐん高度が上がり、フィヨルドとその向こうに白く高い山々が現れます。
 いきなり凄い眺めと感じました。

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 名前がわからなかったのだけれど、スウェーデンに入る直前には大きなフィヨルドを見ました。

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 ビョルンフェール駅。

 シェルターの中にホームがあるスウェーデンのRiksgeransenで、乗務員がNSBからSJに交代。
 シェルターの外は大雪原で、クロスカントリースキーを楽しむ人の姿も見られました。

 旅客列車とは全然会わないけれど、貨物列車とは何度も離合しました。
 いずれも貨車が52~3両と長大です。
 輸送に関しては、はっきり貨物偏重でしょう。

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 ほぼ中間のキルナ駅。
 ここから産出される鉄鉱石がナルヴィクや、ボスニア湾のルレオに運ばれる訳です。
 鉱山で賑わうためか街自体は大きく、高層ビルも見られます。

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 カイトゥン駅、というか、停留所のような場所です。
 短いホームに小さな待合小屋だけ。

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 イェリヴァレ駅。
 しゃれた感じの駅舎です。
 ここで急に乗客が増えました。

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 ナッタヴァーラもまた、小さなホームの脇に小さな待合小屋があるだけ。
 キルナ、イェリヴァレなど一部を除くと、停車駅はこんな所ばかり。

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 改めてナルヴィク発ルレオ行981列車。
 ノルウェーからの直通ですが、ELも含めて全車両がSJ所属です。
 ELは旧カラー。

 終点間際のボーデンはストックホルムからの幹線と合流、久しぶりに広い構内の駅です。

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 地下通路には、カラフルな鉄道のイラストが描かれていました。
 地元の子供達が描いたのでしょうか。

 ナルヴィクから一緒だったイズミさんとは、ここでお別れ。
 バスとタクシーを乗り継いで、フィンランドに向かうそうです。

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 終点のルレオ駅。
 ナルヴィクから6時間37分かかりました。
 17時を回ってもう真っ暗です。
 当時は営業の駅員がいて、ストックホルム行クシェットの指定券、及び翌日のエーテボリ行X2000の指定券を入手。
 クシェット75SEK。

 ルレオはこの後3年後、そして2009(H21)年3月にも来ていて、一昨年については日中丸まる滞在、隣接する世界遺産「ガンメルスタットの教会村」も訪問しました。
 それについては本体で記しました。
 その時点でルレオ駅は常駐の営業の駅員がいなくなり、自動券売機がおいてあるだけでした。
 ルレオ訪問の予定がある場合、あらかじめ帰りの指定券を確保しておく方が良いかもしれません。

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 ルレオ発ストックホルム行992列車のクシェットの室内。
 木目が印象的で、なかなかステキなインテリアではないでしょうか。
(さすが「IKEA」の国?)

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 ボーデンまで戻って、キルナからの編成と連結。
 食堂車も連結されていました。
 その夕食は、サーモンがおいしかったです。

 クシェット車の通路側の窓を開けると、列車は雪原の中を走っています。
 星空が美しく、加えてELのパンタグラフから放たれる青い火花が幻想的でもありました。

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 リビア内戦の影に隠れていたイスラエルvsパレスチナの争いがここへ来て再びエスカレートしていますが、先ほどイスラエルで路線バスが爆発、かなりの怪我人が出ているという情報です。
 数年前に対立が激化した時には路線バスが何度も自爆テロの標的になり、多くの人々が犠牲となりました。
 もういい加減たくさんです。
 イスラエル・パレスチナ双方とも早く争いをやめて、人々が安心して路線バスに乗れる社会を返してください。
…と叫んでも、どちらも聞く耳持たないんだろうねぇ…。

《今日のニュースから》
大手英会話学校「NOVA」社長 横領の罪で懲役2年の実刑確定

 NOVAは2006(H18)年に経営破綻、一時多くの外国人講師が職を失ってしまいました。
 その後、「自分未来ホールディングス」が引き受け、同社の英会話スクールのブランドとなっています。

№836 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 5

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 この旅のハイライト、列車2本とバスで3日かけて、西側ヨーロッパ最北の駅、ナルヴィクを目指します。
 体調がイマイチで咳が止まらないのが残念でしたが。
 今回も車窓の写真が少なくて申し訳ありません。
 北欧各国はこの後も数年後に散発的に訪れる事になりますので、いずれ車窓も御覧いただけるでしょう。

1993年10月30日(土)

 オスロ中央駅8時ちょうどのトロンヘイム行ET41列車で出発。
 その前に。

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 電車特急「ICE」ですが、この先頭形状、どこかで見たような…と思いませんか?

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「く」の字の形状が、相模鉄道の8000系にそっくりです。
 ICEのほうが角度がきついですが。
 エーテボリへ行く列車を中心に運用されていたようでした。

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 オスロから、トロンヘイムへの時刻表。
 本数はやはり少ないです。
 時刻表も五輪柄。

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 2等車の車内。
 時刻表上では、この列車には食堂車があるはずだったのですが、BARが荷物室との合造で連結されているだけでした。

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 オップダール駅。

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 申し訳ありません!もうトロンヘイム到着です。
 客車はやや幅広と思われる、新型車両でした。

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 トロンヘイム駅。

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 トロンヘイム市内。
 思ったより、大きな街です。
 数年後に初めて知るのですが、この街には軽鉄道も走っていました。
 これも後日御覧頂こうと思います。少々先になりますが…。

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1993年10月31日(日)

 トロンヘイムからボーデーまで直通する列車は、昼夜合わせて1日2往復だけ…。
 アメリカナイズされた、旧型DLが牽引。

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 やはりこの列車にも、遊び場があります。
 遊び場がある車両は、家族専用。

 この列車にも食堂車が連結されているはずなのですが、車内販売の乗務のみでした。残念…。

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 トロンヘイムとステインヒェルの間では、ローカルDC列車がフリークエントサービスが行われています。

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 グロング駅。

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 このグロング駅の前に停車していた、ナムソス行のバス。
 後部が丸まる貨物室になっています。
 北欧では、このようなバスが多く見られます。

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 スヴェニンダル駅。

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 モーイラナ駅。
 ここでかなりの乗客が降りました。
 ステインヒェルから先では、ここが一番大きな駅だったのではないでしょうか。

 この先、ボルナ駅の先で北極圏に入ります。
 しかしまだ16時になるかならないかというのに空はかなり暗くなり、雪原で目を凝らしても、残念ながらそれをあらわすモニュメントは見つかりませんでした。
 雪原が続いて人家は皆無、並行する国道を走る車の明かりがポツン、ポツンと現れるだけ。

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 終点のボーデー駅に到着する頃には、完全に真っ暗。
 くどいですが、秋~冬の北欧は、本当に夜が早いです。

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 ボーデー駅。
 この先NSBだけではナルヴィクにはたどり着けず、バスで北上する事になります。
 今日はボーデーのホテルで1泊、翌朝のバスを待ちます。
 ホテルは事前に予約していましたが、ボーデーは強い雨風になって行くのが大変。
 でも何とか見つけられました。

 ホテルの部屋でCNNを見ていたらJR東日本の株式上場(10月26日)が伝えられていて、一株あたり54万円程度の値がついたと報道されていました。
(今日11月20日の終値は、一株5,390円)

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《今日見た・聞いた・思った事》
 何を今更、と全くお恥ずかしい限りですが、岡山県笠岡市に本社を置いていたバス会社、井笠鉄道が10月一杯でバス事業を撤退、会社そのものも精算の過程にある事を、今日になって初めて知りました。
 井笠鉄道は№810で取り上げたように、笠岡を基点として井原方面に路線を伸ばしていた鉄道で、廃線の後も「鉄道」の名を残しつつ、41年の間バス専業事業者として運営されていました。
 当面は中国バスが「井笠バスカンパニー」として高速バスを含む大半の系統を引き継いでいますが、一部は別の会社が継承。
 また、この措置は来年3月一杯までの暫定的なもののようで、4月以降引き続き中国バスが運行する事になるかは、まだ未確定の部分もあるようです。
 JALの経営問題のように、グローバルな大企業が政治や国論をも揺るがす一大事となればイヤでも連日大騒ぎのニュース報道を見聞きする事になりますが、地方の中小事業者の動静となると、こちらから積極的に、念入りに調べていかないとなかなか情勢が掴めないものです。
 なので当ブログで取り上げるタイミングが、ものすごくズレたりする事が多々起こるかと思いますが、その点はご承知おきください。
 地方のバス問題、本当に何とかいい方向に変わらないものでしょうか?

《今日のニュースから》
日米首脳会談開催 野田首相 TPP事前協議早期開催を提案

№835 思い出の海外旅行クロニクル 2.1993年北欧4ヶ国 4

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 飛び飛びになってしまいましたが、1993(H5)年北欧旅行のクロニクル、続けます。
 マルメからの夜行列車で、ノルウェーのオスロへ向かいました。

1993年10月28日(木)

 当時はスウェーデンとデンマークを隔てるエーレ海峡を越える鉄道の開通がまだで、コペンハーゲンからスウェーデン各地に向かう列車は、ヘルシンゴア(デンマーク)~ヘルシンボリ(スウェーデン)はフェリー航送でした。
(最後半で私も乗ります)
 マルメから出発したオスロ行夜行は、ヘルシンボリでコペンハーゲンからの6両を迎え、複雑な入れ換えを繰り返して、客車10両の堂々とした編成になりました。
 しかしエーテボリでストックホルム行を切り離し、別に1両加えたものの、客車6両となって、オスロへ向かいます。

 ノルウェーに入り、モスで急に乗客が増えました。オスロへの通勤でしょうか。
 そのうちの一人が読んでいた新聞には、ナムソスでウィーデロー航空機が事故を起こしたと伝えていました。
(詳細はちょっと不明です)

 ノルウェー中央駅は少々遅れて到着。
 一息つく間もなく、ベルゲン行き61列車に乗り換え、ソグネフィヨルドを訪ねます。

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 指定券。
 北欧、特にスウェーデンとノルウェーは全体的な列車本数が少ないためか、大半の列車で事前の指定券の確保が必要になります。

 西に向かうに連れて、だんだん景色が荒涼としてきました。

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 オール駅は、島式ホームの真ん中に駅舎があります。

 さらに進むと木々が少なくなり、雪が見られるようになりました。

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 ウスタオーセを過ぎると、木々がほとんどなくなりました。
 こういう光景は見た事がなかったから、驚きの連続です。
 当時はショートカットの新線の工事中でした。

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 ミュルダール駅。
 カール地形の中にある、と言えば、山が好きな人は解るでしょうか。
 ここで降りて、ソグネ・フィヨルドの麓、フロムへ行く支線に乗り換えます。
 駅付近は人家がほとんど、と言うか全く見当たらないのだけれど…。

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 フラム支線はプッシュプルトレイン。
 当時はパス類でもそのまま乗れました。
(今はNSB(Norges Statsbaner)とは別の運営会社になり、パスは割引での乗車。いずれ再び取り上げるでしょう)

 本来は途中、滝がある駅で途中停車して見学してもらうはずなのですが、水の量が少なかったからか、減速するだけで通過でした。

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 終点、フロム駅の前に広がる、ソグネ・フィヨルド。
 湖と錯覚してしまいますが、なめてみるとしょっぱいので、海の続きだとわかります。
 たまに大型クルーズ船も入ってくる事があります。

 今回は列車でそのままミュルダールに戻りますが、9年後の再訪ではここから船とバスでヴォスまで周遊します。
 これもいずれ書くでしょう。

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 ノルウェーでは翌1994(H6)年、リレハンメルで冬期オリンピックが開催されます。
 開催が目前に近づき、NSBの車両の大半に、オリンピックの装飾が施されていました。

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 ミュルダールからベルゲンに向かう急行の食堂車。

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 ベルゲン駅についた時には、もう夜になってしまいました。
 とにかく北欧の秋~冬は夜が早くって。

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 そのホーム。

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 オスロへの帰りは、ここでも夜行列車。
 2段式寝台2両・3段式寝台3両・2等座席車3両、それにサロンカー。
 ただし、座席車からサロンカーへ行く事は出来ませんでした。寝台客専用?

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 座席車の車内。
 深くリクライニングして、良く眠れそうです。

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1993年10月29日(金)

 途中ミュルダールを出発する所とか、他のどこかの駅で長い間停車していた事は覚えていました。
 街の明かりが美しかったドランマンで、東の空が赤みを帯びてきました。

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 夜明けのオスロ中央駅。
 ガスが出ていて、外に出るとものすごく寒い…。

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 中央駅構内の、コンコース。

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 小型のSLが1台、静態保存されていました。

 ところで、たまたま手にした地元の新聞のスポーツ面には、当時行われていたサッカーW杯(1994年アメリカ大会)の各地域の試合のスコアが記されていて、日本対イラクも掲載されていました。
 2対2の引き分けに終わって日本の大会進出はならなかったのですが、同点にしたイラクの選手の名前の横の数字が「90」だったのには、唖然…。

 ドーハの悲劇…!

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 ガスはすぐに消えて、青空が広がりました。
 オスロ中央駅のホーム。

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 ホームに停車中の列車ですが、どこへ行く列車だったかな?
 機関車にも五輪の装飾が施されています。

 今日は1日かけて、市内交通を乗り歩きます。

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 24時間乗車券は35NOK(ノルウェー・クローネ)。

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 ノルウェー市電の、当時としては新型。

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 その車内。

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 単車の旧型で、2連で運行される事もあります。
 旧型にはこの他にもいくつか別のタイプがあるようでした。

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 昔の市電の写真の絵ハガキ。

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 郊外電車「Tバーン」でも、15系統は相当年代物の車両が使われていました。
(1951(S26)年製だそう)

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 その車内。

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 この路線はホルメンコッレンを経由して、北部の郊外フロッグナーズタレンへ行く路線。
 急坂を登っていくので、だんだん見晴らしが良くなります。
 終点フロッグナーズタレンは標高469メートル?相当上った事になります。

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 こちらは14系統の電車でやや新型。
 メジャーストゥーアン駅で撮ったのですが、注意したいのは、普通の架線と、第三軌条が混在している事。
 具体的な事は解らなかったですが、Tバーンでは架線集電と第三軌条集電の系統が混在し、中心部の地下線では両方を併用しているようでした。

 Tバーンは地下鉄という言い方もされるようですが、地下区間はあまり長くはなく、たぶん郊外をターミナルとした各鉄道を中心部まで直通させるために、両方式併用の地下線を建設したのではないか、そう見ています。
(神戸高速鉄道的な性格か)
 一部の系統の郊外では市電とレールを共用、広電宮島線のような高低両方あるホームの駅も見られました。

 この晩は4日ぶりに、地上のホテルに宿泊。
 ところが少々体調を崩したようで咳が止まらず、夜中に一度目が覚めてしまいました。
 翌日からは鉄道2本とバスを乗り継ぎ、3日かけてナルヴィクに向かう、ノルウェーにおけるハイライト、だと言うのに。 

 当ブログでは、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 なお、当ブログに寄れない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。

《今日のニュースから》
JR大船渡線BRT仮復旧工事 線路撤去作業開始