№749で、藤沢市の人口が横須賀市を抜き、神奈川県では4番目、政令指定都市(横浜市・川崎市・相模原市)以外ではトップになったと書きました。
一方、抜かれた横須賀市の方は今後も人口の減少が続き、2021(H33)年度には、人口が40万人を割る見込みだと伝えられています。
それでも横須賀市が、神奈川県でも有数の大都市である事は間違いありません。
では、横須賀市の大動脈として機能する京急線のダイヤは、どのような変遷をたどってきたのだろう?
今回は京急線の駅から、横須賀市の代表駅・横須賀中央駅を選び、本当に簡単ですが、改めて京急線のダイヤを振り返ってみたいと思います。
京急では大体1年に1度は大小程度の差はあれ改正を行っているのですが、その中からある程度重要と思われる改正時刻をピックアップします。
京急では当然品川・横浜を中心とした北部の区間の方が変化が大きい上、特に1990年代後半からは相互直通先の京成・北総線の動向がダイヤ編成上無視できなくなってくるのですが、あまりにも煩雑なので、一応、原則横須賀中央駅目線で記してみます。
横須賀中央駅は、駅そのものは相対式の8連対応ホームがカーブ状で向き合うという、案外シンプルな中間駅でもあります。
また駅前は京浜急行バスが頻繁に行き交いますが、こちらもバスターミナルが存在せず、隣接する路上に乗場が分散する形態になっています。
(むしろバスのターミナルとしては、JR横須賀線の横須賀駅の方が機能している)
とはいえ一日の乗降客は約67,000人、京急全体で第7位と、横浜や京急川崎などと並ぶ代表的な駅である事は間違いありません。
1985(S60)年11月19日改正
手元にあるものでは、一番古い時刻表です(当時土曜日は平日ダイヤで運行)。
当時の京急は快特(当時は快速特急・特急・急行・普通の4本立てでしたが、急行は逗子線に直通するので横須賀市内には入らず、横須賀中央では実質3本立て。
当時の輸送の主力は特急と言え、快特とほぼ交互に運行されていました。
快特は当然クロスシート(当時)の2000形が中心でしたが、当時は旧600形(「湘南窓」の2ドアボックスシート車)もまだ残っていたようです。
運転区間は品川~久里浜間でほぼ固定、通常は1往復だけ三崎口まで延長されていました。
特急1往復とともに<マリンパーク>号の名前があります。
春・秋の行楽シーズンの休日には三崎口延長運転も行われていました。
当時の日中の快特は、品川~横須賀中央間最速43分。
また、朝ラッシュ時には通勤特急が設定されています。
金沢文庫までは特急、その先は快特の停車駅というハーフ。
横須賀中央→品川間は最速56分ですが、1時間を越える列車もありました。
それから当時は三浦海岸の海水浴が盛んで、7~8月には「海水浴ダイヤ」が制定されていたものです。
平日には座席定員制の列車があり、休日には三浦海岸行快特の10分間隔運転が行われていました。
(シーズン毎に、ホームに運行を告知する看板が掲げられていたのを覚えておられる方も多いでしょう)
1988(S63)年4月16日改正
日中の普通電車の半分は、浦賀→久里浜発着に変更されました。
(堀ノ内で区間運転の浦賀行に接続)
20分間隔の特急のみ停車だった新大津・北久里浜両駅の乗車機会向上のためです。
南太田駅に待避線が設けられましたが、上り朝方に関しては輸送力増強がメイン(金沢文庫→横浜間の特急3本を増発)になり、所要時間の短縮はそれ程ありません。
下りの夕方は、品川から快特で4分程短縮になっています。
1991(H3)年3月19日改正は、京成線の成田空港ターミナル新線及び北総開発鉄道(京成高砂~新鎌ヶ谷・31日)開業によるもので、京急線内に関してはパターンの変化もほとんどなく、比較的静かでした。
特筆されるのは、平日夜間に京成成田行特急が設定され、この列車を含む1往復に京成の編成(主に3700形)が運用されていた事です。
1950K 京成高砂19:09 → (横須賀中央20:39) → 21:06三崎口
(京成高砂→押上間 普通)
2151K 三崎口21:17 → (横須賀中央21:41) → 23:57京成成田
(品川→京成成田間 通勤特急)
なお、この改正の直前の1月16日より、空港線の穴守稲荷~(旧)羽田空港間が、工事(空港新ターミナル新駅延伸のための地下線化)のため営業を休止、バス代行になっています。
1992(H4)年4月16日改正
平日の帰宅時間帯に座席定員制の<京急ウイング>が8本設定されました。
品川~上大岡間ノンストップで、品川乗車時に200円の着席整理券を必要とします。
快特も増発された上、深夜には最終の特急が繰り下げられています。
普通の最終の後の設定です。
1994(H6)年4月2日の改正より、土曜日は休日と統合されました。
(月曜日~金曜日の改正は25日)
空港線羽田(現天空橋)駅が開業し、日中を中心に品川から直通運転が行われています。
東京モノレールへの乗り換えが必要ですが、ここから京急の羽田空港アクセス輸送が本格的に始まる事になります。
<京急ウイング>の3本が三崎口へ延伸しています。
京急久里浜から先が、各駅停車になりました。
生麦駅に下り待避線が設けられ、夕方ラッシュ時の<京急ウイング>や快特・特急の所要時間が若干短縮されています。
1995(H7)年8月21日改正では、通勤特急と、平日のみ下り夕方の快特が京急蒲田に停車。
この直前の4月1日より、品川~横浜間で快特の120㎞/h運転が始まっていて、これを踏まえ、日中の品川~横浜間で所要時間が17→15分に短縮されています。
1996(H4)年7月20日改正
日中の京急久里浜~三崎口間の増発が行われました。
平日は普通、土休日は快特が久里浜から延伸。
快特はこの時点で久里浜から先は各駅停車になっています。
普通電車が三崎口まで運行されるのは、開業以来あまり例がなかったようです。
(久里浜線内の区間運転は、通過駅がなくても特急の扱い)
この他<京急ウイング>を2本、深夜帯にも特急を2本増発しています。
なお、快特10分間隔運転の「海水浴ダイヤ」は、この改正を持って終了しました。
1997(H9)年10月4日改正では、金沢文庫からの特急12連運転が品川まで拡大されました。
(快特は既に実施)
横須賀中央駅目線では大きな変化はなかったものの、朝方に特急(上り)・快特(下り)が増発されています。
急行からの格下げで普通電車が増発された影響か、横浜終着の普通電車が設定されています。
1998(H10)年11月18日改正
いよいよ空港線が、羽田空港(現羽田空港国内線ターミナル)駅まで延伸しました。
「エアポート快特」「エアポート特急」の設定など、本格的な空港アクセスダイヤが指向されるようになります。
これに対応して快特は全列車が京急蒲田に停車、さらに平日日中も三崎口まで運行されるようになりました。
普通は再び京急久里浜折返しに戻っています。
なお、土休日の早朝に、初めて北総線・印西牧の原行の特急が設定されています。
京成車による京成成田行の設定は1995(H7)年改正でなくなっていたものの、この頃から相互直通運転の広域化が進む事になります。
運用の都合による部分が大きいでしょうが…。
次の1999(H11)年7月31日改正では、画期的な変化が訪れる事になりますが、それは次回。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
遠隔操作ウィルスに感染したパソコンから犯行予告が出され、4人が逮捕された事件は、結局全て誤認とされて、関係する警視庁や各府県本部が謝罪した事でほぼ一件落着する事になりました。
この4人の内の1人はアニメの演出家で、№538で取り上げた「プラネテス」(アニメ版)など人気の作品に多数参加していたので、より大きな騒ぎになってしまいました。
もちろん警察・検察の捜査のあり方が一番の問題で、もっときちんとやって下さいよ、と声を荒げる事になるのですが、一方で「遠隔操作ウィルス」なるものが市中のネットの世界に出回っているとなると、これはこれで、ではネットユーザーの立場ではどう防衛すべきなのか、という問題にもなるかと思います。
例えば宛名不明のメールに添付されているファイルがウィルスに感染しているのは常識、というのは以前から言われている事です。
私はITオンチだからあれこれ思いついたりは出来ないのですが、とりあえずネット上の不審なリンクはクリックしない、怪しいメールは開いたりせず即削除、といったあたりでしょうか。
今後も同じような事態が起こる可能性も大きく、メディアの方も、もう少しこっちの方をついて欲しいのですが…。
《今日のニュースから》
韓国の国会議員ら15人 竹島に上陸