№812 「東急線路線案内」から振り返る 東急の路線とダイヤの変遷

 №783及び№784では、東急東横線の渋谷駅の時刻表を基にして、東横線のダイヤの変遷をたどってみました。
 では、東急電鉄の全線ではどんな流れだったのだろう?
 ここでは車内のドア上に掲げられている、「東急線路線案内」から、東急電鉄の路線とダイヤを、本当に簡単にですが振り返ってみようと思います。

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 手持ちで一番古いのはこれ。
 具体的な年代が不明なのは申し訳ありませんが、1990年代前半のはずです。
 目黒~多摩川園~蒲田が目蒲線として、一体で運行されていました。
 渋谷~二子玉川園はまだ新玉川線。
 また、こどもの国線はこどもの国協会保有だった頃で、来園客の足という位置づけ。
 恩田駅がまだありませんでした。
 優等列車は東横線と新玉川・田園都市線に急行があるだけ。
 東横線の急行は多摩川園、田園都市線の急行はあざみ野がまだ通過でした。
 多摩川園は多摩川、二子玉川園は二子玉川。
 どちらも、昔存在した遊園地の名残りの駅名でした。

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 2000(H12)年8月6日改正時で、色々大きな動きがありました。
 目蒲線は多摩川で系統を分断、目黒側は目黒線と改称、営団南北線及び都営三田線と相互直通を開始した上、田園調布から東横線の複々線に乗り入れ、武蔵小杉まで直通するようになりました。
 蒲田側は東急多摩川線と改称し、折返し運転を実施(車両は池上線と共用)。
 同時に東横線の急行が多摩川に停車。
 新玉川線は田園都市線と名称が一本化されました。
 これに先立つ3月29日には、こどもの国線が横浜高速鉄道の保有になって通勤線化、恩田駅が開業しています。

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 2001(H13)年3月28日改正時。
 東横線で特急の運行が始まりました。
 当初は中目黒は通過。
 目黒線では、この日開業の埼玉高速鉄道が南北線と相互直通運転を開始、東急の電車も乗り入れるようになりました。

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 2003(H15)年3月19日改正時です。
 東横線に通勤特急が設定された他、特急も中目黒停車になりました。
 田園都市線では、相互直通先の営団半蔵門線が押上まで延伸して東武伊勢崎・日光線の南栗橋まで相互直通を開始、田園都市線電車も東武に乗り入れ、逆に東武の電車が田園都市線で見られるようになりました。
 これに先立つ2002(H14)年3月28日には、田園都市線の急行があざみ野停車になっています。
 東急以外では、りんかい線が大井町経由で大崎に到達、JR埼京線と相互直通運転を開始しています。

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 いよいよ2004(H16)年2月1日。
 東横線の横浜~桜木町が1月30日をもって廃止。
 2日後のこの日から、新規に開業した横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転を開始する事になります。
 会社は異なるものの、ほとんど一体の運行になり、路線案内もこの先は「東急線・みなとみらい線路線案内」と称する事になります。

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 2007(H19)年4月5日改正時です。
 田園都市線ではラッシュ対策のため、平日ダイヤの朝方上りの急行を準急に変更、二子玉川→渋谷新玉川線区間)は全列車が各駅に停車する平行ダイヤとしてます。
 これより先の2006(H18)年9月25日には、目黒線で急行の運転が始まりました。
 地下化がなった武蔵小山で、急行の追い抜きが行われています。
 東急以外では、半蔵門線の相互直通運転先に、東武伊勢崎線の久喜が加わっています。

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 2008(H20)年は、2回に分かれました。
 まず3月28日には、大井町線内でも急行の運転が始まりました。
 旗の台と、上りのみ上野毛で急行の追い抜きが行われています。
 東急以外では、横浜市営地下鉄グリーンラインが開業。

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 間隔が短いですが、6月22日に再度変更がありました。
 目黒線が日吉まで延伸しています。
 この直前の6月14日には、メトロ副都心線が開業しました。
 渋谷駅は相互直通の先取りで、東急電鉄に管理が委託されています。

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 そしてこれが(東急としては)最新の2009(H21)年7月11日改正時です。
 大井町線が田園都市線の複々線に乗り入れる形で、溝口まで延伸しました。
 二子新地・高津両駅は、大井町線の線路にホームがなく、各駅停車でも日中の半数以外はほとんど通過です。
 この翌年には、JR横須賀線・湘南新宿ラインの武蔵小杉駅が開業、東急と接続します。
 といっても、全く別の駅と言い切って良いほど遠く離れているのですが。

 以上、本当に簡単ですが、「路線案内」から東急のダイヤの変遷をたどってみました。
「路線案内」はいずれも車内に掲載されているものを撮影しているので、見づらい部分があるのはご了承ください。
 全体的な流れとして、2大本線の東横線・田園都市線はいずれもこれ以上輸送力の大幅な状況が不可能であり(渋谷からの複々線化はまず無理)、支線的な存在だったはずの目黒線や大井町線の増強で旅客を分散させる方策が、この路線案内からも見て取れるようです。

 さて、東横線と副都心線の相互直通運転開始が迫ってきましたが、今日はこれに加えてもう一つニュースがありました。
 かねてより計画されていた、日吉~新横浜~羽沢の「相鉄・東急直通線」の工事が認可を受けたという事です。
 相模鉄道は既にJR線との相互直通のための連絡線を西谷~羽沢で建設中ですが、これをさらに新横浜経由で日吉まで延伸するものです。
 計画では鉄道建設・運輸施設整備支援機構が整備(新横浜を境にして羽沢側は相鉄、日吉側は東急が建設)、これを東急・相鉄の2社が使用して直通運転を行うもので、恐らく両社は、線路を保有する第3種鉄道事業者から施設を借り受けて営業する第2種鉄道事業者となるものと思われます。
 途中駅は新横浜と新綱島に設けられ、新横浜を境にして両社が相互直通運転を行う形になるでしょう。
 新横浜はJRの駅前を走る環状2号線、新綱島は東横線綱島駅のそばを走る綱島街道の、いずれも地下に設けられるはずです。
 日吉から先の東急線の相互直通先はたぶん目黒線、これが完成すると、埼玉高速~南北線(及び三田線)~目黒線~相鉄(たぶんいずみ野線)という、昔にはとても考えられなかった鉄道の大動脈が実現する事になります。
 といっても着工はまだ先、完成までは10年程度かかってしまうだろうけれど(一応2019(H31)年3月までが事業予定期間になっているが)、その時には目黒線のみならず、東急全体がどのように変わり、「路線案内」がどう記されている事でしょうか。
 気長に待つ事にしましょうか。

 今回の記事は
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄06 東京急行電鉄1」「同07 東京急行電鉄2・相模鉄道」
(朝日新聞出版)

を参考にさせて頂きました。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 明日・明後日の更新はお休みします。
 ただ「鉄道フェスティバル」は、両日とも仕事なので行けません…。

《今日のニュースから》
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