№819 思い出の海外旅行クロニクル 1.1992年ヨーロッパ「入門編」 2

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 パリ発のTGVから国境のイルンで夜行に乗り継ぎ、マドリードに向かいます。
 この年のスペインはバルセロナの五輪、セビリアの万博と、国中がヒートアップ年でもありました。
 20年後の悲惨な状況は、想像も出来なかった…。

1992年10月18日(日)

 最初はAVEでセビリア往復も考えていたような気もするが、結局乗りませんでした。
 開業したばかりで本数が少なく、チケットが入手できなかったのかも知れない。
 この日はマドリード近郊を巡っていました。

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 この近郊電車は、当時としては最新型だったと思います。

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 ですが、シートがプラスチック製で、まるでベンチ…。

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 マドリードの南に位置するアランフェスの駅。
 コルドバ・アルメニア等に通じる幹線の途上にあります。

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 アランフェス駅に停車中の「特急」電車。
 当時のスペインには、このような3両ユニットの電車が多くありました。

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 トレド駅。
 世界遺産への玄関口となる駅だが、当時はダイヤが貧弱で、マドリードからの近郊電車が日に数往復乗り入れるだけ(アランフェス経由)でした。
 路線の乗り心地も酷かったような記憶があります。
(現在はマドリード・アトーチャ駅から直行らしい)

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 駅舎自体見所なのだが、乗客は少なかったです。
 トレドへの観光客は、観光バスが中心なのでしょう。
 この時点では、トレド市街地には行きませんでした。
 6年後にまた訪れる事になるが、それは別の機会に書きます。

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 旧型の近郊電車も、現役バリバリでした。

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 マドリードのアトーチャ駅。
 セビリアに向かうAVEの始発駅。

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 アトーチャ駅のAVE専用ホーム。

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 こちらはチャマルティン駅で撮影した、電気機関車。
 日本のEF60に良く似ています。
(ただしこちらはB-BのD級)
 スペインではEF66そっくりのELが有名なのだが、こちらは見かけませんでした。

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 マドリードの地下鉄。
 いくつかの路線で共用になっています。

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 地下鉄の別の路線の車両。

 この晩はマドリードからバルセロナまで、またも夜行で移動。
 この時はクシェット(日本のB寝台に相当)利用でした。

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 食堂車も連結されていて、しかもオールナイト営業でした。

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1992年10月19日(月)

 バルセロナからは〈カタラン・タルゴ〉に乗る。
 当時はフランスをスルーし、一気にスイスのジュネーヴへ向かう長距離直通特急(EC)でした。

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 バルセロナの地下鉄。

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 話には聞いていた、有名な聖家族教会「サグラダ・ファミリア」。
 やぐらクレーンが囲んでいて、延々と工事中である事が伝わってくる。

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〈カタラン・タルゴ〉が出発するのはサンツ駅ではなく、フランサ駅の方。
 五輪に合わせて大改装されたばかりでした。

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 構内はドームで広い。
 いかにも欧州の終着駅のムードが漂います。
 ただし町外れにあるからか発着する列車は少なく、長距離は〈カタラン・タルゴ〉を初め、ごくわずかだったようだ。

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〈カタラン・タルゴ〉の指定券。

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 2等車の車内。
 当時としても、かなり古めかしくなっていました。

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 食堂車は車体が小さいので1両が丸まる厨房、もう1両がダイニングの2両ユニットになっています。

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 ランチは、〈北斗星〉のディナーのような予約制でした。
 まず前菜。生ハムがメロンの上。

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 メインディッシュ。ほうれん草のクリーム和え、という所?

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 ヨーロッパの食事では、チーズが欠かせない。
 色々な種類があるものです。

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 スペイン側の国境の町、ポルト・ボゥ。
 ここと、フランス側のセルベールの間で、軌間を変更(1,658㎜→1,435㎜)します。

 この後フランス側はペルピニャン~アヴィニョン~グルノーブルと経由してジュネーヴに向かいます。
 ところがどうしたことか、フランス側の車窓の写真が全く見つかりませんでした。
 そんなにフィルム代をケチッていたのかなあ。
 アルプスはもう夜になっていた、という事もあったと思うが。

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 ジュネーヴはスイス国鉄(CFF)のコルナヴァン駅構内にフランス国鉄(SNCF)が乗り入れる形になり、ホームに入国審査がありました。
 確かパスポートを見せるだけだったと思うけれど。
 今はどうなっているのだろう?

〈カタラン・タルゴ〉はこの直後、モンペリエで系統が分断され、モンペリエ~ジュネーヴはTGVに置き換えられました。
(リヨン経由に変更)
 バルセロナ~モンペリエはその後も延々走り続け、18年経った後もペルピニャンで見かけて驚いた、と№386で書いています。
 しかし現在は国境越えの高速路線の開業もあってかついに廃止になり、このルートではさらにフィゲーラスでもTGVに乗り継ぐ必要があります。

 この晩はコルナヴァン駅前にホテルを見つけて投宿。
 初めてなのにムチャするなー。
 次回はスイスです。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

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《今日見た・聞いた・思ったこと》
 冒頭で「20年後の悲惨な状況は想像できなかった」と書きました。
 今回はちょうどカタルーニャ州のバルセロナを経由した所を書きましたが、そのカタルーニャ州では今、スペインからの分離・独立の機運が高まっているのだそうです。
 州政府は住民投票の実施を予定しており、もしスペイン政府が阻止しようとするなら、EU内の司法裁判所に提訴する構えという事です。
 カタルーニャ州はスペインで最も経済力がある州で、要は財政危機の中、どうして他の州の面倒を見なくちゃならないのよ、という事のようです。
 スペインではカタルーニャの他にも北部のバスク州もかなり昔から分離・独立を求める運動が盛んで(一時はテロも頻発していた)、よその国の事は解らんけれど、地方の自治意識の高さは、日本とは比べ物にならないのは間違いないです。
 もっともこの経済危機でスペインではドイツやアフリカ諸国など他国への人材の流出が相次いでいて、カタルーニャ州も例外ではないそう。
 いくら「独立」と息巻いても、国を支える人材がいなかったら、国は成り立たないだろうに。

 開業は3年後、2015(H27)年末としています。
《今日のニュースから》
JR東海「名古屋駅新ビル」 起工式

№818 思い出の海外旅行クロニクル 1.1992年ヨーロッパ「入門編」 1

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 実は今日10月16日は、私が初めての海外旅行に出発して、ちょうど20年になります。
 20代半ばとは、今の感覚からしたら、かなり遅い方だと思います。
 これを始まりとして、この先年に1~多い時で3回、海外に出かけるようになりました。
 当ブログがスタートする、2009(H21)年8月16日より前では、遠近含めて合計29回、海外に出ています。
 全然金持ちじゃないですが、他の娯楽に費やすコストが人よりはるかに少ない分、(国内も含めて)旅行に当てられるのかも知れません。
 はっきり言って、昔は今より収入も多かったし。

 海外旅行だとメモもある程度詳しく記してはいますが、20年ともなると情勢も大きく変わるし、記憶が風化してしまっている部分も多々あります。
 なので個人的な「防忘録」になる部分が大ですが、新シリーズとして、今月から月に1回ずつ、過去の海外旅行について振り返ってみる事にします。
 大半が乗り物(特に鉄道)なので、観光的な部分を期待される方はガッカリさせる部分大だと思いますが、その点はゴメンナサイ。
 全て取り上げるには最低3年近くはかかるでしょうが、気長に御覧頂ければと思います。

 初めての海外旅行先として選んだのは … やはりヨーロッパでした。
 鉄道が発達しているし、先進国なら言葉がほとんど出来なくても何とかやれるかな、とも考えたので。
 入門的に、フランス・パリを起点にスペイン→スイス→ドイツとまわって、またパリに戻ってくるコースになりました。
 もちろんTGVとICEも組み込んでいます。
(AVEは今回は乗らなかった。ユーロスターは開業前)
 なお「メモをとっている」と書きましたが、この旅行に関してはメモを探してみたのですが見当たらなかったので、写真を参考に、何とか記憶をたぐりよせてテキストを記す事にします。
 かなりあいまいになっている部分がありますが、ご勘弁。

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1992年10月16日(金)

 パリまでの往復はJAL利用。
 初めての国際線、初めてのJAL、初めてのジャンボジェット。
 当時の成田は、第2ターミナルがまだオープン前でした。

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 その第1ターミナルの15番搭乗口。
 当時としても古めかしいです。

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 405便のキャビン。
 当時のパリ線はまだB747でも、最後の「クラシック」、300型でした。

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 出発後の機内食。

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 到着前の機内食だが、クロワッサンと寿司とは、随分チャンポンな組み合わせ。
 当時は長距離路線でも、2食目はコールドミールしか出せませんでいた。

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 アムール川を横切り、シベリア上空を西へ向かいます。
 それにしても今からすると、フライト中の写真の数が全然少ない。
 私的に当時はまだ旅客機は趣味の対象ではなく、単なるヨーロッパへの足に過ぎないという感覚だったはずでした。
 しかし、このフライトは、旅客機の趣味にのめりこむきっかけとなりました。
 機内サービスなどもあるのだろうが、窓から眺める、地上からでは絶対に味わえない雄大な光景に魅せられた部分が大きいです。
(本格的には、翌年のANA「マリンジャンボ」就航後になるが)

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 半日かかってパリのシャルル・ド・ゴール空港に着きました。
 当時はJALも第1ターミナル発着でした。

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 第1ターミナルからパリ市内へRERで行くには、ロワシー駅までバスで移動する必要がありました。
(今は新交通システム「CDG VAL」があるが、乗換えが必要なのは変わらない)
 確か当時のRERは、第2ターミナルまでは開通していなかったと思います。
 しかしこの電車、20年経っても変わらないなあ。

 海外最初の夜は、エスト駅近くのホテルに投宿。
 それにしても、初めて海外に足を踏み入れたにしては、思った以上にスムースに事を運べたものだと、今でも思います。
 別に英語もフランス語も勉強していた訳ではなかったですが、何とかなるものです。

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1992年10月17日(土)

 午後のTGVアトランティックでスペイン方面に向かう事にして、午前中はパリの地下鉄やバスなどを乗り歩いていた。

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 エスト駅。

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 ノール駅。
 エストもノールも駅舎そのものは、昔も今も変わりません。

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 メトロ。
 どの路線だったかは忘れてしまいました。ゴメンナサイ。
 旧塗装。
 パリのメトロはゴムタイヤ式が多いが、この路線は普通の鉄輪式。

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 RATPの市内バス。
 当時はまだ日本にはなかったノンステップ車。
 ルノー?

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 その車内。
 やはりヨーロッパのバスは、早くからモダンなのでした。
 天井に運行路線図があり、系統を固定して運用している事が伺えます。

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 凱旋門。

 モンパルナス駅の近くでSNCFの列車を撮れるポジションを見つけたので、数枚撮影してみました。
(一番上のTGVアトランティックも同じ)

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 近郊列車。

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 ダブルデッカーの近郊列車。
 上の2枚は「プッシュプルトレイン」。
 今のフランスはボンバルディアの新型EC・DCが相当普及しているようだから少なくなったと思うが、当時は「プッシュプルトレイン」も全国各地で見られました。

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 近郊電車。
 ステンレス製。

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 近郊電車で、こちらは4ドア。
 このタイプ、一昨年(2010(H22)年11月の時点ではいまだ健在である事は、№388で書きました。

 モンパルナス駅15時55分発のTGVアトランティックでスペインのイルンに向かい、夜行に乗り継いでマドリードに向かいます。

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 始発駅のモンパルナス駅。
 パリ市内の6大ターミナル駅では唯一の、近代的な駅ビル。

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 TGVの指定券。
「2等車」「17号車」「座席番号48」。

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 2等車車内。
 更新前。
 この列車はボルドーまで約3時間の間ノンストップだったはずだが、このシートではかなり窮屈に感じられました。

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 夕食で食べた、BARの食事。
 内容的には、こちらも昔も今もあまり変わらないものだなあ。

 車窓の写真は全然撮っていませんでした。
 今では全然考えられない事ですが、フィルム代をケチッていたのかなあ。
 この後も、車窓の写真がほとんど出てきませんが、あらかじめご承知おきください。
 我ながらもったいない。

 イルンは国境からスペイン側に抜けた所。
 ザンザ振りの雨の中、マドリード行の夜行(座席だった)に乗り換える。
(現在はこの区間の直行の夜行はなく、バリャドリッドで乗り換える必要がある)

 次回はスペインです。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

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《今日見た・聞いた・思ったこと》
 京急・京成・都営浅草線・北総線のダイヤ改正が次の日曜日に迫ってきましたが、それを前に時刻表が発売になりました。
 このブログを御覧の方は特に京急線のダイヤに関心を持たれる方が多いようで、京急線のダイヤについて取り上げると、アクセス数がいつもより多くなります。
 今回の改正についてはプレス発表を基に2回書きましたが、今回購入した時刻表から、リリースでは出なかった、趣味的に興味深いだろう部分を少し記してみます。

① 休日は、快特の12連運転が完全になくなる。
(土曜日の朝方の12連運転は残る)
② 横浜方面「エアポート急行」は、上下とも京急蒲田~上大岡で快特から逃げ切り。
 このため普通電車の日中の南太田退避が復活する。
③ 横浜方面~スカイアクセス線直通は、
 成田空港行は平日は1本、土休日は2本増。
 平日は快特→アクセス特急。
 成田空港発は、平日は1本減、残り1本は久里浜行に変更。
 土休日は朝方に久里浜行1本を設定。
④ 蒲田での本線の退避が発生。
 平日ダイヤのみで、下りは7~9時台の11本と19時台の4本、上りは7~9時台の13本。
⑤ 土休日は京成車の「北総快特」運用がある。
 羽田空港発1279K・1679K・1979K、羽田空港行1178K・1478K。
 平日は京急車の「北総快特」運用はない。
⑥ 京急蒲田折返しの普通は、運用番号から推定すると京急蒲田の「折返し」時間が異常に長いので、京急川崎あたりまで回送するのだろう。
 4連の限定運用と思われる。
⑦ 京急蒲田始発→品川行特急の設定あり。
 601C 京急蒲田6:28 → 6:37品川
⑧ 逸見退避は平日の朝方上りのみになる。

「ソラシドエア」運行のスカイネット・アジア航空(SNA。国土交通省のリリースでは「SNJ」になっているが?)が、機長が航空日誌へのサインを失念し、国道交通省より厳重注意を受けました。
 後で気付いたものの、整備士と打ち合わせて整備士が署名していたという事です。
 SNAでは3年前にも同じような事案で厳重注意を受けながら、同じような事が6回も起こっているそうです。
 航空の現場の事は解りませんが、個々の関係者の注意力不足もあるのでしょうが、署名をさせるまでのマニュアル的な部分に根本的な欠陥があるように思われました。
 直接運航を危機にさらす事態とも思いませんが、これ積み重なると重大なアクシデントにつながるので、早急な改善が求められます。

 前にも試合中に同じようにヤジられているからなあ。
 ヨーロッパの、特に公共メディアは、日本よりはるかに人権に敏感だと思うのですが、違っていたのでしょうか。
 人の事より、「レ・ブルー」のふがいなさについて、なんとか言いなさいよ。
《今日のニュースから》
フランス2の川島永嗣選手への不適切発言 日本大使館が抗議

№817 もう一度 「Skylight」と仙石原

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 箱根登山バスでは、2008(H20)年より、ユネッサン(小涌園)・強羅~湿生花園間の「観光施設巡りバス」に、天窓つきのレトロ調バス「Skylight」と、その廉価版といえる「Skylight Ⅱ」を運行しています。
 2年前には箱根まで行って、その両者を撮ってきました。
 №343で書きましたが、あの時は午後から曇り空になり、赤・青・緑ある「Skylight」の内の青色は撮れず、仙石原のススキの原もイマイチになってしまいました。
 あれから約2年経った先日の8日(体育の日)、再び「Skylight」とススキの原の撮影にチャレンジすべく、箱根・仙石原に行ってきました。
 混雑には多少閉口はしたものの … 3連休だから致し方なし … 終始青空だったのはGoodでした。

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 今回は仙石へ直行なので、小田原から直接箱根登山バスの桃源台行に乗車。

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 車内は観光客やハイカーで賑わっていました。
 渋滞が心配だったのだけれど、山崎で少々滞った以外は、ほぼスムースに走れました。

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 風祭でロマンスカーLSE(〈はこね2号〉)との出会い。

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 湯本の温泉街を過ぎると、山道。右に左に、大型車としてはきついカーブを切りながら、どんどん山を登っていきます。
 青空がめいいっぱい広がって、緑の山々と良いコントラストです。
 仙石原小学校で、今日のターゲットの「Skylight」のブルーカラー(B153)と出くわしてしまいました。
 まあ仙石案内所まで乗ると最初から決めていた事だし、休日に「Skylight」がこの後お休みになる事もあるまいと思って、じっくり待つ事にしましょう。

 湿生花園は、仙石案内所から歩いても10分程度で行けます。

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 湿生花園のバス停に並ぶ「Skylight」と、「Skylight Ⅱ」。

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 ところで「Ⅱ」の方は回送で姿を見せたのですが、(ちょっと切れてしまって解りづらいですが)左側に「開業100周年」の表示が入っていました。
 側面・リアにも入っていました。

 ラリック美術館バス停近くに移動して待ちます。

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「SkylightⅡ」ですが、今年になってからの新車(SDG-KR290J1・B201号車)です。
 少なくとも2台存在します。

 10時30分頃から、少々遅れが目立ち始めてきました。
 この付近はそうでもないのだけれど、強羅の方は渋滞も起きているのだろうか。
 なかなか「Skylight」のブルーが来ないね、と思っていましたが、11時を過ぎたら2台連続でやってきて、その2台目が…。

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 Skylightのブルー、ようやく撮れました。
(宮城野の車庫で中休みだったみたい)
 側面に100周年記念のステッカーが貼られています。

 これでようやく、「Skylight」を3色全部撮る事が出来ました。

「Skylight」は帰りに改めて乗る事にして、次に仙石原のススキの原へ向かいます。
 湿生花園から徒歩10分程度。

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 新宿から来た、小田急箱根高速バスのエアロエース。

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 ススキの原を貫く散策路には、大勢の観光客。
 混雑は苦痛とは書いたけれど、この明るい雰囲気は嫌いではないです。

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「湯河原箱根仙石原線」から湿生花園へ分岐するT字路。
 この付近でちょくちょく渋滞が発生するのですが、車の量そのものではなく、駐車場へ向かうための右折車両が原因になっているように見えました。
 この辺、何か対策を考えないと。

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 今度は車道の反対側から、登山バスとススキの原。

 今回は充分満足できました。
 帰りは湿生花園から、「Skylight」で強羅へ向かいます。
 撮るだけではダメで、やはり実際に乗らないと。

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「箱根登山鉄道創業100周年記念」で、「Skylight」「Skylight Ⅱ」では、小田原出身のタレント、柳沢慎吾が車内アナウンスを行っています。
「ピンポン」とか「キキーッ」(ブレーキ)とか、擬音も地声でやっていました。
 さすがに英語は別人でしたけれど。
(一般路線車では行わない。また宮城野経由便や一部区間運転は対象外)

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「Skylight」車内。
 天窓から木漏れ陽が存分に降り注ぎます。

 ユネッサン行でしたが、電車乗り換えのため、強羅駅で降ります。

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 強羅駅。

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 帰りの登山電車。

「観光施設めぐりバス」は、強羅から仙石原近辺の観光施設(「星の王子様ミュージアム」「レリック博物館」など)へのアクセスとしても便利で、利用価値の高い路線だと思います。
 後は№343でも書いたけれど、「Skylight」「Skylight Ⅱ」は他の一般路線車と完全共通運用で(ドライバーもはっきり「運用はランダムだ」と言っていた)、これを目当てに来てもすぐには来なくてガッカリ、というお客さんも少なくないのではないかと思われます。
 最低「Skylight Ⅱ」レベルには統一して欲しいし … 現に増車もしているが … 、無理ならせめて(「原則」というレベルでもいいから)運用を固定し、公表してもらえればと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 明日・明後日と、加えて15日(月)は本体の更新のため、当ブログは3連休とさせていただきます。
 今回の本体の更新は先日の九州旅行で撮影した西鉄バスと昭和バス、それに今日書いた「Skylight」「Skylight Ⅱ」に加えて横浜市営バスの画像を追加します。
 なお佐賀市営バスについては、来月16日付で新規公開とする予定です。
(今月は事業者の新規公開はお休みします)

《今日のニュースから》
JAXAの実験用ジェット機「飛翔」 中部国際空港で一般公開