千葉県の成田市には、遠い昔路面電車がありました。
「成宗電気軌道」(成宗電車)と言うこの路面電車は、1910(M43)年に成田山門前~成田駅前間、翌年に成田駅前~宗吾間が開業しました。
以降34年に渡って主に参詣に訪れる人々の足となっていましたが、戦時体制が強化される中、1944(S19)年に全区間廃線となりました。
会社そのものはその後バス専業の千葉交通となり、2008(H20)年には会社創業100周年を記念して、同じ区間にボンネットバスを運行しました。
昨日は成田空港R/W16Rでの旅客機の撮影について書きましたが、その直前、この電車の跡を尋ねてみました。
今も残るレンガ造りのトンネル2箇所を御覧頂きます。
門前側の第一トンネルです。
廃線跡は道路となり、千葉交通バスとJRバス関東が通過しています。
画像は京成成田駅とイオン成田を結ぶシャトルバス。
反対側(門前側)。
ツタが生い茂っていました。
こちらは駅側の第二トンネル。
門前側です。
反対側(駅側)です。
第一トンネルも第二トンネルも、かなりキチンとした形で残されていました。
第一トンネルの駅側には、成田市教育委員会による説明が書かれた柱が立っています。
全文記してみます。
このレンガ造りのトンネルは成宗電車という千葉県内で一番古い電車が通っていたトンネルです。成宗電車は通称チンチン電車と呼ばれ、明治四十三年に成田駅前~成田門前前まで、翌明治四十四年に駅前から宗吾霊堂まで開通し、昭和十九年に廃止になりました。門前前側が第一トンネル(長さ約十二メートル、幅約九メートル、高さ約五メートル)、成田駅側が第二トンネル(長さ約四十一メートル)です。
廃線跡の道路は「電車道」と称され、標識も立っています。
電車が現役の頃は、あまり地元には歓迎されなかったらしいのですが。
この2つのトンネルの間に、千葉交通バスの東町入口バス停があります。
行先の表示は電車時代の名残りも感じさせますが、現在このバス停からは成田駅までしか走っていないので、このままの表示を残したままというのはいかがなものかとも思いますが…。
現在甚兵衛渡し・甚兵衛機場へ行く千葉交通バスはなくなり(成田市のコミュニティバスに移行)、宗吾霊堂までの便が成田駅前始発で1日3本運行されているだけです。
なおJRのバス停はありません。
最後に、成宗電車の生き残りが今も函館市電で走っています。
30形39号車は成宗電車開業当時の車両で、8年間使われた後函館に移籍、除雪用「ササラ電車」への改造を経て、1993(H5)年に観光電車「箱館ハイカラ號」となりました。
毎年春~秋のシーズンに運行されています。
今年で102年という事になります。
今回の記事は「鉄道廃線跡を歩くⅦ」「日本の路面電車Ⅰ現役路線編」「同Ⅱ廃止路線東日本編」(いずれもJTBキャンブックス)を参考にさせて頂きました。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
昨日「ジェットアジア・エアウェイズ」のB767-200(HS-JAD)を御覧頂きましたが、あれは元JALのJA8233だったらしいです。
《今日のニュースから》
ロシア WTOに正式加盟