№785 20年で激変 機内エンターテイメント

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 国内線でも国際線でも、飛行機の旅では、音楽や映像等の機内エンターテイメントに接する機会は多いと思います。
 最も最近流行のLCCではなかったり、あっても有料(ジェットスター等)という所もありますが、大手ならたいていは無料で楽しむ事が出来ます。
 特に国際線、それも半日がかりという北米メインランド路線や欧州線だと、乗客の退屈しのぎには必需品、ではないでしょうか。

 私が初めて海外旅行に出たのがちょうど20年前、1992(H4)年10月の事ですが、それから20年で、機内エンタメは大きく様変わりしました。
 何といっても、エコノミー(Y)クラスでも個人モニター(しかも最近はオンデマンド)がもはや当たり前、というのは大きな驚きです。
 しかも映像(映画・ビデオプログラム)もオーディオもチャンネル数が桁外れに多くなり、さらにその他にゲームや、ついには電子コミックも現れるなど、内容も多彩になってきています。

 一番上の画像は、ANAのB747-400に装備された、Yクラスの個人モニターです。
 日本においてYクラスの個人モニターの先鞭をつけたのはANAで、1998(H10)年開設の成田~シカゴ線に導入した3機は「シカゴスタイル」と称し、ビジネスクラスのバーカウンターなどと共に、Yクラスにも全席に個人モニターを設けて注目を集めました。
 もっとも当時はまだプログラム数も少なかったし、AVODでもなかったですが、それでも画期的な事でした。
 何しろそれまで、上級クラスでは個人モニターが普及していたものの、Yクラスではスクリーン(+天井やオーバーヘッド・ストウェッジ部のモニター)で上映される映画が1~2本(+NHKニュースや小プログラム)、オーディオも7~せいぜい10チャンネル程度、というのが日本に限らずどの国の航空会社でも普通でした。
(ANAのシカゴ線は一旦休止になり、3機は「スーパースタイル」と称してニューヨーク線・ロサンゼルス線に転用された。画像はロサンゼルス行で撮影)

 モニターの画像はANAを御覧頂きましたが、20年前にも乗った、そして今年も同じ区間の便に乗って比較がしやすい、という事で、ここではJALの機内エンタメの20年前と今を比較してみます。
 私は20年前、成田発パリ行JL405便で初めて海外に出ました。
 当時、B747-400はまだニューヨーク線やロンドン線などだけで、このパリ便もB747-300でした。
 その当時の機内エンタメを表にまとめてみました。
 当時、プログラムは機内誌(「WINDS(ウインズ)」と呼んでいた)の国際線版に掲載されていました。
 その10月号から作成したものです。

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 映画はプログラム数も少ないし、その上映も、ある程度の距離(というより時間?)を飛ぶ便に限られていました。
 往路は、日本発20時以降は夜行なので映画の上映はないと記されています。
「寅さん」以外は皆アメリカ映画で、対応言語も日本語以外は英語だけ。
(特に記されていないが、「寅さん」の英語は字幕だったはず)
 B747-400の上級クラスのみ個人モニターがあり、路線によって違うが映画の他、映画・音楽やスポーツのプログラムがありました。

 オーディオはB747-400で9ch。
 その他の機材は7chのみで、しかも長距離便以外は往復同じプログラムでした。
 なお成田発着オセアニア線ではチャンネルが異なっていましたが、機材がカンタス航空からのリースで運航されていたからではないかと思われます。
 イヤホーンは定期便ではもちろん無料でしたが、チャーター便では400円(または3USD)を徴収するとしていたのも、時代が違うと思わされました。
 この後翌年にはKLMオランダ航空、さらに翌年にはエールフランス航空のB747-400に搭乗しましたが、傾向は似たようなものだったと記憶します。

 今年のフランス弾丸旅行への出発で、20年前と同じJAL405便を利用した事は、№755で書きました。
 機材はB777-300ERとなり、機内エンタメは全クラスAVODの個人モニター「MAGIC Ⅲ」が導入されていました。
 一部書きましたが、改めて映像とオーディオについて表にまとめてみます。
 プログラム数が多くなった事もあって、「JENガイド」という別冊になっていました。

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 まず映像。
 もちろんプログラム自体も多いし、映画のみならず短時間のビデオプログラム(TV局の番組が目立つ)も増えました。
 映画については日米以外にもフランスやイタリア、中国、もちろん「韓流」映画もラインナップされています。
 年代も最新作ばかりでなく、「未知との遭遇」(1977(S52)年)、「釣りバカ日誌イレブン」(1999(H11)年)等、少々古い映画もラインナップされていました。
 映像以上に、対応する言語が相当多様化しています。
 「Ladies VS Ricky Bahl」というインド映画に至っては、日本の航空会社なのに、日本語に対応していない(吹替も字幕もない)のです。
 日本のビデオプログラムの場合、対応言語は日本語だけになるのが普通ですが、アニメの「銀魂」のみ英語字幕つきというのが面白く、日本のポップカルチャーが海外にも浸透しつつある、という事なのでしょうか。
 この他、従来どおり前方スクリーンで上映されるプログラム(NHKニュースや、テレビ朝日系の番組等)もあります。

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 オーディオでは、チャンネル数が常時50chにもなり、ジャンルもジャズに子供向け、アジア、さらに語学もあったりします。
 同じジャンルが複数あるのも特徴でしょうか。
「マイセレクション」と称し、好みの曲を選択してリストを作成する機能もあるという事です。
 個人的にはここまで必要ではないとも思いますが…。

 この他ゲームも数種類用意され、マージャンやテトリスなど、一部は他の席の旅客との対戦も楽しめるようです。
 グループ向けという事でしょう。

「MAGIC」は、「Ⅰ」「Ⅱ」が昨年のB747-400退役と同時に終了したようで、現在は「Ⅲ」「Ⅳ」「Ⅴ」があります。
「Ⅳ」はB737-800専門で、コンテンツ数や対応言語がかなり少なくなっています。
 短距離路線が中心だし、機材が小型だからメモリーが少ないのかなあと思いますが、B737のYクラスさえ個人モニターが装備されていると言うのは正直驚きです。
 最新の「Ⅴ」はついにタッチパネルとなり(一昨年のフィンエアのA330もそうだった)、手持ちのデバイスの画像・映像が座席のモニターで見られる機能も設けられているという事です。
(AVケーブルは持参の必要あり)
 またB787-8では電子コミックの配信があるというのはご存知の通り。
 6月では31作品・91冊がラインナップされていました。

 なお個人用モニターのない機材のプログラムも記されていましたが、国内線機材を使用する便向けだと思われます。
(関空~ソウル(金浦)等)

 こうして見ると、20年の間における機内エンタメの飛躍的な充実振りには改めてビックリさせられます。
 数そのものもそうですが、対応言語に見られるように、グローバル化が機内エンタメの分野でも進んでいるというのが昨今の特徴でしょうか。

 さて、では今後は…という所ですが、現在のように機内で完結する(出発前にスタンバイが完了する)スタイルのエンタメは、色々な意味で限界が来ているかも知れないなあと感じます。
 映画にしろオーディオにしろ、コンテンツ数をこれ以上増やせるほどメモリーを増設できるのか、また出来たとしても、どんな長距離でも結局飛行時間には限りがあるので、増やす意味があるのか、という事。
 コストの問題もあるし、LCCの台頭(前述のようにエンタメがないか、あっても有料)もあって、逆に在来のスタイルの機内エンタメを必要と感じない旅客が増える事も予想されます。

 ITの事は全然解らないのだけれど、今後は機体の外部から発信されるメディアを機内でキャッチし、やり取りするスタイルが徐々に浸透してくるのではないかと思われます。
 JALでは先月からニューヨーク線を皮切りにインターネット接続サービスをスタートさせており、ANAもオンエア社との提携で来年から開始とリリースしています。
 海外のキャリアも追従する事になるでしょう。
 当面は有料(JALは1時間11.95USD・24時間21.95USD、ANAは今の所未発表)ですが、数年もすればこれらも無料となって、さらに座席の個人モニターで楽しめるようになるかもしれません。
 また衛星放送をキャッチして、機内で見られるようになるという可能性も予想できるでしょう。
(経済情報とか、野球やサッカーの中継をリアルタイムで見られる、とか)
 それ以上、何が起こるかは予想しにくいのですが…。
 20年で大きく変わった機内エンタメ、次の20年ではどう変わっていくのでしょうか。
 それは飛行中の機体と、その外部との間の通信事情がエンタメのレベルにおいて、どう変わるかにかかっていると思います。

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《今日のニュースから》
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№784 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 5.東急東横線渋谷駅(後)

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 前回は1990年代までの東横線渋谷駅の時刻表から、東横線のダイヤを簡単に振り返ってみました。
 多少の変化はありながら、基本的には急行1:各駅停車2のパターンを踏襲してきた東横線でしたが、21世紀に入ると大きな変化が訪れる事になります。

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2001(H13)年3月28日改正

 東急史上初の特急が設定された、歴史的といえる改正になりました。
 急行1:各駅停車2のパターンを残しながらさらに増発する形になっています。
 当時は渋谷の次はもう自由が丘、以降武蔵小杉・菊名・横浜と停車し、日中は横浜まで28分、桜木町まで31分と、急行より4分の短縮になっています。
 特急急行とも基本的に、自由が丘と菊名で各駅停車を追い抜くダイヤとなっています。

 随分大盤振る舞いな改正でもありますが、このダイヤが実現した理由として、

1.もともと急行の停車駅が多いと言う指摘があり、加えて前年には多摩川にも停車するようになった。中間21駅の内、半分近くの10駅が急行停車駅。本数も比較的少ない。
2.一方、年末にはJRの湘南新宿ラインの運行開始が視野に入っていて、先手を打つ必要があった。渋谷~横浜の所要時間短縮は必須。

この2点が挙げられます。

 一方、トータルとして結構な増発にもなりますが、これが可能になったのは、

1.目黒線への転移が進んで、朝ラッシュ時は多少本数が減少している。また日中の日比谷線直通は30分間隔に削減され、特急を増発しても列車走行キロの大幅な増加は抑えられる。
2.目黒線・東急多摩川線・池上線でワンマン化が実施されていて、要員を東横線に振り向ける事ができた。

この2点が考えられますが、どうでしょうか。
 なお、平日の朝ラッシュ時には設定がありません。
 日比谷線直通については、この改正の頃から、東横線内部における地位の低下が始まったように思われます。
 この他急行の運転時間帯が拡大し、平日は午前0時を過ぎて出発する列車が設定されました。
 この改正より、土曜日は休日ダイヤと統合。

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2003(H15)年3月19日改正
 通勤特急が設定になり、上りのみ平日の朝ラッシュ時に運行された(一部特急も運行)上、下りの夕方ラッシュ時に特急から建て替えられました。
 日吉で各駅停車(主に日比谷線直通)と接続を取ります。
 この時点ではまだ朝夕それぞれ片方向のみですが、この後改正毎にジワジワと運転時間帯を拡大していきます。
 また特急も中目黒に停車となりました。

 2004年2月1日、横浜~元町・中華街の「みなとみらい線」(横浜高速鉄道運営)が開業、東横線は横浜経由でみなとみらい線との相互直通運転を開始しました。
 横浜~桜木町は2日前の1月30日をもって廃止となり、72年の歴史に幕を閉じました。
 発展的解消とはいえ、大手私鉄の本線クラスが一部でも廃止になるとは異例でした。
 翌31日は横浜・反町両駅が地下線に移転し、横浜折返しの形態で運行されて(実際は訓練でみなとみらい線へ直通)相直開始に備えました。

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2004(H16)年2月1日改正
 横浜発着のほぼ全列車がみなとみらい線に直通する形態で、この改正ではパターン自体は変化がありませんでした。 

 2006(H18)年3月18日改正では、初めて平日の下り朝方にも3本の通勤特急が設定されました。
 上りは夕方の特急通勤特急に立て替えられています。

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2006(H18)年9月25日改正
 続いて半年後に行われた改正では、特急の所要時間が渋谷~横浜が最短で27→24分に短縮されました。
 また通勤特急の運転時間帯が拡大されています。
 それと、元住吉駅の高架化により検車区への出入庫ルートが変更になったため、元住吉終着の列車は、最終を除いて武蔵小杉終着に短縮されています。
 この他オフピーク時や夜間に増発や運転区間の延伸も行われています。

 2007(H19)年6月23日改正では、日吉駅の目黒線延伸のため再び退避・折返しが出来なくなり、退避は元住吉に変更、日比谷線直通は日中も再び菊名まで運行される事になりました。
 目黒線は翌2008(H20)年6月22日に日吉まで延伸、同時に東横線も改正を行いました。
 上下とも、平日朝方及び夜間の特急通勤特急に統一されています。

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2009(H21)年6月6日改正
 現行のダイヤです。
 前年の改正ダイヤをベースに、土休日の夜間に増発を行っています。
 また平日朝ラッシュ時の日比谷線直通1本を渋谷発着に変更しています。
 このダイヤが、来年の副都心線との相互直通運転まで使われる事になるはずです。

 最後にここで、昨年に東日本大震災直後の節電ダイヤを御覧頂きます。
 発生直後、首都圏では深刻な電力不足に陥り、東急も例外なく巻き添えになりました。
 東横線では特急急行系が全て取り止めになり、各駅停車のみの運行となりました。
 日比谷線直通運転も取り止め。

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2011(H23)年4月2日実施臨時ダイヤ
 これは4月2日より24日まで使用されたダイヤです。
 特急通勤特急急行の運行が再開されました。
 ただし特急は30分間隔に間引き。
 一方日比谷線直通運転が引き続き取り止めのため、代替で平日の朝夕ラッシュ時には渋谷~菊名の区間運転が設定されました。
 朝方では一部、日比谷線直通運用を失った1000系が運用されています。
 4月24日以降、段階的にダイヤの復元が行われる一方、夏期は4時台より運行を開始、早朝に増発するなど、時差通勤に対応した臨時ダイヤが策定されてきました。
 現行ダイヤに戻ったのは、9月23日でした。

 この四半世紀の間の、ポイントと思われるダイヤ改正時の渋谷駅の時刻表から、東横線のダイヤを簡単に振り返って見ました。
 こうして見ると、特急運転開始の2001(H13)年3月28日改正が最も大きな転機となりましたが、その前後では、案外長らく同じようなパターンが続いてきた事が解ります。
 来年3月16日以降ですが、プレスリリースを読む限りでは、ここでもほぼ現行のダイヤパターンを維持しつつ、副都心線、さらには西武線・東武東上線へ直通する形態となると思われます。
 東横線自体には今後大きな伸び代があるとはあまり考えられず(せいぜい横浜駅西口再開発位か)、在来のみなとみらい線に加えて、副都心線・西武・東武と協力して、沿線外からの旅客の誘致が図られる事が期待されます。
 どのようなダイヤになるか、今から期待をもって見守りたいと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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 明日・明後日の更新はお休みです。
 
《今日のニュースから》
野田首相 領土問題で記者会見 「不退転の覚悟」表明

№783 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 5.東急東横線渋谷駅(前)

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 いよいよ東急東横線と東京メトロ副都心線の相互直通開始が来年(2013(H25)年)3月16日と決まりました。
 関係各線では本格的な訓練運転も行われており、一方で相互直通開始後を見据えた行楽・観光のポスターやチラシも各駅で見られ、まだ半年以上も先ですが、徐々にムードが高まってきているようです。
 一方、現在の東横線渋谷駅は今年で開業85周年を迎え、28日には記念のイベントも行われるという事ですが、相互直通が始まれば東横線の駅も地下に移転して副都心線の駅と統合、地上駅は姿を消す事になります。
 今回は東横線のターミナルであり、間もなく大きな転機を迎えるその渋谷駅の時刻表から、四半世紀の東横線のダイヤを振り返ってみようと思います。

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1986(S60)年4月1日現在
 手持ちの時刻表で一番古いのは、1986(S60)年4月1日現在のものです。
 当時の土曜日は平日ダイヤでした。
 基本的に日中は、急行1:各駅停車2の割合で、各駅停車は2本に1本が日吉で急行の待ち合わせを行うというパターンでした。
 この他、中目黒から営団日比谷線直通列車が15分間隔で日吉まで乗り入れていました。
 まだ7000系と営団3000系、という時代。
 それと、休日の日中には、渋谷~日吉の区間運転が設定されていました。
 買物・行楽客に対応したものかと思いますが、間隔が不規則で、ちょっと設定の意図が見えにくい気もします。
 今の目で見ると、平日夕方ラッシュ時の急行がかなり少ないです。
 このパターンがこの後も若干の修正を加えつつも、基本的には21世紀になるまで踏襲される事になります。

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1989(H元)年8月20日改正
 土曜日が独立したダイヤになりました。
 日吉駅ホームの地下化工事のため、各駅停車急行退避が、日吉待ち合わせ→元住吉通過待ちに変更になりました。
 また平日夜間の急行の運転間隔が短縮された他、一部列車は運行区間を延伸しています。
 一方で休日の日吉折返し区間運転が取り止めになりました。
 この他日比谷線直通運転は菊名まで延伸しています。
 折返し線が使用できなくなったためで、あくまで暫定的な扱いだったのですが。

 日吉駅の地下化は1992(H4)年に完成、9月11日のダイヤ改正で各駅停車急行退避駅は元住吉→日吉に戻りました。
 日比谷線直通は朝晩は菊名折返しで残り、日中のみ日吉折返しに戻りました。

 1997(H9)年7月27日改正では、菊名までATCが導入された事で、最高速度の110㎞/h引き上げを実施、急行の渋谷~桜木町は最速34分→31分に短縮されています。
 また平日夜間は約12分間隔に増発されました。

 1999(H11)年12月3日改正では急行の運転時間帯拡大が行われ、平日は23時30分まで桜木町行急行が運行され、休日は7時00分発から急行が出発するようになりました。

 この頃、東横線の混雑緩和のため、目蒲線の内、目黒~田園調布間を全面的に改良、田園調布からは東横線に貼り付ける形で武蔵小杉方面へ延伸、さらに目黒から建設中の営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線との相互直通を行わせる事で新しい通勤ルートを提供する工事が進行していました。

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2000(H12)年9月22日改正
 目蒲線は多摩川で分断、目黒側は「目黒線」と改称の上南北線・三田線との相互直通運転を開始、田園調布からは東横線と併走して武蔵小杉まで運行される新しい形態になりました。
 一方蒲田側は「東急多摩川線」と改称、多摩川~蒲田の折返し運転に変更しました。
(車両は池上線と共通化)
 この多摩川線との接続を確保するため、多摩川が急行停車駅となりました。
 ダイヤそのものは、前年改正ダイヤとほとんど変わっていません。

 こうして小変化を繰り返しながらも、20世紀の終わりに至るまでの東横線のダイヤ形態自体はまったく変わってこなかったと言えます。
 しかし21世紀にはいると、東急内部の変化に加え、JRの「湘南新宿ライン」の運行開始が視野に入るようになり、これを見据えて東横線のダイヤに一大変化が訪れる事になります。
 それについては次回です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 B787×35機はキャンセル、だって…。
 巨大航空会社の経営が苦しいのは、どの国も変わらないようです。
《今日のニュースから》
カンタス航空 民営化後初の赤字決算