№735 エールフランス航空447便墜落事故

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 秋田旅行の連載は1回お休み、今回は別の事を書きます。
 ちょうど4年前の2009(H21年)6月1日、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロからパリに向かっていたエールフランス航空(AF)447便、A330-200型が大西洋上空を飛行中に墜落、乗客・乗員228名全員が犠牲となった(とされた)事故が発生しました。
 この事故についてはまだ最終報告書が出されていないのですが、アメリカのABCが報道して、日本でも夕方BSで放映されていました。
 予告されていなかったので録画していないのですが、日本語訳を簡単にメモしてありますので、ABCのWebサイトと合わせて簡単に記してみます。

 同便は大西洋上空の高度11,000mを飛行していた。夜11時(現地時間)、嵐が迫っているに、機長は他2名のパイロットに適切な指示を与えないまま休憩に入った。

 その十数分後、自動操縦が解除された。この時操縦していたのは一番若い32歳のパイロットだったが、機首上げ操作を行ったため失速状態に陥りつつあり、警報が1分近く鳴った。コクピットは混乱状態になり、ボイスレコーダーには「機長はどこだ?」と、6回も呼び出しの音声が記録されている。

 機長は、本来はコクピットのすぐ後ろで休憩しているはずなのだが、戻るのに1分もかかった(キャビンには親しくしているアテンダント(女性?)がいたらしいが、事実関係は不明)。コクピットでは「どうなっているの?」「解りません」という言葉が飛び交っているが、失速を疑った様子がなく、やがて「速度計の故障」という結論が出された。後には指揮系統が失われ、2名のパイロットが思い思いに機体を回復させようとした。結局墜落を認識したのは3秒前。キャビンでは不測の事態に対する備え(救命胴衣とか、酸素マスクとか)が全くないままだった。

 このボイスレコーダーの会話については、事故を調査している「BEA」は一部をぼかしている。この事が遺族らの不信感を招いている。


 多少違っている部分があるかも知れませんが、それはゴメンナサイ。
 この事故に関しては、飛行中の速度を計測する「ピトー管」の欠陥も指摘され、現にAFも交換作業を行っていたが、事故機についてはまだという事でした。
 しかしこれを見る限り、最大の問題はやはりコックピット(システム及びクルー)にあったと思います。
(特に失速警報が鳴りっぱなしなのに、失速を疑っていない所)
 根本の原因は違うだろうけれど、一連の経緯を見た時真っ先に頭をよぎったのは、№708でも書いた、名古屋の中華航空機事故でした。
 あの事故も、着陸降下中に間違って「ゴー・アラウンド」モードにしてしまった事から機長と副操縦士が共にパニックになって、最悪の事態を招いてしまいました。
 このAF機の事故に関しては、「高々度で失速した際の回復の訓練が行われていなかった」という指摘があるようです。
 エアバス機のハイテクコクピットは、一方では名古屋や今回の事故で指摘されているようにシステムに何らかの問題があるのではないかという事、一方でそれを扱うパイロットに対して、適切な対応を取れるような訓練がされていないのではないか、と両面の問題があるようで、やはり原因は二重にも三重にも存在しているようです。
 まもなく最終報告書が出ると思われますが、その発表が待たれます。
 さて、A330型機は日本でもまもなくスカイマーク(SKY)とエアアジア・ジャパンが導入を行う予定ですが、SKYのA380型も含め、「サイドスティックのエアバス社ワイドボディ機」は日本では初の経験となります。
 どちらもLCCで、特にSKYはここに来てまた色々トラブルが指摘されており、大丈夫なのか?という心配もなくはありません。
 どのような結論になるかはまだ解りませんが、両社とも、あるいは後に続く航空会社があるならそこも含めて、この事故を教訓にして、無事故のフライトを完遂して頂きたいと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 明日は秋田旅行に戻る予定。

《今日のニュースから》
ビジネス向け交流サイト「リンクトイン」 パスワード大量流出

№734 2年ぶり 秋田を訪ねて 2.由利高原鉄道再訪

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5月21日(月)
 今回の旅の最大の目的は、由利高原鉄道の再訪でした。
 由利高原鉄道は何度か訪れていて、前回2年前の4月の訪問は№196で書きましたが、あの時はあいにくの天気でした。
 今日は快晴という予報で期待できそうです。

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 由利高原の前に、羽後本荘駅近辺でバスを撮ります。
 その中でおやっと思ったのがこのバス。
 庄内交通の、多分昼行高速バスだと思うのですが、どうやら酒田南高校のスクールバスの運用のようです。
 こんな場所から…?

 ところでこの日の朝はご存知の通り、太平洋側は「金冠日食」の大フィーバーで、羽後本荘駅の待合室のTVでも中継していました。
 関東地方は場所によって明暗が分かれたようですが、事前の予報よりは見られる場所が多くなったようです。
 秋田県は金冠日食ではありませんが「部分日食」にはなり、最大日食時には相当暗くなりました。

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 矢島から来た、羽後交通バス。
 貸切格下げと思われる、小型車。
 先に書いてしまうと、翌日も同じ時刻でやってきたので、ダイヤ限定かも知れません。

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 7時46分発3Dで出発。
 YR2002+YR2001の2連。
 左側3番線は秋田行533M。

 まず黒沢で下車してみます。

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 由利高原鉄道では前回訪問の頃から各駅の駅舎の建替が進められていますが、黒沢駅も同様に建て替えられていました。

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 待合室には、由利本荘市製作の津波ハザードマップが掲げられていました。
 これに寄れば、津波の規模によっては黒沢駅周辺も決して安全ではないようです。
 海岸からは遠いし、山に囲まれているので津波はイメージしにくいのが正直な感想ですが、一方で秋田県でも日本海中部地震で男鹿半島が津波の直撃を受け、小学生が多数犠牲になった、と言う事もあるので油断はならないよなあとも感じたりしました。
(このマップは、由利本荘市の公式Webサイトでも見られます)

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 次の5Dが、YR1501の単行で接近してきました。

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 YR1501は初列車の2D→1DではYR1502と2連を組んでいましたが、矢島から単行になって6Dで折返し、さらに羽後本荘から来た所です。
 YR1500は、YR3000形デビューにより、既に2両が廃車になっているとの事。
 撮って、乗るのは今の内。

 ここで一旦羽後交通バスに乗って、子吉駅まで戻ります。

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 この秋田200か652号車は、多分臨港バスで、前方はサイドシートになっています。
 乗客は顔なじみの高齢者が大半だろうから、案外サロン風にも感じられて、悪くないかも。
 子吉駅前にあるバス停は「玉ヶ池」。

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 子吉駅も、駅舎が建て替えられていました。
 立替前から駅舎に簡易郵便局が入っていたと言う事は№196でも書きましたが、新駅舎では、というより何だか郵便局が駅舎を兼ねているという感じ。
(郵便局が開いていない時は、脇の通路を利用するよう)

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 この駅舎は去年の暮れに立替が完了したようです。
 その記念植樹がありました。
 5年後、10年後にはどこまで成長するでしょうか。

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 子吉からは7D(YR1502)に乗って、薬師堂まで戻りました。
 この列車、ごく普通のローカル便のはずですが、「おばこ」姿のお姉さんが乗っていて、お客さんに手取り足取り色々教えていました。

 薬師堂駅も既に駅舎が建て替えられている事は、これも前回書きました。
 ここにも記念植樹がありました。
 それにしても、「こどもの日」はとっくに過ぎているのに、各駅とも駅前にはいまだ鯉のぼりが泳いでいます。
 列車は折返しの7D。

 さらに羽後交通バスで一度羽後本荘駅に戻って、羽後交通のバスを撮ります。

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 11時52分発の9Dは、YR2001の単行。
 前回乗ったときは「釣りキチ三平」のラッピング車でしたが、今回は「宇宙戦艦ヤマト」に衣替えしていました。

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 その車内。
「ヤマト」のキャラクターに鯉のぼりや星座と、どうにもチグハグな印象がぬぐえません。
 何より乗客がまるでいない。
 私の他には1人だけ。
 子吉で一人乗ったけれど、前郷で一人降りて、3人を越える事なく矢島に着く事になりました。
 平日の昼間と言う事もあるが、どうにも不安だなあ。

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 それは並行する羽後交通のバスの影響もあるだろうと思えます。
 この9Dの6分前には矢島(経由鳥海菜(さい)ランド)行の便があり、ほとんど同時刻で抜きつ抜かれつになります。
 子吉~鮎川では、ちょうど羽後本荘行の便とすれ違う光景が見られました。
 私が知る限り、現状で全線バスと併走する第3セクター鉄道はこの由利高原鉄道だけなのですが、この点は鉄道・バスが話し合ってダイヤをある程度は調整するとかはしないと、そんなに乗客が多くないエリアでは共倒れでは…。

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 2年ぶりの矢島駅です。
 2年前は曇り空だったけれど、今日はスッキリ青空。

 駅の中にある観光案内所では、「おばこ」役として乗務するという佐藤さんが「さくら茶」を振る舞ってくださいました。
 一昨日・昨日(5月19・20日)は秋田内陸縦貫鉄道の「秋田内陸のりものまつり」に参加されていたそうです。
 いろいろあれこれ話を聞いてみたが、去年の東日本大震災の時、由利高原鉄道はちょうど矢島・羽後本荘とも列車が出発する直前で、しばらくは停止していたものの、すぐに運行を再開できたと言う事です。
 黒沢駅のハザードマップが頭にあったので、津波の話も出すと、「川を遡ってくるので怖いわよ」(沿線はほぼ全線子吉川に沿っている)とも。
 確かに去年の大津波も、川を遡った津波が被害を拡大させたという部分がありました。
 それと、こどもの日が過ぎても各駅に鯉のぼりが泳いでいるのはどうして?とも聞いてみましたが、旧暦の名残りなのだそうです。
 こんな話が聞けるのも、田舎巡りのいい所でしょうか。
 最後に、秋田内陸のイベントでもらってきたという「バター餅」をプレゼントして下さいました。
 お礼に使用済み乗車券が入っているという缶詰を購入します。

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 1缶500円ですが、お分かりの通り、在籍する車両のカラー4種を再現しています。
 なので合計で4缶(2,000円)購入しました。
 どんなものが入っているか、来週書いてみたいと思います。

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 矢島駅を出発する、YR2002。

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 改めてYR2001。
 あくまで個人的な意見なのだけれど、純粋なローカル鉄道に、こういうラッピングはやっぱり合わないと思うけれどなあ。
 もっとオリジナルのカラーを大切にして欲しい。

 ところで、このYR2001は矢島14時50分発の16Dで出発しました。
 しかし、Webサイトに寄れば、この列車から新型YR3000が運用に入るはず。
 この点について佐藤さんが駅の人に聞いてくれたのですが、検査のため3日間運用を休止するという事でした。
 残念ですが、まあこれからの形式だし、この後赤・青のカラーも出てくる事でまた再訪する事になるはずだから、そこに期待しましょう。

 矢島駅前からの羽後交通バスは、ローカル路線が全てなくなり、「鳥海菜ランド」行のみ、本荘からの便の一部が直通する形で運行されるだけになっています。
 その「鳥海菜ランド」行に乗ってみました。
 これまで見た事がなかった行先でしたが。
 駅前からの便は国道から外れ、旧道沿いの集落によりながら鳥海総合支所を経由。
 終点の「鳥海菜ランド」は、再び戻った国道沿いにありました。
 観光物産店のようです。
 その傍らの広場が折返場になっていました。

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 ここには上野宅行の白ナンバーのポンチョが待っていて(新車、ポスト新長期規制だ)、乗客がパラパラ乗り継いで行きました。
 上野宅って、確か以前は羽後交通バスの行先にあったはずだが、帰宅後色々調べてみたら、どうやらこの4月からこういう運行形態になったようです。

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 バス停からは鳥海山が存分に眺められます。
 矢島へ戻る途中、鳥海総合支所から別路線のワゴン車が出て行くのが見えました。

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 この本荘~矢島~菜ランドの便は、矢島付近で一部区間を重複して運行します。

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 その重複する区間にある豊町バス停ですが、古い時刻表(下)が残されたままなのがちょっと問題。
 他のバス停にはなかったので、撤去し忘れ?
 これ時刻表からも、この運行形態になったのがこの4月からだった事が解ります。
 矢島案内所からのローカル線が自治体運営のコミュニティバスとなり、代わりに本荘からの路線が総合支所を経由して鳥海菜ランドまで直通運行して自治体の白ナンバーの路線に接続、という形になっているのでしょう。

 矢島17時45分発22Dで、今回は羽後本荘に帰ります。
 YR2002の単行。

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 YR2002の車内。
 イベント対応ですが、車内はほとんど学生。

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「おばこ号」の案内。
 先の佐藤さんのチャーミングな姿も映っていますね。
 またお会いできる日を楽しみにしております。

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 前郷でYR2000形同士の交換。

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 由利高原鉄道からの鳥海山は、とりあえず今回はこれで見納め。
 YR3000形が3色揃った時点で、また訪れる事にしましょう。

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 夕焼けに染まる羽後本荘駅。
 今日はこの町に泊まります。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 相当闘病生活が長期化されたようです。
 ご冥福をお祈り申し上げます。
《今日のニュースから》
「ひげの殿下」三笠宮寛仁様 ご逝去

№733 2年ぶり 秋田を訪ねて 1.寝台特急あけぼの

 今日から4回に渡り、5月21・22日の両日に渡った秋田旅行について書きます。
 由利高原鉄道の訪問がメインでしたが、その他秋田のバスもかなり撮ってきました。
 今回は多少遠くでありながら、行き・帰りとも珍しく(?いけないなあ、こんな事では)鉄道利用となり、特に行きはなんと22年ぶりの寝台特急、それも寝台利用になりました。

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 今回、羽後本荘への足は寝台特急〈あけぼの〉。
 羽後本荘へは夜行高速バス〈ドリーム鳥海〉がありますが、今回は最初から〈あけぼの〉利用と決めていました。
 今春には〈日本海〉が廃止になるなど夜行列車は退潮に歯止めがかからず、そのあり方も喧々諤々議論が続いていますが、でも実際に利用してみないとやっぱり良いも悪いも、あれこれ語る事は出来ませんよね。
 まず現状を知るためにも、とにかく利用する必要があるだろうと言う事で〈あけぼの〉だ、という事になりました。
 乗車当日にみどりの窓口に並んだのですが、第1希望の「ゴロンとシート」は満席、第2希望のB寝台「ソロ」に空きがありました。
 日本の寝台特急の寝台の利用は、1990(H2)年11月の〈北斗星〉でやはりB寝台「ソロ」を利用して以来で、なんと22年ぶりの事になります。
(〈なは〉〈あかつき〉の「レガートシート」はありましたけれど)

 5月20日(日)

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 上野発車は地上ホームの13番線。
 ホームに着くと、ややして推進運転で回送が入ってきました。
 カメラ、というかケータイで撮る人が多い。
 遠い昔の「ブルトレ・ブーム」の頃はどうだったのだろう?
 私は加わる事はなかったのだけれど、上野駅も東京駅も、寝台特急が行き交う度にものすごいファンの人々がホームを埋め尽くした、そんな事があったという記憶があります。
 それにしても13番線は〈カシオペア〉〈北斗星〉も出発するのだけれど、思ったより殺風景かなとも思えた。
 待っていたお客さんは、東北在住の、比較的高齢の方々が多い気がしました。

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 長岡まではEF64 1052が牽引します。
 あくまで個人的な感想ですが、EF64の〈あけぼの〉は今ひとつピンとこない。
「〈あけぼの〉=奥羽本線」というイメージがあるからでしょうか。
 これが〈鳥海〉〈出羽〉だったら何とも思わないのだろうけれど。

 備忘的に編成を記しておきます。

  カニ24 112
8.オハネフ25 117 (ゴロンとシート)
7.スロネ24 552 (シングルDX)
6.オハネ24 551 (ソロ)
5.オハネ24 553 (ソロ)
4.オハネフ25 121
3.オハネ25 152
2.オハネ25 220
1.オハネフ25 202 (レディースゴロンと)

と言う事で、5号車の22号室、進行方向右側の上段の1室に収まったのでした。

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 はっきり言って狭い。
 まあB寝台の1人個室となればそうなるだろうが、特に大きなバッグがあると、置き場所に困る事になる。
 また正直インテリアは改造前の開放型B寝台時代をそのまま引きずっている感があり、デザイナーなどの手が入った最近の各種の列車やバスに比べると、安っぽくて現代のニーズにはマッチしていないと思う。
 
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 秋田運輸区手製の、寝台メイクの手順。

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 出発の直前。
 多いのか少ないのかは解らないけれど、ともあれ見送りの人々、そして列車そのものの撮影を目当てとする人々に見送られ、定刻に上野を出発しました。

 お馴染みのオルゴールが鳴り、車内アナウンス。
 しかしお休み前の放送はこれ1回きりですか。
 まだ21時を回ったばかりだし、大宮も22時前だから、大宮発車後に詳細な放送を入れてお休み、でもいいのではないか。
 朝は秋田到着前から。
 従って羽後本荘下車では、アナウンスを聞くのはこの1回きり。

 何のかんの言っても、周りの喧騒から隔絶され、一人で静かに過ごせるスペースがあると言うのは、ありがたい事ではありました。
 就寝前だったけれど、明かりを消して外を眺めます。
 京浜東北線のE233系を追い抜いたり、高崎線の211系とすれ違ったり。

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 ソロの車内。
 両側が個室寝台だから通路だけとなり、列車の車内としては異様かも。

 もう少し起きていたいかなとも思ったが、寝不足気味だったし、明日の朝も早いし、高崎の直前で就寝体制に入る事になりました。
 完全に足を延ばして、横になって眠れるのは、やっぱりバスにはないアドバンテージだなあ。

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 一応ケータイのアラームを5時30分に設定していたのだけれど、5時には目が覚めました。
 酒田に到着する所で、ほぼ定刻。

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 おお、ちょうど夜明けだ。
 鳥海山のシルエットも美しい。
 これを見て気付いた。これこそ、バスにはない、鉄道の夜行の醍醐味だと。
 路線や時間帯にもよるだろうけれど、遮るものが何もなく、存分に朝の田園地帯、そしてダイナミックな山の風景を楽しむ事が出来るのが、鉄道の夜行ならではなのでしょう。

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 秋田県に入り、鳥海山がさらに迫ってきました。
 東北の山はどこも好きだけれど、ひょっとしたら鳥海山はその中でも一番かも知れない。

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 羽後本荘も定時に到着。
 ELは長岡から、EF81 138に交代。
 割と降りるお客さんも多かったようです。
 特にアナウンスもなく、静かに青森に向けて出発していきました。

 短時間でしたが、久しぶりに寝台特急に乗って、良い所も、ここはちょっと…と思う所も多々見えました。
 それも踏まえて、寝台特急の未来について、この旅行の連載の後ちょっと考えてみたいと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 JR磐越東線で走行中にドアが開くとか、スカイマークに対する東京都の抗議文とか、今日もいくつかあるのですが、その中で少々古い話になってしまいましたが、アメリカでも「格安高速バス」が問題になっているという事。
 アメリカでも格安運賃の高速バスが人気になっているそうですが、一方でこの1年余りの間、この手のバスの事故で、全米で合計20人余りの犠牲者が出ているのだそうです。
 格安高速バスは事故発生率が在来のバスと比べて7割も高いそうで、アメリカ運輸省が抜き打ちで過去最大の安全検査をやって、26の事業者が業務停止、ドライバー116人が停職処分となった、と伝えられています。
 なんでも運賃1$のバスもあったそうで、これじゃ市内バス以下。
 不況を背景にした人気とされていますが、グレイハウンドを筆頭にした在来の長距離バスだって、他交通機関と比較して相当割安というイメージを抱いていたので、それさえ高く思えるほど不況は深刻なのでしょうか。
 結局どの国でも同じだけれど、経済が落ち込むと人々のモラルも比例して低下してしまうのかなあ、と思ってしまいます。
 こうなるとヨーロッパも心配だなあ。

 母校という訳ではなさそうですが、モンゴルからの留学生を数多く受け入れているそうです。
《今日のニュースから》
 夏場所優勝 旭天鵬関 山梨県甲斐市の高校で優勝報告