昨日はタイトルに反した内容になりましたが、今回は正真正銘、最後の呉市営バスです。
3月13日(火)
天気にかかわらず呉には行くと決めていましたが、今日は朝から快晴で、これなら行けそうと呉線の電車の車中の人となったのでした。
ところで去年も3月13日に呉を訪れています。
東日本大震災の直後だったから多少不謹慎だったかもしれないけれど、ともかくそれが、呉市営バスを本格的に撮影した最初の日でした。
(それについては№452で書いています)
(この後11月にも来ていますけれど)あれからちょうど一年、今日で呉市営バスとはお別れになります。
小屋浦で下り<通勤ライナー>通過待ちの626M。
ところで今日は先に焼山を目指しますが、次の呉ポートピアで降りて、市営バスを待つ事にします。
平日朝方に1本しかない、天応福浦始発・昭和支所経由文化学園大学行。
呉ポートピア駅前は8時14分。
どうせ客は自分だけだろうと思ったら、小さい子2人連れた母親らしき乗客も同乗。
次の天応西条からもおじさん1人乗車。これで昭和支所を目指します。
この便は、運転手は広島電鉄のドライバーで、左側先頭に座っている交通局のドライバーからの指導を受けながら運転していました。
1日1便あるかないかという路線だし、すぐに覚えられるかな…?
何しろこれがとんでもない山道。
道幅がマイカーとのすれ違いでさえやっと、急勾配に急カーブも多く、その割に下ってくる車は多いから少々ヒヤヒヤもの。
バス停はいくつかあるが、乗降は全くなし。沿線の人家もなし。
呉市営バスには、こんな路線もあったとは…。
昭和支所まで来れば、安心して走れます。
結局自分も含めて乗客は皆ここで降りました。
母親は幼稚園あたりへの見送り?帰りの直行便はもうないのだけれど。
今回先に焼山に来たのは、このローザを撮りたかったため。
この日は昭和循環南コースに入っていました。
昭和循環中央コース。
宅地開発も一部では進む焼山地区ですが、探せばこんな古い民家が残っています。
北原バス停に隣接する、市営バスの昭和営業所。
見づらいかもしれませんが、赤いバス(「くれたん」)の隣にボンネットバスがいます。
北原のバス停には、ちょうど10年前、2002(H14)年の路線図が残されていました。
江田島に独立した路線網があり、現在はさんようバスが運行している蒲刈への路線もあります。
山間部も今より路線が多かったようです。
しかし10年も前のバス路線図がそのままというのは今ひとつ。
(まして営業所のまん前で)
焼山からは広島市内行ローカル高速バスがあります。
焼山発は八丁堀行、焼山行はバスセンター始発。
本当はいすゞの中型車も撮りたかったのですが、残念ながら撮れずじまいに終わりました。
なにしろ「くれたん」車が昭和循環に入っていたもので。
10時過ぎの呉駅行で焼山を後にします。
呉駅までなら10~20分間隔で便があり、便利といえます。
1990年代前半のオーソドックスなツーステップ車の車内。
焼山から呉市中心部までの道路も、さすがに2車線ではあるが、何だか箱根の山道を走っているみたい。
この道路を上った先に、独立したコミュニティがある(循環バスだってある位だから)のは、よそ者には少々驚きではありました。
今度は海へ。
大河ドラマ放映中でもあり、いい機会とばかり「清盛塚」を目指してみます。
ところが、波多見経由藤の脇行に乗車したものの、途中アクシデントがあり、警固屋ドッグで立ち往生してしまいました。
車内のお客さんのアドバイスで、渡し舟があるそうだからと、バスを降りて音戸渡船口まで歩いていきます。
なるほど、音戸渡船口のバス停のまん前に、警固屋側の渡船場がありました。
これが音戸渡船の船。
52人乗り(内乗員2名・通常は1名だが)の小型船で、船着場はただロープを渡すだけ。
大人70円。
朝5時半~夜9時の運行で、ダイヤはなく、乗客が現れる度に運航されます。
音戸大橋。
自動車専用である上、高い位置にあるため、渡船が健在というわけです。
音戸側の音戸渡船場で、音戸バス停のすぐそば。
その傍らにある、渡船の説明書き。
ここから清盛塚まで、歩いても2~3分もかかりません。
音戸渡船口バス停は音戸の瀬戸経由阿賀行の路線も通過するので、これに乗って、渡船で清盛塚へ、というのも趣きがあってよろしいのではないでしょうか。
そして、右が「清盛塚」。
展望台然としたものがありますが、塚そのものへの立ち入りはできない構造です。
存在感あるモニュメントだと思いますが、ひょっとしたら人によっては、札幌の時計台同様、周りの建物がいろいろ多いのでガッカリ感を生むかも知れません。
左は波多見経由の市営バス。
この路線利用の場合、清盛塚バス停はいったん行き過ぎる事になるので、降りたら少々バックです。
また田原経由の路線でも、先に記したとおり、音戸バス停で降りて歩いても2~3分かかるかどうかです。
なお、後方に建設中なのは「第2音戸大橋」。
この橋は、本土側の山の中腹に建設中の自動車専用道路に直結する事になるようです。
その清盛塚の説明書。
音戸町循環型バス「さざなみ」。
どんな車両が来るかと思っていたけれど、ごく普通の市営の大型車でした。
音戸のバス停の内、藤の脇方面行は、駐車場のネットにくくりつけられただけの簡素なタイプ。
中国地方のバス停は全体的に掲示板的な要素が強く、改善が求められる所。
結局帰りも渡船を利用、音戸大橋を呉市営バスで渡る機会は、これでなくなる事になりました。
音戸渡船口に現れた、呉駅前(そごう)行市営バス。
このバスは音戸のバス停を経由して橋を渡ってきたので、最初からこれに乗っても良かったのですが。
いずれにしろ、帰りのANA便の事を考えたらもうこのバスに乗るしかなく、いよいよ呉市営バスお別れ乗車です。
ところが、途中の工事渋滞が酷く、なんと呉駅前には15分も遅れての到着となってしまいました。
しまった、広島行快速電車に間に合わない…!
なんとも慌しい「お別れ」になってしまったのは、ちょっと悔いが残る所です。
すでになくなってしまった所、これからも走る所、公営バスも様々ですが、1年間・3回訪問して少しは乗ってみた感触として、呉市営バスほどバラエティに富んだ、風光明媚なロケーションを持つ市営バスは、他にはなかったかもしれません。
海にも山にも、それぞれ美しい風景が多数あるようでした。
もう少し早く知り合えていれば…。
さて、大急ぎで呉駅に駆け込むと、何の事はない、快速電車は倒木とかで運休になってしまっていました。
次の広島行は13時ちょうどの普通電車ですが、単線だし、この状況だと広島に着くのは何時になるやら(定刻なら13時47分)。
急遽高速バス「クレアライン」利用に変更しました。
(前回も乗っているな)
12時53分発広島バスセンター行はJR担当で、一般路線バスベース車両でした。
広島呉道路から望む瀬戸内海。
広電バスの「クレアライン」。
広電バスは普通の高速タイプ車両を投入しています。
4月1日以降はJRと広電の2社による運行に変わる事になります。
さて、このバスは広島バスセンター行なのだから、終点まで乗って、そこで空港バスに乗り換えれば良いはずです。
しかし今朝は広島駅のコインロッカーに大バッグを預けているため、どうしても広島駅に立ち寄らなければなりません。
南区役所で下車し、広電の5系統に乗り換えていきます。
といっても南区役所の乗り場は、クレアラインのバス停からは結構遠いのですが。
比治山下経由の5系統は日中12分間隔と少々少ないのですが、幸いすぐ来てくれました。
しかし例によってじれったいくらい遅く、結局本来目標にしていた、新幹線口13時40分発の広島空港行バスには乗れませんでした。
(電車はこれで正常のダイヤ運行なのだが)
という事で次の空港行バスは14時10分。
今度こそこれに乗って、空港を目指さなければANA682便羽田行には乗れなくなってしまうかもしれないのですが、続きは次回。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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