№674 東日本大震災から1年

 今日3月11日は、歴史的な大惨事、「東日本大震災」から1年。
 改めて、震災で犠牲になられた多くの方々にお悔やみを、被害に遭われた多くの方々にお見舞いを申し上げたいと思います。
 本当はもっといろいろ書きたい事も多かったはずなのですが、あまりに多すぎて整理し切れません。
 ダラダラとになってしまいますが、簡単に書いておきます。
 本当は未だに気が重いので、あえて避けようかとも考えたのですが、やはり日本人として無視する事は許されないだろうと思いまして。

 改めて、あの地震発生時を振り返ると、私は仕事の合間の休憩で、渋谷駅東口、明治通りに面した大手喫茶チェーンの店内2Fにいました。揺れだした時、最初はたまにあるごく小さな揺れだと思っていましたが、収まるどころかだんだん揺れが大きくなり、店内の客が皆外へ逃げ出そうと降りていきました。私は揺れが収まってから外に出ましたが、「ヒカリエ」の屋上のクレーンがグラグラ揺れていて、人々がキャーキャーいっていたのを未だに思い出します。
 私は夜勤でしたから直接の影響は受けなかったのですが、東京近辺の鉄道が全て止まり、特にJRが早々と当日の全面運休を決めたため、後は私鉄の開通はいつだ?と多数の人々が私鉄の駅を取り囲んでいたようです。渋谷近辺では青山学院大学などが帰宅困難者を受け入れているとか聞きましたが、今さらながら「『帰宅難民』って、やっぱりいるんだなあ」と思わされました。その日のうちに運行を再開した私鉄や地下鉄、それに一部の都営バスの路線は終夜運転を行っていたようです。東急の渋谷駅も無事ではなく、一部の旅客案内掲示板が破損して、多分今も応急修理をした状態のままだと思います。副都心線直通運転開始に伴う地下移転まで、おそらくそのままになるのでしょう。
 地震そのものももちろんそうなのですが、個人的にも仕事上、精神的に苦痛を感じる事件がありまして(震災・原発事故とは一切関係ない)、それが「3月11日」に対する、精神的により重く苦しい印象を、今も与えています。
 まあ震災の直接の犠牲者等の苦しみ・痛みに比べれば、取るに足りないことではありますが。

 その日から今日で1年を迎えたわけですが、正直な所、「もう」とも「まだ」とも感じません。
 あえて言えば「いつの間にか」という所でしょうか?
 何しろこの1年の間ずっと、大震災・原発事故に関するニュースが途切れた事はなく、直接的な影響は、首都圏でさえ今でも残っています。鉄道だけでも夏の節電ダイヤが終わった後も、京成<シティライナー>や東武の区間準急の一部運休は未だに続き、京王井の頭線や京急も、節電ダイヤ終了後も一部減便ダイヤに移行しました(節電だけでなく、輸送力の適正化の意味もあったかも)。券売機の運用を一部停止している場所も少なくなく(東武とか、先日訪れた十鉄もそうでした)、東海道線に211系代替で投入が進むE233系は、最初から室内の蛍光灯が一部抜かれた異常事態での投入が続いています。

 原発事故の影響は直接的にも間接的にも相当尾を引きそうで、間接的な部分では、また今年の夏も、節電ダイヤとなるのでしょうか。昨年と比較して劇的に好転するとはとても思えませんし…。
 鉄道に限ると、いつか書きましたが、この状況でLCCやまもなくスタートの「新高速バス」、宿泊特化型ホテルとどのように向き合うのか、難しいというより、苦しい状況がかなり長く続くような気がします。
 日本の鉄道は、電力の供給が充分でないとどうにもならない部分がありますから…。

 思うのですが、深刻な環境破壊に陥っている以上、脱原発運動が盛り上がるのは当然の流れでしょうが、一方で二酸化炭素排出による温暖化も考えると、「原子力NO」かつ「温暖化もNO」なら残された答えは唯一つ、

エネルギーを消費する行為そのもの

の徹底的な見直しが求められるはずなのですが、少なくとも私が見た限り、社会全体ではそのような動きが全然ないのはどうしてなのでしょうか?
 夏の節電が終了したとたん、繁華街のビル群では大型画面の動画が大音量音声付で復活したりしていますが、ああいうのはそのまま垂れ流しでいいの?
(電力消費だけでなく、景観や騒音の面でも問題では?)
 少なくともチョコマカ「節電」とか「エコ」とかいう生温いセリフ … 多分に商品、特に家電の宣伝のみに利用されている部分が多い … では片付かないレベルにまで来ているのではないのか?
 事故直後「埋蔵電力」という言葉が流行りましたが、

「原子力発電所はNO。だけど潤沢な電力で贅沢な暮らしは享受し続けたい」

という思惑が見え隠れしてしょうがありません。
 そうではないんだけれどなあ。

 震災の話に戻って、今日は一日中各メディアが競って震災・原発事故問題を報じていますが、正直私は何も見聞きする気にはなりませんでした。
 オピニオンも花盛りだったようだけれど、所詮被災地から遠く、贅沢な暮らしを謳歌できる都会での論議に過ぎないので説得力を感じないのです。
 何度か書いていますが、「バスラマインターナショナル」「バスマガジン」等の被災地の状況を伝える記事の方が、よほど説得力を持っていると思います。
 そもそも震災前から感じていた事ですが、いまのジャーナリズムは、どこかエンターテイメント化してしまっている部分があるのではないか。
 原発事故と、島田紳助の引退騒動が同列に扱われている所はなかったのか?
 原発事故後、後出しで「実はああだった、こうだった」といまさらながらの情報ばかりを基に関係者を糾弾していますが(別に彼らを擁護するつもりはないが)、一方で中国の高速鉄道事故の直後、「日本ではありえない」というばかりで少しも疑う事がないメディアを見ると、やっぱり彼らの報道は信用できない。
 いつか日本が滅ぶ事があるとすれば、それは政治家や官僚、役人、企業や原子力発電所ではなく、エンタメ化したジャーナリズムが原因になるのだろう、と思っています。

 あと、今日はたまたま日曜日でしたが、この先日本は、多分永久的に … 特に原発事故の処理は数十年単位の時を必要とするらしいし … 3月11日が震災の追悼の日として後世に継がれていく事になるはずですし、その必要があります。
 ならば、どこかの無意味な祝日を削ってでも、この3月11日を「国民の休日」として、全国民が震災などについて考える機会を作るという施策も、あってもいいのかもしれません。

 脈略がない文章ばかりダラダラ並べて見苦しかったろうと思います。
 もっと書きたい事が多かった気がしますが、この位にしておきます。
 乗り物の世界もまだまだ苦境は続きますが、それでも例えば、明後日13日より京成バスがQVCマリンフィールドへの乗り入れを再開すると発表がありました。
 17日のダイヤ改正日にはJR八戸線が全線再開する他、仙石線・石巻線も運転再開区間が拡大されます。
 乗り物は、少しづつでも立ち直ってきています。
 是非被災地へは公共の乗り物で、乗り物も、現地の人々をも応援に行きたいものです。
 私も、今年は … 先日八戸に再び行きまして、来週書きます … 少し東北へ行く回数を増やせればなあと思います。
 まあお金の問題もありますし、さすがに三陸海岸は、まだ行きづらいかなあというのは正直ありますが。
 でも、いつかは…。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 ところで昨年は翌3月12日よりJAL便で広島へ、その後松江に移動するという旅行をプランしていましたが、12日は出発できず、翌13日に新幹線で広島へ、そして翌14日に米子からANA便で帰宅するという旅行をしてきました。
(その時については№452から3回に分けて書きました)
 実は、明日朝からまた広島に行きます。
 目的はずばり「呉市営バスお別れ乗車」。
 今回は往復ともANAの広島便ですが、B787ではありませんよ。
(だって早々に満席なんだもの)
 帰ってくるのは明後日13日の夕方。
 このため、明日の更新はお休みです。

 震災と違って、避けようと思えばいくらでも避けられるはずの事件なのですが、これでは和平は遠くなるばかり…。
《今日のニュースから》
アフガニスタンで米兵が銃乱射 市民3人以上死亡