№677 十鉄お別れと八戸の旅 2.雪に埋もれる十鉄と十和田市
2月27日(月)
八戸より青い森鉄道で三沢に向かい、十鉄に乗る事にします。
ちょうどうまい具合に、6時56分発の青森行快速がありました。
快速501Mは三戸始発で、学生がぞろぞろ降りてきました。
7時前なのに早いなー。
運転士もここで交代(ワンマン)。
学生が降りて、車内には余裕がありました。
この快速は、三沢までノンストップ。
上りは560M(野辺地始発)だと思ったのだけれど、IGR7000系でした。
IGRって、三沢までではなかったっけ?
下田ではJRのDC編成を追い抜きました。
1525D?だとしたら、本来は野辺地までは先に行くのですが…。
さらに青い森701系ともすれ違いますが、順番どおりなら三沢始発盛岡直通の2520Mのはずです。
ひょっとしたら、560Mと2520Mが逆になったのかも知れない。
今にして思えば、後で書きますが豪雪による混乱の前触れだったのかも。
十鉄三沢駅は、初めて訪れた時から数十年、全然佇まいが変わりませんでした。
駅舎の中も同じ。
ここも学生の姿が多く見られました。
電車には昨年の電化60周年記念のプレートが掲げられています。
十鉄は1951年6月20日、それまでの非電化の軽便鉄道から、1067㎜軌間の電化鉄道に転換されました。
7700系の車内。
この画像では解らないでしょうが、通常使用する最前部・最後部のドア部にはマットが敷かれています。
七百で行き違った三沢行も7700系でした。
残念ながら7200+7300形は運用されていませんでした。
雪晴れでまぶしい雪道を行きます。
学生は三農高前や工業高校前で皆降りていきました。
終点の十和田市駅です。
ショッピングセンターの中にある駅舎とホームの間は、道路を跨ぐ橋で結ばれています。
駅舎内は閑散としていました。
待合場所の片隅には鉄道関係の月刊誌が数冊おいてありました。
休止のお知らせ。
3月一杯で電車の運転を終了、廃止前提の休止に入ります(というのが、この日の状況でした)。
代行バスについては、この時点では何も情報がありませんでした。
せっかくの快晴なので十鉄バスを撮りたいなあと思っていたのですが、光線状態が市内中心部の大半で今一つ(もっと遅いといいのだろうが)、商店街の影もあるし、加えて除雪の雪の塊が歩道上にあり、うまく撮れる場所がなかなか見つかりません。
さらに十鉄バス便そのものが大幅に減少しているという事もあります。
(ちょっと驚いたのは、八戸で降りた国際興業の<シリウス>と出くわした事。八戸中心部を回ってきたとはいえ、電車の乗り継ぎより遅くなるとは!)
それでも午後になれば、現代美術館あたりで何とかなるかもしれない、と思っていたのですが…。
JRバス東北の<おいらせ>も見たし(撮れなかったけれど)。
山から下ってきた雲が、一気に青空を覆ってしまいました。
昼過ぎには一気に吹雪!これはビックリ。
十和田市のバスターミナルも鉄道と同じターミナルビルに入っています。
十鉄の旅行代理店も入っています。
鉄道の休止の理由には、ターミナルビルからの十鉄の立ち退きが迫られているという事がありました。
という事は、鉄道だけでなくバスターミナルも移動を余儀なくされるはずです。
ただ、十和田市駅自体、中心部からは離れた位置にあります。
これを機に、バス路線自体の再編成も予想されると思うのですが、どうでしょうか?
(今日現在はまだ発表がありません)
券売機の上には、手作りレリーフが掲げられていました。
なお、三沢にも十和田市にも、妙に近代的なタッチパネル式の券売機があります。
(もう1台ずつある旧型は、節電対策で休止中)
最初はこの12時15分発の電車で、十鉄電車としては、十和田市とお別れのつもりでした。
吹雪の中、時刻通りに出発します。
こんな雪の中だというのに、沿線のあちらこちらには、カメラを向ける同好の士が見られました。
七百駅で三沢行と十和田市行、それに車庫の脇に留置されている編成、合計3本の7700系が並んでいました。
ここで途中下車してみます。
七百駅の駅舎。
運転の拠点の駅ではあるのですが、駅舎は待合室に毛が生えた程度でしかありません。
もちろん無人駅。
駅舎の右手には、貨車倉庫が雪に埋もれていました。
3401号車と3603号車も車庫の中にあります。
車籍は残っていますが、運行終了までの間に運転の機会があるでしょうか。
七百駅の全景。
かつては十鉄バスも乗り入れていたようですが、今は付近を、六戸町の白ナンバーの町営バスが走っています。
この構内では、ED401がパンタグラフを上げて待機していました。
時々コンプレッサー音が聞こえてきます。
除雪の出動を考慮していたのでしょうか。
それにしても、駅の周辺は、商店の類が全くありません。
せいぜいこの簡易郵便局と、小規模なガソリンスタンドがあるだけ。
郵便局の職員の話だと、十鉄線をはさんで七百バイパスが開通して以降、商店の類は全部廃業してしまったのだそうです。
駅付近には割とこぎれいな、最近できたらしい住宅地もあるのですが、この様子だと代替バスも大丈夫なのか?
なんだか付近の景色だけでなく、心もまた深い雪の中に沈んでいきそうです。
七百から再び、1時間25分後の十和田市行に乗ります。
窓の外はひたすら雪景色。
十鉄三沢駅の傍らにある、バス協による観光案内図。
相当古く、もちろん青函トンネルはないし、一方で国鉄黒石線・大畑線が書かれています。
三沢駅に停車中の7700系。
最初は、これでもう見納めだと思っていました。
ところが…。
なんと、三沢からの青い森鉄道は、津軽地方の豪雪のため、運転取り止めになっていました。
当たり前といえば当たり前ですが、同じ青森県でも、三八上北と津軽では全然天候の傾向が違うものだなあ。
せめて三沢折返し位は運転できるのではないの?とも思えたのですが。
それで、八戸に戻るにはどうしたらいいか。
バスは一般の路線はなくなっており、後は三沢空港からの空港バスが三沢駅からも乗れるのですが、まだかなり先の話。
しかもこのバスは八戸駅には行かないので、荷物を預けている身としては利用しづらい。
時刻表を調べると、十和田市を15時30分に出る八戸行(八戸駅経由)があり、今から十鉄に乗れば乗り継げそうです。
という事で、この機会だから、本当の「お別れ乗車」として、十和田市まで十鉄電車で戻る事にします。
反対側の窓越しに眺める雪景色。
十鉄は、やはり終始地味なローカル私鉄だったと思います。
三沢14時48分発で十和田市には15時15分発。
今度こそ、本当に十鉄電車とはお別れです。
十鉄バスの八戸行。
下田や八戸駅を経由し、八戸の中心街に向かいます。
以前は貸切格下げ車も多数運用されていたようですが、現在は中型車も珍しくありません。
残念ながら夜行の疲れが出て、ほとんど寝ていました。
八戸駅の到着は、いつの間にか15分程の遅れ。
雪の影響もあったのでしょうか。学生が多かった事もあるかも知れません。
八戸でも、青い森鉄道運休中のお知らせが掲げられていました。
やはり三沢までは区間運転が数本運転されるようではありましたが。
今日は八戸線・本八戸駅の近くのホテルに投宿するのですが、八戸線は通常通りの運行でした。
改札口には、津波の被害を受けた八戸線の現場の写真がありました。
八戸18時13分発鮫行。
キハ40×3連。
八戸線は、今月17日のダイヤ改正に合わせて、全線で運転を再開します。
さて明日ですが、ここもまた天気しだいだなあ。
晴れならバスを撮ります。
曇天なら、青い森鉄道の駅を巡ってみたいと思います。
ところで昨日の話になりますが、十鉄は廃止時期繰上げの申請書を国土交通省に提出しました。
これまでは4月1日より休止に入り、来年1月一杯をもって正式廃止とするものでしたが、もう4月1日付で、休止ではなく正式に廃止にするというものです。
(休止届けは取り下げ)
最終日3月31日(土)は特別ダイヤで運転、2運用・七百での交換ありで、1時間間隔の運転。
またこれに先立ち、今日から代替バスの実証運行が始まっているそうです。
七百は、通学対応系統はバイパス経由、他は、上で書いた簡易郵便局の前を通る旧道を走る事になります。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
「春闘」の存在意義は、もはや失われつつあるのではないでしょうか。
「春闘」は本当に意味があるの?本音の議論が求められる時が来たと感じます。
《今日のニュースから》
NEC経営陣 4%賃金カットを労働組合に申し入れ