№680 どうなる十鉄バス

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 昨日まで4回に渡って、十和田観光電鉄(十鉄)鉄道線お別れ及び八戸の旅について書きました。
 昨日からの事ですが、十鉄電車は25日までの土休日は、通常の土休日ダイヤに3往復を追加して運行するとの事です。
 さて、今月一杯をもって鉄道が廃止になったあと、十鉄は基本的にバス専業の事業者になるわけですが、このバスについても、このままではあまり見通しが明るくない気がしてなりません。
 この数年の衰退があまりにも著しいからです。

 わかりやすい例として、過去と現在のバスの時刻を比較してみます。
 まず、18年前の1994(H6)年4月1日現在のバス・電車の時刻表が手元にありましたので、ここから十和田市駅を出発する十鉄バスの時刻表を作成してみました。
 十鉄はこの年、創業80周年を迎えていました。

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 当時は三沢~十和田湖の急行バスが、最大で6往復運行されている上、八戸~十和田湖の特急バスまで運行されていて、十和田湖への観光の拠点となっていた事が伺えます。
 また青森へも、みちのく有料道路経由の特急に加えて野辺地経由の急行も多数運行されていました。
 ローカル便も、今では見られなくなった行先が多数あります。
 当時としてもすでに退潮の傾向はあったのでしょうが、それでも地方都市としては、結構活気があるダイヤだとは感じられないでしょうか。

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 一方、こちらは去年5月26日の改正ダイヤです。
 18年間も経ったとはいえ、この減少振りには改めて驚かされます。
 特にこの改正では土休日に相当の便数が運休とされ、土休日に出発する便は37便(<シリウス>を除く)しかありません。
 十和田湖行も夏期のみ運転の1便が土休日運休となり、もはや観光輸送の役目は果たしていません。
 まあ今はJRバスの<おいらせ>号があるので、そちらへどうぞという事でしょうが。
(十鉄全体でも土休日に運行されるの一般の路線バスは十和田市~新青森・野辺地・焼山・八戸・赤伏(指久保)の各路線とイオンのシャトルバス、それに三沢市内のビードル東西線、上下合計75便に過ぎない)

 また他の路線でも、18年前は17往復(急行含む)運行されていた八戸~百石~三沢線も、今や百石~三沢で区間運転が3往復(全便土休日運休)しかないという有様。
(5月26日時点では6往復だったが10月に再減便。十鉄サイドは廃止としたかった模様)
 路線の廃止・大幅減便がローカル支線だけでなく幹線的な性格を帯びていた路線にまで及んでいて、これでは正直十鉄バスネットワークは崩壊に近い状況ではないでしょうか。
 何も十鉄に限らないのでしょうが、寒々としたものを感じずにはいられません。

 嘆いてばかりいても何も良くならないので、鉄道廃止後の十鉄バスはどうすべきか考えます。
「現状を知らぬよそ者が勝手な事を」と思われるでしょうが、どうかご了承ください。

 まず現在鉄道線代替のバスの実証運行が行われていてダイヤも公表されていますが、これをそのまま4月1日以降も適用するとしたら、鉄道以上の減便(平日は学校対策を除いて14.5往復、土休日9往復)になり、2時間に1本程度しか便がない時間帯もあります。
 三沢は十和田市から見て最も近い「市」であり、新幹線開業まではJR特急の停車駅だったから三沢との連絡を重視するのも当然だったのですが、現状では広域的に見ると、三沢への連絡はあまり意味がないといえます。

 ローカル輸送で三沢への足を残す事ももちろん必要ですが、私はむしろ青森県第2の都市・八戸への足の維持、そして再度の向上を図る事が、現状ではベターな道なのではないかと思われます。
 現状でも平日なら1時間に1本は確保されていますし、八戸駅への乗り入れが行われるようになった事で、新幹線への接続も改善されています。
(新幹線なら七戸十和田だろうが、東京へは遠回りのイメージもあるし、停車回数が少ない)
 急行便を東京発着の新幹線に接続させる事で長距離の移動の旅客を誘致するのです。
(無論、土休日も可能な限り復便する)
 もちろんただ走らせるだけではダメで、現状ではないJTBやJRの時刻表への掲載も必要でしょう。
 さらに、強力なバックアップも欲しいです。
 せっかく「国際興業」という大企業がバックについているのですから、首都圏でも大いに八戸~十和田直通ルートを宣伝してもらうのです。
(十和田市内にグループの富士屋ホテルもあるのだし)
 JR東日本にお願いする必要もあるかもしれません。

 また、十和田市~三沢線については、一部の三沢空港への乗り入れはできないでしょうか。
 十和田市~三沢空港だけでは空港連絡バスを仕立てるの需要はないでしょうが、空港アクセス機能も組み込む事で、電車代替バスの安定した輸送量の確保を図る事、さらには航空需要の十和田への誘致も図ります。
 したがってここでも他からの支援が必要で、空港がある三沢市や、空港に乗り入れるJAL等の協力は欠かせない。
 さらに青森線についても、最低現状維持。
 幸いみちのく有料経由に限れば、18年前から便数は変わっていませんし、青森~十和田両市を結ぶ都市間連絡路線としての機能を残しておくのです。

 もはや一事業者・一地方自治体の努力だけでは地方交通網の維持には限界があるというのが現状であり、現実でしょう。
 公共交通、特にバスのこれ以上のネットワークの縮小はなんとしても阻止しなければならず … 十鉄や十和田市だけのことではないが … 、それには企業・自治体の垣根を越えた総合的な連携が必要になるでしょう。
 残念ながらローカル線についてはそれでも正直どうにもならなくなりつつあるように思えてなりませんが、せめて主要市町村間を結ぶ幹線的なバス路線は維持・向上を図り、公共交通の復権を印象付ける政策が期待されると思います。

 それと、№677でも書きましたが、十鉄ターミナルビルの明け渡しは、当然鉄道だけでなくバスにも影響を与えるはずです。
 これについては今の所公式Webページには何の情報もありませんが、勝手な推測ですけれど、十和田市中心部への移転は避けられないと思われます。
 これを機に、新バスターミナルは単なるバス発着場所ではなく、新タイプの「バス駅」として、十和田市や十鉄バスなどの情報を発信する場所となる事も期待したいと思います。

 再来年2014(H26)年に創業100周年を迎える十和田観光電鉄。
 是非節目の年にふさわしい、三八上北地方の公共交通を支える主要交通企業として、元気を取り戻して迎えて欲しいと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

《今日のニュースから》
東京・浅草の三社祭 54年振りの「舟渡御」

№679 十鉄お別れと八戸の旅 4.E5系初乗り はやて32号

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 八戸より帰宅の途に就きますが、前回は三沢空港からのJAL便でした。
 今回は新幹線を選択しますが、いよいよ初めてのE5系乗車となります。
 別に狙ったわけではなく、E2系でも良かったのですが、時間帯からE5系運用の列車となったのでした。

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 今日も津軽地方は雪が凄いらしく、除雪作業のためとかで、ほとんどマヒ状態が続いていました。
 三沢への区間運転が数本走るのみ。
 同じ青森県ながら、ここにいるとそんな事は全く信じられないのが本音なのだけれど。

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 八戸駅の新幹線改札口。
 八戸駅は新幹線⇔在来線の連絡改札が存在せず、いったん改札の外に出て入りなおす事になります。
 同じJRの八戸線でもそうで、在来線の営業を青い森鉄道に委託しているからでしょうか。

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 新幹線のホームは、前から後ろまで、全部がガラス張りのドームで覆われています。
 停車しているE2系は<はやて27号>。

 さすがに雪に強い東北新幹線はほぼ正常に運行されています。
 ただ、全くただでは済まなかったか、E5系の<はやて32号>は、所定16時06分の発車時刻になって、姿を見せました。

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 八戸から盛岡まではほとんどがトンネル。
 盛岡が近づくと、右手に岩手山が姿を見せてくれます。

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 盛岡で、<こまち32号>を後方に連結。

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 ここで、E5系の普通車の車内。

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 八戸駅で購入しておいた、「穴子いくら弁当」(1,000円)。

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 車内販売。
 後方のデッキ仕切りドア上部のインフォメーションもお約束。

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 東北新幹線も、大震災で手酷い被害を被ったけれど、9月以降は通常運行に戻り、快走する車内から窓の景色を眺めている限り、そんな事があったとは全く感じない。
 でも、この山々の遠い向こうの海岸で起きた惨劇を思うと、気分は複雑…。

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 壁側には、PC用の電源コンセントも用意されています。

 東京には定刻19時08分到着。
 さて、初のE5系の感想ですが、他とどう違うかとたずねられたら、普通車でも座席に可動式の枕がついていたりする所は違っているけれど、普通車に限っては在来の形式と決定的にここが違うという所は正直感じませんでした。
 電源のコンセントももう当たり前だし(むしろ普通席でももう全席分に増設しても良いのではないかと思った程)、普通席でも読書灯位は欲しいなあと思いました。
 インテリアはシンプルで落ち着いていて、間隔もゆったり取られていいと思います。
「グランクラス」の存在もあるけれど、E5系の本領は、やはり320㎞/hを志向する<はやぶさ>でこそ出るのではないか、そう感じました。

 ともあれこれで十鉄お別れの旅は終わりました。
 それにしても何回か書きましたが、十鉄は鉄道もさることながらバスの減便がここ十数年の間でかなりきつく、昨年5月以降は、土休日はほとんど運行がない状態になっています。
 それについては明日書きますが、このままでは再来年、2014(H26)年の100周年を無事に迎える事ができるのか、ちょっと心配…。
 八戸市内の市営バス、南部バスが比較的元気なのはまだ救いですが、こちらも今後はどうなるのか。
 ともあれ、青い森鉄道等も含めて鉄道・バスを積極的に利用し、東北地方を応援しましょう。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 昨日から今日にかけ、鉄道に関する様々なトピックスがTVの画面に映りました。
 八戸線の全線運行再開もありましたし、最終日の<日本海>の青森到着もありました。
 とうきょうスカイツリー(業平橋)駅は、駅自体はまだ工事中の模様。
 去年の全通時には祝賀行事を全て自粛した九州新幹線は、開業1周年記念セレモニーが行われました。
 びっくりしたのは、BSで放映されていた中国の中央テレビ(CCTV)が、新幹線300系引退のニュースを報じていた事。
 中国語音声で聞き流していたのですが、突然日本語が聞こえてきたので驚きました。
 昨年高速鉄道事故が起きた中国では、300系引退はどう映ったのでしょうか。 

《今日のニュースから》
細野環境大臣 静岡県を訪問 被災地のがれき受け入れへの協力を呼びかけ

№678 十鉄お別れと八戸の旅 3.復興進む 雪晴れの八戸

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 2月28日(火)
 本八戸の駅前のホテルの一室から、朝目覚めて窓のカーテンを開けると…。
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 雲の切れ目から、まぶしい朝日が差し込んできます。
 今日はいけるかな…?

 朝食・チェックアウト後、以前も行った事がある八戸市庁の前でバスを撮ります。
 全体的には市営バスが多く、南部バスは反対側を走るラピア方面行は多いものの、こちらを走る便は少ないかも。
 その中から数枚。

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南部バス 八戸200か363
 仙台行高速バス<うみねこ>。

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南部バス 八戸22か518
 こちらは盛岡行の<ハッセイ・エクスプレス>。
 側面の英文からして、貸切からの転用ではないだろうか。

 もう一枚、高速バス。

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十和田観光電鉄 八戸200か480
 十鉄の<うみねこ>で、SHDのスーパークルーザーだけれど、貸切転用では?
 前の晩には日野セレガRが運用されていたのを見ていたけれど、残念ながら来てくれなかった。

 さて、八戸は昨年、大震災・大津波の直後の5月1日に訪れ、鮫駅や蕪島にも行っていました。
 その時の模様はこちら(№468)をどうぞ。
 では、あれから11ヶ月、現状はどうなのだろう。
 今回は本八戸駅から、JRで鮫を訪ねて見ました。

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 八戸線1431D。
 青い森鉄道・三戸が始発のキハ40×2連。
 それにしてもこの次が2時間後か…。
 町外れを迂回するように走る事もあるだろうが、少なくとも鮫までは1時間に1本、とは行かないだろうか。

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 キハ40の車内。
 最も、朝方の鮫行はお客さん、少ないけれどね…。
 座席の地が変わった程度で、特に大掛かりな改造は施されていない。
 味も素っ気もないインテリアだけれど、いまやどこかレトロ調に見えるのは気のせい?

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八戸市交通部 八戸200か445
 昨年乗った、金浜小学校行の種差海岸線。
 昨年は古いLRだったので撮影できるかなと思ったのだけれど、この日はエルガミオでした。

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 残念ながら廃業になっていた銭湯「清水湯」。
 でも八戸は全体的に銭湯がまだまだ多そうです。
 いつか、ご紹介できる日が来るかもしれません…?

 さて、今度は蕪島に向かいます。

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 ここは確か、去年の5月の時点では公衆トイレがひっくり返っていたと思う。
 蕪島近辺でも、復旧工事は徐々にですが進みつつあるようです。
 でも、何になるのだろう。

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 蕪島。
 去年は雨模様の残念な天気だったけれど、今日は一転雪晴れ。
 青い空に白い雪、寒いけれどすがすがしい光景です。

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 蕪島神社。

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 蕪島神社から見た漁港。
 雪が積もっているので解りづらいのですが、去年と比べると、少しづつでも明らかに立ち直りつつあります。

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 こちらは漁港から見た蕪島。
 昨年も少し感じたのですが、鮫駅付近は市営バスのバス停が分散していてわかりづらい傾向があるので、復旧・再整備に合わせて蕪島付近に統一バスターミナルが整備されると良かったと思うのですが、もう遅いでしょうか。

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 JRの鮫駅自体は以前と何も変わっていません。

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 ただ、駅前にはライオンズクラブによる、こんなものができていました。

 今度は市営バスに乗ってみましょう。
 大杉平営業所行です。
 平は「たいら」ではなく「たい」と読みます。
 北東北らしいです。

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 実は経由地を確認しないまま乗り込んだのですが、昨年乗った20分間隔運転のメインルートではなく、白銀の方を経由する路線でした。
 ただこれはこれで古い集落や商店街を抜けていって、趣のある路線でしたが。
 しかしただでさえ道幅が少々狭い上、雪の塊のためにすごく走りづらそう。
 この辺、ちょっと「大雪」になっても1~2日ですぐ消えてしまう関東地方とは全然違う所。

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 車内はこんな感じ。
 中心街まではどんどんお客さんが増えていって、傾向としてはいいのですが、大半はやっぱり高齢の方々。
 こういう地方こそ、ノンステップバスの普及が望まれるのですが、今のところは市営も南部もないみたい。
 中心街を過ぎるとガラガラです。

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 終点の大杉平営業所の事務所棟。
 事務所というより、地方の民営バスの「バス駅」の風情も感じられます。

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 窓口にこんな発車案内表示装置があるのは少々驚きでしたが。

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 整備庫もまた、古めかしい雰囲気を残しています。

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 さて、この大杉平営業所は今月一杯で廃止、八戸市営バスの運行拠点は旭ヶ丘営業所に一本化される事になります。
 大杉平営業所は、4月1日よりバスセンターとして機能する事になるという事。
 どのような姿になるでしょうか。

 昼過ぎは廿六日町付近でバスを撮影。
 その中から数枚。

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八戸市交通部 八戸200か554
 T字ガラスで、他事業者からの移籍だと思いますが、どこからだろう。

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 南部バスでは未だ京急バスの初期のキュービックが残っていますが(さすがにモノコックはもうないか)、画像の「八戸200か12」号車は、相当くたびれているのが見て取れます。

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南部バス 八戸200か618
 一方、今の所最新鋭らしきエルガミオの姿も見られました。

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十和田観光電鉄 八戸200か525
 明らかに国際興業で、広告掲出スペース確保のためか、側面の社名表記が「十和田観光電鉄」ではなく「十鉄」になっているのに注意。
 十鉄は鉄道だけでなく、バスもこの数年で衰退が著しく、再来年2014(H26)年には100周年を迎えるのですが、先行きが心配だなあ。

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 十六日町バス停。
 この付近は一方通行になっていて、このバス停は八戸駅や、二ツ家などの南部に向かう路線が主に発着します。
 バスを待つ乗客が多いのはいいのですが、歩道が狭いし、屋根もないのでこの点は何とかならないでしょうか。
 待合室位は欲しい所。

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 最後に、市営バスの特徴と思われる、リアーのミラーです。

 実はこの後市営バス、南部バスで共に西工ボディの車両も見かけたのですが、残念ながら撮影はなりませんでした。
 いつかは、必ず。
 南部バスに関しては、八戸市内以外の、五戸とか、三戸にも行ってみる必要があるのでしょう。
 ともあれ15時過ぎに撮影を終え、帰宅の途に就きます。
 いよいよE5系に乗るのですが、それは次回。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 今日は日本各地で、鉄道を中心に「さよなら」が多く見られました。
 新幹線の100系に300系、寝台特急の<日本海>と急行<きたぐに>、JR東海の371系、小田急のHiSE・RSEに5000形、加えて明石市営バス。
 夜行の<日本海><きたぐに>の廃止は、本当はもっと重い意味があるはずだと思うのですが、「さよならイベント」的な部分ばかりが前面に出ていて、大事な所がほとんど論じられていません。
 国鉄時代の末期、深刻な財政危機を何とかしなければならないとされていた頃、時の運輸大臣が財政再建のため、夜行列車全面廃止を主張した事がありました。
 その時点では一笑に付されて終わったのですが、あれから30年経ち、どうやらその方向に向かいつつあるようです。
 何しろ毎日運転の夜行列車はこれで特急<サンライズ瀬戸・出雲><北斗星><あけぼの>に急行の<はまなす>の4本だけになってしまうのです。
 大規模輸送システムの鉄道としては、少量輸送になりつつある夜行列車は向かなくなっているのかも知れませんが、寝台主体で10時間程度、座席オンリーだと7~8時間程度の所要時分の区間ならまだやりようがあると思うのです。
 外野が何を言っても、結局はJR各社の胸先三寸にかかってくる訳ですが、何とか夜行列車の復権はならないでしょうか。

 どうも内外野含めてスッキリしない事件、そして裁判になってしまいました。
《今日のニュースから》
光市母子殺害事件 少年への死刑判決確定