長くて風が冷たくて寒い冬はまだまだ続きますが、それでもウメの花がちらほら見られたりして、もうすぐ春です。
もう少しがんばりましょう。
さて、小田急では以前、「パスネット」の前に、券売機専用の磁気カード「ロマンスカード」を発売していました。
他社でもそうでしたが、小田急でも時々シリーズ物を発売、地元という事もあって、私もよく購入していたものです。
今回はそのシリーズ物の中から、「花」という事で、1999(H11)年の「小田急沿線 花の寺 四季めぐり」の刊行を記念した、ロマンスカードの6回シリーズをご覧頂きます。
1999(H11)年3月1日~2000(H12)年1月15日まで、隔月で発売されました。
寺の解説が書かれた台紙付で、全て1,000円券。
3月
広福寺のコブシ。
広福寺は、向ヶ丘遊園駅下車。
5月
安養院のツツジ。
安養院は、江ノ電の鎌倉駅からバスと記されています。
(鎌倉駅からは京急バスで名越下車)
7月
光明寺の古代ハス。
光明寺も、江ノ電の鎌倉駅からバスと記されています。
(同じく京急バスで、光明寺下車)
9月
長安寺のシュウメイギク。
長安寺は、箱根登山鉄道の箱根湯本駅からバスですが、結構遠くて仙石原になります。
11月
海蔵寺のサザンカ。
鎌倉駅から今度は徒歩、山の方に歩いて行って、横須賀線のトンネルの比較的近くです。
1月
瑞雲寺のウメ。
もうそういう季節が来ているようです。
瑞雲寺は新松田からバスとの事。
富士急行バス(今なら富士急湘南バス)という事になります。
近くには下曽我の梅林もあるし、これからが一番のシーズンになります。
小田急のカードでありながら、ずいぶんと小田急の沿線から離れた場所ばかりになっていた感もあります。
でもやはり花は季節感があってよろしいですね。
私も乗り物そのものだけでなく、ぜひ花など、季節の彩を添えるものを画面に加えて写真を撮っていきたいと思います。
今後もこのように、シリーズ物の磁気カードについて書いてみるつもりです。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
******************
《今日見た・聞いた・思った事》
JALの新経営陣が今日発足したのを機に、向こう4年間の中期経営計画が発表されました。
経営破綻に至るまでの経緯を簡単ながら率直に触れていますが、精神的と思える部分については省略します。
航空ファン的に注目なのは、サンディエゴ・ヘルシンキ線の開設、それにB787-9の新規発注でしょうか。
サンディエゴはアジア発では初で、ヘルシンキ線となると、アジアの航空会社では初めてでは?
《今日のニュースから》
イタリア・ローマ 2020年夏季五輪の立候補を断念
№653 25年前の「東武時刻表」
この数日、東武について車両(800・850系)やダイヤ(太田駅)、および改築されたターミナル駅について書いてきました。
仕上げに、ちょうど四半世紀前の東武鉄道の時刻表について書いてみたいと思います。
東武の時刻表はいつから刊行が始まったは解りませんが、1986(S61)年12月1日発行という1987年版は第5号でした。
この年の10月9日、野岩鉄道会津鬼怒川線が開業。
浅草からの快速電車を中心に、東武鬼怒川線との相互直通運転が始まっていました。
第5号ではこの時刻が掲載されていて、表紙は会津鬼怒川線を走る6050系、そして1720系「DRC」、1800系、6050系、10000系、8000系の正面の写真が並んでいます。
当時はB5版で400頁強ある本格的なもので、東上線の時刻表も掲載されていました。
消費税導入前で500円。
表表紙の裏は、1987(S62)年10月2日の開業を控えていてた、銀座東武ホテル(現コードヤードマリオット 銀座東武ホテル)の宣伝。
◆ カラーページ
東武沿線案内図
東武鉄道の路線網は、押上~曳舟間以外はすべて戦争前には開通していました。
一方で板倉東洋大前(日光線)・流山おおたかの森・新鎌ヶ谷(野田線)・ふじみ野・つきの輪(東上本線)は開業前。
東向島は玉ノ井と呼称していました。
少々ショッキングなのが、東武バス路線網。
北関東一帯に直営の広大な路線網が津々浦々と広がっていました。
もちろん大半は朝日自動車や関越交通等のグループ会社が引き継いでいますが、館林~古河~下妻、館林~藤岡など、いまや影も形もない路線も多くあります。
会津鬼怒川線
「いま、新しい夢を乗せて『会津鬼怒川線』。」のタイトルがあり、各駅や沿線の紹介が掲載されています。
上三依塩原は、開業当時は下野上三依と呼称していました。
塩原への国道400号の開通は2年後。
京浜・京葉付近
JRがまだ国鉄で、国鉄の路線図には、管理局境界のマークが残されています。
東北新幹線はまだ上野始発。
京葉線は西船橋~千葉みなと間が開業したばかり。
私鉄は、東武以外は一部の駅名を省略して掲載。
北総開発鉄道(現北総鉄道)は北初富~千葉ニュータウン中央間のみが開業。
(当時は松戸までの、新京成との相互直通だった)
他にも京王相模原線や小田急多摩線、相鉄いずみ野線は途中まで。
地下鉄路線図
当時の東武が相互直通していた地下鉄は日比谷線のみで、従って日比谷線を一番太く描いています。
南北線・副都心線・大江戸線は影も形もなし。
有楽町線と半蔵門線も一部工事中。
有楽町線が和光市に達して東上線と相互直通運転を始めるのは、この直後の1987(S62)年8月25日。
半蔵門線は半蔵門~蛎殻町(水天宮前の事)が工事中になっているが、まさかさらに押上まで延伸して、東武と相互直通運転を行う事になるとは、当時はほとんど全ての人が考えていなかったでしょう。
その後は66ページに渡って、東武沿線の行楽案内が掲載されています。
各支線も含め、線区毎に大小様々な観光・行楽スポットが並び、ハイキングコースや釣りのスポットも事細かに記されています。
なお東武博物館、東武ワールドスクエアはまだありませんでした。
その後が車両の紹介。
さすがにDRCが一番大きく、ビュッフェの営業案内も記されています。
コーヒー330円、ハムサンドイッチ400円、幕の内弁当700円(日本茶付)、ビール(中)470円、ニッカG&G1,400円(ミネラルウォーター・氷・グラス付)等。
車内の写真では、スチュワーデスと共に外国人旅客が並んで座っていて、外国人の利用を意識している事もうかがわせます。
(英語アナウンスもあり。もちろん肉声だったに違いない)
DRC(1700・1720系)の仕様も記されていますが、さすがに外観は、当時としても相当古臭くなっていた事は否めなかったと思います。
シートピッチ1,100㎜は、25年たった今でも普通車で実現できている所は、他社にはありません。
他に<りょうもう>の1800系、快速の6050系やまだ団体用として残されていた5700系、通勤車として、当時の最新鋭の10000系など。
バスもあり、ブルーリボンSHDと、富士5Eボディの一般路線車の写真が掲げられています。
「列車種別と停車駅案内図」に続いて、東武グループや他一般の広告が並んでいます。
「時代だなあ」と思わされるのが、東芝のワープロ「ルポ」。
「目に見えて凄い。」のキャッチフレーズで、早見優も起用されていますが、本体標準価格がなんと138,000円(JW-R70F)。
今の若い人が見たら、「ボッタクリだろ?」と思うかも知れませんね。
◆ 東武線時刻表
当然25年も経てばダイヤの形態もまるっきり違うし、特に伊勢崎線は2006年に種別名称自体を全面的に変更しているから比較が難しいのですが、当時のダイヤがどうだったかという部分を、簡単に振り返ってみたいと思います。
参考資料として、この時刻表から作成した、1986年11月1日現在の伊勢崎線浅草駅、野田線柏駅、東上線池袋駅の時刻表を掲げておきます。
当時は、土曜日は平日の時刻表で運行されていました。
平日は白、休日は赤の用紙を使用。
伊勢崎線・日光線
当時の複々線区間はまだ北千住~竹ノ塚間のみ。
特急・急行・快速急行は、下りは北千住は通過、DRCの大半は、浅草の次がもう下今市でした。
一方で準急(今の区間急行が相当)が、今の目で見ると異常と思える程少なく、日中は1時間4本のみ。
(うち伊勢崎行は太田まで準急運転)
新越谷はまだ通過でした。
伊勢崎線の羽生、日光線の南栗橋から先は、各駅停車タイプの列車は1時間に1本のみ。
また平日の朝方の上りでは、曳舟を終点とする列車が準急を中心に多数設定されています。
浅草駅に10両編成が入線できなかったからですが、かなり中途半端な終着です。
伊勢崎線のラッシュ輸送が、北千住からの日比谷線偏重になっていた事をうかがわせます。
それから当時は、1日1往復「通勤快速」と呼ばれる列車が浅草~東武日光・東武宇都宮間に設定されていました。
(「列車種別と停車駅案内図」には記載がない)
準急でも新鹿沼・東武宇都宮行という2方向併結の列車があります。
なお当時の栃木ローカルでは、藤岡・新大平下折返しが多数設定されています。
野田線
野田線は当時はまだ複線区間が短く、従って設定本数も少ない。
特に岩槻~七光台間だと、日中30分近く間隔が空く時間帯もありました。
東上線
当時の東武時刻表は、東上線も掲載していました。
有楽町線相互直通運転開始の前で、まだ複々線区間はなし。
本線と違って有料の列車がないため、全体的にすっきりしたダイヤになっています。
当時の東上線の特急(もちろん無料)には名前があり、休日運転の<みつみね>(三峰口行)<ながとろ>(上長瀞行)が秩父鉄道への直通運転を行っていました。
(ただし小川町乗換え)
また平日1往復の小川町行には<さだみね>、休日の森林公園行には<むさしの>の名があり、いずれもヘッドマークを掲げて運行していたものです。
急行は和光市・朝霞台がまだ通過。
それから、朝晩の上福岡折返しが案外多く設定されています。
今だと、川越を目の前にした折返しは中途半端とも思えます。
◆ 東武グループ一覧 青の用紙
東武鉄道の営業案内や駅の案内図、駅の一覧表、それにグループ会社や東武トラベルの支店の一覧表が記されています。
当時の東武鉄道は、初乗りは4㎞まで90円(現在は140円)。
浅草~東武日光間は1,000円(現在は1,320円)。
さらにDRCの特急料金は1,000円(現在のスペーシアは平日1,300円、土休日1,400円)でした。
駅構内図では、当然北千住駅が現在とまるっきり異なっています。
また朝霞台駅はこの後の複々線化に備えて、ホームのみ増設されています(「現在使用中止」になっている)
他は掲載駅に限っては、少なくとも線路配線などは変わっていない。
むしろ鬼怒川温泉駅前からのバスの乗場の行先表記が、今は走っていない行先が多くて悲しいかも。
矢板駅行や日光東照宮行、関東自動車の宇都宮行に国鉄の塩原行など。
定期観光バスのホームが7つもある。
(なお「田島行」の表記もあるが、会津バスの田島行は会津鬼怒川線の開業と引き換えに廃止になっていたはず)
今はどうなっているんだろう?
◆ 東武バス時刻表 黄の用紙
さすがに全路線とは行かないまでも、東京・千葉・埼玉を中心とした路線と、簡単な運行計画が記されています。
「定期観光バスのご案内」を見ると、日光・鬼怒川関連で6コースもありました。
内2コースでパノラマ車が運用されていたようで、霧降高原から大笹牧場を経由し、川治ダムへ抜ける(またはその逆)ルートでした。
(一方で一般路線バスは、当時は大笹牧場には入っていなかった)
水上・上毛高原発着の奥利根コースもありました。
この他、時刻の掲載はないのですが、春~秋運行の鬼怒川温泉~水上間の特急バスの運行の案内書きもありました。
いい時代だったですね…。
なお高速バス<ONライナー><いわき号>はまだありませんでした。
グループ会社で阪東自動車があり、簡単に路線図もあるけれど、当時は木下・小林を経由し、佐倉や臼井にも入っていました。
◆ 国鉄・私鉄時刻表 緑の用紙
「国鉄最後のダイヤ改正」となった、1986(S61)年11月1日現在のダイヤが掲載されています。
まず疑問なのは、なぜ東北本線だけないのだろう?
新幹線は3路線全列車掲載されていますが、どれも本数が凄く少ない…。
東京~博多間<ひかり>の最速は5時間57分でした。
(名古屋・京都・新大阪・岡山・広島・小倉に停車)
2階建て新幹線(100系)が入ったのがこの時。
上野~盛岡間<やまびこ>の最速は2時間45分。
(大宮・福島・仙台に停車)
上野~新潟間<あさひ>の最速は1時間53分でした。
(大宮・高崎または長岡に停車)
在来線は、高崎線で<あさま>が30~60分毎、夜行で特急<北陸><出羽>、急行<妙高><能登>があり、常磐線では<ひたち>の他、夜行で<ゆうづる>が3往復(1往復季節列車)ありました。
武蔵野線はようやく日中も1時間4本位の運転になっていました。
埼京線は新宿発着で、快速は日中30分毎。
私鉄は上毛電気鉄道と秩父鉄道のみが全列車掲載で、秩父鉄道は西武からの直通が始まっておらず、急行<秩父路>は2~3本という程度。
上毛電鉄は、日中30分毎というのは今と変わらないなあ。
最後に出版物を中心に広告があります。
夕刊紙の「日刊ゲンダイ」「夕刊フジ」が共に70円。
今は「ゲンダイ」は140円、「フジ」は130円ですから、25年で倍になっている訳です。
テキストが取り留めのないものになってしまって、読みにくいものになってしまったかも知れません。
東武の場合、鉄道に関しては南部は複々線化の進展や新規の相互直通運転の開始などがある一方で、北部はワンマン化や列車統合など、運転系統の分断もあり、南北の格差が大きくなっているように感じられます。
それ以上に、特にバスを中心とした周辺の交通産業がグループ内外で激変しており、東武の四半世紀は、他社以上に激的に変わったといえるのではないでしょうか。
まもなく東京スカイツリーが開業して東武グループも新たな1ページを刻む事になりますが、ぜひグループ全体にとってプラスに働くよう期待したいと思います。
時刻表そのものに関しては、1994(H6)年のvol.12を最後に、その後は東上線を切り離して(東上線は昔からハンディタイプの時刻表を別に刊行している)一気に小型化してしまい、ずいぶんガッカリさせられた記憶があります。
2006(H18)年からは若干大型化されましたが、やはり西の近鉄・名鉄と並ぶ東の横綱、東武鉄道ともなれば、ぜひ時刻表も昔の如く、B5版に戻した上、東上線も掲載した本格的なタイプの復活を期待したいと思います。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
北海道・摩周湖 4年ぶりの全面結氷
仕上げに、ちょうど四半世紀前の東武鉄道の時刻表について書いてみたいと思います。
東武の時刻表はいつから刊行が始まったは解りませんが、1986(S61)年12月1日発行という1987年版は第5号でした。
この年の10月9日、野岩鉄道会津鬼怒川線が開業。
浅草からの快速電車を中心に、東武鬼怒川線との相互直通運転が始まっていました。
第5号ではこの時刻が掲載されていて、表紙は会津鬼怒川線を走る6050系、そして1720系「DRC」、1800系、6050系、10000系、8000系の正面の写真が並んでいます。
当時はB5版で400頁強ある本格的なもので、東上線の時刻表も掲載されていました。
消費税導入前で500円。
表表紙の裏は、1987(S62)年10月2日の開業を控えていてた、銀座東武ホテル(現コードヤードマリオット 銀座東武ホテル)の宣伝。
◆ カラーページ
東武沿線案内図
東武鉄道の路線網は、押上~曳舟間以外はすべて戦争前には開通していました。
一方で板倉東洋大前(日光線)・流山おおたかの森・新鎌ヶ谷(野田線)・ふじみ野・つきの輪(東上本線)は開業前。
東向島は玉ノ井と呼称していました。
少々ショッキングなのが、東武バス路線網。
北関東一帯に直営の広大な路線網が津々浦々と広がっていました。
もちろん大半は朝日自動車や関越交通等のグループ会社が引き継いでいますが、館林~古河~下妻、館林~藤岡など、いまや影も形もない路線も多くあります。
会津鬼怒川線
「いま、新しい夢を乗せて『会津鬼怒川線』。」のタイトルがあり、各駅や沿線の紹介が掲載されています。
上三依塩原は、開業当時は下野上三依と呼称していました。
塩原への国道400号の開通は2年後。
京浜・京葉付近
JRがまだ国鉄で、国鉄の路線図には、管理局境界のマークが残されています。
東北新幹線はまだ上野始発。
京葉線は西船橋~千葉みなと間が開業したばかり。
私鉄は、東武以外は一部の駅名を省略して掲載。
北総開発鉄道(現北総鉄道)は北初富~千葉ニュータウン中央間のみが開業。
(当時は松戸までの、新京成との相互直通だった)
他にも京王相模原線や小田急多摩線、相鉄いずみ野線は途中まで。
地下鉄路線図
当時の東武が相互直通していた地下鉄は日比谷線のみで、従って日比谷線を一番太く描いています。
南北線・副都心線・大江戸線は影も形もなし。
有楽町線と半蔵門線も一部工事中。
有楽町線が和光市に達して東上線と相互直通運転を始めるのは、この直後の1987(S62)年8月25日。
半蔵門線は半蔵門~蛎殻町(水天宮前の事)が工事中になっているが、まさかさらに押上まで延伸して、東武と相互直通運転を行う事になるとは、当時はほとんど全ての人が考えていなかったでしょう。
その後は66ページに渡って、東武沿線の行楽案内が掲載されています。
各支線も含め、線区毎に大小様々な観光・行楽スポットが並び、ハイキングコースや釣りのスポットも事細かに記されています。
なお東武博物館、東武ワールドスクエアはまだありませんでした。
その後が車両の紹介。
さすがにDRCが一番大きく、ビュッフェの営業案内も記されています。
コーヒー330円、ハムサンドイッチ400円、幕の内弁当700円(日本茶付)、ビール(中)470円、ニッカG&G1,400円(ミネラルウォーター・氷・グラス付)等。
車内の写真では、スチュワーデスと共に外国人旅客が並んで座っていて、外国人の利用を意識している事もうかがわせます。
(英語アナウンスもあり。もちろん肉声だったに違いない)
DRC(1700・1720系)の仕様も記されていますが、さすがに外観は、当時としても相当古臭くなっていた事は否めなかったと思います。
シートピッチ1,100㎜は、25年たった今でも普通車で実現できている所は、他社にはありません。
他に<りょうもう>の1800系、快速の6050系やまだ団体用として残されていた5700系、通勤車として、当時の最新鋭の10000系など。
バスもあり、ブルーリボンSHDと、富士5Eボディの一般路線車の写真が掲げられています。
「列車種別と停車駅案内図」に続いて、東武グループや他一般の広告が並んでいます。
「時代だなあ」と思わされるのが、東芝のワープロ「ルポ」。
「目に見えて凄い。」のキャッチフレーズで、早見優も起用されていますが、本体標準価格がなんと138,000円(JW-R70F)。
今の若い人が見たら、「ボッタクリだろ?」と思うかも知れませんね。
◆ 東武線時刻表
当然25年も経てばダイヤの形態もまるっきり違うし、特に伊勢崎線は2006年に種別名称自体を全面的に変更しているから比較が難しいのですが、当時のダイヤがどうだったかという部分を、簡単に振り返ってみたいと思います。
参考資料として、この時刻表から作成した、1986年11月1日現在の伊勢崎線浅草駅、野田線柏駅、東上線池袋駅の時刻表を掲げておきます。
当時は、土曜日は平日の時刻表で運行されていました。
平日は白、休日は赤の用紙を使用。
伊勢崎線・日光線
当時の複々線区間はまだ北千住~竹ノ塚間のみ。
特急・急行・快速急行は、下りは北千住は通過、DRCの大半は、浅草の次がもう下今市でした。
一方で準急(今の区間急行が相当)が、今の目で見ると異常と思える程少なく、日中は1時間4本のみ。
(うち伊勢崎行は太田まで準急運転)
新越谷はまだ通過でした。
伊勢崎線の羽生、日光線の南栗橋から先は、各駅停車タイプの列車は1時間に1本のみ。
また平日の朝方の上りでは、曳舟を終点とする列車が準急を中心に多数設定されています。
浅草駅に10両編成が入線できなかったからですが、かなり中途半端な終着です。
伊勢崎線のラッシュ輸送が、北千住からの日比谷線偏重になっていた事をうかがわせます。
それから当時は、1日1往復「通勤快速」と呼ばれる列車が浅草~東武日光・東武宇都宮間に設定されていました。
(「列車種別と停車駅案内図」には記載がない)
準急でも新鹿沼・東武宇都宮行という2方向併結の列車があります。
なお当時の栃木ローカルでは、藤岡・新大平下折返しが多数設定されています。
野田線
野田線は当時はまだ複線区間が短く、従って設定本数も少ない。
特に岩槻~七光台間だと、日中30分近く間隔が空く時間帯もありました。
東上線
当時の東武時刻表は、東上線も掲載していました。
有楽町線相互直通運転開始の前で、まだ複々線区間はなし。
本線と違って有料の列車がないため、全体的にすっきりしたダイヤになっています。
当時の東上線の特急(もちろん無料)には名前があり、休日運転の<みつみね>(三峰口行)<ながとろ>(上長瀞行)が秩父鉄道への直通運転を行っていました。
(ただし小川町乗換え)
また平日1往復の小川町行には<さだみね>、休日の森林公園行には<むさしの>の名があり、いずれもヘッドマークを掲げて運行していたものです。
急行は和光市・朝霞台がまだ通過。
それから、朝晩の上福岡折返しが案外多く設定されています。
今だと、川越を目の前にした折返しは中途半端とも思えます。
◆ 東武グループ一覧 青の用紙
東武鉄道の営業案内や駅の案内図、駅の一覧表、それにグループ会社や東武トラベルの支店の一覧表が記されています。
当時の東武鉄道は、初乗りは4㎞まで90円(現在は140円)。
浅草~東武日光間は1,000円(現在は1,320円)。
さらにDRCの特急料金は1,000円(現在のスペーシアは平日1,300円、土休日1,400円)でした。
駅構内図では、当然北千住駅が現在とまるっきり異なっています。
また朝霞台駅はこの後の複々線化に備えて、ホームのみ増設されています(「現在使用中止」になっている)
他は掲載駅に限っては、少なくとも線路配線などは変わっていない。
むしろ鬼怒川温泉駅前からのバスの乗場の行先表記が、今は走っていない行先が多くて悲しいかも。
矢板駅行や日光東照宮行、関東自動車の宇都宮行に国鉄の塩原行など。
定期観光バスのホームが7つもある。
(なお「田島行」の表記もあるが、会津バスの田島行は会津鬼怒川線の開業と引き換えに廃止になっていたはず)
今はどうなっているんだろう?
◆ 東武バス時刻表 黄の用紙
さすがに全路線とは行かないまでも、東京・千葉・埼玉を中心とした路線と、簡単な運行計画が記されています。
「定期観光バスのご案内」を見ると、日光・鬼怒川関連で6コースもありました。
内2コースでパノラマ車が運用されていたようで、霧降高原から大笹牧場を経由し、川治ダムへ抜ける(またはその逆)ルートでした。
(一方で一般路線バスは、当時は大笹牧場には入っていなかった)
水上・上毛高原発着の奥利根コースもありました。
この他、時刻の掲載はないのですが、春~秋運行の鬼怒川温泉~水上間の特急バスの運行の案内書きもありました。
いい時代だったですね…。
なお高速バス<ONライナー><いわき号>はまだありませんでした。
グループ会社で阪東自動車があり、簡単に路線図もあるけれど、当時は木下・小林を経由し、佐倉や臼井にも入っていました。
◆ 国鉄・私鉄時刻表 緑の用紙
「国鉄最後のダイヤ改正」となった、1986(S61)年11月1日現在のダイヤが掲載されています。
まず疑問なのは、なぜ東北本線だけないのだろう?
新幹線は3路線全列車掲載されていますが、どれも本数が凄く少ない…。
東京~博多間<ひかり>の最速は5時間57分でした。
(名古屋・京都・新大阪・岡山・広島・小倉に停車)
2階建て新幹線(100系)が入ったのがこの時。
上野~盛岡間<やまびこ>の最速は2時間45分。
(大宮・福島・仙台に停車)
上野~新潟間<あさひ>の最速は1時間53分でした。
(大宮・高崎または長岡に停車)
在来線は、高崎線で<あさま>が30~60分毎、夜行で特急<北陸><出羽>、急行<妙高><能登>があり、常磐線では<ひたち>の他、夜行で<ゆうづる>が3往復(1往復季節列車)ありました。
武蔵野線はようやく日中も1時間4本位の運転になっていました。
埼京線は新宿発着で、快速は日中30分毎。
私鉄は上毛電気鉄道と秩父鉄道のみが全列車掲載で、秩父鉄道は西武からの直通が始まっておらず、急行<秩父路>は2~3本という程度。
上毛電鉄は、日中30分毎というのは今と変わらないなあ。
最後に出版物を中心に広告があります。
夕刊紙の「日刊ゲンダイ」「夕刊フジ」が共に70円。
今は「ゲンダイ」は140円、「フジ」は130円ですから、25年で倍になっている訳です。
テキストが取り留めのないものになってしまって、読みにくいものになってしまったかも知れません。
東武の場合、鉄道に関しては南部は複々線化の進展や新規の相互直通運転の開始などがある一方で、北部はワンマン化や列車統合など、運転系統の分断もあり、南北の格差が大きくなっているように感じられます。
それ以上に、特にバスを中心とした周辺の交通産業がグループ内外で激変しており、東武の四半世紀は、他社以上に激的に変わったといえるのではないでしょうか。
まもなく東京スカイツリーが開業して東武グループも新たな1ページを刻む事になりますが、ぜひグループ全体にとってプラスに働くよう期待したいと思います。
時刻表そのものに関しては、1994(H6)年のvol.12を最後に、その後は東上線を切り離して(東上線は昔からハンディタイプの時刻表を別に刊行している)一気に小型化してしまい、ずいぶんガッカリさせられた記憶があります。
2006(H18)年からは若干大型化されましたが、やはり西の近鉄・名鉄と並ぶ東の横綱、東武鉄道ともなれば、ぜひ時刻表も昔の如く、B5版に戻した上、東上線も掲載した本格的なタイプの復活を期待したいと思います。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
北海道・摩周湖 4年ぶりの全面結氷
№652 東武鉄道 栃木駅
飛び飛びになってしまいましたが、東武鉄道の最近の改築駅、最後は栃木駅です。
JR両毛線との接続駅です。
佐野同様、以前はJRとの共同駅で、高架化と同時に分離されました。
高架化された栃木駅の南口。
高架化に伴って新設されました。
駅の南側が東武、北側がJRです。
大きな三角屋根の吹き寄せが印象的。
高架下の連絡通路。
曇り空だというのに、節電対策で暗い…。
券売機。
ここも節電のため、一部が停止していました。
改札口。
改札上の発車案内表示。
コンコース。
エスカレーター。
ホーム上のエレベーター。
2・3番線ホーム上にある待合室。
高架ホーム。
高架化前は島式の1面2線+引き上げ線というレイアウトでしたが、新高架駅では1線追加して2面3線としています。
一番右の1番線が浅草方面。
2番線は栃木折返し・始発列車専用(主に宇都宮線)。
3番線が日光・鬼怒川方面になります。
高架化と同時に、特急「スペーシア」の停車駅も新栃木から栃木に変更になっています。
左手はJR両毛線。
なお、東武日光線では現在も節電対策で、平日のみですが日中の一部の電車が運休になっています。
(南栗橋~新栃木間で1時間あたり1本)
駅構内もそうですが、どこか間違っていると思うのは、私だけでしょうか?
最後に、高架化前の旧駅舎。
日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
こんな事は他人の目に触れない所で、こっそりやって頂きたい。
無関係な一般の人々、特に子供たちにはいい迷惑です。
《今日のニュースから》
東金市のファミレスで発砲事件 元暴力団員死亡
JR両毛線との接続駅です。
佐野同様、以前はJRとの共同駅で、高架化と同時に分離されました。
高架化された栃木駅の南口。
高架化に伴って新設されました。
駅の南側が東武、北側がJRです。
大きな三角屋根の吹き寄せが印象的。
高架下の連絡通路。
曇り空だというのに、節電対策で暗い…。
券売機。
ここも節電のため、一部が停止していました。
改札口。
改札上の発車案内表示。
コンコース。
エスカレーター。
ホーム上のエレベーター。
2・3番線ホーム上にある待合室。
高架ホーム。
高架化前は島式の1面2線+引き上げ線というレイアウトでしたが、新高架駅では1線追加して2面3線としています。
一番右の1番線が浅草方面。
2番線は栃木折返し・始発列車専用(主に宇都宮線)。
3番線が日光・鬼怒川方面になります。
高架化と同時に、特急「スペーシア」の停車駅も新栃木から栃木に変更になっています。
左手はJR両毛線。
なお、東武日光線では現在も節電対策で、平日のみですが日中の一部の電車が運休になっています。
(南栗橋~新栃木間で1時間あたり1本)
駅構内もそうですが、どこか間違っていると思うのは、私だけでしょうか?
最後に、高架化前の旧駅舎。

また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
こんな事は他人の目に触れない所で、こっそりやって頂きたい。
無関係な一般の人々、特に子供たちにはいい迷惑です。
《今日のニュースから》
東金市のファミレスで発砲事件 元暴力団員死亡