たった今、八戸から帰ってきました。
昨日は国際興業の夜行バス<シリウス>で八戸について、青い森鉄道と十鉄を乗り継いでお別れ乗車、今日は八戸の市内で市営バスや南部バス、十鉄バスを撮って、E5系の<はやて32号>で帰ってきました。
残念ながら昨日の十鉄では7200+7300形は運用されていなかったので、乗れずじまいで終わってしまいましたが。
それにしても十和田市や八戸の地域、いわゆる「三八上北」地方はまだ良かったのですが、青森市を中心とした津軽地方は豪雪がすさまじかったようで、青い森鉄道は、八戸以北はほぼマヒ状態に陥っていました。
それで、いつも帰ってきて直後が帰宅の報告ばかりでもつまらないので、今日は先行して「お土産」をご覧頂こうと思います。
十鉄の十和田市駅で発売されていた、「鉄道むすめ 青森県版登場記念 乗車券等伍枚組」(2,100円)です。
県内の私鉄・第3セクター4社+南部縦貫鉄道のキャラクターをあしらった乗車券5枚組(南部縦貫鉄道は動態保存協力券)のセットになっています。
それで、各鉄道の「むすめ」達のネーミングは…。
南部縦貫鉄道 … 七戸ちびき
津軽鉄道 … 芦野かな
青い森鉄道 … 八戸ときえ
弘南鉄道 … 平賀ひろこ
そして、十和田観光電鉄 … 清水なぎさ
だそうです。
「清水なぎさ」は高清水駅+柳沢(やなぎさわ)駅から名づけられたそうな。
でも高清水は「たかしず」と読むのですが。
しかし、自分の娘に「ちびき」と名づける親って、いるでしょうか…?
まあいるのかも知れませんね。
あと、南部縦貫鉄道を出すのなら、下北交通を入れても良かったのでは?
大畑でキハ22の保存運転を行っていますから。
(でも「むすめ」のネーミングはどうしよう?)
こういう事も含めて、詳しくはまた後日書きたいと思います。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
さて、帰ってきたばかりで、再開させたばかりでなんですが、明日の更新は、本体の更新を行うためお休みします。
本体では、今回はエアロスターの画像の追加が多くなります。
特に西武バスと新京成電鉄グループ(習志野新京成バス)は初登場です。
両社とも以前は日産ディーゼル(UDトラックス)の大ユーザーで、スペースランナーAも導入していましたから、その流れなのでしょうか。
なお、今日の帰りがけに「バスジャパン ハンドブックシリーズ R76 神姫バス」を購入、明日追加で公開する画像にはデータを反映させますが、データそのものの分析についてはまた後日とします。
また、明石市営バスについては、4月1日予定の更新時に、アーカイヴで公開する事にしています。
という事で、津軽地方ではこんな事も行われたそうです。
《今日のニュースから》
青森県平川市のりんご畑 初の融雪剤広範囲散布実験
№662 急ですが、十和田まで出かけてきます。
毎週毎週よく行くよ…と思われるでしょうが、実は今晩もまた出かけてきます。
来月一杯で、廃止前提の休止に入る、十和田観光電鉄です。
明日は八戸に宿を取っているので、八戸の市営バスとか、南部バスとかも撮れるといいのですが。
天気が悪かったら、青い森鉄道に乗ってくるつもりです。
帰りは、なんとE5系に乗ってくる予定です…といっても<はやて>ですが。
それで、今晩東京駅出発の高速バス「シリウス」で出かけるので、この後すぐに出発しなければなりません。
一応次回更新はあさって火曜日の夜の予定です。
という事で、行ってきます。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
「はやぶさ」持ち帰りの微粒子 鳥取県三朝町の施設で初公開
来月一杯で、廃止前提の休止に入る、十和田観光電鉄です。
明日は八戸に宿を取っているので、八戸の市営バスとか、南部バスとかも撮れるといいのですが。
天気が悪かったら、青い森鉄道に乗ってくるつもりです。
帰りは、なんとE5系に乗ってくる予定です…といっても<はやて>ですが。
それで、今晩東京駅出発の高速バス「シリウス」で出かけるので、この後すぐに出発しなければなりません。
一応次回更新はあさって火曜日の夜の予定です。
という事で、行ってきます。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
「はやぶさ」持ち帰りの微粒子 鳥取県三朝町の施設で初公開
№661 私鉄の車両シリーズ103 西武鉄道101系(1~8次車)
「私鉄の車両シリーズ」、今回は西武101系の内、701系から受け継いで長らく馴染みだった「西武スタイル」の前期型(1~8次車)について記します。
101系は、1969(S44)年より製作された通勤車で、性能を大きく向上させ、以降の西武車両の基礎となった。
1983(S58)年までの間、8両固定編成の301系も含めて13次に渡り製造されたが、ここでは1976(S51)年まで製作された8次車までの前期形について記す。
西武では1963(S38)年に初の高性能車601系を製作、701系・801系へと受け継がれたが、旧型車との連結のため自動空気ブレーキを装備、電動機の出力も低く、701系のクハでは旧型車両の台車を履く等、今一歩の感があった。
一方、1968(S43)年には吾野~西武秩父間の西武秩父線が開通、連続する急勾配に対応する通勤車両が求められた。
このため101系では主電動機の出力を150kw(801系は120kw)と大幅に増強、他系列との連結を想定せずに発電・抑速付の電磁直通ブレーキを採用し、台車も全車両新製のペデスタル式空気バネ(M…FS-372、Tc…FS072)として、質的なレベルアップを図った。
勾配線から平坦区間の各駅停車でも運用できる事から、当初は「ASカー」(Allround Service Car)の愛称が与えられていた。
車体自体は801系と同じ正面非貫通2枚窓の3ドアだが、他系列との区別(当時は他系列との連結は不可)のため初めて黄色の車体色を採用、側面窓周りをグレーとした上(後に黄色一色化)、ドアをステンレスの無塗装とした。
当初は非冷房の4連が製作された。
車内は一般的なロングシートだが、化粧板を暖色系とした他、寒冷な秩父地方を走行するためヒーターの増強や両開きタイプの貫通扉の設置、一部ドアを締切りの装置も備えている。
1972(S47)には西武の通勤車では初となる、試作冷房車が製作された。
パンタグラフ搭載のモハは集中式、他は分散式を搭載。
この経験を元に本格的な冷房は全車集中式と決まり、翌年に6連化用の中間車を冷房付きで製作、これを冷房改造した4連に組み込んだ。
その後も冷房車が導入され、非冷房車も冷房改造が進んだ他、試作冷房車も一部は集中式に換装して量産化改造され、1987(S62)年には全車両が冷房化された。
前期形は8次に渡って合計278両が、全て西武所沢工場で製作された。
量産化改造されなかった試作冷房車は4000系に機器を拠出されて廃車となった。
一方で一部は小改造の上新宿線に転出、701系との併結も行なっている。
以降も9000系への改造や20000系への置き換えなどで順次廃車が進んだ。
最後は4連5本がワンマン化改造を受けて多摩川線で運用されていたが、2010(H22)年に新101系改造車に置き換えられ、全て姿を消した。
1160Fは2001(H13)年に鉄道の日記念企画で「赤電塗装」を施され、企画臨時列車として短期間運行された事があった。
(一般営業運行は行われなかった)
なお1999(H11)年以降6両が総武流山電鉄(現流鉄)に譲渡されて3000系となったが、こちらも2011(H23)年に姿を消している。
従って、現在101系前期型で現役車両は存在しない。
【編成】
←飯能・西武新宿方 池袋・西武秩父・本川越方→
Tc1 1101 - *M1 101* - M2 101 - Tc2 1101
Tc1 1101 - *M1 101* - M2 101 - *M3 101* - M4 101 - Tc2 1101
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車両6 西武鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1992年5月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2002年4月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄15 西武鉄道2」(朝日新聞出版)
「鉄道ダイヤ情報2011年2月号」(交通新聞社)
「西武鉄道完全データ DVD BOOK」(メディアックス) 他を参考にさせて頂きました。
次回は京王井の頭線の1000系です。
井の頭線は昨年末に3000系が完全に置き換えられ、1000系に統一されました。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
もうご存知の方も多いはずですが、185系200番台の1編成が、かつての157系を模したカラーリングになって出場しました。
この後の各種臨時列車での運行が予想されます。
200番台というと、今年は「東北新幹線開業30周年」=「新幹線リレー号30周年」なので、昨年のストライプ色に次いでリレー号色が復刻する事になるのではないかと思っているのですが、どうでしょうかね?
それにしても185系は「しぶとい」電車です。
何度も書いていますが、デビュー当時は特急らしからぬ転換クロスシートの装備で、若干の性能の低さもあって相当酷評されている系列なのですが、30年以上たった今も未だ1両の廃車も出ていません。
JR化後の253系がほとんど引退、651系もいよいよ置き換えだというのに。
東海道線では未だに下り普通列車の運用(521M)があり、次のダイヤ改正でも引き続き走ります。
東海道線や高崎線では通勤電車を差し置いて最古参なのですが、動きが出るのは、東北縦貫線の開業時となるのでしょうか。
《今日のニュースから》
国際赤十字委員会 シリア中部ホムスに緊急救援チームを派遣
101系は、1969(S44)年より製作された通勤車で、性能を大きく向上させ、以降の西武車両の基礎となった。
1983(S58)年までの間、8両固定編成の301系も含めて13次に渡り製造されたが、ここでは1976(S51)年まで製作された8次車までの前期形について記す。
西武では1963(S38)年に初の高性能車601系を製作、701系・801系へと受け継がれたが、旧型車との連結のため自動空気ブレーキを装備、電動機の出力も低く、701系のクハでは旧型車両の台車を履く等、今一歩の感があった。
一方、1968(S43)年には吾野~西武秩父間の西武秩父線が開通、連続する急勾配に対応する通勤車両が求められた。
このため101系では主電動機の出力を150kw(801系は120kw)と大幅に増強、他系列との連結を想定せずに発電・抑速付の電磁直通ブレーキを採用し、台車も全車両新製のペデスタル式空気バネ(M…FS-372、Tc…FS072)として、質的なレベルアップを図った。
勾配線から平坦区間の各駅停車でも運用できる事から、当初は「ASカー」(Allround Service Car)の愛称が与えられていた。
車体自体は801系と同じ正面非貫通2枚窓の3ドアだが、他系列との区別(当時は他系列との連結は不可)のため初めて黄色の車体色を採用、側面窓周りをグレーとした上(後に黄色一色化)、ドアをステンレスの無塗装とした。
当初は非冷房の4連が製作された。
車内は一般的なロングシートだが、化粧板を暖色系とした他、寒冷な秩父地方を走行するためヒーターの増強や両開きタイプの貫通扉の設置、一部ドアを締切りの装置も備えている。
1972(S47)には西武の通勤車では初となる、試作冷房車が製作された。
パンタグラフ搭載のモハは集中式、他は分散式を搭載。
この経験を元に本格的な冷房は全車集中式と決まり、翌年に6連化用の中間車を冷房付きで製作、これを冷房改造した4連に組み込んだ。
その後も冷房車が導入され、非冷房車も冷房改造が進んだ他、試作冷房車も一部は集中式に換装して量産化改造され、1987(S62)年には全車両が冷房化された。
前期形は8次に渡って合計278両が、全て西武所沢工場で製作された。
量産化改造されなかった試作冷房車は4000系に機器を拠出されて廃車となった。
一方で一部は小改造の上新宿線に転出、701系との併結も行なっている。
以降も9000系への改造や20000系への置き換えなどで順次廃車が進んだ。
最後は4連5本がワンマン化改造を受けて多摩川線で運用されていたが、2010(H22)年に新101系改造車に置き換えられ、全て姿を消した。
1160Fは2001(H13)年に鉄道の日記念企画で「赤電塗装」を施され、企画臨時列車として短期間運行された事があった。
(一般営業運行は行われなかった)
なお1999(H11)年以降6両が総武流山電鉄(現流鉄)に譲渡されて3000系となったが、こちらも2011(H23)年に姿を消している。
従って、現在101系前期型で現役車両は存在しない。
【編成】
←飯能・西武新宿方 池袋・西武秩父・本川越方→
Tc1 1101 - *M1 101* - M2 101 - Tc2 1101
Tc1 1101 - *M1 101* - M2 101 - *M3 101* - M4 101 - Tc2 1101
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車両6 西武鉄道」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1992年5月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2002年4月臨時増刊号 【特集】西武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄15 西武鉄道2」(朝日新聞出版)
「鉄道ダイヤ情報2011年2月号」(交通新聞社)
「西武鉄道完全データ DVD BOOK」(メディアックス) 他を参考にさせて頂きました。
次回は京王井の頭線の1000系です。
井の頭線は昨年末に3000系が完全に置き換えられ、1000系に統一されました。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
********************
《今日見た・聞いた・思った事》
もうご存知の方も多いはずですが、185系200番台の1編成が、かつての157系を模したカラーリングになって出場しました。
この後の各種臨時列車での運行が予想されます。
200番台というと、今年は「東北新幹線開業30周年」=「新幹線リレー号30周年」なので、昨年のストライプ色に次いでリレー号色が復刻する事になるのではないかと思っているのですが、どうでしょうかね?
それにしても185系は「しぶとい」電車です。
何度も書いていますが、デビュー当時は特急らしからぬ転換クロスシートの装備で、若干の性能の低さもあって相当酷評されている系列なのですが、30年以上たった今も未だ1両の廃車も出ていません。
JR化後の253系がほとんど引退、651系もいよいよ置き換えだというのに。
東海道線では未だに下り普通列車の運用(521M)があり、次のダイヤ改正でも引き続き走ります。
東海道線や高崎線では通勤電車を差し置いて最古参なのですが、動きが出るのは、東北縦貫線の開業時となるのでしょうか。
《今日のニュースから》
国際赤十字委員会 シリア中部ホムスに緊急救援チームを派遣