№615 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 1.京成上野駅(前)

 鉄道を趣味とするものにとって、鉄道の中で対象とするものはもちろん様々ですが、その中でも「華」と言えるのは、一番を車両とすると、二番目はダイヤではないでしょうか。
 実際当ブログでも、ダイヤについて取り上げると、他の記事より(少しだけ)アクセス数が増えて、関心が高いのだろうと感じさせます。
 当ブログでは、今回から新たな試みとして、私鉄各社が発行する時刻表から特定の駅の時刻表を書き起こし、これを元に各社のダイヤの変遷を振り返るという事をやってみようと思います。
 私はJTBの時刻表を毎月購入していますが、一方で私鉄(特に大手)が発行する時刻表も、改正の度に購入しています。
 そこから毎回どこか一つの駅を選び、過去をさかのぼって時刻表を作成し、それを基にしてその鉄道のダイヤの変遷を探ってみようという訳です。

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 まず第1回は京成電鉄の京成上野駅です。
 京成電鉄は関東大手の中では輸送量がそれ程多くなく、関東大手の中では唯一10連以上の運転もなく、地味な存在ではあります。
 しかし開港以来の成田空港アクセスを担ってきた事で、航空旅客の増加に伴いアクセス事業者としての存在感が高まりつつあり、加えて都営地下鉄浅草線を経由して京急線に直通運転を行っている事から、最近では羽田空港輸送の需要も増えつつあります。
 上野の時刻表だけでは羽田方面までは解かりづらいですが、適宜書き加えていきます。
 京成の時刻表自体は毎号発行毎に購入しているのですが、ここでは特に重要と思われるダイヤ改正を選んで、時刻表の画像を掲載します。
 本当は土休日も掲載すべきでしょうが、平日のみとさせて頂き、必要なら書き加えます。
(なお時刻表はまずエクセルで作成し、プリントした後スキャンして画像化しています)

 2回に分けて、今回は1990年代までを振り返ります。

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 まず、もう23年前になりますが、平成最初の改正となった1989(平成元)年7月30日の時刻表№7からです。ここから始めます。
 当時の成田空港駅は今の東成田駅で、空港ターミナル(当時は今の第1ターミナルのみ)まではシャトルバスへの乗換えを必要として、歴史上の経緯から仕方ない部分もあったとはいえ、旅客には不評でした。
<スカイライナー>は上野発は基本的に空港までノンストップ(日中一部は成田に停車)、成田空港発のみ日暮里にも停車していました。
 特急は本数が少なく、津田沼までの停車駅が今より多くなっていました。
 急行は上野からの成田折返し、浅草線からの成田空港行と佐倉折返しがいずれも40分間隔で、あわせて40分に3本の運転となり、急行が優等列車の主役だった事が伺えます。
 この他平日ダイヤの朝方上り・夕方下りには浅草線直通の通勤特急が設定されていました。
 当時の通勤特急は、停車駅が特急より少なくなっています。
 上野発の夜間の優等列車は急行しかなく、通勤輸送の主力は浅草線直通列車となっている事がわかります。
 なお当時は上野~日暮里に博物館動物園という駅がありましたが、ホームが4連分しかなく、7時~18時の間の4連の普通列車のみ停車していました。
 とはいえ当時はまだ普通列車の大半が4連で、平日は上下各57回の停車がありました。

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 これももう20年前になるんだ…と感慨深いですが、1991(H3)年3月19日改正(時刻表№8)は、京成にとって極めて重要な改正になりました。
●成田新幹線の駅として建設が済んでいた成田空港ターミナル直下の地下駅に乗り入れる新線が開業、鉄道からの乗り継ぎの便が大幅に改善された。
 成田空港駅は東成田と改称。
<スカイライナー>は下りも全列車が日暮里に停車。
特急急行格上げの形で約20分間隔の運転、小岩・東中山を通過とした事で所要時分の短縮も図られた。
特急通勤特急の違いは、浅草線に乗り入れるかどうか)
 空港アクセスが格段に改善されましたが、JR線も乗り入れる事になったため、これからは<成田エクスプレス>等との、鉄道同士の競争にさらされる事になります。
急行は浅草線から直通で約20分間隔となり、東成田行と成田折返しを交互に運転。
普通列車は大和田折返しの一部をうすいへ延伸、大和田~うすい間は(急行を含め)40分に3本の運転。
 なおこの後3月31日に北総開発鉄道の京成高砂~新鎌ヶ谷(当時は信号場)が開業、京成線経由で浅草線への直通運転が始まりましたが、17日改正の時点で既に織り込み済みでした。
 浅草線からの小岩・東中山折返しが廃止になり、北総直通に立て替えられています。

 マニアックな視点では、京成編成で運用される京急線三崎口直通列車が、平日夜間に1往復設定され、1995(H7)年4月改正まで続きました。
 3700形・3400形で運用される事が多かったようです。

 1992(H4)年4月1日には千葉急行電鉄の千葉中央~大森台が開業、千葉線の一部が直通運転を開始しました。
 7月17日にはAE100形がそろった事で<スカイライナー>の所要時分が短縮され、日暮里~成田空港は最速53分になりました。
(ただしまだAE形が残っており、限定運用で入る可能性があるダイヤでは多少時間がかかっていた)
 京成とは直接関係はないですが、新京成線にも新鎌ヶ谷駅が開業し、北総線からの松戸直通が廃止になっています。
 12月3日には成田空港の第2ターミナルが開業、鉄道も空港第2ビル駅が新設されました。
 複線のトンネルをJRと分け合うため、当時は1面1線で、成田空港行と上野方面行が同じホームを発着していました。

 1993(H5)年は直通先に大きな動きがありました。
 京急空港線で地下化工事が行なわれていた穴守稲荷~羽田(天空橋)が再開、東京モノレールに乗り継いで羽田空港ターミナルに行けるようになった事で、京成・北総線から浅草線経由で羽田直通列車が設定されました。
 京成の羽田空港アクセス輸送が、ここから本格的に始まる事になります。

 1994(H6)年4月1日には、宗吾参道~成田で建設されていた新線が開業し、その線上に公津の杜駅が開業しました。
 この時から土曜日は土休日統一ダイヤで運転される事になりました。

 1995(H7)年4月1日には千葉急行線の大森台~ちはら台が開業し、直通列車の運転区間も延伸しました。
 北総・公団線の千葉ニュータウン中央~印西牧の原も開業しています。

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 1996(H8)年7月20日改正(時刻表№16)は、上野だけ見ると地味目でもありますが、全体的には大掛かりな運転パターンの変更がありました。
●ユーカリが丘駅上り線の待避線の新設、前年の東葉高速鉄道開業に対応して、佐倉始発→東中山折返しで設定されていた急行2本の廃止により、朝方の通勤特急の所要時分が短縮された。
特急はこれまで原則<スカイライナー>の通過待ちはなかったが、この改正から一部が高砂で待避する事になる。
 特急の所要時分増は残念でしたが、一般列車の追い抜き・待避がパターン化されて解かりやすいダイヤになったとは言える。
 これにより<スカイライナー>特急の発車時刻が大幅に変更になった。
●日中の大和田折返しが全てうすいへ延伸、急行も含め、普通電車の約10分間隔運転区間が拡大。

 博物館動物園駅は1997(H9)年3月31日限りで休止になりました。
(正式廃止は2004(H16)年4月1日付け)
 末期には上下43本ずつの停車にとどまり、1時間程度停車がない時間帯もありました。

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 1998(H10)年11月18日改正(時刻表№18)は、直通先の変化に伴うものですが、これも大きな改正になりました。
●京急空港線の天空橋~羽田空港(羽田空港国内線ターミナル)の開業に伴い、羽田空港への直通運転が拡充された。
 浅草線内特急運転の「エアポート快特」「エアポート特急」が設定、「エアポート快特」は羽田~成田両空港間を結ぶ空港アクセス特急として期待された。

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(改正ダイヤスタート時、京成電車の戸袋部に貼られていたステッカーで、特に羽田空港直通には大きな期待をかけていたことが伺える)

●「エアポート快特」は京成本線内は特急の筋にのって走るので、上野口では一部の特急を高砂行とし、青砥で接続するダイヤとした。
 特筆されるのは運用の都合で都営車(5300系)、京急車(主に600形)が上野にも乗り入れてきた事で、上の時刻表では、都営運用は・京急運用はの枠で囲って記しました。
 なお日中にも同じ区間を同じ停車駅で特急が走る事になるので、通勤特急は一旦廃止になり、特急に統合されました。

 なお、この改正の直前の10月1日、千葉急行電鉄は経営不振のため路線を京成電鉄の譲渡、京成千原線として運営される事になります。

 この後しばらくは羽田空港発着列車が増えていきますが、京急側の動向が関わる部分が大きく、京成線内に限ると一部<スカイライナー>の増発や、浅草線直通の増強が図られるものの、上野に関してはあまり大きな動きは見られません。
 京成で次に大きく変わるのは21世紀に入った2002(H14)年10月12日改正になりますが、それ以降は次回書きたいと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 欧州の通過に対する信用不安は年を越しても解消できず、今日の夕方には1ユーロ=約98円と、11年ぶりの水準にまで対ユーロで円高が進んだそうです。
 私はユーロ導入後何度か欧州のユーロ圏の国も訪れた事がありました。
 それで今いくつかアルバムをひっくり返して調べてみたら、2004年6月にアイルランドに行った時、1ユーロ=約135円でした。
 8年弱でなんと40円近くの大幅な円高になっています。
 これでは私たち日本人が欧州に行くには大歓迎なのでしょうが、逆に欧州の人たちは、日本には簡単にはこれなくなるでしょう。
 いくら外国からの観光客を呼び寄せようと力を入れても、ただでさえ日常の暮らしにあえいでいる人々にとっては、とても海外旅行どころではないでしょう。
 といって経済の事など、素人にはどうしようもないんだよなあ。

 やっぱり「やらせ」って、お互い様なんだよなあ。
《今日のニュースから》
飲食店検索サイト「食べログ」 不正書き込み発覚