今日は短く行きます。
約11年前、2000年の10月にイタリアに行ってきました。
序盤、ローマからミラノまでETR500に乗車、急行に乗り換え、さらにウディーネで乗り継いで、東部のトリエステに着きました。
トリエステはイタリアの東部のかなりはずれに位置し、スロベニアの国境がすぐそば、という都市です。
トリエステの市内を走るトラム。
トラムといっても距離自体は短く、1路線しかありません。
車体の反対側には、ドアがありません。
この路線の見所は、途中の急坂にあります。
この路線は、低位置にある市の中心部と、丘の上、かなり高い位置にあるオピチナを結ぶため、トラムでありながら補機を必要とするのです。
そして、その補機は…。
なんと、「ケーブルカー」!
先にトラムが分岐線に入り、その後側線に待機していた補機がつくのです。
反対側だから解りにくいでしょうが、機関車には連結器はありません。
バッファで押していくだけです。
それだけ急勾配という事です。
途中には城があります。
その城とトラムを描いた絵葉書がありました。
町の名物というわけです。
終点のオポチアにもFS(イタリア鉄道)の駅があり、トラムの終点から商店街を抜けていきます。
駅そのものは窓口も開いていなくて、殺風景でした。
ここはスロベニアの鉄道との境界になりますが、旅客列車はスロベニア側から数本あるらしいものの、FS側は国際列車1~2本程度しかありません。
FSだと、丘の下の中央駅まで、ものすごい大回りになるようです。
構内に停車していた、スロベニアのEL。
362-034と書かれていました。
2車体3台車の連接タイプになっています。
最後に、これがメインのトリエステ中央駅。
ここからは主にヴェネチア行の列車が発着します。
なおトラムの運賃ですが、当時はユーロの通貨の流通前だったからイタリア・リラ(ITL)で、1乗車1,400ITL。
当時のレートで約70円ですから、やはりイタリアは安いです。
今後も、こんな感じで、チョコチョコッとですが、海外(主にヨーロッパ)の昔話なんか書いてみたいと思います。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
さて明日は、その本体の更新のため、当ブログの更新はお休みさせて頂きます。
明日は主にエアロスター・ノンステップの公開が中心になりそうです。
東急バスは、20周年記念の復刻塗装車です。
また「アーカイヴ」では、昨日当ブログで取り上げた日本急行バスを改めて掲載します。
お楽しみに。
《今日のニュースから》
JFE・IHI傘下の造船2社 今年10月合併を発表
№639 ベンツ特急と日本急行バス
いつ撮影したのか忘れてしまったのですが、これは神戸・ポートピアホテルで撮影した、日本急行バスの「ベンツ特急」(O303RHD)です。
日本急行バスは名神高速道路が開通した頃より名神高速バスを運行していた事業者で、名鉄が主導する合弁会社でした。
近鉄主導の合弁会社「日本高速バス」(現名阪近鉄バス)及び国鉄と共同運行を行なっていましたが、業績不振により、後に正式な名鉄グループとなります。
1987(S62)年の時点では名古屋(名鉄バスセンター)~京都間のみで超特急・特急・急行合わせて10往復でした。
1988(S63)年、名古屋~神戸間に「ベンツ特急」の運行を開始。
他社との共同運行ではなく、日本急行バスの単独運行でした。
1989(H元)年には7往復に増発されました。
これは、その時のチラシです。
「ベンツ」を全面に押し出して、なかなか意欲的です。
この後神戸線はポートピアホテルまで延伸。
また、大阪線にも投入されました。
大阪線もJR・日本高速とは別の単独運行で、大阪の発着地は中之島ロイヤルホテル(今京阪の中之島駅があるあたり)でした。
大阪線は、1995(H7)年には廃止になっていて短命に終わったようです。
(阪神・淡路大震災の影響もあったかも)
また具体的な日付は解りませんでしたが、神戸線でもその直後あたりに、ベンツ車の運行が終わったようでした。
日本急行バス自体、1999(H11)年には名鉄から夜行の佐世保・熊本線を引き継ぎましたが、2002(H14)年には名古屋観光バスと合併して「名古屋観光日急」になりました。
その後2008(H20)年には名鉄グループのバス事業再編の課程で「名鉄観光バス」となりましたが、結局2009年より高速バスは全て名鉄バスが引き継ぎ、今日に至ります。
多少データが少なく、今ひとつ解りづらくなってしまったかもしれません。
名鉄バスグループは特に21世紀に入ってから改編が著しく、それは高速バスでさえも例外ではありませんでした。
今の高速バスや会員制ツアーバスでは、韓国製のヒュンダイ・ユニヴァースの導入が活発です。
しかしその導入の目的は国産に比べて安くつくコストで、少なくともヒュンダイ製である事を売り物とはしていません。
むしろ京成バスや神奈中バス(町田でもまもなく運行開始)、岐阜バスの連接バスがベンツ製である事を大きく謳っていますが、それも機能面での話です。
それを考えると、1980年代後半、昼夜ひっくるめて全国各地に高速バス路線が新設が相次いだ「高速バスブーム」の中では、外国車は、それ自体が他と差別化するためのステイタス的な存在であった事が伺え、今とは事情が異なっていました。
今後、そのような車両が現れる機会は、あるでしょうか。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
昨日「関東地方はまだまだ乾燥する日々が続きそうだ」と書きましたが、一方新潟の十日町市では、除雪作業についての講習会が行われたというニュースがありました。
十日町といったら有名な豪雪地帯ですから、作業も馴れっこだろうと思っていたのですが、住民の高齢化が進んでいる事も理由にあるようです。
新潟も先の大震災の被災地ですし、中越沖・中越地震の傷も完全に癒えている訳ではないので大変だと思います。
日本海側はまた大雪になりそうです。
どうかお気をつけて。
地震といえば、関東地方は今日もたまに揺れたりして、ちょっと不気味…。
東北の被災者の方々に比べれば、どうという事はないのでしょうが。
富士急行線も昨日に続き、今日も一時運転を見合わせたそうです。
《今日のニュースから》
「神戸ビーフ」海外初輸出 マカオに向け初出荷の式典
№638 私鉄の車両シリーズ102 東武鉄道800・850系
2ヶ月ぶりの「私鉄の車両シリーズ」、今回は東武鉄道の群馬ローカルで運用されている800・850系です。
実質8000系のバリエーションといえますが、いくつか異色の部分があります。
東武鉄道800系及び850系は、群馬県下の伊勢崎線(太田~伊勢崎間)及び佐野線のワンマン運転開始に伴い製作された通勤車で、8000系からの改造による。
投入区間の輸送量の実態からか、東武の高性能車両としては珍しい奇数組成(3両固定)となった。
ベースとなった8000系は東武初の高性能通勤車で、1963(S38)~1983(S58)年の21年間に712両が製造され、東武はもちろん、私鉄全体でも最多両数を誇る。
通勤需要の増大に応え、当初の4連から6連も製作、増結・支線運用の2両編成に加えて1977(S52)年より東上線向けに8両固定編成まで製作された。
800・850系はこの8両固定編成を元に、改造によって生み出されている。
このグループは製造当初より分散式の冷房を搭載、台車はS形ミンデンを採用していた。
8両編成のうち、中間のサハ8900形2両を抜き取り(→8000系初の廃車)、残された中間のモハに乗務員室を増設して3両ユニット化した。
伊勢崎方のモハ8300形に乗務員室を増設(→モハ800-3形)したのが800系。
中間のモハ800-2形にパンタグラフ2器が搭載されている。
浅草方のモハ8200形に乗務員室を増設(→モハ850-1形)したのが850系。
パンタグラフ2器も引き続き搭載、前頭部にパンタグラフを搭載した、8000系シリーズの新たな表情を持つ事になった。
増設された運転機器等は、野田線用の6連の中間に組み込まれ、分割の機会を失ったクハ8400形、モハ8500形から転用されている。
車内は同時に修繕工事を実施、内装は既に大師線や佐野線、越生線などで運用されている8000系2・4連のワンマン対応編成に準じたものになった。
車内ではホワイト系の化粧板への張替え、座席の地の緑系への張替えの他、握り棒の増設や車椅子スペース、ドア上部に千鳥状にLED表示装置の新設、ドアチャイムや車外スピーカーも設けられている。
空調制御はマイコン化、正面・側面の行先・種別表示はLED化された。
乗務員室関係ではワンマン⇔ツーマン切り替えスイッチやデッドマン装置が設置されている。
8連5本より800系・850系各5本が生み出され、改造当初は800系+850系で6連を組み、伊勢崎線等の準急を中心にした運用に当てられていた。
2006(H18)年3月の改正時より伊勢崎線(太田~伊勢崎間)及び佐野線に投入されてワンマン運転を開始、佐野線では通勤車改造を行なっていた1800系を置き換えている。
(出入庫の運用か館林~太田間の区間運転にも入るが、この時は車掌が乗務する)
【編成】
←太田・館林方 伊勢崎・葛生方→
Tc 800-1 - *M 800-2* - Mc 800-3
*Mc 850-1* - M 850-2 - Tc 850-3
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車輛24 東武鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1990年12月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1997年12月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2006年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2006年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2008年1月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄スーパートレインコレクション」(交通新聞社)
を参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは、つい最近姿を消した、西武101系の内の初期のタイプについて取り上げます。
西武秩父線開業に合わせてデビューした通勤車で、初の本格的な高性能車でした。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
今日は朝7時台に震度3~4クラスの地震がありました。
短い間隔で相次いだのでちょっと不気味と感じました。
(富士五湖の方は震度5弱くらいはあったそう。皆様、大丈夫だったでしょうか)
震度3~4程度だったら、今の日本なら極度に恐れる事もない…はずですが、やはり「3.11」がありましたので、ここは大丈夫か?東北は?と思いが行ってしまいます。
地震とは関係ないと思いますが、今日は京急線の子安駅の近くで火災があり、京急線が2時間ほど止まってしまったとの事。
またJR線も一時運行を見合わせました。
私は所要で戸塚から藤沢へ向かう所だったのですが、やってきた電車は、後続が火災で止まっているとかで時間調整もあって藤沢は5分遅れ、後続が15分位の遅れになったようです。
関東地方はまだまだ乾燥する日々が続きそうです。
皆様、地震も火事も充分ご注意下さい。
《今日のニュースから》
がん患者の就労シンポジウム 東京で開催
実質8000系のバリエーションといえますが、いくつか異色の部分があります。
東武鉄道800系及び850系は、群馬県下の伊勢崎線(太田~伊勢崎間)及び佐野線のワンマン運転開始に伴い製作された通勤車で、8000系からの改造による。
投入区間の輸送量の実態からか、東武の高性能車両としては珍しい奇数組成(3両固定)となった。
ベースとなった8000系は東武初の高性能通勤車で、1963(S38)~1983(S58)年の21年間に712両が製造され、東武はもちろん、私鉄全体でも最多両数を誇る。
通勤需要の増大に応え、当初の4連から6連も製作、増結・支線運用の2両編成に加えて1977(S52)年より東上線向けに8両固定編成まで製作された。
800・850系はこの8両固定編成を元に、改造によって生み出されている。
このグループは製造当初より分散式の冷房を搭載、台車はS形ミンデンを採用していた。
8両編成のうち、中間のサハ8900形2両を抜き取り(→8000系初の廃車)、残された中間のモハに乗務員室を増設して3両ユニット化した。
伊勢崎方のモハ8300形に乗務員室を増設(→モハ800-3形)したのが800系。
中間のモハ800-2形にパンタグラフ2器が搭載されている。
浅草方のモハ8200形に乗務員室を増設(→モハ850-1形)したのが850系。
パンタグラフ2器も引き続き搭載、前頭部にパンタグラフを搭載した、8000系シリーズの新たな表情を持つ事になった。
増設された運転機器等は、野田線用の6連の中間に組み込まれ、分割の機会を失ったクハ8400形、モハ8500形から転用されている。
車内は同時に修繕工事を実施、内装は既に大師線や佐野線、越生線などで運用されている8000系2・4連のワンマン対応編成に準じたものになった。
車内ではホワイト系の化粧板への張替え、座席の地の緑系への張替えの他、握り棒の増設や車椅子スペース、ドア上部に千鳥状にLED表示装置の新設、ドアチャイムや車外スピーカーも設けられている。
空調制御はマイコン化、正面・側面の行先・種別表示はLED化された。
乗務員室関係ではワンマン⇔ツーマン切り替えスイッチやデッドマン装置が設置されている。
8連5本より800系・850系各5本が生み出され、改造当初は800系+850系で6連を組み、伊勢崎線等の準急を中心にした運用に当てられていた。
2006(H18)年3月の改正時より伊勢崎線(太田~伊勢崎間)及び佐野線に投入されてワンマン運転を開始、佐野線では通勤車改造を行なっていた1800系を置き換えている。
(出入庫の運用か館林~太田間の区間運転にも入るが、この時は車掌が乗務する)
【編成】
←太田・館林方 伊勢崎・葛生方→
Tc 800-1 - *M 800-2* - Mc 800-3
*Mc 850-1* - M 850-2 - Tc 850-3
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車輛24 東武鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1990年12月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル1997年12月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2006年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2006年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2008年1月臨時増刊号 【特集】東武鉄道」(鉄道図書刊行会)
「私鉄スーパートレインコレクション」(交通新聞社)
を参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは、つい最近姿を消した、西武101系の内の初期のタイプについて取り上げます。
西武秩父線開業に合わせてデビューした通勤車で、初の本格的な高性能車でした。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
今日は朝7時台に震度3~4クラスの地震がありました。
短い間隔で相次いだのでちょっと不気味と感じました。
(富士五湖の方は震度5弱くらいはあったそう。皆様、大丈夫だったでしょうか)
震度3~4程度だったら、今の日本なら極度に恐れる事もない…はずですが、やはり「3.11」がありましたので、ここは大丈夫か?東北は?と思いが行ってしまいます。
地震とは関係ないと思いますが、今日は京急線の子安駅の近くで火災があり、京急線が2時間ほど止まってしまったとの事。
またJR線も一時運行を見合わせました。
私は所要で戸塚から藤沢へ向かう所だったのですが、やってきた電車は、後続が火災で止まっているとかで時間調整もあって藤沢は5分遅れ、後続が15分位の遅れになったようです。
関東地方はまだまだ乾燥する日々が続きそうです。
皆様、地震も火事も充分ご注意下さい。
《今日のニュースから》
がん患者の就労シンポジウム 東京で開催