今の航空機製造メーカーというと、特に200人以上乗れる大型ワイドボディ機を製作できるメーカーは、アメリカのボーイングと、ヨーロッパのエアバスが二大勢力となり、セールスにおいて常にしのぎを削る存在です。
しかし昔はアメリカでもボーイングだけでなく、「トライスター」を世に送り出したロッキード、そしてDC-10を開発したダグラス社がありました。
ダグラスは後にマクドネルと合併してマクドネル・ダグラスとなり、1990年に長距離旅客機として、DC-10をベースにしたMD-11を発表、フィンランド航空で運航を開始しました。
その後はB747-400をサポートする位置づけで導入する航空会社も増え、日本航空(JAL)も合計10機導入して、欧米路線や東南アジア路線で活躍しました。
1994年5月、まず国内線の羽田~函館、鹿児島線に就航し、後に国際線に進出していきます。
JALのMD-11には「J Bird」の愛称が与えられ、世界の貴重な野鳥のイラストが胴体とウイングレットに書き込まれました。
画像のJA8581は「エトピリカ」の名が与えられました。
ちなみにこの画像は鹿児島で撮りました。
私は鹿児島線でMD-11に乗りたくて、翌日の便の、しかもスーパーシート(国際線エクゼクティブクラスのシート)の予約を入れていたのですが、翌日になったらB747になっていて、ちょっとガッカリでした。
(団体のお客さんがいたからだそう)
ただ、この事がMD-11へのこだわりを生んだのかも知れません。
国際線に転出した後、好んでMD-11を選択して搭乗する事もありました。
(1996年10月17日 東京(成田)→アムステルダム エクゼクティブクラス)
(2001年12月1日 香港→東京(成田) エコノミークラス)
しかし後発のB777を初めとする双発機の台頭は、3発機のMD-11を早くも時代遅れにしてしまい、また比較的事故が多かった(JALでもCAが犠牲になる事故が起きている。貨物用だがフェデックス機の成田の事故も記憶に新しい)事もあって、20世紀末には早くも、旅客型としてはほとんど姿を消していく事になります。
JALでもB777-200ER及びB767-300ERにリプレースが進み、2004年秋には全機リタイアしました。
大半はUPSに売却され、貨物機に転用されたのだそうです。
最後まで残ったJA8582はなんと、ただ1機だけ「Arc of the Sun」カラーに衣替えして花道を飾りました。
JALからの引退からはや7年、今や伝説のカラーです。
ここからは世界で飛んだMD-11の中から、私が撮影したものをご覧頂きます。
(旅客型のみ)
1.アジア
大韓航空
ソウル~成田~ロサンゼルス線等で飛んでいました。
一時はサンパウロまで飛んでいた事があったそうです。
中国東方航空
貨物機に改造された機材は「中国貨運航空」のタイトルで引き続き日本に就航していました。
マンダリン航空
チャイナ・エアラインの関連会社。
アムステルダムでの撮影。
エバー航空
エバー航空は2000年に羽田に初就航しましたが、当時は週3便のみの乗り入れでした。
第2ターミナルはまだ工事中で、後方の東京湾に「さんふらわあ」が見えます。
ガルーダ・インドネシア航空
成田まで狙って撮りに行ったのだけれど、だんだんと曇がちになってきて、少々残念な出来になりました。
2.ヨーロッパ
KLMオランダ航空
一時期は札幌(千歳)経由で名古屋(小牧)に乗り入れた事がありました。
KLMでは新塗装に衣替えの上、まだ旅客用として健在らしいです。
(旧)スイス航空
B747-300に代わって長距離国際線の主役となり、成田にも姿を見せていました。
しかしスイス航空はこの後経営が破綻する事になります。
スイス・インターナショナル・エアラインズ
子会社のクロスエアがスイス航空の経営を引き継ぎ、スイス・インターナショナル・エアラインズとして再生しました。
MD-11も新カラーとなって成田に姿を見せましたが、すぐにA340にリプレースされました。
フィンランド航空
MD-11を初めて日本に就航させたのも、また最後まで(旅客型を)日本に就航させたのもフィンランド航空でした。
3.アメリカ
アメリカン航空
当初就航させていたB747SPをリプレースする形で日本線に就航させ、後の日本路線拡大の立役者となりました。
デルタ航空
今ではノースウエスト吸収により、JALに次いで2番目に日本発着の国際線が多いデルタ航空ですが、乗り入れ開始時はアトランタ線1路線のみで、当時はトライスターでした。
画像のカラーリングは、そのトライスターを引き継いだ1980年代のものです。
ワールド・エアウェイズ
アメリカのチャーター・エアラインで、見た事はないですが、横田や嘉手納の米軍基地にも飛来しているそうです。
撮影はチューリヒ。
ヴァリグ・ブラジル航空
日本にも週4回、成田に乗り入れていました。
スター・アライアンスの初期メンバーでもあったのですが、経営が破綻して現在はほぼ存在していない様子。
個人的には、多少寸詰まり感があるDC-10と比較して胴体が延長された事でスマート感が出て、一方で第2エンジン付近の無骨なデザインがいかにもアメリカらしいデザインで好きだったのですが…。
今年になって、ライバルだったA340も生産終了が発表になっています。
現代のジェット旅客機は完全に、B777やA330に代表される双発機の時代になりました。
航空に限らずどんな分野でもそうなのでしょうが、もはや「中途半端」は生きてはいけない時代なのでしょう。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
明日は旅行記に戻る予定。
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《今日見た・聞いた・思った事》
今日は量販店でカレンダーのキットを買ってきて、自前の写真を使って、来年のものを作ってみました。
出来合いのものがベースだからあまり威張れたものでもないけれど、なかなかいいものができたかなと思っています。
今の時期だと一にも二にも年賀状、なのかも知れませんが、カレンダー以外でもアルバムとか、CDやDVDのケースのラベルなど、色々面白そうなものがいっぱい見つかります。
このブログを読まれる皆様は、恐らく大半がプリンターもお持ちでしょうし、乗り物を中心に色々写真を集められていると思いますから、それらを活用して何かを作ってみたら楽しいのではないでしょうか。
どうも英語が混ざったチーム名は、未だに違和感を感じます。
前にも書いたように、この数年は5位からでさえ10ゲーム以上離されての最下位が連続です。
誰が監督になろうとも、せめてこの点位は何とか改善しないと、ファンも応援のし甲斐がないでしょう。
《今日のニュースから》
横浜DeNAベイスターズ 中畑清新監督就任を発表
№593 20年ぶりの国内大旅行・西日本 6.神戸市・山陽・神姫・明石市 山陽路のバス撮りまくり
11月 4日(金)
今日は朝から青空が広がっています。
天気予報は「晴れのち曇」だったと思うけれど(本当は明日雨だったらイヤだったんだけれど…。次回書きます)、とりあえず午前中位は青空が持って欲しいと思いつつ、さあ、バスの撮影です。
…とその前に、ポートライナーの新車(といってもデビューからもう5年経っているが)2000形を撮ります。
ポートライナーに限らず、新交通システムの電車は撮影が難しく、特にポートライナーはホームが全面ガラス張りなので尚更なのですが(だから路面電車のようなフレンドリーさが生まれず、必要以上に人気がないのだろうが)、とりあえず中公園が良さそうですか。
今のポートライナーは全部2000形だし、ラッシュ時は2~3分おきに来てくれるのでラク。
せっかくなので、中ふ頭方面を一周して戻りました。
「京コンピュータ」が世界最高の演算速度を達成した、というのはニュースでご存知と思いますが、そのコンピュータを研究する計算科学機構が、ポートアイランドの神戸空港の近くに去年移転しました。
最寄り駅が「ポートアイランド南」→「京コンピュータ前」と改称されています。
これからいよいよバスの撮影に入ります。
朝方は神戸市営バスばかりになりましたが、成果は先日本体の更新時にご覧頂きましたから、そちらの方をご覧下さい。
ここでは2枚だけ、いずれも神戸交通振興(交通局の関連企業)の車両をご覧頂きます。
どちらも三宮駅の北側での撮影。
「早く何とかしたい」とお約束していた、シティー・ループ。
2社3形式全て撮れました。
修学旅行なのか、学生さんが大挙乗り込もうとしていましたが、中型車ではやはり無理があるか?
神戸交通振興はこの他、三宮・新神戸~山手~新開地方面の山手線(循環)を直営で運行しています。
専用の赤一色の車両を使用していて、このエアロスターは市営バスからの転用です。
本数が少ないので注意。
続いて阪急と山陽電車を乗り継いで垂水へ。
垂水駅前で山陽バスを撮るつもりだったけれど、光線状態が合わずにあまり撮れなかった。
もっと早いか、もっと遅い方が良さそうだ。
ここはずっと昔から、バスターミナルが2つに分かれていて、特に垂水東口の方は電車への乗換には不便なのではないかとも思うのだが、再開発がうまくいっていないのだろうか?
なお山陽バスは山陽電気鉄道のバス部門から分社したばかりであり、車両の大半は「山陽電鉄」の「電鉄」の上に「バス」と重ね貼りしています。
さらに神戸市営バス、山陽バス、明石市営バスをまとめて撮りたくなり、JRで朝霧に向かいます。
朝霧駅は1968(S43)年開業の比較的新しい駅で、明舞団地等の住宅地への玄関口になっています。
明石市にあるのですが、神戸市営バスなどが乗り入れてきます。
神戸市営バス。
撮影した交差点は神戸市と明石市の境にあり、このバスはこれから明石市内に入って朝霧駅に向かう事になります。
山陽バスですが、ちょっと驚きのポスト新長期規制のエアロスター。
こちらはもちろん、分社後の導入です。
そして、明石市営バス。
明舞団地が神戸市と明石市にまたがっているので、両市の公営バスが共同運行するという特異な形態になっている訳です。
ところで乗り物から直接は離れますが、朝霧駅というとちょうど10年前、忘れてはいけない惨事がありました。
2001年7月21日、駅に面した大蔵海岸で行なわれた花火大会の最中、この歩道橋付近にあまりにも多くの群集が押し寄せ、その結果11人が死亡、247人の重軽傷者を出す大惨事が発生しました。
そんな事が起こったとは思えないほど、のどかささえ感じるこの歩道橋ですが。
犠牲者の内10歳未満が9名、一方で70歳以上が2名と、弱者ばかりが犠牲になってしまいました。
歩道橋には慰霊のための地蔵が建立されています。
警備体制の不備など大小さまざまな理由があったようですが、ここでは何も言いません。
ひたすら犠牲になられた方々の霊を慰めるだけです。
朝霧駅前には山陽電車も走りますが、駅はありません。
ホームを造る場所がなかったのでしょうが、山陽電車としてはちょっともったいないかも。
後方は明石海峡大橋。
午後の残りの時間は、明石駅の近辺で明石市営バスや神姫バスを撮ります。
市役所のそばを走る、明石市営バス。
天文台の時計板と海岸の波をアレンジしたスペシャルデザイン。
こちらは明石郵便局のそばを走る、神姫バス。
どうも元姫路市営バスらしいのですが、今の所は謎です。
神姫バスは、明石駅での折返しの待機は、近くのホテルの1階で行なわれています。
中央の車両に注目。
「すみません 回送中 です」と表示されています。
さすがLED。
明石市営バスのバス停の内、本数が少ない、比較的辺境にあるバス停で使われています。
市章をあしらった、本当にシンプルな標識。
山陽電鉄の西新町駅から徒歩10分程度の交通部車庫。
この旅行の直前、明石市営バスは来年の3月16日を持って運行を終了、翌17日より神姫バスと山陽バスが後を引き継いで運行するとの発表がありました。
移譲路線とその事業者の路線図が、明石市の公式Webページに掲載されています。
山陽バスは、初めて明石駅前に乗り入れることになります。
(西側の二見地域には、既に離れ小島の路線がある。でもはるばる垂水から回送されてくるのか?)
交通部の車庫は、神姫バスのものになるのでしょうか。
今日撮影した場所は、いずれも明石市営バスとしては本数があまり多くない場所でした。
車庫で貰った路線図と時刻表を照らし合わせると、やはり明石駅から朝霧丘方面に向かう路線が、便数が多くなるようです。
何とか来年3月の廃止までにもう1回は行って、スペシャルカラーを含めて、明石市営バスをもう少し撮れたらなあと考えています。
高架化工事真っ只中の西新町駅。
ここと山陽姫路の間では、西武の練馬で行なったような「逆立体化」工事も行なわれるようです。
陽も暗くなりました。
姫路から今日の宿泊地、岡山へ向かいます。
姫路19時45分発の1337Mは115系の3連。
更新車で転換クロスシート。
上郡でグンとすきました。
山間部を走りますが、もう暗くなってどこを走っているかは解からなくなりました。
岡山に着いたら、そのままダイレクトに駅前のホテルに向かいます。
さて、本当は明日の岡山こそ晴れて欲しかった…のですが…。
20年ぶりの国内大旅行・西日本 7 につづく
ただし全日程のちょうど半分が終わった事でもありますし、明日は一旦お休み、違う事を書く予定です。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
ANAのB787-8は11月1日の定期運行開始以来盛業で、ほぼ順調に運航が行なわれているようですが、一方、JALの方もいよいよ営業運航の話が現実的に見えてきました。
今日公式Webページで発表があり、来年3月末就航という事です。
サマーダイヤへの切り替え時からでしょうか。
最初の就航路線は羽田~北京、成田~デリー・モスクワ線になるという事です。
JALの方は、国内線では飛ばないのでしょうか。
サービスの面では、小学館・イーブックと組んで、全クラスのパーソナルTVで電子コミックが読めるようになるのだそうです。
そういう時代なんだ…!
ひょっとしたら東日本大震災や、同時多発テロなどで気づかなかったという方もおられるかもしれませんが、今日は太平洋戦争開戦から70年になります。
この攻撃から生き残った元兵士たちの組織が解散するとも聞いていますが、何しろ一番若くて70歳ですから…。
《今日のニュースから》
旧日本軍真珠湾攻撃から70年 ハワイで追悼式典
№592 20年ぶりの国内大旅行・西日本 5.曇り空の元、大阪一回り 私鉄電車を観察
昨日はお休みさせていただきましたが、旅行記、続けます。
11月 3日(木) 文化の日
今日は一日、ほとんど曇り空。
鉄道もバスも旅客機も、私的には撮影にはなりませんでした。
「晴れ」にこだわってしまうので…。
そこで今日は一日、大阪をグルッと、電車を乗り継いで回ってみました。
「スルっとKANSAI」のカードを大量に使い残してあるので、少々乗り込んでも大丈夫。
三宮から十三まで阪急神戸線の特急。
9000系の正面には「もみじ」のヘッドマークが掲げられていました。
十三で宝塚線の普通電車に乗り換えて蛍池へ。
さらに大阪モノレールに乗り換えます。
万博記念公園で彩都西行に乗換。
万博記念公園駅を発車すると、左手にお馴染みの「太陽の塔」。
設計した岡本太郎は、今年生誕100年を迎えました。
豊川を過ぎると、モノレールの沿線とは思えないような農村地帯も残っていたりしました。
万博記念競技場ではこの日、Jリーグの「ガンバ大阪」vs「鹿島アントラーズ」戦が予定されており、キックオフまでまだかなりある午前中の早いうちから、サポーターが多数集まっていました。
(試合はガンバが1vs0で勝利)
ところで今回大阪モノレールに乗ったのは、№569「私鉄の車両シリーズ100 大阪モノレール1000形」の記事を書くための観察もありました。
彩都西行1030番台の車内。
デビュー時はクロスシートでしたが、現在はロングシートに改造されました。
この結果、1000形は0・30・20番台いずれも車内はほぼ同じになっている事が確認できました。
20番台のみ、ドア上の表示がLEDのままというのが相違点でしょうか。
ロングシート化された、9000系の車内。
9000系は元々はクロスシート(集団相反形)でしたが、新3000系デビューと共にロングシート化されました。
新しいシートはバケットタイプ。
(クロスシートは、伊賀鉄道100系(元東急1000系)に転用されたとか)
その新3000系ですが、前回書いたように、期待された中之島線の快速急行が振るわず、前回の改正で日中は完全に取り止めになってしまいました。
これもいつか書きましたが、やはり特急運用に入り、8000系を補完する役割を担っています。
午後は阪神電車に乗り、須磨浦公園を目指しました。
8000系改装車の観察です。
山陽電車のヘッドマーク。
去年は厚木市で行なわれたけいおん … ではなくB-1グランプリ、今年は姫路で11月12・13日の開催でした。
西宮に停車中の、近鉄編成の奈良行快速急行。
須磨浦公園に着くと、後を走ってきた直通特急は阪神の1000系でした。
この後入れ替わるように梅田に向けて通過していった直通特急は9000系。
1000系も9000系も、近鉄直通運用だけではないようです。
それにしても須磨浦公園駅は駅員の姿がなく、祝日の行楽地の駅としては寂しかったですね…。
8000系クロスシートの車内。
そしてロングシートの車内。
関西でもバケットシートがかなり普及するようになっていて、時代も変わったかなとか思います。
須磨浦公園を後にする頃、ようやくボンヤリとではあるが夕陽が見えました。
夜になるとお月様。
今頃晴れてもしょうがないのだけれど、その分明日への期待が高まります。
20年ぶりの国内大旅行・西日本 6 につづく
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
今日の朝日新聞(関東地方)の夕刊の1面には、津波被害で不通になっている、気仙沼線の柳津~気仙沼間を、「BRT」(バス高速輸送システム)方式で復旧させるべく、国土交通省とJR東日本が地元に提案するとありました。
具体的な動きはこれからで、地元の意向がどうなるか、という事でしょう。
ただ、あくまで個人的な意見を述べさせて頂くと、早期の復旧が求められるからといって、安易にレールをやめてバスにしてしまうと、仙台方面からの直通列車の運転ができなくなったりして、将来に禍根を残すのではないかと多少心配になります。
仮にBRTに仙台行高速バスを走らせるとかすると、今度は大船渡線など、今運行されている鉄道に悪影響を与えるのではないかという懸念もあります。
私はむしろ、どの道全面的に造りかえる事になるのだから、山田線、三陸鉄道共々高規格化した上で再建し、仙台から直通の特急列車を走らせるべきという考えを持っています。
これについては、いずれ書きたいと思います。
《今日のニュースから》
復興支援 減税特例措置法 参議院本会議で可決・成立
11月 3日(木) 文化の日
今日は一日、ほとんど曇り空。
鉄道もバスも旅客機も、私的には撮影にはなりませんでした。
「晴れ」にこだわってしまうので…。
そこで今日は一日、大阪をグルッと、電車を乗り継いで回ってみました。
「スルっとKANSAI」のカードを大量に使い残してあるので、少々乗り込んでも大丈夫。
三宮から十三まで阪急神戸線の特急。
9000系の正面には「もみじ」のヘッドマークが掲げられていました。
十三で宝塚線の普通電車に乗り換えて蛍池へ。
さらに大阪モノレールに乗り換えます。
万博記念公園で彩都西行に乗換。
万博記念公園駅を発車すると、左手にお馴染みの「太陽の塔」。
設計した岡本太郎は、今年生誕100年を迎えました。
豊川を過ぎると、モノレールの沿線とは思えないような農村地帯も残っていたりしました。
万博記念競技場ではこの日、Jリーグの「ガンバ大阪」vs「鹿島アントラーズ」戦が予定されており、キックオフまでまだかなりある午前中の早いうちから、サポーターが多数集まっていました。
(試合はガンバが1vs0で勝利)
ところで今回大阪モノレールに乗ったのは、№569「私鉄の車両シリーズ100 大阪モノレール1000形」の記事を書くための観察もありました。
彩都西行1030番台の車内。
デビュー時はクロスシートでしたが、現在はロングシートに改造されました。
この結果、1000形は0・30・20番台いずれも車内はほぼ同じになっている事が確認できました。
20番台のみ、ドア上の表示がLEDのままというのが相違点でしょうか。
ロングシート化された、9000系の車内。
9000系は元々はクロスシート(集団相反形)でしたが、新3000系デビューと共にロングシート化されました。
新しいシートはバケットタイプ。
(クロスシートは、伊賀鉄道100系(元東急1000系)に転用されたとか)
その新3000系ですが、前回書いたように、期待された中之島線の快速急行が振るわず、前回の改正で日中は完全に取り止めになってしまいました。
これもいつか書きましたが、やはり特急運用に入り、8000系を補完する役割を担っています。
午後は阪神電車に乗り、須磨浦公園を目指しました。
8000系改装車の観察です。
山陽電車のヘッドマーク。
去年は厚木市で行なわれたけいおん … ではなくB-1グランプリ、今年は姫路で11月12・13日の開催でした。
西宮に停車中の、近鉄編成の奈良行快速急行。
須磨浦公園に着くと、後を走ってきた直通特急は阪神の1000系でした。
この後入れ替わるように梅田に向けて通過していった直通特急は9000系。
1000系も9000系も、近鉄直通運用だけではないようです。
それにしても須磨浦公園駅は駅員の姿がなく、祝日の行楽地の駅としては寂しかったですね…。
8000系クロスシートの車内。
そしてロングシートの車内。
関西でもバケットシートがかなり普及するようになっていて、時代も変わったかなとか思います。
須磨浦公園を後にする頃、ようやくボンヤリとではあるが夕陽が見えました。
夜になるとお月様。
今頃晴れてもしょうがないのだけれど、その分明日への期待が高まります。
20年ぶりの国内大旅行・西日本 6 につづく
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
今日の朝日新聞(関東地方)の夕刊の1面には、津波被害で不通になっている、気仙沼線の柳津~気仙沼間を、「BRT」(バス高速輸送システム)方式で復旧させるべく、国土交通省とJR東日本が地元に提案するとありました。
具体的な動きはこれからで、地元の意向がどうなるか、という事でしょう。
ただ、あくまで個人的な意見を述べさせて頂くと、早期の復旧が求められるからといって、安易にレールをやめてバスにしてしまうと、仙台方面からの直通列車の運転ができなくなったりして、将来に禍根を残すのではないかと多少心配になります。
仮にBRTに仙台行高速バスを走らせるとかすると、今度は大船渡線など、今運行されている鉄道に悪影響を与えるのではないかという懸念もあります。
私はむしろ、どの道全面的に造りかえる事になるのだから、山田線、三陸鉄道共々高規格化した上で再建し、仙台から直通の特急列車を走らせるべきという考えを持っています。
これについては、いずれ書きたいと思います。
《今日のニュースから》
復興支援 減税特例措置法 参議院本会議で可決・成立