東日本大震災の大津波で壊滅的な被害をこうむった仙石線。
津波で押し流され、一時は行方不明とされた205系の映像はショッキングでした。
今日現在、仙台~高城町間と矢本~石巻間は何とか運転再開にこぎつけていますが(矢本~石巻間はDC)、その中間の高城町~矢本間は、ルート変更の可能性大で、今の所復旧のメドが経っていません。
沿線の人々の暮らしも含めてまだまだ大変ですが、何とかできるだけ早い復旧を望みたいと思います。
仙石線は、1925年に宮城電気鉄道という私鉄で開業し、太平洋戦争の真っ只中に国有化されました。
そのため東北地方のJR線では唯一の直流電化であり、仙台・石巻の両始発駅も、他のJR線とは異なった位置に設けられていたのが特徴的でした。
買収国電からクモハ11や73系などが運用されたりしましたが、JRへの移行の前には103系及び105系が運用されていました。
1990年3月1日に撮影した中から4枚ご覧いただきましょう。
仙台駅に停車中の103系。
首都圏と違うのは、ドアが半自動扱いになっている事。
今の半自動ドアはボタンで操作しますが、当時はドアに付いていた取っ手を引っ張って開け閉めしていました。
DCなどもそうでしたが、重かった…。
仙台駅は、新幹線や東北線の仙台駅からは離れた位置にありました。
後に地下線になって移動する事になります。
当時の仙石線の車両基地は陸前原ノ町にありました。
基地内に見える103系は改修工事を受けた車両で、外観ではカラーリングの他、正面の窓が3分割→2分割になるという変化がありました。
仙台~陸前原ノ町間は2000年に地下線化(同時にあおば通へ延伸)、車両基地は福田町の近くに移転する事になります。
(仙台車両センター宮城野派出所)
こちらは石巻駅に停車中の105系。
福塩線・宇部線に投入されたオリジナルと異なり、103系からの改造でした。
大津波で壊滅してしまった「野蒜」の行先を出しています。
105系は主に石巻発着の区間運転を受け持っていました。
当時から野蒜以東は石巻との結びつきが強かったわけで、今回DCを使用してでも早期の復旧が図られたのも、解かる話です。
(脱線しますが、仙石線でDCが運用されたのは今回が初めてではなく、ジョイフルDC「グラシア」(後の「こがね」)が臨時列車で運行された実績がある)
そして、仙石線の石巻駅。
やはり同じJRの石巻線とは別の位置に設けられていました。
いかにも小私鉄のターミナルらしい佇まいではないでしょうか。
但しこちらは既に統合のための工事が始まっていました。
この後7月21日に移転統合されます。
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こういうイベントが行なわれるという事は、なんのかんの言っても日本は平和だなあ。
《今日のニュースから》
男女500人参加“街コン” 池袋で開催