「私鉄の車両シリーズ」はついに100回を突破、今回からは再び東日本の事業者の車両にスポットを当てます。
まずは京成電鉄の「赤電」、3200形です。
3200形を含む「赤電シリーズ」については、№39で取り上げましたが、改めて記してみたいと思います。
今回から、ちょっと書き方を変えてみます。
京成電鉄3200形は1964(S39)年~1967(S42)年の4次に渡り、合計88両が製作(汽車・日車・帝国)された通勤車で、通称「赤電」では5番目の系列となる。
京成で初めて1,300㎜幅の両開きドアを採用。
戸袋窓は廃止、ドア間には窓が3連で並んで関西風のサイドビューとなって、以降の京成通勤車の標準スタイルを確立した。
前面は運転台の床面の嵩上げにより窓部も下辺が100㎜上がり、形状も丸妻から三つ折り平面の突合せとなり、若干顔つきが変わっている。
全電動車方式で、編成形態は在来の「赤電」と同様の4両固定ながら、中間にM1・両端にM2の配置に改めた。
M1に1C8M方式の主制御器とパンタグラフ1台、M2にMG・CPを搭載している。
車内は一般的なロングシート。
1次車6編成24両のうち、3221Fの4連は試作的に編成両端の台車の電動機を省略して1C6M方式とした。
電動機の出力は75kw→100kwに引き上げられたため、編成単位の出力は変わらない。
これを踏まえて2次車より全面的に1C6M方式で製作され、1C8Mの「8M車」に対して「6M車」と呼称される。
4次車のうち最終の8両は特急「開運号」への運用を想定、片開きドア+クロスシートで制作され、番号は90番台(3291F・3295F)となった。
「スカイライナー」初代AE形就役時にロングシート化されている。
1980年代半ばにファイヤーオレンジ色に改められた。
1985(S60)年より更新冷改工事が始まり、前面は前照灯が腰部に降りて丸型となった尾灯と並び、貫通扉に種別表示、扉上部に行先表示装置が設けられた。
側窓はユニット窓となっている。
「6M車」については6両固定に編成替えが行なわれた。
4両固定の片側の運転台を撤去、これに編成を分割した2両を連結する形で行われている。
なお一時的に8両固定が組成された事もあった。
「開運号」仕様の2編成については、3291FはVVVF試作車となり、先頭車はTcとなった。
インバータ制御装置は1C4Mタイプを編成に2台、電動機は165 kwの3相かご形誘導電動機を装備、外観では前照灯と尾灯を一体の角型としたため区別がつく。
一方の3295Fは単独で更新冷改工事が行なわれた。
1991(H3)~1993(H5)年にかけて4編成に試験塗装が施され、灰色ベースの塗装が現在の通勤車のカラーとなった。
8両は北総開発鉄道へのリースが行われた事がある。
2003(H15)年から廃車が始まり、2007(H19)年には全車両が引退した。
3295Fは引退直前に「開運号」を復刻した旧赤電色となり、花道を飾った。
(「赤電色」は№38をご覧下さい)
【編成】
←京成上野・押上方 成田空港・東中山方→
M2 3200 - *M1' 3200 - M1' 3200* - M2 3200
M2 3200 - *M1' 3200 + M2' 3200 - M1' 3200 - *M1' 3200* - M2 3200
(6連化「A」編成)
M2 3200 - *M1' 3200* - M1' 3200 - M2' 3200 + M1' 3200* - M2 3200
(6連化「B」編成)
Tc2 3200 - M1' 3200 - *M1' 3200* - Tc2 3200
(VVVF改造3291F)
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車両12 京成電鉄」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻)
「鉄道ピクトリアル1997年1月臨時増刊号 【特集】京成電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2007年3月臨時増刊号 【特集】京成電鉄」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄13 京成電鉄」(朝日新聞出版)
「京成電鉄完全データ」(メディアックス) 等を参考にさせて頂きました。
次回は、東武800・850系です。
8000系の改造によって生み出された、東武としては異端児と呼べるワンマン通勤車です。
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《今日のニュースから》
仙台臨海鉄道 一部区間で運行再開