№580 バスジャパン・ハンドブックシリーズR75 ジェイアールバス関東

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「バスジャパン・ハンドブックシリーズR」も早7年、25冊目になりました。
 今回はジェイアールバス関東(JR関東)。
 JR関東は1994年の「バスジャパン・ハンドブックシリーズ18」、2002年の「バスジャパン・ニューハンドブックス37」でも取り上げられていて、当シリーズ3度目になります。
 シリーズで3度に渡って取り上げられるのは今の所他に東京都交通局だけで、それだけ人気の高い事業者、という事なのでしょう。

◆ 筑波・下総 「街」「味」再発見
 冒頭のミニ紀行ですが、1994年は春夏秋冬別々で定期観光バス<ポピー&ストロベリー号>や高速バス<ドリームふくふく号>など、JR関東のバス事業を立体的に理解できる4コースが紹介されました。
 2002年は種村直樹氏による、信州や上州の乗り継ぎの旅で、なかなかダイナミックなものになったようです。
 今回は一転して近場になり、茨城県から千葉県、JR東日本で言うと東京近郊区間に収まるエリアになりました。
 後で書きますが、もう遠くのエリアは路線がほとんどなくなって、JR関東だけでは巡れなくなってしまっているんですね。
 競馬も航空も関心は高い(馬券は買わないけれど)ので、興味深く読めました。
 空港反対闘争の展示があるとは知らなかった。
(そうなると三里塚によっても良かったかも知れない)
 JRAのトレーニングセンターは美浦の他に滋賀県栗東市にもあり、今年の三冠馬オルフェーブルは栗東の方の所属ですから念のため。

◆ 終点の構図 祖父岡
 白河の方からの直通だけなので、付け足し的な支線の終点と思ったのですが、思いの他ローカル色が濃い所です。
 確かに「フクシマ」というだけで風評被害、悲しい話です。
 JR関東の終点は、1994年の時は長野県の上和田、2002年の時は茨城県の上和野でした。
 また、ハンドブックシリーズの前身の「バスジャパン」創刊号では、茨城県の浮島が取り上げられていました。
(もちろん国鉄バス時代)
 路線網の急激な縮小で、今後終点として取り上げられる場所はいくつ残るでしょうか。 

◆ ジェイアールバス関東の路線エリア
 元々国鉄バスの性格からして、広大なエリアに網の目のように路線が広がる、という事はなかったのですが、それにしてもこの9~17年の間での路線の減少は凄まじい。
 せいぜい宇都宮と土浦が小規模ながらエリアとして成り立っている程度で、後は1支店あたり1~せいぜい2路線程度で終わっている所が大半。
 諏訪〔営〕は一般路線がなくなってしまいました。
 一般路線車の配置はありますが、全てコミュニティバスに移行になっているようです。 

◆ ジェイアールバス関東のあゆみ
 前身が国鉄バスである事はもはやいうまでもなく、民営化から四半世紀近くが経ちましたからもはや大きくスペースを割いて記す必要はないようです。
 大半のスペースを、高速バスについて割いています。
 昨今の情勢を反映して、高速路線も出入が激しくなっているようです。
 なお、土浦〔支〕では、常磐線快速の最終から接続する、取手駅→土浦駅の深夜バス<土浦リレー号>の運行があるのですが、ここでは記されていませんでした。
(宇都宮でも深夜バスの設定あり)
 2006年廃止の上和野線の写真がありますが、前出の2002年の「終点の構図」で使われた写真です。
 なお、知多半田線<知多シーガル号>が、21日よりGシート装備車による運行になっているそうです。

◆ 車両の現況

1. 平均車齢は8.91年。
 一般路線車は12.02年、貸切車は12.57年と高齢なのに対して、高速車は6.85年とやはり若くなっています。
 貸切車は地方のいわゆるスクールバスとか、路線車の貸切登録への変更も含んでいて、一般的な、いわゆる「観光バス」の導入は2004年が最後になっています。
 最高齢は1992年で、やはり経年車は全体的に東京から遠く離れた支店・営業所に多く配置されているようです。
 一般路線車は1996~1998年式合計が全体の4割近くを占めていますが、近年東急バスからの譲渡が大量に発生したからでしょう。
 高速車は2005年式が13%と最も多くなっていました。

2. 1994年、及び2002年と比較してみると…
 一般路線車は、1994年の半分以下、2002年の3分の2と大幅に減少。
 現在20台以上配置されている支店・営業所は存在せず、個々だけみると、もはや零細事業者並でしかない。
 烏山〔営〕が廃止になった他、県庁所在地の水戸〔支〕からして対1994年比で1/4、館山〔支〕が1/3以下。
 微減にとどまっている所もあるが、コミュニティバスの割合が多くなっている事に注意が必要だろう。
 長野原〔支〕の一般路線車が(草津町内循環を除き)全て貸切・高速タイプなのは特筆。

 貸切車は1994年の45台から2002年には84台と大幅に増えたが、2011年では46台と激減。
 先にあげたスクールバスや、路線車の登録変更が多数含まれる事を考えると、一般的な「観光バス」事業は、もはや経営の柱にはなりえないのか。
 一番台数が多いのが長野原〔支〕というのが、大観光地をかかえていて、らしい所か?
(もっとも2002年の14台→2011年は7台と半減している)

 高速車はやはり年を追う毎に台数が増えてきていて、2011年ではJR関東全台数の60%を占めている。
 特に152台ある東京〔支〕は全高速車の半分以上、JR関東全体の約1/3を占めている。
 一方土浦〔支〕は1994年時点の19台→2002年時点では34台と大幅に増えながら、2011年には14台と激減している。
 つくばエクスプレス開業の影響で、路線や便数が大幅に削減されたからに違いない。
 宇都宮〔支〕も、2002年には8台配置されたが、2011年には0に戻っている。
 湘南新宿ラインの快速電車に敗れたからだろうか。
 なお、一時期一大勢力を誇ったボルボやネオプランの高速車は、今は1台も存在しない。
(ちょっとビックリだった)

 以上を総合すると、現在のJR関東の高速路線網が全て東京圏を向いている事でも解かるとおり、東京・新宿などからを起点に、100㎞を越える距離の高速路線が、経営全体の生命線になっているといえる。

 今後のJR関東ですが、やはり高速バスに相当力を入れざるを得ない状況は変わらないでしょう。
 何度も書いている通り、この数年は短距離では鉄道網の整備、中・長距離は会員制ツアーバスの台頭への対策で四苦八苦している、というのが、短期間で繰り返されるダイヤ改正からも見て取れます。
 車両面では、上に挙げたとおり今は外国産の高速車はありません。
 しかし三菱ふそうエアロキングのうち、1999年式KC-MU612TA、あるいはMU612TXの内の初期の導入車両は既に車齢が10年を越えており、過酷な走行条件からして早急に置き換え、という話になるかも知れません。
 エアロキングは既に製造を終了していますから、代替車もダブルデッカーなら再び外国産、という話も出るかもしれません。
 今なら歴史的ユーロ安・円高だから欧州製でも手に入れやすいかもしれないし。
 一方で水戸や佐野など、比較的近距離でしかも観光輸送等の使命がない路線の場合は、西鉄のような廉価版の高速車の投入もありえるでしょう。
 韓国製もありかも。
 ターミナルについては新宿が移転しましたがあくまで暫定的なもののはずで、新宿駅からは遠くなった事と、バリアフリーの問題から、甲州街道に隣接した新ターミナルの早期の完成が期待されます。
 一般路線については、長野原のイエローバスや西那須野のもみじバスがなくなっているのは残念で、今一度の活性化のためにも、高速路線、あるいはJR東日本の鉄道路線ともリンクした営業政策が再び求められると思います。
 また、他のJRバスもそうですが、公式Webページ上での一般路線の扱いが、高速路線と比べて冷遇されているようにも思えるので、この点でも改善が望まれます。
 少なくとも、これ以上の削減がない事を願います。
 
 次回は神姫バスと予告されています。
 神姫バスはバスジャパンでは完全に初登場になります。
 兵庫県南部の広い地域に路線網を持ち、通勤路線もローカル線もあり、高速も長短あり、まして神戸や姫路の市営バスを引き継いだりしていますから、ロケーションも車両もかなりのバラエティがあるのだろうと思います。
 今から期待です。
  
 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 今日はこの他、“忠犬ジュニア”が北海道奈井江町より表彰されたという話題もありました。
 今の日本はあまりにもギスギスした空気が張り詰めているので、こんな話題も欲しいですよねぇ。
《今日のニュースから》
愛媛銀行 子犬2匹引き取り本店でお披露目