№578 横浜市営交通90周年記念ポストカード集

 昨日は、おとといのマリンタワー訪問について書きました。
 市営交通90周年の展示が行われているという事で、記念のポストカードセットが発売されています。
 ここで全9枚をご覧頂こうと思います。
 1セット1,470円。

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5型
 横浜市電の前身の横浜電気鉄道から引き継いだオープンデッキの路面電車。1904(M37)年に製造され、大半は関東大震災で被災したが、画像の24号車は1925(T14)年まで使用。

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A型フォード
 1928年(S3)年開業の市営バスの初代車両。乗客14人に運転手と車掌が乗務。7路線30㎞を30台で運行、当時の旅客は1日当たり1万人弱。

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トロリーバス
 1959(S34)年に運行を開始、横浜駅西口~三ツ沢上町~常盤台~横浜駅西口の循環系統で運行された。道路上に貼られた架線からポールを介して電力の供給を受けて走る。1972(S47)年まで運行された。

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ダッジブラザーズ
 太平洋戦争(1945(S20)年終戦)後の市営バス車両不足を補うため、米軍から払い下げられた軍用の6WDトラックを改造、50台が1947(S22)年から一時期市営バスとして使用された。

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民生ディーゼルバス
 1948(S23)年に導入された市営バス初のディーゼルバスで、大型化されたため旅客が多い路線を中心に運用され、翌年の「日本貿易博覧会」でも観客輸送の主力となった。

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市電1600型
 横浜市電最後の新製形式車両で1957(S32)年製。初めて後部乗降口を中央部に配置、バス並みのスタイルになった。ワンマン化改造はされず1970(S45)年廃止となったが、1両が市電保存館で静態保存。

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電気バス
 戦後間もない1946(S21)年に製作された。1回の充電で走行できる距離は10㎞程度(現在いすゞなどが開発中のタイプは120㎞を想定)だったが、模範的な低公害車とされた。

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10000形
 2008年(H20)年開業の地下鉄グリーンライン(日吉~中山)用の車両。リニアモーター使用により車両の小型化を実現、急勾配・急曲線にも対応し、建設費の節減にも貢献している。

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市電全盛期の路線図
 1963(S38年)年当時の市電路線網。生麦・麦田・浅間町・滝頭に車庫があった。麦田以外は市電廃止後市営バスの営業所に転用され、滝頭には市電保存館がオープンした。

 こうして並べてみると確かに貴重な写真も多いのですが、トロリーバス廃止(1972年)~グリーンライン開業(2008年)の間の36年間が全く抜け落ちてしまっているのが、正直大いに不満があります。
 横浜市営交通としても、横浜市そのものでも結構重要な年月だと思うので、この間の市営交通の乗り物が一切ないのは疑問です。
 私だったら … 間違いなく1972(S47)年開業の市営地下鉄(現ブルーライン)の初代車両1000形は加えますし、初のワンマンバス車両、2階建てバス「ブルーライン」、CNGノンステップ車両あたりも加えられるべきだと思いますが、いかがでしょうか。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 乗り物と関係なくなりますが、大王製紙の前の会長が特別背任で逮捕されました。
 グループ企業の資金を使い込んで、カジノでの借金の返済に使ったのだとか。
 この会長は私よりせいぜい2~3程度の年上と、比較的若手だと思うのですが、何だか金の使い方が子供じみているなあ。
 立場上、踏み外す必要のない道を踏み外した、という感が否めません。
 彼には、アメリカを初めとして世界中で吹き荒れる「反格差抗議行動」はどう映るのでしょうか?
(日本ではしょせんレクリェーションで終わりそうだが) 

「宇宙ビジネス」が脚光を浴びつつあるようですが、何千万円も払って数分の滞在で終わるなんてバカバカしい。
 やるならこの位本格的にやりたいものです … といってこれだけ長いと、これはこれできつそうですが。 
《今日のニュースから》
ISS長期滞在の古川航宙士 5ヶ月半振りに地球帰還