№574 戦後史の中の国鉄労使(升田嘉夫/明石書店)

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 今回は、1949年6月の発足から、1987年3月一杯で幕を閉じた日本国有鉄道(国鉄)の労働運動について考察した当初をレビューとして取り上げます。
 今のJRは女性の登用も多くなり、「JTB時刻表」の名物グラビア連載「鉄おとめ」ではついに女性の駅長まで登用されるなど(№570)、まもなく四半世紀を迎えるJRの現場に、かつての凄惨な労働運動の影を(少なくとも表向きには)見る事が出来なくなっています。
 恐らく、そのJRを常日頃利用されている今の利用者が当書籍を読んだら、「こいつらバカじゃねぇの?何考えてやっていたんだ?」と思うような出来事ばかりでしょう。
「まえがき」にもありますが、今後の労使関係や、ひいては組織の持続のあり方を考える上では(反面教師的ですが)大いに参考になりうるでしょう。

 私は私鉄の乗務員を経験し、その鉄道会社の労働組合(ちなみに総評→連合・私鉄総連加盟)が親国労の立場をとっていたため、特に国鉄末期の動乱にはいやおうなくひきずりこまれ、 … 私は出来る限り無視するように務めていましたが … その事もあって国鉄、ひいては労働運動全体にある程度関心はありました。
 しかし不満だったのは、提供される情報は全て、当事者の都合の良い事を書き並べた者ばかりだった事。
 要は第三者の立場から見た、客観的な資料が何一つなかった事でした。
 しょせん当事者は自分自身に都合のいい事しか並べず、対立するものは罵倒するばかりですから。
 そんな状態が延々続きましたが、ようやく今年の秋になって当書籍を見つけました。
(鉄道書のコーナーで、ではなかったはず)
 当書籍では、1946年3月の国鉄総連結成に始まり、動労(当初は機労)の結成、鉄労の分裂、EL・DL一人化闘争、「マル生」、スト権スト、そして国鉄分割民営化を巡る当局(+政府)vs労組・労組vs労組、さらには労組内部の抗争を、膨大な参考文献を元に、ある程度淡々と、出来る限り第三者的な立場から記しています。
 といっても著者は国鉄OBでJR西日本の関連企業にも勤めていたという事で全くの中立という訳でもないでしょうが、国鉄時代は現場の管理職の経験もあったようで、特に「マル生」以降数年は現場管理職が一番虐げられていましたから、その立場にあったものが書いたものであれば、中立的に記されているといって良いのではないでしょうか。
 基本的には教科書的な記述がなされていて、一つ一つの出来事は復習的にまとめがなされている上、「スト権スト」及び「国労修善寺大会」についてはそこに至るまでの経緯もおさらいしてあって、親切な構成になっています。
 とはいえ時々あっちへ行ったりこっちへ行ったりという部分もなくはないのですが、それだけ国鉄時代の労働運動が、本来の役目から逸脱して複雑怪奇だった事の現われという事も出来るでしょう。
 ともあれ、どの勢力からの干渉も受けず、中立に国鉄時代の労働運動を考えて見たいという方には、まずはオススメできると思います。
「まえがき」では「後半期に関心がある方は第五章から、末期に関心がある方は第九章から読んでもよい」と書かれていますが、やはり多少辛くても第一章から読んだ方が良いと思います。
 出だしのつまづき(特に仲裁裁定の不履行)が、ドロドロとした国鉄労働運動の始まりになっていますから。

 ここから先は簡単に感想文。
 色々な立場があれば色々言いたい事もあるのは解かるが、それにしてもどうにも疲れる。
 右も、左も、上も、下も、(ついでに言えば傍観者=マスコミも)「自分勝手」「自己満足」「自画自賛」のオンパレードで、「ご都合主義」で、「人をけなし、陥れる事で自分を美化する事しかできない」連中ばかし。
 労組の抵抗運動で「人らしく生きる」とかカッコよく叫ぶけれど(特に国鉄末期の国労がそうだった)、ではマル生直後の職場管理=現場管理職への陰湿ないじめや、敵対する労組の組合員への暴力事件は、相手を「人として」扱った結果なのだろうか?
 私は私鉄労働者時代、活動家からの一方的な思想しか聞かされず、そこではまるで「闘う」労働者が権力に対するレジスタンスで、「闘争」=「聖戦」であるかのようだった。
 しかし実態はまるで違っていて、しょせん「組合による差別」「労働者全体への挑戦」と泣き叫んでも、スト権ストや相次ぐ不祥事で国鉄を見放していた大半の国民の関心は全く得られなかったし、しょせんただの組合内部の権力闘争でしかなかった事も解かった。
(この書籍を読んでよりはっきりした)
 国鉄、というより日本の労働運動は、「労働運動」ではなかったのだろう。
 本来は労働者の雇用を護り、労働条件や権利を維持・向上させるために労働組合はあったはずだが、それよりはトップの活動家の思想を組合員一人一人に行き渡らせ、思想を画一化するために存在しているのではないか、とさえ思えるのだ。
 あえて言えば、宗教的とさえも言えるだろう。
 国労においては、現場の活動家が一番、現場を取り巻く状況からかけ離れた事ばかりやっていた。
 国鉄の、ひいては日本の労働者、労働運動の不幸だと思う。

「雇用の保障の前提に(国鉄の)すべての運動が成り立っていた。だからウソの首切り(合理化)には対抗できたが、雇用の保障がホントウになくなった時、なすすべもなく瓦解するほかはなかった」

 この言葉は痛い。
 ただ単に「親方日の丸」の一言で片付けてはいけないだろう。
「闘争闘争」と活動家たちは軽々しく煽るが、それは会社・役所等の「土俵」があればこそ。
「土俵」の存在が社会により否定され、そうでなくても危うくなってしまったら、闘いなんてはなから成り立たないという事。
 それは日本航空から中国バスまで、官も民も、大も小も何も変わらない。
 特に現場の活動家たちは、今後はっきりこの事を戒めなければならないだろう。
 活動家には、組合員を護る義務があり、組合員は活動家のコマとして存在しているのではないのだから。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 大阪~青森の寝台特急<日本海>が来春のダイヤ改正で廃止の道を辿る事になりそうです。
 今朝の読売新聞が伝えたもの。
 JRからの公式な発表はありませんが、3月のダイヤ改正(3月14日?)の概要の発表(12月9日か16日だろう)で正式に明らかになるのでしょう。
 これでJR西日本エリアでは<トワイライトエクスプレス>を除けば、「ブルートレイン」は完全に姿を消す事になります。
(後は電車の<サンライズ瀬戸・出雲>と急行の<きたぐに>のみ)
 夜行列車のあり方についてはまた機会があれば書きたいと思いますが、<日本海>に関しては、夜行とはいえ所要15時間はもはやかかりすぎだし、特に大阪側では<サンダーバード>の運行時間帯にかかっていて長時間の待避も強いられており、イメージ的にあまり良くないなあと感じていました。
 本当は現在夜行の客車列車を運行するJR東日本・JR西日本・JR北海道が共同で新型客車を開発する位の意気込みも欲しいかなあと、思っていた所ではありましたが…。
 LCCの相次ぐ就航、会員制ツアーバスの台頭、宿泊特化型ビジネスホテルの進出など、夜行列車を取り巻く情勢はさらに厳しくなりつつあるようです。
 
 依然として厳しい状況が続く時、労働運動は自分たちの利益の獲得だけにあくせくしていていいのでしょうか?
《今日のニュースから》
大学生就職内定率 59.9%とやや改善