№573 24年前の山形交通バス

 今日も軽めに行きます。
 昔のアルバムを眺めていたら、24年前の1987年11月、東北地方を回っていた時の写真がありました。
 以前もどこかで書きましたが、民営化スタートを切ったばかりのJR東日本が「E・Eきっぷ」というものを発売していまして、これを利用して東北地方のローカル線を歩いていました。
 といっても鉄道だけでなく、合間でバスも乗っていたりしました。
 これは11月22日に撮影した、山形交通のバスです。

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 山形を目指す特急バス。
 どこが始発かは忘れてしまったのですが、それにしてもヘッドマークがいい味を出しています。
 山形交通は山形を基点に米沢等の県内の主要都市に特急バスを運行していたのですが、今は皆なくなってしまいました。

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 もう一枚は、市内の西方にある、下原バス停で撮影した1枚。
 右側の電柱が多少ジャマではあるものの、柿の実がたわわに実り、秋本番を感じさせてくれました。
 今も下原を経由して細谷までの路線は走っていますが、佇まいはどうなっているのでしょうか。

 残念ながら今の山交バスは特急バスもなく、一般路線も縮小されてエリアがちぎれちぎれになってしまっています。
 しかし一方でノンステップ車やハイブリッド車の積極的導入という明るい話題もあります。
 今後も頑張って欲しいと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

「バスジャパンハンドブックシリーズR75・ジェイアールバス関東」が発売になっていますが、現在データを整理中です。
 いずれ取り上げますので、しばらくお待ち下さい。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 札幌市電の「ササラ電車」が初出動というニュースがありました。
 例年よりかなり遅いそうですが、ともあれこれを聞くといよいよ冬だなあと感じさせられます。
 広電650型「被爆電車」もそうなのですが、路面電車には、季節の訪れ・変わり目を感じさせる出来事がより多いように思います。
 地域密着型の乗り物ならでしょうか。

「GNH」=「国民総幸福」という考え方は充分解かります。
 日本人の中にも共感する人は多いでしょう。
 ただ、物があまりにも豊富にあふれ、しかも個人主義思想が蔓延した今の日本でこの考え方を浸透させるのは、相当困難なようにも思えます。
 4月のブログ再開時に「一人一人が自発的にライフスタイルを変える事が必要」と書いたと思うのですが、現状を見ると、どうも「のど元過ぎれば暑さ忘るる」という、日本人の悪い癖が覗いて見えて仕方ないのですが…。 
《今日のニュースから》
ブータン国王夫妻 慶応大学で講演

№572 和田岬線の旧型客車

 今日は少し軽く行きます。
 24年前の1987年5月5日、山陽本線の支線、兵庫~和田岬を走る「和田岬線」に乗りました。
 国鉄が民営化され、JR西日本となってまだ1ヶ月という時点。
 前年の1986年11月ダイヤ改正以降では、日本で最後の、旧型客車を使用した定期列車となっていました。
 もっとも極めて短区間の上、朝晩のみ・休日は2往復のみの運行という、関東の鶴見線(大川支線)と対を成すと考えてもいい、極端なまでの通勤路線でした。

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 和田岬駅は行き止まりのため、DE10型DCを両側にはさんだ「プッシュプルとレイン」となっていました。

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 客車は木造車体を鋼製化して生み出されたオハ61及びオハフ61を和田岬線仕様とした、オハ64及びオハフ64を使用していました。
 外観では兵庫・和田岬両駅とも同じ側のみにホームがあるため、通勤輸送に対応して中ほどにドアを設けていたのが特徴です。

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 それ以上に車内に特色があり、座席はほんの申し訳程度のロングシートがあるだけで、他は全て立席スペースと割り切っています。
 乗客がいないと、ご覧のようにガラーンとしています。

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 この都市は神戸港が開港120年を迎えた事で、メリケンパーク付近でイベントが行なわれ、記念の入場券が発売されました。
 当時の和田岬駅は、列車が発着する時間には駅員がおり、乗車券も発券していました。

 オハ64・オハフ64型は1990年9月30日を持ってキハ35系(これもラッシュ対応の工事が行われていて、キクハ35という形式もあった)に置き換えられました。
 しかし平成の世になってまだ走っていたとは、今からすると驚きかも知れません。

 和田岬線自体はこの後2001年には電化開業し、現在は103系によって運行されています。
 2001年7月1日に開業した神戸市営地下鉄海岸線が和田岬を経由するため、あるいは廃止かとも思ったのですが、電化とは正直意外でした。
 御崎公園球技場(神戸ウイングスタジアム。現在はネーミングライツで「ホームズスタジアム神戸」)オープンで、観客輸送が見込めると考えたのでしょうか。
 ただし、運河の整備による街づくり計画のため、再び廃止の可能性が出てきたとされています。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 千葉中央バスが刃物を持った男に乗っ取られ、乗客や運転手を人質にとって立てこもったものの、40分後に逮捕され、人質にも怪我はなく、ともあれ無事に終わりました。
 前面・側面の表示に「緊急事態発生」とか、「SOS」とか表示がされるのは、訓練などで見た事はある気がしますが、実際に使われたのを見るのは初めてではないかなあ。
 運転手はマニュアルに従って操作を行ったという事で、年1回行われているという訓練の賜物でしょう。
 ただ、旅客機のパイロットは当然いつもハイジャック対応の訓練を行なっていますが、バスでもこういう事をしなければならなっているとは、少々淋しい話だとも思います。
 ここの所バスでも、関東鉄道の取手での事件とか、南国交通高速バスの山陽道上の事件とか、いろいろ起きています。
 事件を引き起こす、その理由は知りませんが、やるなら自分ひとりだけでやって頂きたい。
 無関係な者は巻き込まないで頂きたいと言いたいです。
 
《今日のニュースから》
オリンパス 融資継続を金融機関に要請

№571 バスラマインターナショナル128(ぽると出版)

「バスラマインターナショナル128」は先月末に発売になりました。
 遅くなってしまいましたが、ここで取り上げてみます。

★各地の新車から
 前号の時にどんなものになるのだろう?と書いた、南海バスの旧塗装復刻車の写真がありました。
(新車ではない)
 №539で取り上げた藤子・F・不二雄ミュージアムへのシャトルバスの写真もあります。
「21-12」の登録番号は、今更いうまでもないですが、ドラえもんの誕生年。
 名阪近鉄バスはいすゞエルガミオ導入ですか。
 日野レインボーⅡでも良さそうですが、意外。

★「バスの日」イベント
 今年は結局どこにも行かなかった…。
「スルッとKANSAI」バス祭りは相変わらずすごいな。
「ムーバス」と「ぐりーん」が並ぶのもイベントならではですが、よくぞ遥々とと思います。
 バス協会の「バスフェスタ」は、去年は横浜のみなとみらいでしたが、今年は再び日比谷。
 神奈川県バス協会の「バス利用感謝デー」があったからでしょうか。
 連接バスは今年は京成だったけれど、ここも前後にタクシーの伴走があったようです。
 東北各県も頑張っているなあ。

★連接バス 福島県白河市で運行開始
 どういう形で使われるのだろうと思っていたのですが、JR東日本の研修の輸送ですか。
 JRに限らずどの鉄道会社でも研修というのはありますが、1回最大1000人とは凄い。
 しかし座席の地がマリーンズ柄のままとは、何だか違和感も感じます。
 着席定員を増やす事も含め、交換は考えなかったのか(できないのかもしれない)。
 JRバス関東の他地域での使用は、少なくとも一般路線では考えにくい。
 やるとしても昔のリムジンバスのような、比較的短距離の高速バス、という事になるのでしょうか。

★バス事業者訪問 149
 今回は青森県の2事業者で、最初が青森市営バス。
 確かに昔は青森市の外まで延びていて、竜飛岬まで走っていたと言うのは、№26で取り上げた「バスジャパン№8」(1988年)にも記されていました。
 レイルウェイ・ライターの種村直樹氏が青森から竜飛まで乗り継いだ紀行もあり、蟹田駅前で東部営業所行と三厩駅前行の市営バスが並ぶ写真もあったりします。
 別に「竜飛への道」と題した、市営バス三厩分所長を訪ねたルポもあり、読んで頂ければなあとは思います。

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 弘南バスへの委託はコスト削減のみならず、浪岡へ路線を延ばした事での補償と言う意味もあるようです。
 空港バスの廃止(JRバス東北に統一)とか、青森駅前ではJRバス東北の支店で待機しているとか、その辺の事については触れられていませんでした。
 しかし市外への路線がなくなってしまっても、今の路線網でもなお魅力的なローカル線が多そうで、当面フィーダー化は行なうとしても路線を維持するとの事なので、何とか行く機会ができればいいです。
 東北への支援も兼ねて。

★バス事業者訪問 150
 もう1社が下北交通で、これも昔の「バスジャパン№8」にありました。
 種村氏は大間から浅虫まで乗り継ぎで、別に「BAS BODY WATCHING」で下北交通の車両のカタログがあり、「さいはての三菱博物館」とあったように、昔は全車両三菱ふそうでした。

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 その頃と比べると今はいすゞ・日デ・日野もあり、ボディも西工があったりして、バラエティに富んでいると言えば富んでいる。
 ただ1988年の時点では乗合74両、貸切24両だったそうだから、乗合車は激減した上に、貸切と逆になってしまったわけです。
 一時、国鉄大畑線を引き継いで鉄道を運営していた事はどこにもありませんでした。下北交通の歴史上の基礎知識だと思いますが。
 JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」が利用増に貢献していると言うのは考えされられる話で、苦しいのはどこも同じなのだから、もっと事業者の垣根を越えた営業施策が施されるべきでしょう。
 原子力発電との関係はもう少し踏み込んでコメントがありますが、これを見た限りでは「大幅な縮小も困るなあ」と読めなくもない。特定輸送もあるようですから…。
(『東北』ではなく、『東京』電力ですか)
 下北も行ってみたいとは思いますが、ここはさらに遠くて大変そうだなあ。
 三沢空港への乗り入れとかは考えられないでしょうか。
(ちなみに東京から大間に行くには、函館まで飛行機で行って、フェリーで津軽海峡を横断するルートの方が、函館での乗り継ぎのタイミングさえ合えば断然早い)

 ところで、青森市営バスの所に青森県の路線バスの輸送人員のデータが各事業者毎にありました。
 どこも大体1966年~1972年位がピークになっていて、そこから40年位で激減してしまっています。
 青森市営は対1969年比27.3%で、下北交通は対1972年比で17.6%。
 一番減ったのがJRバス東北で9.5%、次が十和田観光電鉄で10.8%。
 東北地方全体に展開できるJRバスはまだしも十鉄はとても厳しく、これではバス大幅減便や鉄道廃止もやむなしと言わなければならないのかも知れない。
 それで今、バックナンバーの98号を眺めてみると「高知のバス、現在の姿」という記事があり、高知県の(2006年当時の)バスの現状と今後についてのバス協会長へのインタビュー記事がありました。
 今後も地方の事業者を取り上げる機会は多くなると思いますが、自治体レベルでバスの現状がどうなっているのかという事を各自治体ごとに取り上げてみれば、より事業者の現状を理解できるようになるのではないでしょうか。

 今号はこの他、ポンチョやエアロエースショートタイプの紹介、「マルチライダー」の日本再導入などがありました。
 それにしても、JBUSの中型車(エルガミオ・レインボーⅡ)はまだポスト新長期規制対応モデルの発表がまだありません。
 そろそろ出さないとまずいはずですが。

 次号では東京モーターショーのレポートが乗るそうですが、公式Webサイトを眺めたところでは、バスに関してはいすゞ、日野、三菱ふそうが各1種ずつ。
 いすゞの「エルガ・ハイブリッド」とはどんなものだろう。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 今日は北朝鮮・平壌で日本代表の試合が行なわれましたが … 残念ながら敗れました。
 それにしても、やっぱりただのアウェーでは済まなかったようです。
 試合前の君が代は大ブーイングで全然聞こえないし、試合終了後のインタビューも相手にうまく伝わらなかったようでした。
 日本代表は昨日平壌に着いていたわけですが、TVニュースの映像を見た限りでは、空港ターミナルは意外に真新しく見えました。
 本当の所はどうだか解かりませんが。
 体制の事は解かりませんが、果たして日本から制約なしに北朝鮮を訪ねる事できる日は、いつか来るのでしょうか。

 一方、そのお隣の国からは、嬉しい人たちが来てくれました。 
《今日のニュースから》
韓国の修学旅行生 震災後初の東日本訪問