東急バスが創立20周年を向かえ、これを記念した復刻カラー車が運行されている事は、№566及び№568で書きました。
この内、東山田〔営〕で運行されているエアロスター・H1179号車は、先代の貸切カラー、「ゴールデン・デラックス・カラー」を復刻して運行されています。
このカラー、かつては東急グループに属していた地方のバスもまとっていました。
ここでは、その中から3枚だけですがご覧頂こうと思います。
斜里バス
網走交通
北海道の2枚は、確かもう25年以上前になってしまいましたが、初めて北海道を訪れた時に撮影したものだと思います。
網走交通は現在も東急グループです。
北海道ではこの他函館バスもこのカラーをまとった車両が走っていました。
そちらについては本体の方をご覧下さい(「アーカイヴ」に掲載)。
草軽交通
こちらは1989(H1)年の横浜博覧会開催時、駐車場で撮影したものです。
現在東急グループのバス会社というと、東急バス・トランセ以外では、北海道の網走交通とじょうてつだけになっています。
(上田バスは現在は上田交通と資本関係はなさそう)
「ゴールデン・デラックス・カラー」は、東急グループ黄金期を象徴するカラーでもありました。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
石巻市 全国各地の商店街が復興支援販売
№578 横浜市営交通90周年記念ポストカード集
昨日は、おとといのマリンタワー訪問について書きました。
市営交通90周年の展示が行われているという事で、記念のポストカードセットが発売されています。
ここで全9枚をご覧頂こうと思います。
1セット1,470円。
5型
横浜市電の前身の横浜電気鉄道から引き継いだオープンデッキの路面電車。1904(M37)年に製造され、大半は関東大震災で被災したが、画像の24号車は1925(T14)年まで使用。
A型フォード
1928年(S3)年開業の市営バスの初代車両。乗客14人に運転手と車掌が乗務。7路線30㎞を30台で運行、当時の旅客は1日当たり1万人弱。
トロリーバス
1959(S34)年に運行を開始、横浜駅西口~三ツ沢上町~常盤台~横浜駅西口の循環系統で運行された。道路上に貼られた架線からポールを介して電力の供給を受けて走る。1972(S47)年まで運行された。
ダッジブラザーズ
太平洋戦争(1945(S20)年終戦)後の市営バス車両不足を補うため、米軍から払い下げられた軍用の6WDトラックを改造、50台が1947(S22)年から一時期市営バスとして使用された。
民生ディーゼルバス
1948(S23)年に導入された市営バス初のディーゼルバスで、大型化されたため旅客が多い路線を中心に運用され、翌年の「日本貿易博覧会」でも観客輸送の主力となった。
市電1600型
横浜市電最後の新製形式車両で1957(S32)年製。初めて後部乗降口を中央部に配置、バス並みのスタイルになった。ワンマン化改造はされず1970(S45)年廃止となったが、1両が市電保存館で静態保存。
電気バス
戦後間もない1946(S21)年に製作された。1回の充電で走行できる距離は10㎞程度(現在いすゞなどが開発中のタイプは120㎞を想定)だったが、模範的な低公害車とされた。
10000形
2008年(H20)年開業の地下鉄グリーンライン(日吉~中山)用の車両。リニアモーター使用により車両の小型化を実現、急勾配・急曲線にも対応し、建設費の節減にも貢献している。
市電全盛期の路線図
1963(S38年)年当時の市電路線網。生麦・麦田・浅間町・滝頭に車庫があった。麦田以外は市電廃止後市営バスの営業所に転用され、滝頭には市電保存館がオープンした。
こうして並べてみると確かに貴重な写真も多いのですが、トロリーバス廃止(1972年)~グリーンライン開業(2008年)の間の36年間が全く抜け落ちてしまっているのが、正直大いに不満があります。
横浜市営交通としても、横浜市そのものでも結構重要な年月だと思うので、この間の市営交通の乗り物が一切ないのは疑問です。
私だったら … 間違いなく1972(S47)年開業の市営地下鉄(現ブルーライン)の初代車両1000形は加えますし、初のワンマンバス車両、2階建てバス「ブルーライン」、CNGノンステップ車両あたりも加えられるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
乗り物と関係なくなりますが、大王製紙の前の会長が特別背任で逮捕されました。
グループ企業の資金を使い込んで、カジノでの借金の返済に使ったのだとか。
この会長は私よりせいぜい2~3程度の年上と、比較的若手だと思うのですが、何だか金の使い方が子供じみているなあ。
立場上、踏み外す必要のない道を踏み外した、という感が否めません。
彼には、アメリカを初めとして世界中で吹き荒れる「反格差抗議行動」はどう映るのでしょうか?
(日本ではしょせんレクリェーションで終わりそうだが)
「宇宙ビジネス」が脚光を浴びつつあるようですが、何千万円も払って数分の滞在で終わるなんてバカバカしい。
やるならこの位本格的にやりたいものです … といってこれだけ長いと、これはこれできつそうですが。
《今日のニュースから》
ISS長期滞在の古川航宙士 5ヶ月半振りに地球帰還
市営交通90周年の展示が行われているという事で、記念のポストカードセットが発売されています。
ここで全9枚をご覧頂こうと思います。
1セット1,470円。
5型
横浜市電の前身の横浜電気鉄道から引き継いだオープンデッキの路面電車。1904(M37)年に製造され、大半は関東大震災で被災したが、画像の24号車は1925(T14)年まで使用。
A型フォード
1928年(S3)年開業の市営バスの初代車両。乗客14人に運転手と車掌が乗務。7路線30㎞を30台で運行、当時の旅客は1日当たり1万人弱。
トロリーバス
1959(S34)年に運行を開始、横浜駅西口~三ツ沢上町~常盤台~横浜駅西口の循環系統で運行された。道路上に貼られた架線からポールを介して電力の供給を受けて走る。1972(S47)年まで運行された。
ダッジブラザーズ
太平洋戦争(1945(S20)年終戦)後の市営バス車両不足を補うため、米軍から払い下げられた軍用の6WDトラックを改造、50台が1947(S22)年から一時期市営バスとして使用された。
民生ディーゼルバス
1948(S23)年に導入された市営バス初のディーゼルバスで、大型化されたため旅客が多い路線を中心に運用され、翌年の「日本貿易博覧会」でも観客輸送の主力となった。
市電1600型
横浜市電最後の新製形式車両で1957(S32)年製。初めて後部乗降口を中央部に配置、バス並みのスタイルになった。ワンマン化改造はされず1970(S45)年廃止となったが、1両が市電保存館で静態保存。
電気バス
戦後間もない1946(S21)年に製作された。1回の充電で走行できる距離は10㎞程度(現在いすゞなどが開発中のタイプは120㎞を想定)だったが、模範的な低公害車とされた。
10000形
2008年(H20)年開業の地下鉄グリーンライン(日吉~中山)用の車両。リニアモーター使用により車両の小型化を実現、急勾配・急曲線にも対応し、建設費の節減にも貢献している。
市電全盛期の路線図
1963(S38年)年当時の市電路線網。生麦・麦田・浅間町・滝頭に車庫があった。麦田以外は市電廃止後市営バスの営業所に転用され、滝頭には市電保存館がオープンした。
こうして並べてみると確かに貴重な写真も多いのですが、トロリーバス廃止(1972年)~グリーンライン開業(2008年)の間の36年間が全く抜け落ちてしまっているのが、正直大いに不満があります。
横浜市営交通としても、横浜市そのものでも結構重要な年月だと思うので、この間の市営交通の乗り物が一切ないのは疑問です。
私だったら … 間違いなく1972(S47)年開業の市営地下鉄(現ブルーライン)の初代車両1000形は加えますし、初のワンマンバス車両、2階建てバス「ブルーライン」、CNGノンステップ車両あたりも加えられるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
******************
《今日見た・聞いた・思った事》
乗り物と関係なくなりますが、大王製紙の前の会長が特別背任で逮捕されました。
グループ企業の資金を使い込んで、カジノでの借金の返済に使ったのだとか。
この会長は私よりせいぜい2~3程度の年上と、比較的若手だと思うのですが、何だか金の使い方が子供じみているなあ。
立場上、踏み外す必要のない道を踏み外した、という感が否めません。
彼には、アメリカを初めとして世界中で吹き荒れる「反格差抗議行動」はどう映るのでしょうか?
(日本ではしょせんレクリェーションで終わりそうだが)
「宇宙ビジネス」が脚光を浴びつつあるようですが、何千万円も払って数分の滞在で終わるなんてバカバカしい。
やるならこの位本格的にやりたいものです … といってこれだけ長いと、これはこれできつそうですが。
《今日のニュースから》
ISS長期滞在の古川航宙士 5ヶ月半振りに地球帰還
№577 マラソンの日にマリンタワー
昨日(11月20日)、山下公園近くのマリンタワーに行ってきました。
横浜市民のクセに、マリンタワーに行った事が一度もなかったのですが、「市営交通90周年フェア」を行なっているというので、ちょうどいい機会とばかり、行ってみる事にしました。
ところでご存知の通り、昨日は「第3回国際女子マラソン」が開催されておりまして、その影響で交通規制にかかった路線バス各系統は、イレギュラーな運行を行なっておりました。
その中から2つ。
上大岡駅から根岸駅に向かう133系統では、正面や側面の表示は「根岸駅」のままで、側面の区間表示の下にステッカーで「市電保存館止り」の表示が貼られ、運転手が何度も注意喚起のアナウンスを行なっていました。
2系統の内、日中はみなと赤十字病院へ直通する便がありますが、規制時間内は本町4丁目が終点となりました。
表示は最初は「みなと赤十字病院」で、途中から運転手が手動で切り替えてこの表示を出していました。
本町4丁目に着くと回送車となり、本来右折する所、左折していきました。
桜木町駅で折り返すようです。
本町通自体は規制対象外でしたが、人も車も、日曜日にしては全然少ない…。
「市営交通90周年フェア」自体は2Fで行なわれていましたが、パネル展示中心でつつましいものでした。
そんな中で、当ブログでも何回か書いていますが、市電の末期をカラービデオで撮影したものが放映されて、人目を引いていました。
昔の市電のパネル展示。
グッズ類などの展示。
バス停の表示板もあります。
「横浜」という幕は何でしょう?
市電ともバスとも、地下鉄とも違うと思いますが。
歴代の市営地下鉄車両のパネル展示。
そしてパネル展示と「はまりんグッズ」の展示。
この後、「横浜市営交通90周年記念ポストカード集」を購入しました。
明日ご覧頂きます。
いよいよ展望台に上がります。
大人750円。
エレベーターで上がりますが、エッフェル塔や通天閣と違って、待たずに済むのは嬉しい。
30階の展望室。
下の29階にもあります。
横浜港を臨みます。
本来はこの方向に東京スカイツリーが見えるらしいのですが、かすんでしまって解かりませんでした。
ベイブリッジ。
ランドマークタワーを中心とする、みなとみらい地区。
蛇足ですが、マリンタワーは一時期休業していました。
一昨年5月再開した訳ですが、ひょっとしたら回りに高層ビルが立ち並んだ事が休業の原因になったのかもしれません。
丹沢方面。
残念ながら富士山は見えませんでした。
恋人の聖地?
まだ先の話なのですが、もうクリスマスツリーが飾られています。
29階の展望室の床には窓があり、眼下の光景を見る事ができます。
恐わ。
以上、初めてのマリンタワーでした。
来年スカイツリーがオープンするとどうなるでしょうかねえ。
でも横浜のシンボルである事は間違いないし、背伸びせず地域密着でやっていけば良いのではないでしょうか。
もちろんスカイツリーや東京タワーとの相乗効果も期待したいと思います。
営業次第ですが。
私自身、横浜の名所って全然行かない(凄く混雑する事もあるが)のですが、ちょっと反省。
すいている時期を見計らって、他にも尋ねてみようかと思います。
何かきっかけが欲しいですが。
最後になりますが、せっかくマラソンのコースがマリンタワーの前を通っているので、短い時間でしたが見物してみました。
13時35分頃。
スタートから25㎞付近。
この時点で先頭集団は5人。
以降パラパラとランナーが通過していきました。
13時55分頃、赤レンガ倉庫前を折り返して、先頭集団が戻ってきました。
この時点では、優勝した木崎良子と尾崎好美、マーラ・ヤマウチの3選手に絞られていました。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
《今日のニュースから》
ATM・生花屋の併設店 東京・有楽町にオープン