№582 1990年の仙石線

 東日本大震災の大津波で壊滅的な被害をこうむった仙石線。
 津波で押し流され、一時は行方不明とされた205系の映像はショッキングでした。
 今日現在、仙台~高城町と矢本~石巻は何とか運転再開にこぎつけていますが(矢本~石巻はDC)、その中間の高城町~矢本は、ルート変更の可能性大で、今の所復旧のメドが経っていません。
 沿線の人々の暮らしも含めてまだまだ大変ですが、何とかできるだけ早い復旧を望みたいと思います。

 仙石線は、1925年に宮城電気鉄道という私鉄で開業し、太平洋戦争の真っ只中に国有化されました。
 そのため東北地方のJR線では唯一の直流電化であり、仙台・石巻の両始発駅も、他のJR線とは異なった位置に設けられていたのが特徴的でした。
 買収国電からクモハ11や73系などが運用されたりしましたが、JRへの移行の前には103系及び105系が運用されていました。
 1990年3月1日に撮影した中から4枚ご覧いただきましょう。

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 仙台駅に停車中の103系。
 首都圏と違うのは、ドアが半自動扱いになっている事。
 今の半自動ドアはボタンで操作しますが、当時はドアに付いていた取っ手を引っ張って開け閉めしていました。
 DCなどもそうでしたが、重かった…。
 仙台駅は、新幹線や東北線の仙台駅からは離れた位置にありました。
 後に地下線になって移動する事になります。

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 当時の仙石線の車両基地は陸前原ノ町にありました。
 基地内に見える103系は改修工事を受けた車両で、外観ではカラーリングの他、正面の窓が3分割→2分割になるという変化がありました。
 仙台~陸前原ノ町間は2000年に地下線化(同時にあおば通へ延伸)、車両基地は福田町の近くに移転する事になります。
(仙台車両センター宮城野派出所)

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 こちらは石巻駅に停車中の105系。
 福塩線・宇部線に投入されたオリジナルと異なり、103系からの改造でした。
 大津波で壊滅してしまった「野蒜」の行先を出しています。
 105系は主に石巻発着の区間運転を受け持っていました。
 当時から野蒜以東は石巻との結びつきが強かったわけで、今回DCを使用してでも早期の復旧が図られたのも、解かる話です。
(脱線しますが、仙石線でDCが運用されたのは今回が初めてではなく、ジョイフルDC「グラシア」(後の「こがね」)が臨時列車で運行された実績がある)

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 そして、仙石線の石巻駅。
 やはり同じJRの石巻線とは別の位置に設けられていました。
 いかにも小私鉄のターミナルらしい佇まいではないでしょうか。
 但しこちらは既に統合のための工事が始まっていました。
 この後7月21日に移転統合されます。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 こういうイベントが行なわれるという事は、なんのかんの言っても日本は平和だなあ。
《今日のニュースから》
男女500人参加“街コン” 池袋で開催

№581 私鉄の車両シリーズ101 京成電鉄3200形

「私鉄の車両シリーズ」はついに100回を突破、今回からは再び東日本の事業者の車両にスポットを当てます。
 まずは京成電鉄の「赤電」、3200形です。
 3200形を含む「赤電シリーズ」については、№39で取り上げましたが、改めて記してみたいと思います。
 今回から、ちょっと書き方を変えてみます。

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 京成電鉄3200形は1964(S39)年~1967(S42)年の4次に渡り、合計88両が製作(汽車・日車・帝国)された通勤車で、通称「赤電」では5番目の系列となる。

 京成で初めて1,300㎜幅の両開きドアを採用。
 戸袋窓は廃止、ドア間には窓が3連で並んで関西風のサイドビューとなって、以降の京成通勤車の標準スタイルを確立した。
 前面は運転台の床面の嵩上げにより窓部も下辺が100㎜上がり、形状も丸妻から三つ折り平面の突合せとなり、若干顔つきが変わっている。
 全電動車方式で、編成形態は在来の「赤電」と同様の4両固定ながら、中間にM1・両端にM2の配置に改めた。
 M1に1C8M方式の主制御器とパンタグラフ1台、M2にMG・CPを搭載している。


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 車内は一般的なロングシート。

 1次車6編成24両のうち、3221Fの4連は試作的に編成両端の台車の電動機を省略して1C6M方式とした。
 電動機の出力は75kw→100kwに引き上げられたため、編成単位の出力は変わらない。
これを踏まえて2次車より全面的に1C6M方式で製作され、1C8Mの「8M車」に対して「6M車」と呼称される。


 4次車のうち最終の8両は特急「開運号」への運用を想定、片開きドア+クロスシートで制作され、番号は90番台(3291F・3295F)となった。
「スカイライナー」初代AE形就役時にロングシート化されている。
 1980年代半ばにファイヤーオレンジ色に改められた。


 1985(S60)年より更新冷改工事が始まり、前面は前照灯が腰部に降りて丸型となった尾灯と並び、貫通扉に種別表示、扉上部に行先表示装置が設けられた。
 側窓はユニット窓となっている。
「6M車」については6両固定に編成替えが行なわれた。
 4両固定の片側の運転台を撤去、これに編成を分割した2両を連結する形で行われている。
 なお一時的に8両固定が組成された事もあった。


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 「開運号」仕様の2編成については、3291FはVVVF試作車となり、先頭車はTcとなった。
 インバータ制御装置は1C4Mタイプを編成に2台、電動機は165 kwの3相かご形誘導電動機を装備、外観では前照灯と尾灯を一体の角型としたため区別がつく。
 一方の3295Fは単独で更新冷改工事が行なわれた。


 1991(H3)~1993(H5)年にかけて4編成に試験塗装が施され、灰色ベースの塗装が現在の通勤車のカラーとなった。
 8両は北総開発鉄道へのリースが行われた事がある。
 2003(H15)年から廃車が始まり、2007(H19)年には全車両が引退した。
 3295Fは引退直前に「開運号」を復刻した旧赤電色となり、花道を飾った。
(「赤電色」は№38をご覧下さい)


【編成】
←京成上野・押上     成田空港・東中山
 M2 3200 - *M1' 3200 - M1' 3200* - M2 3200
 M2 3200 - *M1' 3200 + M2' 3200 - M1' 3200 - *M1' 3200* - M2 3200
  (6連化「A」編成)
 M2 3200 - *M1' 3200* - M1' 3200 - M2' 3200 + M1' 3200* - M2 3200
  (6連化「B」編成)
 Tc2 3200 - M1' 3200 - *M1' 3200* - Tc2 3200
  (VVVF改造3291F)
* パンタグラフ

 今回の記事は
「私鉄の車両12 京成電鉄」(保育社 ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1997年1月臨時増刊号 【特集】京成電鉄」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2007年3月臨時増刊号 【特集】京成電鉄」(鉄道図書刊行会)
「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄13 京成電鉄」(朝日新聞出版)
「京成電鉄完全データ」(メディアックス) 等を参考にさせて頂きました。

 次回は、東武800・850系です。
 8000系の改造によって生み出された、東武としては異端児と呼べるワンマン通勤車です。

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《今日のニュースから》
仙台臨海鉄道 一部区間で運行再開

№580 バスジャパン・ハンドブックシリーズR75 ジェイアールバス関東

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「バスジャパン・ハンドブックシリーズR」も早7年、25冊目になりました。
 今回はジェイアールバス関東(JR関東)。
 JR関東は1994年の「バスジャパン・ハンドブックシリーズ18」、2002年の「バスジャパン・ニューハンドブックス37」でも取り上げられていて、当シリーズ3度目になります。
 シリーズで3度に渡って取り上げられるのは今の所他に東京都交通局だけで、それだけ人気の高い事業者、という事なのでしょう。

◆ 筑波・下総 「街」「味」再発見
 冒頭のミニ紀行ですが、1994年は春夏秋冬別々で定期観光バス<ポピー&ストロベリー号>や高速バス<ドリームふくふく号>など、JR関東のバス事業を立体的に理解できる4コースが紹介されました。
 2002年は種村直樹氏による、信州や上州の乗り継ぎの旅で、なかなかダイナミックなものになったようです。
 今回は一転して近場になり、茨城県から千葉県、JR東日本で言うと東京近郊区間に収まるエリアになりました。
 後で書きますが、もう遠くのエリアは路線がほとんどなくなって、JR関東だけでは巡れなくなってしまっているんですね。
 競馬も航空も関心は高い(馬券は買わないけれど)ので、興味深く読めました。
 空港反対闘争の展示があるとは知らなかった。
(そうなると三里塚によっても良かったかも知れない)
 JRAのトレーニングセンターは美浦の他に滋賀県栗東市にもあり、今年の三冠馬オルフェーブルは栗東の方の所属ですから念のため。

◆ 終点の構図 祖父岡
 白河の方からの直通だけなので、付け足し的な支線の終点と思ったのですが、思いの他ローカル色が濃い所です。
 確かに「フクシマ」というだけで風評被害、悲しい話です。
 JR関東の終点は、1994年の時は長野県の上和田、2002年の時は茨城県の上和野でした。
 また、ハンドブックシリーズの前身の「バスジャパン」創刊号では、茨城県の浮島が取り上げられていました。
(もちろん国鉄バス時代)
 路線網の急激な縮小で、今後終点として取り上げられる場所はいくつ残るでしょうか。 

◆ ジェイアールバス関東の路線エリア
 元々国鉄バスの性格からして、広大なエリアに網の目のように路線が広がる、という事はなかったのですが、それにしてもこの9~17年の間での路線の減少は凄まじい。
 せいぜい宇都宮と土浦が小規模ながらエリアとして成り立っている程度で、後は1支店あたり1~せいぜい2路線程度で終わっている所が大半。
 諏訪〔営〕は一般路線がなくなってしまいました。
 一般路線車の配置はありますが、全てコミュニティバスに移行になっているようです。 

◆ ジェイアールバス関東のあゆみ
 前身が国鉄バスである事はもはやいうまでもなく、民営化から四半世紀近くが経ちましたからもはや大きくスペースを割いて記す必要はないようです。
 大半のスペースを、高速バスについて割いています。
 昨今の情勢を反映して、高速路線も出入が激しくなっているようです。
 なお、土浦〔支〕では、常磐線快速の最終から接続する、取手駅→土浦駅の深夜バス<土浦リレー号>の運行があるのですが、ここでは記されていませんでした。
(宇都宮でも深夜バスの設定あり)
 2006年廃止の上和野線の写真がありますが、前出の2002年の「終点の構図」で使われた写真です。
 なお、知多半田線<知多シーガル号>が、21日よりGシート装備車による運行になっているそうです。

◆ 車両の現況

1. 平均車齢は8.91年。
 一般路線車は12.02年、貸切車は12.57年と高齢なのに対して、高速車は6.85年とやはり若くなっています。
 貸切車は地方のいわゆるスクールバスとか、路線車の貸切登録への変更も含んでいて、一般的な、いわゆる「観光バス」の導入は2004年が最後になっています。
 最高齢は1992年で、やはり経年車は全体的に東京から遠く離れた支店・営業所に多く配置されているようです。
 一般路線車は1996~1998年式合計が全体の4割近くを占めていますが、近年東急バスからの譲渡が大量に発生したからでしょう。
 高速車は2005年式が13%と最も多くなっていました。

2. 1994年、及び2002年と比較してみると…
 一般路線車は、1994年の半分以下、2002年の3分の2と大幅に減少。
 現在20台以上配置されている支店・営業所は存在せず、個々だけみると、もはや零細事業者並でしかない。
 烏山〔営〕が廃止になった他、県庁所在地の水戸〔支〕からして対1994年比で1/4、館山〔支〕が1/3以下。
 微減にとどまっている所もあるが、コミュニティバスの割合が多くなっている事に注意が必要だろう。
 長野原〔支〕の一般路線車が(草津町内循環を除き)全て貸切・高速タイプなのは特筆。

 貸切車は1994年の45台から2002年には84台と大幅に増えたが、2011年では46台と激減。
 先にあげたスクールバスや、路線車の登録変更が多数含まれる事を考えると、一般的な「観光バス」事業は、もはや経営の柱にはなりえないのか。
 一番台数が多いのが長野原〔支〕というのが、大観光地をかかえていて、らしい所か?
(もっとも2002年の14台→2011年は7台と半減している)

 高速車はやはり年を追う毎に台数が増えてきていて、2011年ではJR関東全台数の60%を占めている。
 特に152台ある東京〔支〕は全高速車の半分以上、JR関東全体の約1/3を占めている。
 一方土浦〔支〕は1994年時点の19台→2002年時点では34台と大幅に増えながら、2011年には14台と激減している。
 つくばエクスプレス開業の影響で、路線や便数が大幅に削減されたからに違いない。
 宇都宮〔支〕も、2002年には8台配置されたが、2011年には0に戻っている。
 湘南新宿ラインの快速電車に敗れたからだろうか。
 なお、一時期一大勢力を誇ったボルボやネオプランの高速車は、今は1台も存在しない。
(ちょっとビックリだった)

 以上を総合すると、現在のJR関東の高速路線網が全て東京圏を向いている事でも解かるとおり、東京・新宿などからを起点に、100㎞を越える距離の高速路線が、経営全体の生命線になっているといえる。

 今後のJR関東ですが、やはり高速バスに相当力を入れざるを得ない状況は変わらないでしょう。
 何度も書いている通り、この数年は短距離では鉄道網の整備、中・長距離は会員制ツアーバスの台頭への対策で四苦八苦している、というのが、短期間で繰り返されるダイヤ改正からも見て取れます。
 車両面では、上に挙げたとおり今は外国産の高速車はありません。
 しかし三菱ふそうエアロキングのうち、1999年式KC-MU612TA、あるいはMU612TXの内の初期の導入車両は既に車齢が10年を越えており、過酷な走行条件からして早急に置き換え、という話になるかも知れません。
 エアロキングは既に製造を終了していますから、代替車もダブルデッカーなら再び外国産、という話も出るかもしれません。
 今なら歴史的ユーロ安・円高だから欧州製でも手に入れやすいかもしれないし。
 一方で水戸や佐野など、比較的近距離でしかも観光輸送等の使命がない路線の場合は、西鉄のような廉価版の高速車の投入もありえるでしょう。
 韓国製もありかも。
 ターミナルについては新宿が移転しましたがあくまで暫定的なもののはずで、新宿駅からは遠くなった事と、バリアフリーの問題から、甲州街道に隣接した新ターミナルの早期の完成が期待されます。
 一般路線については、長野原のイエローバスや西那須野のもみじバスがなくなっているのは残念で、今一度の活性化のためにも、高速路線、あるいはJR東日本の鉄道路線ともリンクした営業政策が再び求められると思います。
 また、他のJRバスもそうですが、公式Webページ上での一般路線の扱いが、高速路線と比べて冷遇されているようにも思えるので、この点でも改善が望まれます。
 少なくとも、これ以上の削減がない事を願います。
 
 次回は神姫バスと予告されています。
 神姫バスはバスジャパンでは完全に初登場になります。
 兵庫県南部の広い地域に路線網を持ち、通勤路線もローカル線もあり、高速も長短あり、まして神戸や姫路の市営バスを引き継いだりしていますから、ロケーションも車両もかなりのバラエティがあるのだろうと思います。
 今から期待です。
  
 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 今日はこの他、“忠犬ジュニア”が北海道奈井江町より表彰されたという話題もありました。
 今の日本はあまりにもギスギスした空気が張り詰めているので、こんな話題も欲しいですよねぇ。
《今日のニュースから》
愛媛銀行 子犬2匹引き取り本店でお披露目