№560 1988年5月5日の山陽電車

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 以前№496で、1986年5月に地平時代の板宿駅で撮影した山陽電車の写真をご覧頂きましたが、今回はその2年後、1988年5月5日の山陽電車について書きたいと思います。
 この時はGWを利用して山陰~山陽と巡り、関西地方を経由してJRバス「ドリーム号」で帰宅するという旅の途中でした。
 姫路~新開地の間で3000系の阪急三宮行特急に乗車した時に撮影したものです。
「潮干狩」の大型ヘッドマークが山陽電車らしい所。

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 始発の電鉄姫路駅。
 この当時、今の「山陽○○」駅は、「電鉄○○」駅と呼称していました。
 1991年4月のダイヤ改正と同時に一斉に改称したものです。
(全く違った名前になった駅もあります)
 改装前で改札が1階にあった頃だと思います。

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 その当時の電鉄姫路駅の時刻表。
 梅田への直通特急の運転は当然まだかなり先の話で、阪神側は大石、阪急側は六甲までの乗り入れでした。
 どちらも、種別に関わらず乗り入れ先は各駅停車で、乗務員もそのまま通しでした。
(逆に阪神と阪急が須磨浦公園まで乗り入れ)
 また、朝晩には網干線直通も運行されていました。

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 5000系の普通電車。
 №531で書いたとおり、当時は3連で普通電車に運用されていました。

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 一方、この時点では日本初のアルミカー、2000系も健在でした。
 網干直通。

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 たぶん大塩での撮影だと思う。
 3000系はこの頃から今の塗装への変更が始まっていました。

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 地平時代の明石駅。
 3000系が並んでいます。
 一番右の下り普通電車はアルミカー。
 この3年後、明石駅も高架化される事になります。

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 舞子公園付近。
 左手に旧六角堂が見えます。
 当時は影も形もなかった明石海峡大橋の建設のために一旦取り壊され、後に移転して復元されたとの事です。

 その後山陽電鉄は特急の6連化や、阪神梅田への直通特急の運転開始などのトピックスもありますが、最近は少々停滞気味のように思います。
 №496でも書きましたが、この10年以上の間新車の投入がなく、3000系の改修に力が入っているという所です。
 とはいえ3000系も一番古い車ではまもなく50年になりますし、そろそろ新形式のデビューを期待したいところです。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

 海外の空港ではたまに見かけたりもしましたが、日本では初の事。
 この運用開始によって、32→46/hに発着回数が増えるという事です。
《今日のニュースから》
成田空港 平行滑走路の同時離陸運用を開始

№559 福岡空港ソラリーの変遷

 先日の土曜日15日と日曜日16日、九州地方に出かけてきました。
 今回は行きは羽田→鹿児島、帰りは福岡→羽田で、いずれもANAのフライトを利用しました。
 そのことについてはまた後日書きます。
 帰りの福岡空港ですが、羽田便については全て第2ターミナルから出発します。
 その第2ターミナル2Fの手荷物検査場の前の大広場は、ガラス張りの大きな吹き抜けになっていて、四季折々の飾り付けや時には様々なイベントも行なわれ、旅人を楽しませてくれます。

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 この2008年11月12日には、クリスマスの飾り付けが施されていました。
 クリスマスまで、まだ一ヶ月以上あったのですが…。

 この大広場の天井からは、出発便の情報を表示する「ソラリー」が掲げられています。
 最近の大空港では液晶式に取って代わられてあまり見られなくなってきている「ソラリー」ですが、福岡空港今もバリバリ現役です。
 福岡に限らないですが、ほとんどの方は、あまりこういう出発案内表示にカメラを向けたりはしないでしょう。
 しかし私は、福岡空港から帰る時は、たいていカメラを向けて撮影してきました。
 改めて並べてみると、短い間ですが日本の航空の歴史が、ほんのちょっとでも伺えて興味深い所があります。
 今回は趣向をちょっと変えて、全部ではないですが、福岡空港のソラリーから日本の航空の歴史を少しですが振り返ってみたいと思います。

※ここで表示されるのは、第2ターミナルからの便のみ。
 第2ターミナルから出発するのはANA、JAL、JTA、SKY、SFJの、主に本州行の幹線及び準幹線。
 一部路線やJAC、ORC、AMX(過去にはANK等も)は第1ターミナルから出発する。
 したがってこのソラリーには表示が出ない。 

1993年10月12日

1993年10月12日
 撮影した中で一番古いのがこれ。
 ANAの「マリンジャンボ」(264便だった)に搭乗した日のもの。
 羽田線が中心になっている。
 なお、絹目のプリントから画像を起こしているので、粗くて見づらいのはご了承下さい。

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1999年3月19日
 大体お解りと思いますが、この日は全国的に天気が荒れ模様で航空ダイヤも大幅に乱れており、ほとんどが1時間以上の大幅な遅れになっていました。
 私も本来はこの後のANA270便に乗るはずだったのですが、1つ前の266便(本来の270便の出発時刻の出発になってしまっている)に変更、手荷物預けもできないほどの慌しさでした。
 関西空港が開港していて、下部に関西空港行の表示があります。
(今はこの時刻の関西空港行はない)
 前年にSKYが就航していますが、この時点ではまだ便数が少なく、既に最終便が出発していたのでしょうか、表示がありません(あるいは第1ターミナルからの出発だったか?)。

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2001年12月8日
 ANA250便(まだこの時点では表示がない)搭乗時。
 新国際線ターミナルのオープンの後、旧国際線ターミナルは国内線第3ターミナルに改装され、1~4番ゲートも使用されることになりました。
(第3ターミナルとは到着ONLYで、出発は第2ターミナルからそのままつながっている)
 ただし、SKY4便が出発する60番ゲートはバスのはずです。

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2004年10月26日
 SKY14便搭乗時。
 この年の4月にJALとJASが経営統合、JALのマークが先代の「Arc of the Sun」ベースに変わりました。
 当然JASはなくなっています。
 これに伴い、JALは国内線の便の番号が全て4桁化されました。
 10・11番ゲートは第1ターミナルのゲートとされたようで、このソラリーでは表示がされていません。

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2008年11月12日
 ANA260便搭乗時。
 SKYが新マークになった他、ANAからは「全日空」の3文字が消えました。
 JALは羽田線を含め、一部の路線で便の番号が3桁に戻されています。
 セントレアが開港し、ANA便が乗り入れる事になりました。
 一方JALはJ-AIRの小型機材使用で在来の県営名古屋空港に残留します。
 このため名古屋は、「名古屋(中部)」と「名古屋(小牧)」と区別されています。
 なお、現在のJALの小牧空港行は今年4月からFDAとのコードシェア運航になっていますが、FDAは第1ターミナルからの出発なので、このソラリーには出てきません。

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2010年10月7日
 JAL330便搭乗時のものです。
 IBEXが大阪便で乗り入れ、ANAもコードシェアも行なっています。
(現在のIBEX乗り入れは期間限定の模様)

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2011年10月16日
 そしてこれが先日、ANA258便で帰宅した時の撮影です。
 JALは鶴丸を復活させて再出発、沖縄線を引き継いだJTAと共に鶴丸が表示されています。
 ただ、両者とも日本語の社名表記は、若干印象が薄いのではないでしょうか。
 7月からSFJが羽田線に就航、羽田線は再び4社による運航になりました。

 なお、何度か書いているように最近は国内線でも海外の提携会社とのコードシェアが進められていますが、このソラリーでは表示されません。
 便数が多くなるので表示しきれなくなるという事でしょう。
 一方で見た限りではJEX、J-AIR、NALのマークが残っているようでした。

 航空に限りませんが、普段何気なく見ている出発案内表示も、こうして並べてみると歴史を感じるものです。
 この先、どんな表示がソラリーを彩ってくれるでしょう。
 「ピーチ」とか、「ジェットスター・ジャパン」等のLCCは、福岡へ乗り入れてくれるでしょうか。
 その前に、このソラリーはいつまで使われて行く事になるでしょうか。

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 数年前には多摩川に「たまちゃん」が現れて大ブーム、バスのラッピングにもなりましたが、今どうしているんでしょうね?
《今日のニュースから》
志木市 荒川のアザラシ「あらちゃん」に住民票を交付

№558 私鉄の車両シリーズ99 伊予鉄道3000系

「私鉄の車両シリーズ」、今回は伊予鉄道の郊外線(高浜線・横河原線・郡中線)で新たに主力となった3000系です。

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 伊予鉄道の郊外線では、新造車600系4連×2編成の他は、京王帝都電鉄(現京王電鉄)から譲渡された800系(元2010形)、700系(元5000系)によって運用されてきました。
 しかしいずれも製造から50年近くになり、車両の近代化のために導入されたのが3000系です。
 3000系も元京王の井の頭線の主力として活躍してきた車両で、元京王同士で車両の交代が行われる事になりました。
 ちなみに京王電鉄と伊予鉄道は資本関係はありませんがつながりは深く、新宿~松山の夜行高速バスの共同運行を行なった事もあります。
(東京側は、現在は京王グループの西東京バスが運行)

 №133で既に取り上げましたが、京王3000系は、1962年に同社初のステンレスカーとして製作されました。
 正面上部には強化プラスチックを使用、編成毎に7色に塗り分けていたのが特徴です。
 井の頭線の顔として走り続け、一部の車両には更新工事も施されました。
 しかし1996年に続き2008年より再度1000系が投入される事で、2011年度中に全車両廃車(今年12月をもって引退と発表済み)となる予定です。
 伊予鉄道では、この廃車となる更新工事施行車を導入しているものです。
 京王3000系は1996年の北陸鉄道を皮切りに地方私鉄への譲渡が行われてきましたが、既に更新工事施工を受けた車両の譲渡は伊予鉄道が初めて(で最後)になります。

 編成は3連に短縮。
 譲渡車両は界磁チョッパを制御方式として使用していましたが、600Vの伊予鉄道では降圧改造が難しい事から、VVVFインバータ制御に更新される事になりました。
 新たな主制御機はIGBT素子で1500V-800Aの1C2M×2群としています。
 1M2T組成ですが、モハ3100形と共に、クハ3300形にもシングルアームパンタ1機が搭載されています。
 車体は京王時代と変わりませんが、側面には伊予鉄道のカラーのオレンジ系2色の帯をまとっています。
 また、更新時に普通鋼製となった正面上部は、伊予鉄道ではクリーム色に統一されています。

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 車内はクハ3500形に車椅子スペースが設けられた他は京王時代とほとんど変わらず、優先席は京王時代の「おもいやりゾーン」の名前がそのまま用いられています。
 横河原寄り1両は弱冷房車として運用されています。

 2009年8月24日より営業運転を開始。以降も急速に導入が進んで2011年4月現在では8編成24両が運用されており、最終的には10編成となる予定です。
(今年中に引退の編成が来るのでしょう)
 3000系の投入により800系は全廃となり、一部は銚子電鉄に再度移籍していきました。

【編成】
←横河原     高浜・郡中港
Tc 3500 - *M 3100 - *Tc 3300
* パンタグラフ

 今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2010年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2010年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ダイヤ情報 トラベルムック 私鉄スーパートレインコレクション」(交通新聞社)
「週刊歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄16 高松琴平電気鉄道 伊予鉄道・土佐電気鉄道・土佐くろしお鉄道・阿佐海岸鉄道」(朝日新聞出版)等
を参考にさせて頂きました。

 2010年2月にスタートさせた「私鉄の車両シリーズ」は、次回でついに100回目となります。
 大阪モノレールの1000形について取り上げます。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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《今日のニュースから》
東京都 電気自動車タクシーの実証実験開始