№541 Forever JAL's A300-600R 2

 10年前の9月11日に発生した「同時多発テロ」は、旅客機がテロに利用された事もあって、世界の航空業界全体に大きな衝撃を与えました。
 当然日本も例外ではなく、これを見据えてJALはこの直後、JASと経営統合する事をいち早く発表しました。
 そして2004年4月1日、JASはJALと経営統合(正確には持ち株会社の元、「日本航空ジャパン」と改称)し、16年の歴史に幕を閉じる事になりました。
 JASの各機も、近い将来の退役が予想されていたA300B2/B4を除き、順次JALの新カラー「Arc of the Sun」に衣替えして行く事になります。
 第2回はJAL時代のA300-600Rの活躍について書きます。

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「Arc of the Sun」カラーへの塗り替えは、経営統合より前から順次進められていた。
 JASのA300-600Rは1994年9月の関西空港開港時より国際線にも就航していて、JALカラーに塗り替えられた後も、経営統合まではJAS国際線として運用されていた。
 その機材には、小さくだがJASのマークが書き込まれていた。
 統合後のA300-600Rは国内線に専用される事とされたため、成田空港でJALカラーの同型機が見られたのは、ごくわずかな期間だった。


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 2003年、読売ジャイアンツの不動の4番、松井秀喜がメジャーへ、しかも名門ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した事は、スポーツ界のみならず、社会全体にも大きな衝撃を与えた。
 スポンサードしたJALは、B747-400Dと共に、経営統合を控えたJASのA300-600R各1機に、大きな松井選手の顔写真を描いた「松井ジェット」を就航させた。
 自社のB767等ではなくA300を起用した事は、実質「合併」で名前を消す事になるJASへの配慮ではなかったかと思うのだが。
 松井の顔は、B747とは異なっていた。
 JAL時代のA300-600Rにおいて、スペシャルマーキングはこの機体だけ。


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 またまた青森空港。
 ただしこの時は雨模様で、八甲田などの風景は空港からもほとんど見られなかった。


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 どんな機材であっても、旅客機はいつの時代も子供たちの憧れだ。

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 日本においてJAS~JAL以外にA300-600を就航させた航空会社がもう1社あった。
 佐川急便が設立した貨物専用航空会社「ギャラクシー・エアラインズ」で、2006年10月に就航、後に2機体制として、深夜便で羽田・関空~那覇・北九州・新千歳を結んでいた。
 しかし終始業績は良くなく、2年足らずで運行停止→会社清算に追い込まれる事になる。
 これは2006年7月14日、女満別行1183便から、就航開始前の同機を羽田空港離陸前に撮ったものだ。


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 その1183便が女満別空港に着陸する直前の様子。
 曇り空は残念だったが、北海道らしいおおらかな風景が広がる。


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 2004年6月、JALは新たなサービス「クラスJ」をスタートさせた。
 追加料金1000円でよりゆったりした座席に座れるというもので、「レインボーセブン」の「レインボーシート」をケーススタディとしている。
 好評を持って迎えられ、すぐに増席もなされたヒット商品となり、高速バスにも影響を与えた。
 A300-600Rについても、スーパーシートは全てクラスJの座席に転換された。
 2006年12月15日の長崎線1847便。


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 クラスJでは、スーパーシート時代のような食事はなくなったが、茶菓子のサービスがある他、ドリンクサービスは普通席よりメニューを多くし、「この便のおすすめ」ドリンクというのもあった。

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 ところでこの日、西武ライオンズの松坂大輔がポスティングでメジャーのボストン・レッドソックスに移籍する事が発表になっていて、機内で放映されていた朝のNHKニュースは、入団発表記者会見の「生中継」だった。

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 長崎着後、約2時間の間を取って羽田に帰って行った。

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 2007年6月17日の青森線1208便。
 JALになってから青森発便を利用したのは3度目だが、初めて晴れた。
 相変わらず八甲田の山々が雄大だ。
 両親が共に青森県出身だからか、青森の風景を見ると、何だか血が騒ぐ気がする。
 といっても生まれも育ちも終始横浜だから、津軽弁は全く理解できないのだが。


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 その八甲田を右に見ながら、R/W24に向かってタキシングして行く。
 ここだけ切り取ると、空港という感じがあまりしない。
 もう17時を過ぎているが、夏至目前の東北は日が長く、存分に明るい。


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 羽田が近付き、お台場を掠めるようにR/W16Lに進入して行く。
 青森~羽田わずか1時間強とは、さすがに早い。


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 経営統合から3年以上たち、羽田空港でも周りの機材はほとんどが「Arc of the Sun」カラーになっていた。
 90年代の「鶴丸」はB767が1機見られたのみ。
 まさか4年後、さらにこの光景が一変する事になろうとは、到底考えもつかなかったのだが。


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 2009年5月14日、広島空港R/W28への着陸。
 折返し1612便になる。


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 グランドスタッフが手を振って見送ってくれる、いつもの日本の空港の情景。

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 今の広島空港は1993年10月に移転してきた。
 地方空港にしては市中心部から遠く、リムジンバスでも50分位かかる(最近は少し短縮されたが)。
 東広島市の山間部に位置する空港だ。


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 広島からわずか1時間強のフライトで、もう羽田。
 R/W34Lへのアプローチでは、着地直前左手にピラミッド状の建造物が見られる。
 アクアラインの換気塔なのだそうだ。


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 左手には新国際線ターミナルビルを建造中。
 羽田の拡張は、止む事を知らない。


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 1993年「ビッグバード」オープンと同時に供用を開始した管制塔は、そのユニークな外観から、羽田空港の沖合い展開のシンボルとして親しまれてきた。
 今はメインの役割は新管制塔に引き継がれているが、バックアップ用として残されている。
 ちょうどA300-600Rが出発しようとしている所。


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 別に狙っていたつもりはないが、2009年以降はA300-600Rへの搭乗の機会が増えた気がする。
 広島から帰ってから2ヵ月後、今度は旭川へ向けて飛ぶ。
 ダウンサイジングが断行された今のJALにおいても、旭川線はシーズン中にはB767が就航したりする。
 旭川市自体が札幌に次ぐ道内第2位の都市である事、何より旭山動物園の存在があるだろう。
 この2009年7月6日の1103便も、観光客で盛況だった。
 急ピッチで工事が進むD滑走路を眼下に見て、R/W16Lをテイクオフ。


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 いつも明るい笑顔を振りまいてくれる、CAのドリンクサービス。
 ご苦労様です。
 モニターのNHKニュースはちょうどスポーツニュースだろうか。


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 旭川空港に降り立つのは、この日が初めてだった。
 新千歳や女満別もそうだけれど、やはり北海道の空港は本州とは一味もふた味も趣きが異なる。
 左手の町は美瑛だろうか。


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 スカイマークのB737-800、エア・ドゥのB767-300ER、そしてJALのA300-600R。
 羽田-旭川線を運航する3社の揃い踏みだ。


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 JAL時代のポストカード。
 まごう事なきJALの一員であると示してくれる、力強いデザイン。


 さて、この2009年になってJALの経営問題が一気に表面化、政治の世界も世論も巻き込んで、連日大きな騒ぎになりました。
 翌2010年1月19日、JALは経営が破綻して会社更生手続きを申請。
 新経営陣を迎え、運航を継続しながら何とか再生の道を探る事になりますが、この事はA300-600Rの運命を大きく変えてしまう事になります。
 なんと2010年度を持って、B747-400と共に、一気に全機退役する事が決まってしまったのです。
 この問題がなくても、キャパシティ的にB767-300とバッティングしているので、いずれはどちらかには統一しなければならない、ならばこの機会に、という事もあったでしょう。
 しかしそれにしても、この時点ではまだ22機全てが健在でしたから、「いくらなんでもウソだろ?」と思われた向きも少なくなかったはずです。
 しかしわずか1年強で、A300-600R全機退役が断行される事になるのです。
 次回は退役が決定した、2010年度の同型について書きます。

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 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 小樽の海岸で発見された遺体は、自殺をほのめかして行方不明になっていたJR北海道の社長だったと確認されたそうです。
 JR北海道では5月に石勝線で<スーパーとかち>が火災事故を起こすなど事故や不祥事が相次ぎ、国土交通省から改善命令を受けていました。
 もちろんその事自体は真摯に受け止め、再発防止・安全運行確保に全力を挙げるべきです。
 しかし、幸いに犠牲者は出していないし、他の交通の大惨事等における対応と比較しても、社長自ら命を絶つとは、どうした事でしょう?
 いくらなんでもそこまでの事ではないと思うのですが、何か他にも理由があったのでしょうか?

《今日のニュースから》
日本テニス 27年振りワールドグループ復帰を決定