№495 バスグラフィックvol11(ネコ・パブリッシング)

「バスグラフィックvol.11」はこれまでの実績通り、先月末に刊行されました。
 初めに東日本大震災で被災したミヤコーバスの惨状と、沖縄・東洋バスの復興祈願のラッピング車、そしてアルピコ交通。

 メイン特集は《東急バスの魅力に迫る》!
 当ブログスタート直後に、小学生の時に東急バスを利用したのがきっかけでバス趣味に目覚めたと連載した者としては、感慨深い内容が多いです。

 1991年に東京急行電鉄のバス部門を引き継いで発足、後の大手私鉄のバス分社のさきがけとなった東急バスの20周年記念特集で、表紙に書かれている通り大分構成が違っています。
 高速・空港バスや深夜急行バス、渋谷区や大田区のコミュニティなどは敢えて取り上げられず、全体の大半は一般の路線バスについて割かれています。
 まず、東急トランセの代官山循環線の沿線のオシャレなブティックやカフェの写真が並んでいますが、ここだけ切り取ると、女性向け情報誌の1ページみたい。
 その代官山循環線や、東急バスの受託路線を運行する下馬営業所の人々を訪ねたルポがありまして、やはり女性ドライバーの割合が相当多くて華やいだ感じがする職場と感じました。
(代官山線は全て女性)
 トラック運転手出身で「環七線」(〔森91〕系統)がお気に入りと言うのは豪快だなあ。
 その後に東急テクノシステムのルポがあり、車体再生工事について書かれています。
 №7で書いたとおり、東横車両電設時代からこの工事は行われていて、今はどの程度の違いになるか解からないけれど、昔ははっきり変わったのが解かって興奮した記憶があります。

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 メインが《時代を映した車両たち》で、東急電鉄→バス分社の1980年~1990年代の路線車が体系的に紹介されています。
 モノコックもまだまだ多いけれど、全体的にはつい最近まで走っていたような車両も少なくないです。
 しかし3ドアとはいえ2枚折戸なんて採用されているし、レインボーもそうだけれど、東急も意外に田舎くさく見える車両が多かったようです。
 そう、東急バスは首都圏では最後まで黄色の経由表示板を使っていました。
 側面の経由表示が幕に移行して行ったのは当然運行区間が変わるごとに差し替えるのは面倒だからで、それが東急では遅くまで残っていたと言うのは、あまり差し替える機会が多くない、つまりはある程度系統によって運用される車両が決まってくるという事になります。
 それは今でもある程度はあるようです。
 転属が多いのはやはり東急バスの伝統でしょうか。
「TOQ-BOX」についても随分詳しく触れられていました。
 電車にもあったはずですが、今は無いようです(少なくとも東横線はない)。

 東急バス関連で、《失われた路線をふり返って》の第2回が、〔市03〕系統(横浜駅西口~市ヶ尾駅)。
 いや、扉絵の横浜市営の95系統とすれ違う道路の狭さは、さすがに多少誇張されているかなあと言う気はしますが、それにしても味のある絵が並んでいます。
 しかし、まだ系統表示がない頃の「ブル」だとか、田んぼの向こうで東急バスとすれ違う市営バスが冷房試作車だったりするのは、多少マニアックかな?
 この系統は、廃止時点では東急バスの一般路線では最長でした。
(今は都営バスと共同運行される、〔東98〕系統の東京駅東口~等々力操車場
 川向町で接続する市営41系統が横浜市営最長系統であるように、この付近は長距離一般路線バスが多数運行される土壌があったと思います。
 何しろ横浜市北西部に初めて鉄道が開通したのは、まだ45年前(東急田園都市線)に過ぎないのですから。
 確かに長距離バスを必要とする層も少なくないのは認めますが、現実には特に小机駅より西が第三京浜の港北インターあり、丸子茅ヶ崎線と交差して渋滞が耐えない佐江戸あり、加えてIKEAやららぽーとの開店でさらに渋滞が激しくなり、定時性を確保しづらいのは辛いでしょう。
 なお、現在の〔市03〕(新横浜駅~市が尾駅に短縮)は、青葉台〔営〕に移管されています。

 東急バスファンとしてはかなり満足できるないようでしたが、唯一つだけ。
「第三京浜線」(横浜駅西口~第三京浜~二子玉川園駅)が少しでも触れられていれば良かったなあ。

 外国のバスとして、《バスが教えてくれた トルコの魅力》
 トルコは行った事はないし(ギリシャ側から国境越しに見た事はある)正直あまりバス事情は良くないんじゃないのかなあという先入観が先にたっていたのは事実です。
 しかし、(慣れていたとしても)女性2人だけで安全かつ快適に利用できたのだから、トルコの長距離バスは信用できる存在のようです。
 本当は鉄道にもがんばってもらいたいんだけれどなあ。
 トルコというと昔は凄まじいインフレで、12年前は10000トルコリラ=約5.4円だったそうですが、6年前にデノミをやって、それからある程度安定してきたようです。
 それも、バス利用の安心につながっているかもしれません。
 でもトルコってただでも日本より遥かに広いし、色々な国々(東欧あり、CISあり、中東あり、イラン・イラクとも接している)に囲まれて政治的には大変そうだ…。

《中央アルプス観光のチョット変わった路線バス》はまた随分マイナーな所を狙っているなあ。
 確かに全部エアロスターと言っても、2段窓・非冷房なんてそうは簡単にお目にかかれない…というかひょっとして日本で新製配置はここだけ?
 車両によって窓の造りがまるで違っている。
 車両もいいけれど景色が相当良さそうで、機会があれば…とは思ったけれど、どうだろう?
 巻末にその非冷房のエアロスターの折込ポスターが入っています。

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《北海道青春バス紀行》は第3弾になり、道東の網走交通・北見バス・北紋バス・東邦交通(くしろバス)・阿寒バス。
 第1弾からですけれど、よくこんな昔の形式写真を残してくれたと関心させられます。
 何しろ1982年だと、本州から北海道に行くのは今ほど簡単ではないですから。
 
 最後にちょっと戻って《僕を育ててくれたバス雑誌》
 おお、「Bus Japan」もありますね。
 制作の面で大変だった「Bus Japan」ですが、バス趣味誌の地平を開いてくれた事は間違いないし、それを他に認めてくれた方がおられたのは嬉しく思います。
「バス趣味が単なる知識自慢大会になってしまっては寂しすぎる」の一事は全く同感。
 バスに限らず、鉄道も一時はそんな感じになってしまって、それが「オタク」の一派のようなイメージを植えつけてしまったのは事実でしょう。
 バス趣味が市民権を得る方策を趣味人全てが考えなければならないし、私自身も本体のWebサイト制作では、それを常に意識してやっているつもりです。
(それがご覧になって下さっている方々に伝わっているかどうかはまた別ですが…)

 次号は、このペースだと9月後半の刊行でしょう。
 是非この調子で、今後もお願いしたいと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

《今日のニュースから》
海江田経済産業大臣 全原子力発電所に対し「ストレステスト」実施を表明