№481 広州 2001年の乗り物

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 中国・広東省の省都・広州では今、露天商夫婦に対する治安要員の暴力事件を契機に、連日大規模な暴動が起きていると伝えられています。
 背景には例によって経済格差があると伝えられ、特に出稼ぎ労働者の不満が大きいようです。

 実はこの広州にはちょうど10年前、2001年11月に行った事がありました。
 広州の空港(今の新白雲国際空港の前の旧空港)へ旅客機の撮影をしに行こうかと思い、雑誌に乗っていた撮影ガイドをコピーして出かけたものでしたが、残念ながら連日の曇り空で、旅客機の撮影は出来ませんでした。
 その代わり、市内の交通にいくつか乗り、撮影もしていますので、簡単ですがご覧頂こうと思います。

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 香港=広州の直通特急「新時速(Xin-Shi=Su)」。
 お分かりの通り、ベースになっているのはスェーデンのX2000。
 両都市間ノンストップで、香港(紅磡 Hung Hom)で「出国審査」、広州(広州東 Guangzhou Dong)で「入国審査」を受ける事になります。
 所要1時間35分で、当時の運賃は230香港ドルでした。

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 当時の広州では、地下鉄はまだ1路線で、広州東=西朗(Xilang)を結ぶ1号線が走っていました。
 広州駅を経由し、公園前で1号線と接続するという2号線は工事中という段階。
 この地下鉄、乗客はまだあまり多くはないのだけれど、それより各駅毎にホームにトランシーバーを持った職員(警備員?)や軍服姿が多くてうざったい。
 彼らの目を盗むようにして撮ったのがこの1枚。
 車内のシートは鉄製でほとんどベンチ。

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 公共交通の主力はトロリーバス。
 ここは文化公園と称していて、「交易市場」と書かれた建物が建つ、トロリーバス路線網の要衝になっています。

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 文明路では、道端に立つビルの2階以上が歩道にせり出しているという、面白い構造になっていました。

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 市内を流れる珠江には、渡船も運航されています。

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 広州駅。
 市内には広州と広州東、2つのターミナル駅があり、昔からあるのは広州駅。
 とにかく駅前はいつもすごい人、人、人。
 中国においては、鉄道旅行はまだまだ大仕事なんだなあと思わされる。

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 駅前広場の左手は市内バスのバス乗場になっていますが、ただ広場にポンポン停留所のポールが立っているだけ。
 出入は頻繁で活気があるのはいいが、少々危なっかしい。
 なお、駅に隣接して長距離バスのターミナルもあります。

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 広州から香港への帰りは、深圳行の特快列車を利用し、「国境」を越えて近郊列車で帰る事にしました。
(広州東駅からの本数が圧倒的に多く、その一部が広州駅を始発とする形)
 しかし、写真撮影はかろうじてセーフだったものの、車両番号を控えていたらホームの警官がやってきてパスポートとノートを取られてしまい、どちらも返してはもらえたものの、車両番号を控えたページは廃棄を要求されました。
 自分自身の迂闊さを恥じるしかないでしょうが、まさか車体に書かれた番号を控えただけで大事になるとは思いもしなかった。

 そんなこんなであんまり列車の旅を楽しむ雰囲気にならないまま深圳につき、「国境」を越え、羅湖(Lo Wu この駅は中国本土へ行き来する人しか利用できない)から近郊電車に乗って香港に戻り、つくづく思いました。
「香港は中国じゃねぇ」

 まあ広州に来た甲斐もあったとは思いますが、やはり政治体制が日本と根本的に違うためか、特に交通を趣味とするものとしては、色々不便を感じる部分が多々あった旅でした。
 中国では今月末、北京~上海の高速鉄道が開業するというニュースもありましたが、しかし外国人旅客の利用も多数見込まれると思われますが、旅客への監視体制が10年前の広州と変わらないとしたら、どんなに速くて快適でも、あまり旅行者に良いイメージは与えられないのではないでしょうか。
 それと、広州は郊外にはニョキニョキと近代的なビルの建築ラッシュになっているようでしたが、広州駅付近の佇まいを見た限りでは、少なくとも経済的に恵まれているようには見えず … 多少傲慢な目線でしょうか … 今回の暴動の遠因は、かなり昔から根付いていた、今にして思えばそんな気もします。

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