昨日はJR東日本の特別ダイヤについて書きましたが、その他の首都圏の私鉄からも、この夏の節電ダイヤの概要が次々に発表になっています。
土休日は大体元のダイヤに近くなるよう(これは土休日出勤の会社が増える事もありそう)ですが、全体的に厳しい状況は私鉄も変わらないようです。
遅くとも来週中にはほぼ全事業者から発表になるでしょうから、その時点でまた取り上げます。
「私鉄の車両シリーズ」、今回は南海電鉄南海線の通勤車、7100系です。
№226で取り上げた(もう一年以上前ですが…)、7000系の後継車両になります。
7100系は、1969年~1973年にかけて製作されました。
1973年の600V→1500Vの昇圧を見据えて旧型車両を一掃する意味もあり、152両が東急車輛及び近畿車輛で製作されて南海の最大勢力となりました。
性能的には7000系と変わりませんが、車体は南海線では初めて1,300㎜幅の両開きドアを採用、中間の窓は一段下降としました。
(この辺は高野線の6000系→6100系(現6300系)の関係と同じ)
先頭車は運転台とドアの間に窓を配置した関西スタイルとなり、中間T車も先頭車に合わせた窓割りとしたため、左右非対称になっています。
台車は住友S型ミンデンを採用しました。
1次車はMc-T―T―Mcの4連で製作、当初は非冷房でした。
1970年竣工の2次車より分散型冷房を搭載、新たにMc-Tcを加えた6連で製作されました。
パンタグラフが冷房装置搭載を考慮して下枠交差式に変更、MGの搭載位置もT・Tcに変更されています。
その後も製作次数毎に改良が施されていきました。
なお、将来の組成変更を見込み、7000系と同様にMcの7100形に欠番が生じましたが、一方でTの7850形は番号が行き詰まり、5次車から形式より若い車号の車両が製作されています。
非冷房だった1次車については1979年~1982年にかけて冷房化改造が行われました。
また1989年からは2次車以降で更新工事が行われ、鋼体の取替え・内部の化粧板の張替え・荷物棚の変更、1990年からは追加でスカート取り付け、車椅子スペース新設等も行われています。
さらに2000年には加太線など、一部の支線のワンマン運転開始に伴い、2連×5本がワンマン機器取付改造を受けています。
外部の塗装は1994年の関西空港開港に合わせた新CI導入に合わせて、1992年より順次現在のカラーに変更されていきました。
1次車36両(+2次車2両)については1998年~2003年にかけて廃車となりました。
残存車両は本線系統の急行・普通列車や特急<サザン>の一般席車両、ワンマン化改造車は多奈川線・加太線で運用されてきました。
しかし残存車両についても最古で41年になり、8000系の増備も予想される上、<サザン>の指定席車についても9月より12000系「プレミアム」の営業がスタートする事になるため、合わせて今後の動静が注目される所です。
【編成】
←難波方 和歌山市方→
*Mc1 7101* - T1 7851 - T2 7851 - Mc2 7101
*Mc1 7101* - Tc 7151
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車両23 南海電気鉄道」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻(↓)
「鉄道ピクトリアル1995年12月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2008年8月臨時増刊号 【特集】南海電気鉄道」(鉄道図書刊行会) 等
を参考にさせて頂きました。
次回のこのシリーズは西鉄の通勤車、6050系について書きます。
6050系も、以前取り上げた6000系の後継車両です。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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《今日のニュースから》
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№482 JR東日本 特別ダイヤ概要発表
JR東日本は今日、首都圏の夏の特別ダイヤの概要を発表しました。
平日の12時台~15時台の本数を削減するというもので、急な話ですが来週の金曜日・24日から始まるそうです。
(9月22日までの平日)
本来JR東日本は自前の大規模な発電所を持っていて、現在は快速・普通列車はほぼ通常通りなのですが、一部の電力を東京電力に売却するという事で、削減になるという事のようです。
削減は全路線という訳ではなく、7日のプレスリリースにある通り、1時間当たり4~5本以上の運行がある15路線が対象になっています。
全体で10%程度を削減、運転率は90~最大で70%(南武線60%だが、3月12日改正で増発になっているので、昨年と比較すると85%)。
まだ具体的な時刻の公表はこれから順次という事ですが、一応、削減対象の路線の1時間あたりの運行本数も記されています。
特に総武線各駅停車の津田沼~千葉間(運転率70%)は、削減後は1時間当たり3~4本という事で、これは平均するとだいたい16~17分毎(通常は11分毎)という事になり、快速が停車しない幕張や検見川あたりの方々はしんどいだろうなあ。
前述した南武線は快速運転が取り止め、横浜線や、<アクティー><むさしの><しもうさ>の快速も一部が取り止めになるという事。
しかし、こういう発表を見ると、何だか全然世の中がいい方向に向かっているという感触が得られません。
もちろん他地域、特に鉄道路線そのものを失っている被災地の方々からすれば「何を贅沢な」というお叱りを受けるでしょうが。
前にも書いたけれど、やっぱり現代の人々の暮らしは電力次第で、それは公共交通にも非常に重大な影響を与えているのを実感します。
今東京電力の電力使用率というのが公表されていて、最大で80%位になっているようですが、しかし鉄道などがダイヤの間引きなどの節電対策を講じてなお80%というのは、もし鉄道が通常ダイヤで運行していたらあっという間に大停電という事態は容易に想像できます。
エネルギー政策に関して様々な意見が飛び交い、特に原子力は反対運動が(イタリアの国民投票の結果もあって)さらに活発化してきていて、まあ反対を叫ぶ事自体はこういう事態ですから当然という事でしょうが、まずは右も左も上も下も、もう少し現実を見据えるべきではないでしょうか。
本来優先されるべき公共交通が犠牲になっているという事を思い知るべきです。
自由主義の日本では、個人の暮らしを束縛できないわけですから。
ところで、これは今現在の私鉄・地下鉄も含めてですが、節電ダイヤの案内の時によく「○割」「○○%」という言い方をしますけれど、これは元のダイヤが解からなかったら、どの程度の本数、間隔になるかも解からない訳です。
もう少し具体的な案内はできないでしょうか。
東急東横線だったら「特急を15分→30分間隔に削減、日比谷線直通は休止」、東武伊勢崎線では「久喜行区間準急は東武動物公園折返しに短縮」というように。
もちろん削減はサービスダウンだからあまり大きくは言いたくないでしょうが、そうでないと安心して利用できないと思うのです。
いずれにしろ、この夏は本数は少ないわ、冷房も効かないわで、鉄道の利用は相当忍耐を強いられる事になるのは間違いありません。
被災地の方々の苦労も考えたら今は黙って受け入れるしかありませんが、最低でも定期ダイヤは一日も早く元どおりになる事を期待したいと思います。
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《今日のニュースから》
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№481 広州 2001年の乗り物
中国・広東省の省都・広州では今、露天商夫婦に対する治安要員の暴力事件を契機に、連日大規模な暴動が起きていると伝えられています。
背景には例によって経済格差があると伝えられ、特に出稼ぎ労働者の不満が大きいようです。
実はこの広州にはちょうど10年前、2001年11月に行った事がありました。
広州の空港(今の新白雲国際空港の前の旧空港)へ旅客機の撮影をしに行こうかと思い、雑誌に乗っていた撮影ガイドをコピーして出かけたものでしたが、残念ながら連日の曇り空で、旅客機の撮影は出来ませんでした。
その代わり、市内の交通にいくつか乗り、撮影もしていますので、簡単ですがご覧頂こうと思います。
香港=広州間の直通特急「新時速(Xin-Shi=Su)」。
お分かりの通り、ベースになっているのはスェーデンのX2000。
両都市間ノンストップで、香港(紅磡 Hung Hom)で「出国審査」、広州(広州東 Guangzhou Dong)で「入国審査」を受ける事になります。
所要1時間35分で、当時の運賃は230香港ドルでした。
当時の広州では、地下鉄はまだ1路線で、広州東=西朗(Xilang)を結ぶ1号線が走っていました。
広州駅を経由し、公園前で1号線と接続するという2号線は工事中という段階。
この地下鉄、乗客はまだあまり多くはないのだけれど、それより各駅毎にホームにトランシーバーを持った職員(警備員?)や軍服姿が多くてうざったい。
彼らの目を盗むようにして撮ったのがこの1枚。
車内のシートは鉄製でほとんどベンチ。
公共交通の主力はトロリーバス。
ここは文化公園と称していて、「交易市場」と書かれた建物が建つ、トロリーバス路線網の要衝になっています。
文明路では、道端に立つビルの2階以上が歩道にせり出しているという、面白い構造になっていました。
市内を流れる珠江には、渡船も運航されています。
広州駅。
市内には広州と広州東、2つのターミナル駅があり、昔からあるのは広州駅。
とにかく駅前はいつもすごい人、人、人。
中国においては、鉄道旅行はまだまだ大仕事なんだなあと思わされる。
駅前広場の左手は市内バスのバス乗場になっていますが、ただ広場にポンポン停留所のポールが立っているだけ。
出入は頻繁で活気があるのはいいが、少々危なっかしい。
なお、駅に隣接して長距離バスのターミナルもあります。
広州から香港への帰りは、深圳行の特快列車を利用し、「国境」を越えて近郊列車で帰る事にしました。
(広州東駅からの本数が圧倒的に多く、その一部が広州駅を始発とする形)
しかし、写真撮影はかろうじてセーフだったものの、車両番号を控えていたらホームの警官がやってきてパスポートとノートを取られてしまい、どちらも返してはもらえたものの、車両番号を控えたページは廃棄を要求されました。
自分自身の迂闊さを恥じるしかないでしょうが、まさか車体に書かれた番号を控えただけで大事になるとは思いもしなかった。
そんなこんなであんまり列車の旅を楽しむ雰囲気にならないまま深圳につき、「国境」を越え、羅湖(Lo Wu この駅は中国本土へ行き来する人しか利用できない)から近郊電車に乗って香港に戻り、つくづく思いました。
「香港は中国じゃねぇ」
まあ広州に来た甲斐もあったとは思いますが、やはり政治体制が日本と根本的に違うためか、特に交通を趣味とするものとしては、色々不便を感じる部分が多々あった旅でした。
中国では今月末、北京~上海間の高速鉄道が開業するというニュースもありましたが、しかし外国人旅客の利用も多数見込まれると思われますが、旅客への監視体制が10年前の広州と変わらないとしたら、どんなに速くて快適でも、あまり旅行者に良いイメージは与えられないのではないでしょうか。
それと、広州は郊外にはニョキニョキと近代的なビルの建築ラッシュになっているようでしたが、広州駅付近の佇まいを見た限りでは、少なくとも経済的に恵まれているようには見えず … 多少傲慢な目線でしょうか … 今回の暴動の遠因は、かなり昔から根付いていた、今にして思えばそんな気もします。
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《今日のニュースから》
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