№486 都電の100年(イカロス出版)

画像

 今の東京都交通局は、1911年に私鉄として開業した路面電車を買収して東京市電となった事でスタートしてから、今年でちょうど100年となりました。
 市電→都電の歴史がそのまま交通局の歴史という事になります。
 これを記念して発刊されたのがこのMOOK本になります。

 まず表裏両面の表紙の見返しが、表が東京タワー+700形、裏がスカイツリー+8800形という対比が憎い。
 5500形PCCカーなどのカラー写真は、なんか一気にリアリティを増して見えるから不思議で、渋谷駅の旧五島文化会館の前を走る、都電に加えて都バス、さらには東急バスなんてこんな色だったのかなんて思います。

 その後では、3月12日(日が悪かった…)を持って引退した7500形の物語が詳しく記されています。
 この後の保存車の記事で出てきますが、7500形はワンマン化前、ワンマン化後、車体更新後が皆1両ずつは残されており、何とか3台並ぶ機会がないものかと思いますが…。
「東京散歩」「思い出の13系統」の新旧定点対比は、路面電車ものの出版物としては定番だけれど、もちろん東京だから180度変わってしまった所も多いけれど、一方で小商店がしぶとく生き残っていたりして、意外に変わっていない所も少なくないと思いました。
 ただ、渋谷はこれから数年ではっきり変わるはず。
 面影橋から高田馬場への路線が切られたのは、今となってはもったいなかったなあ。

 現用車両ガイドでは、8800形の投入の経緯が興味深かったが、多少舌っ足らずと思ったのは、どうして定員が7000形と比較して30人以上も減ったのか、その理由が記されていない事。
 8800形の方が大柄なのに。
(ちなみに都電史上最大は5500形、次が5000形、8500形、8800形、9000形)
 座席定員の減少が問題というのは、「とげぬき地蔵」の存在でも解かるように高齢者の利用が多い路線なのでわかるのですが。

 都電41系統全ガイドでは、データに関心がある者からすると、運行時間はどの位だったのか(初電・終電の時刻)、運行間隔はどの位かという事も、解かるなら記されていると良かった。
 また、都電の代替で設定された都営バスについても記されると良かったです。
(都電13系統→都営バス〔秋76〕系統→地下鉄大江戸線開通時に廃止とか)
 もちろん、その都バスも廃止・短縮されたものが少なくないのですが、都電と今の都営バスを比較する事で、都電の輸送の規模を知る事も出来たと思うので。
 しかし、運用に関するテキストを読むと、思った以上に系統毎の運用が独立しているなあと思いました。
 今の都営バスの運行体制も、ある程度都電時代の名残を引きずっている所が少なくないと思われます。

 最後に都電の歴史、路線の変遷と車庫別の担当系統ガイド。
 都電の廃止・路線撤去については、誤解されている部分も多いようです。
 それと、外国の例を引き合いに出して都電の撤去を進めた事には、現代では批判的な論調が中心になるでしょう。
 ただ、当時は高度成長の真っ只中で(しかし朝鮮戦争の特需もあるだろうが、太平洋戦争敗戦からわずか10年で交通渋滞が激しくなったとは、いかに東京とはいえ驚かされる)世の中全体が行け行け押せ押せだっただろうし、当時は特に欧州なんて簡単に行ける場所ではなく、情報の中身をきちんと吟味できる状況ではなかっただろう事も考えるべきでしょう。
「車庫」=「電車営業所」でいいのでしょうか。

 全体的には、特に荒川線の近代化が行われた1978年付近の状況がほとんど記されていなかった(6000形改造の花電車のパレードもあった)のが少々物足りないのと、もう少しメカニック的な変遷(例えば集電装置。ポールからシングルアームパンタまで)に注目しても良かったかもしれない。
 とはいえ、都電が荒川線1本になってから40年近くになり、若い人は都電のネットワークを知らない訳ですから、交通局の礎となった都電の全盛期を知るには格好の一冊かと思います。

 最後に、このMOOK自体からは少々離れますが、他都市で走る都電とか、静態保存車のコーナーもありますが、これを見ると、「都営交通博物館」の必要性を痛感させられます。
 以前から考えていた事ですが、都電は全国規模の人気があるのだし、都営バスや地下鉄、モノレール、さらには新交通も含めて … 何しろ路面電車と新交通システムを同時に営業する事業者は東京都交通局が初めてで、たぶん今後も唯一になるだろう … 大規模な展示施設を作れば、きっと人気が出るだろうと思えるのです。
 トロリーバスも含めて、これだけ多彩な交通を運営した事業者も少ないですから。
 展示車両も都電(静態保存車が多少6000形偏重なのは気になるが)のみならず、馬込工場にある都営地下鉄第1号の5000形や豊島区にある12号線の試作車、さらにはバスも地方に売却した車両を買い戻して復元…、と相当壮観なものができると思います。
 100周年事業としてやってもらえればと思ったのですが、今からでも遅くないので是非検討して欲しい所です。

画像

 なお、函館市電のササラ電車として使用されていた東京市電の車両は、7月14日から始まる「東京の交通100年博」(江戸東京博物館)で展示されるそうです。
 私も出かけて、その模様をここで取り上げる予定です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

「1兆の1万倍」と言われても、ピンとこないな…。
《今日のニュースから》
世界ランキング1位のスパコン「京」 神戸市で公開

№485 超音速旅客機コンコルド

 今朝のBSで、パリで行われている航空ショーの話題がありました。
 全容はわかりませんが、旅客機ではボーイングのB747-8「インターコンチネンタル」が初公開、B787もお披露目、一方エアバスはA380(17日より成田に来ている大韓航空のものみたい)や、軍用機などが公開されているようでした。
 別のWebページに寄れば、三菱重工のMRJの売り込みも行われていたようです。
 そして、欧州の企業が2050年を目標にして新型超音速旅客機の開発を目指しているとも伝えられました。
 SF映画に出てくるようなデザインをベースにしているとかで、最高速度がマッハ4、パリ~東京を2時間30分で結ぶという構想のようです。
 動力源とかは不明でしたが、まさか原子力ではないですよね?
№41昨日もとりあげた「サンダーバード」の「ファイヤーフラッシュ」も、ほぼ同距離のロンドン~東京間を2時間30分で飛ぶという設定だったようだ)
 大気圏に固執する限りは、これ程のスピードは性能面からも環境面からも無理っぽいと思うので、人気コミック「プラネテス」(幸村誠/講談社)に出てくる「アルナイルⅧ型」のように、大気圏外の高高度を飛行する事になるのではないでしょうか。

 かつて世界には超音速旅客機「コンコルド」がありました。
 開発当初は世界各地の大都市を結ぶ、夢の旅客機としてもてはやされていましたが(JALも発注はしていた)、しかし開発費用がどんどん巨額になるし、「ソニック・ブーム」と呼ばれる現象による環境への影響も懸念されてキャンセルが続出。
 結局、事実上エール・フランス航空(AF)とブリティッシュ・エアウェイズ(BA)の2社のみが、大西洋路線で細々と就航させていましたが、2003年10月24日を持って退役となりました。
 なお、日本にも合計6回飛来しています。
 関西空港に開港の翌日の1994年9月4日、チャーター便で飛来したのが最後でした。

 私はもちろん、コンコルドには乗ったことはありません。
 だってファーストクラスより遥かに高い運賃では手が出ませんよ。
 でも、運航中のコンコルドを見た事はありました。
 今から11年前の2000年6月5日、ロンドンのヒースロー空港です。

画像

 ヒースロー空港内にある航空ファン向けの「スペクターズ・テラス」から。
 離陸のシーンを見る事が出来ました。
 ロンドンなのになぜかAFでしたが。
 それにしても、うまく言葉に出来ないのですが、とにかく凄まじい爆音を轟かせて離陸して行きました。
 ヒースロー空港ってかなり広いのですが、たぶんその全体で聞こえた事でしょう。

画像

 そしてこれは、帰国の際に搭乗したJAL402便(B747-400・№426で書いた、通算100機目のB747に搭乗した時)の、離陸に向けたタキシングの時に見かけたBAのコンコルドです。
 残念ながらこの日のヒースローは曇り空。
 搭乗はともかく、いつかは青空の下で撮りたいなと思っていたのですが、結局かなう事はありませんでした。

 今後の超音速旅客機ですが、上でも少し触れましたが、環境への配慮はもはや当たり前だし、加えて経済性も、少なくとも今のA380、あるいはB747-8位にはならないと、既存の航空会社では手が出せないでしょう。
 まあ後40年あるので、一気に開発が進んでくれるのでしょう。
 最もその頃には、私は生きているかどうか怪しいのですが…。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

《今日のニュースから》
ライブドア 堀江貴文元社長 東京拘置所に収監

№484 幻の国鉄車両(石井幸孝他/JTBパブリッシング)

 関東地方は毎日毎日梅雨空が続いています。
 韓国から帰って以降、せっかくの休日も、どこにも撮影に行けません。
 まあ気温が低くて涼しいのは、節電には役に立つでしょうが。

 今回取り上げる「幻の国鉄車両」は、長い国鉄の歴史の中で発案されたものの、日の目を見る事がなかった車両の計画を取り上げています。
 特に日本の鉄道黎明期~昭和の初め頃の標準軌改軌論争や戦争中の「弾丸列車」計画にかなりのページを割いている他、ディーゼル機関車開発期における生臭い裏話も披露されています。
 ある程度試作車両として形になっているものとしてキハ391系ガスタービン列車やコンテナ電車クモヤ22、グリーン車だけ世に出た163系急行車、近鉄のL/Cカーの原形となった片町線クハ79のクロス/ロング転換試作車などがありますが、ほとんどは机上の計画だけで終わってしまっています。
(その中ではC63形SLが有名でしょう)
 といっても何もかもがムダになった訳ではなく、新幹線貨物用電車が「スーパーレールカーゴ」と形を変えて実現したとか(この書籍の企画はそのM250系の開発が始まった事がきっかけという)、今のE231系のような4ドア近郊型が昭和30年代に既に発案されていたという、興味深い話も見られます。
 巻頭カラーグラフの「新幹線モデルチェンジ車両」「個室ひかり」も、100系としてある程度実現したのも、ご存知の通りです。
 国鉄時代末期のあたりに、EF70の直流化計画とか、余剰特急グリーン車を利用した上野~長野スーパー特急計画とかは聞いた事はあるというものもあります。
 新高速特急電車なんていうのもなかなかカッコ良くて(先頭の形状はJR九州の783系「ハイパーサルーン」が結構近い)、実現していたら乗ってみたかったかもしれません。
 国鉄時代末期の労使紛争に代表される混乱が、残念でならない所です。

 ところで、この書籍は2007年10月に発売されました。
 私も一度立ち読みで見た事があったのですが、それを今になって改めて購入し、ここで取り上げるのはなぜか?
 実は様々な計画の中で、一つ「トンデモ」な計画があったからなのです。
 その名は「AH100」。
「国鉄が取り組んだ原子力ガスタービン機関車」。

 げ … 原子力ガスタービン…?

 昭和30年代、日本でも原子力の研究が解禁になって1956年には茨城県東海村に日本原子力研究所が設立され、各分野で原子力の研究がスタート。
 アメリカや西ドイツ、ソ連では原子力を利用した機関車の研究が進められ、これを見た日本の国鉄も、鉄道技術研究所で原子力を利用した機関車の研究を行ったというものです。
 原子炉で発生させた熱で圧縮空気を加熱しガスタービンを駆動、発電機で発生させた電気をモーターに伝える、というのが駆動の原理のようです。
 結局国鉄自身も何が何でもという訳ではなく、単なる机上の調査研究で終わったという事ですが、それも放射能が危険だからというのではなく、原子炉のバリアーがあまりに重いため(原子炉が1.3tに対してバリアーは109tにもなる)、コストがかかりすぎる、原子力発電による電化の方が現実的という結論になったという事のようです。
 この計画に対する著者の評価はありませんでしたが、実際の所、放射能の危険性を敢えて無視しても、原子炉とバリアーの重量があまりにもアンバランスだし、そのために1車体で30m近くになってしまったら、運用できる路線はほとんどなくなってしまうでしょう。
 その割にスペック的にEH10型電気機関車と大差ないのでは、日本においては相当使いづらくなったはずです。

 しかし原子力の機関車なんて、仮に脱線とか、踏切事故とかあったらそれだけで近隣の放射能汚染という事になるし、まして先日の<スーパーとかち>のような事故になったら、それこそ今回の原発事故並みの環境汚染の危険性も大きくなるでしょう。
 実現しなくて良かった…?でしょう、やっぱり。

 この時代はまだ原子力は今ほど危険視されてはいなかったようで、現実でも空想の世界でも、様々な分野で原子力が動力源として設定されていました。
 交通の世界でも、№41で少し書いた、「サンダーバード」の「ファイヤーフラッシュ」も原子力を動力源にする旅客機でしたが(フィルターを交換しないと放射能漏れが発生するという設定からして、製作者も放射能の怖さは認識していたはずだが)、やっぱり常に高速で動く交通機関に原子力は使えないでしょう。
 せいぜい船舶、それも軍用程度では?
 乗り物からは離れるけれど、昔の子供たちが熱狂していたヒーローものもそう。
「鉄腕アトム」からして、原作は原子力が動力源だったし(妹は「ウラン」だし)、「超電磁ロボ・コンバトラーV」とか、仮面ライダーのバイク(「ZX」の「ヘルダイバー」)も原子力を利用する設定になっていました。
 今世論は福島第一原発の事故を受けて反原子力一辺倒になり、まあそれはこういう深刻な状況になってしまいましたから当然といえますが、こういう時代があったんだ、という事も知っておいて良いのではないかと、「AH100形」計画を見て思いました。
 こういう一般にはほとんど知られていない計画も、当書籍において数多く発掘され、公開されています。

 ここで取り上げられた計画は国鉄のものだけでしたが、当然私鉄や、国鉄民営化後のJR各社でも色々な計画が生まれ、消えていった事でしょう。
(形になったものとしては、EF500などがありました)
 今後の鉄道車両計画はどこへ行くのか?
 今回の大震災や電力不足問題が、大きな転機になるような気がしますが。
 是非ともここで取り上げられた様々な計画が礎になればと思います。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

《今日のニュースから》
北米在住の被爆者対象 健康診断開始