「私鉄の車両シリーズ」、今回は今年6月を持ってついに引退した、京浜急行電鉄1000形(旧)です。
1000形は、1959年~2010年の長きに渡り、全線区において普通列車から快特の各種別で活躍、都営地下鉄浅草線から京成線への直通運転にも使用された、京急の一時代を築いた通勤車両でした。
1958年に試作車両として(旧)800形4両を製作、これを元にして翌1959年より1000形の製造が始まりました。
いずれもデビュー当時は、正面は大型2枚窓のいわゆる「湘南窓」でした。
800形は1965年に1000形に編入。
1961年からの増備車は浅草線直通を考慮して正面貫通型となり、以前の車両も1969~1972年にかけて貫通型に改造されました。
1964年の増備車からは正面の行先・種別及び運用番号の表示幕が独立し、1000形のスタイルが確立しました。
1976年からの冷房改造が始まりましたが、改造車では分散型冷房が採用されています。
一方、1971年の増備車から京急初の新製冷房車となりましたが、こちらは集中式冷房が採用されました。
また、メーカーによって違いがあった台車やモーター、駆動装置や制御器が共通設計となりました。
1974年製よりモーターの出力が増強されています。
合計で356両が製造され、京急での最大勢力となりましたが、編成替えや中間車の組み込みによる増結、末期には新1000形デビューによる番号の重複を避ける意味もあって、複雑な番号の付番・改番が繰り返され、必ずしも製造順にはならなくなっています。
車内は共通の事項として、3ドア・ロングシートとなり、京急らしく大型の窓が片開きドア間に3箇所配置され、車内を明るくしています。
新製冷房車からは各所にアルミ・ステンレスが使用され、長寿命化が図られています。
2・4・6・8連に組成されて4連の普通列車から、ラッシュ時の12連の通勤快特まで幅広く運用されました。
変わった所では中間に700形サハ770形を組み込んだ編成や、京成電鉄・千葉急行電鉄・北総開発鉄道にリースされた編成が存在した事があります。
廃車は1988年の試作車より始まりました。
2008年には、開業110周年記念のラッピング列車が運行されました。
1321Fの4連は「京急110年の歴史ギャラリー号」としてデ51形をモチーフに、画像の1309F6連は「ありがとうギャラリー号」として、(旧)500形をモチーフにしたラッピングが施されていました。
2010年6月27日に「1000形ありがとう運転」と銘打ったさよなら運転が行われ、翌28日の大師線の運用を持って、ついに全車両引退しました。
これにより京急から、「抵抗制御」「2ハンドル」「2段窓」の車両が、全て姿を消した事になります。
なお、四国の高松琴平電鉄に合計16両が譲渡され、1080形(琴平線)・1300形(長尾線)として運用されています。
引退時に発売された「さようなら1000形記念乗車券」。
2枚1セットでした。
【編成】
←三崎口・浦賀・新逗子・羽田空港方 品川方→
Mc1 1000* - Mc2 1000
Mc2 1000 - *M1 1000 - M1 1000* - Mc2 1000(1962年までの製作分)
Mc1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - Mc2 1000
Mc1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - Mc2 1000
Mc1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - Mc2 1000
* パンタグラフ
今回の記事は
「私鉄の車両18 京浜急行電鉄」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1998年7月臨時増刊号 【特集】京浜急行電鉄」(鉄道図書刊行会)等
を参考にさせて頂きました。
さて、次回のこのシリーズはボディマウントからアルミ車体、そしてVVVF制御車へと転進を遂げた、相鉄5000系(5050番台)について書く予定です。
ただし、都合により来月半ば位になります。
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《今日のニュースから》
チリ鉱山の落盤事故 生存者全員救出完了