№353 バスラマインターナショナル SPECIAL 10 西工の軌跡(ぽると出版)

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 西日本車体工業(西工)が今年8月を持ってバスボディ生産事業を終了し、会社の歴史そのものに終止符を打った事は、バス業界全体にも、もちろん私たちバスファンにも大きな衝撃となりました。
 当然バス関連の雑誌・MOOK本でも大小様々に特集が組まれていますが、特に「バスラマ・インターナショナル」ではPPECIALと銘打ち、西工の始まりから終わりまでの記録を収めた臨時増刊が発行されました。

 バスラマの増刊では過去にも富士重工(富士重)が2003年3月を持ってバスボディの生産を終了したときに発行がありましたが、今回は体裁が大分様変わりし、まずは最終出荷式(西日本鉄道PKG-RA274MAN 6265(壱岐〔営〕)と共に、工場で働いていたスタッフの集合写真が掲載されています。
 工場とはいえ、女性スタッフも少なくないのが、時代でしょうか。

 続いて北海道から沖縄まで全国各地で運行される、現役の西工ボディの車両を、カラー写真で数多く取り上げていて、これがこの増刊の最大のメインといえます。
 北海道・東北はやはり富士重ボディ製造終了後に投入されたばかりです。
 これらの事業者では、西工との付き合いは、わずか7年強で終了してしまった訳です。
(前半にユーザー代表で北海道中央バスのコメントもあり。やはり西工は九州の企業なので北海道の極寒にはかなりてこずらされていたようだと記されている)
 せっかく極寒地向けのバスボディ製造のノウハウが身につこうとしていた所での廃業で、なんとももったいない話ではないかと感じました。 

 紙数が少ないからどの事業者も駆け足になるのは仕方ないですが、地元横浜のファンの立場からすると、横浜市営バスの西工ボディは、1989年の中型ワンステップの後、2000年のGタイプまで途絶えてしまっているように記されているのが、少々残念とも思いました。
 実際は1997年に、JPのワンステップ車が、富士重ボディの同形式と共にまとまって投入されて話題にもなったのですが。
 いずれにしろ京王バスの影に隠れていますが、横浜市交通局は、1990年代における東日本の隠れた西工名ユーザーではなかったかと思います。
 横浜市営バスにおける西工ボディの系譜を簡単にまとめて見ました。

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8-4325 P-RB80G
 当初は都心循環ループバスとして滝頭〔営〕に導入、白地に濃淡ブルーの装いだった。
 系統の再編成時に1台毎に異なるカラーとなった。
 1台は港北ニュータウン〔営〕に移籍、ローカル運用に就いた。


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6-4486 KC-JP250NTN
 これが一挙15台導入された、西工ボディのJPワンステップ。
 導入当初は全て磯子〔営〕に配置された。
 同形式の富士重ボディ車は滝頭・港北ニュータウン両営業所に配置されたが、なぜボディメーカーが統一されなかったのだろうか。謎かも。


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9-4534 KC-UA460HAN
 これも磯子〔営〕に3台配置された。
 前部に覆いかぶさるようなクーラーユニットが特徴だが、全国的にも生産台数が少なかったかも知れない。
 一部は横浜交通開発に移籍した。


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3-4560 KL-UA452KAN
 この年はワンステップ・ノンステップ共に、標準尺・短尺を並行して導入した。
 標準尺は磯子〔営〕、短尺は滝頭〔営〕、港北ニュータウン〔営〕に新製配置。
 後の市営バス再編成の過程で、鶴見〔営〕等に移籍した車両も少なからずあった。


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4-4601 KL-UA452KAN
 富士重ボディ生産終了に伴い、CNGノンステップ車も増備車は西工ボディとなった。
 全体を白ベースとして、マスコットキャラ「はまりん」を配している。
 当初は滝頭〔営〕配置だったが、CNGスタンド完成により、浅間町〔営〕に移籍した。


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7-4608 PKG-RA274KAN
 横浜市営では3年ぶりの非J-BUS系となった。
 例によって磯子・滝頭両営業所に投入されたが、尺の違いはない。
 これが、横浜市交通局における、西工ボディの最後のグループとなった。


 京急バスのPKG-RA274PAN改は長いなあ。

 各標準ボディの形式別変遷は、4ページのチャート形式で簡単にまとめられています。
 その後昔の写真がいくつも並べられています。
 あくまで個人的な視点ですが、「かまぼこ」より前は、側窓の形状を除けば他ボディメーカーとそれ程変わりないように感じられました。
 目につかないところで勝負、という事だったのでしょうか。
 私が初めて目にした西工ボディは、確か中学校の修学旅行で訪れた京都で見た、京都市営バスの「かまぼこ」だったと思います。
 大変申し訳ないが、あまりカッコ良くないなあと感じたものです。
(特にリアの形状が)
「はんぺん」になって、スマートになったかなあと思いました。

 後は、いろいろな立場の方々が西工の思い出や、現場の苦労話をされていますが、シャーシメーカーの側のコメントが全くなかったのは気になりました。
 どんなにボディメーカーが頑張っても、やはりシャーシあってこそのバスなので。

 最後に和田由貴夫氏がまとめとして、
「バスボディメーカーがMBMとJ-BUSに集約される事になり、おぼろげな不安が現実のものになった、NSKの終幕を教訓に、残されたメーカーはユーザー目線で、次世代の国産バス製造に務めなければならない」
と結んでいます。
(西鉄相談役の大屋氏は「時代のスピードに追い着いて行けなかったのは事実」と振り返られているが)
 難しい事は解かりませんが、私が中学生時代に初めてNSKボディを見た時には、まだボディメーカーが7社(西工の他、川重・富士重・北村・日野・三菱・呉羽)とあり、しかもある程度は架装するシャーシメーカーの融通が利いていた事を思うと、なんだか時代が変わっちゃったなあと思うのは事実です。
 趣味的に見てもアイコンがなければメーカーの区別がつかないというのは今一つ面白みがないなあ、というのも事実。
 また、ビジネス的にも日本国内に適当な路線バスが見つからない場合、(競争の選択肢として)外国(特に韓国)製を探してみようという話に行ってしまうかもしれません。
 超円高の昨今でもあるし。
 私は日本のバスメーカーが(シャーシもボディも)、より良いバス造りの努力を怠っているとは決して思っていないけれど、特に欧州のノンステップバスとは、まだかなりの格差があると感じるのも事実で、ぜひ西工のマインドを受け継いで(他社に移籍した従業員の方も少なくないそうだし)、世界に誇れる画期的なバスが造られる事を期待したいと思います。
 やはり今の日本のバス造りに必要なのは…「情熱」だな…。

 最後に、西工の職場を離れた全ての人々に、今後の幸多かれと祈らずにはいられません。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
 また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。

《今日のニュースから》
女子柔道 谷亮子選手 現役引退を表明

№352 私鉄の車両シリーズ82 京浜急行電鉄1000形(旧)

「私鉄の車両シリーズ」、今回は今年6月を持ってついに引退した、京浜急行電鉄1000形(旧)です。

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 1000形は、1959年~2010年の長きに渡り、全線区において普通列車から快特の各種別で活躍、都営地下鉄浅草線から京成線への直通運転にも使用された、京急の一時代を築いた通勤車両でした。

 1958年に試作車両として(旧)800形4両を製作、これを元にして翌1959年より1000形の製造が始まりました。
 いずれもデビュー当時は、正面は大型2枚窓のいわゆる「湘南窓」でした。
 800形は1965年に1000形に編入。
 1961年からの増備車は浅草線直通を考慮して正面貫通型となり、以前の車両も1969~1972年にかけて貫通型に改造されました。
 1964年の増備車からは正面の行先・種別及び運用番号の表示幕が独立し、1000形のスタイルが確立しました。
 1976年からの冷房改造が始まりましたが、改造車では分散型冷房が採用されています。

 一方、1971年の増備車から京急初の新製冷房車となりましたが、こちらは集中式冷房が採用されました。
 また、メーカーによって違いがあった台車やモーター、駆動装置や制御器が共通設計となりました。
 1974年製よりモーターの出力が増強されています。
 合計で356両が製造され、京急での最大勢力となりましたが、編成替えや中間車の組み込みによる増結、末期には新1000形デビューによる番号の重複を避ける意味もあって、複雑な番号の付番・改番が繰り返され、必ずしも製造順にはならなくなっています。

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 車内は共通の事項として、3ドア・ロングシートとなり、京急らしく大型の窓が片開きドア間に3箇所配置され、車内を明るくしています。
 新製冷房車からは各所にアルミ・ステンレスが使用され、長寿命化が図られています。

 2・4・6・8連に組成されて4連の普通列車から、ラッシュ時の12連の通勤快特まで幅広く運用されました。
 変わった所では中間に700形サハ770形を組み込んだ編成や、京成電鉄・千葉急行電鉄・北総開発鉄道にリースされた編成が存在した事があります。
 廃車は1988年の試作車より始まりました。

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 2008年には、開業110周年記念のラッピング列車が運行されました。
 1321Fの4連は「京急110年の歴史ギャラリー号」としてデ51形をモチーフに、画像の1309F6連は「ありがとうギャラリー号」として、(旧)500形をモチーフにしたラッピングが施されていました。
 
 2010年6月27日に「1000形ありがとう運転」と銘打ったさよなら運転が行われ、翌28日の大師線の運用を持って、ついに全車両引退しました。
 これにより京急から、「抵抗制御」「2ハンドル」「2段窓」の車両が、全て姿を消した事になります。
 なお、四国の高松琴平電鉄に合計16両が譲渡され、1080形(琴平線)・1300形(長尾線)として運用されています。

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 引退時に発売された「さようなら1000形記念乗車券」。
 2枚1セットでした。

【編成】
←三崎口・浦賀・新逗子・羽田空港     品川
 Mc1 1000* - Mc2 1000
 Mc2 1000 - *M1 1000 - M1 1000* - Mc2 1000(1962年までの製作分)
 Mc1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - Mc2 1000
 Mc1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - Mc2 1000
 Mc1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - M2 1000 - M1 1000* - Mc2 1000
* パンタグラフ

 今回の記事は
「私鉄の車両18 京浜急行電鉄」(保育社) ※現在はネコ・パブリッシングによって復刻
「鉄道ピクトリアル1998年7月臨時増刊号 【特集】京浜急行電鉄」(鉄道図書刊行会)等
を参考にさせて頂きました。


 さて、次回のこのシリーズはボディマウントからアルミ車体、そしてVVVF制御車へと転進を遂げた、相鉄5000系(5050番台)について書く予定です。
 ただし、都合により来月半ば位になります。

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《今日のニュースから》
チリ鉱山の落盤事故 生存者全員救出完了

№351 バスジャパン・ハンドブックシリーズR71 京阪バス(星雲社)

 本題に入る前に少しだけ航空について。
 ご存知の通り、今月6日福岡航空交通管制部が、職場体験実習で来ていた中学生2人に、福岡空港に着陸しようとしていた旅客機2機との更新をさせていた事が明らかになりました。
 上司の口止め工作もあったとか。
 今年初めの№156で、管制官が息子に旅客機との交信をさせていたJFK空港の不祥事について書きましたが、似たような事が日本でも起きてしまった訳です。
 こういうの、困るなぁ。
 どの交通でも「安全」の2文字を口やかましくいうけれど、それを守る最大の要素は、職場内の「モラル」だと思っているので、もう少し現場の人間が意識を高めてやって欲しいと思います。

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 気を取り直して(?)本題の「バスジャパン・ハンドブックシリーズR」21巻目は京阪バス。
 このシリーズでは17年前の「バスジャパン・ハンドブックシリーズ17」以来になります。
 普通でも17年経てば大きく様変わりしますが、特に京阪グループの場合は京阪国際観光自動車の廃業、一方で(旧)京都交通の南部エリアの引継ぎなどがあり、京阪バス自体も再編が繰り返されて、昨今の大都市圏の大手事業者としては大きな変化が見られる所です。
 京阪バスについては既に№266で取り上げた「バスラマ・インターナショナル120」で特集されたばかりで、被る部分もあるかと思いますが、改めて取り上げてみます。

◆ 水辺と木陰で涼む夏の京都
 17年前はフリーライターによる定期観光バス3コース乗り比べだったので、一般路線バスの乗り継ぎによる周遊は初めて。
 クラッセブックス編集長富田康裕による、京阪バスエリアの京都駅~一休寺~「木津川流れ橋」~寺田屋~醍醐寺~琵琶湖疎水~比叡山~京都駅と巡るコースを2日間(7月24日~25日)にかけて訪れるというもの。
 大阪(成田山などがある)や大津にもエリアが広がる中、あえて京都に絞って廻ったようで、それでいて中心部の町有名な観光地ははずして廻っている …京阪バスの京都市内中心部の一般路線が少ない事もあるが… のですが、探せば名所・名刹はいくらでもあるものです。
 やっぱり酒が出てくるのですが、「黄桜」は納得。
 昔、「ヤッパッパ~ラッパッパ~、キ~ザクラ~」ってCMソングがあったものです。
 比叡山からの帰りは、バスだと行きと同じルートになるので、一般だとケーブルカーで坂本へ降りて、京阪電車を乗り継いで帰るという方法も、変化がついていいかも知れません。

◆ 終点の構図 原
 京阪京都交通の終点で、京都市右京区といっても飛び地に近い感じです。
 バス便は平日・土休日とも日中のみ乗り入れるようです。
 八木町の神吉地域を経由してくるようですが、ルートが多少変則的のよう。

◆ 京阪バス(京阪シティバス・京阪宇治バス)・京阪京都交通の路線エリア
 京阪バスのメインのエリアは、京阪本線とJR学研都市線(片町線)にはさまれたあたり。
 例外もありますが、淀川の左岸。
 大阪エリアでは、淀川を渡る系統は少ないようです。
 後は京都市の東部と大津市。
 地図に琵琶湖だけでなく、淀川も書き加えられていれば解かり易くなったと思います。
 全体的なエリアは17年前とあまり変わっていないようですが、宇治・田辺~大津の間は、京都・滋賀の府県境で分断されてしまいました。
 17年前に「終点の構図」として取り上げられた、京阪宇治交通の茶屋村への路線も、廃止になってしまったようです。
 奈良への長距離路線もなくなりました。
(もっとも末期は1ヶ月に1本程度だったそうだからあまり意味はなかったが)
 京阪京都交通は1路線が兵庫県の福住に乗り入れています。
 しかし地図を見た感じでは、北部のかなり奥の方にも路線が伸びているのですが、公式HPには出てきていません。
(「美山ネイチャー号」らしい。一般の路線バスではない)
 ハンドブックシリーズRになってから、営業所以外の地名が一切省略されてしまっているのですが、郊外位は駅名や終点の地名の記載が欲しいと思います。

◆ 京阪バスのあゆみ
 京阪電鉄が鉄道の培養を目的として地元のバス会社を買収したのが始まりのようで、京阪電鉄自体がバス事業を手がけた事はないようです。
 本当は京阪バス直系以外の京阪グループのバス(京都バス・江若交通など)も歴史に絡んでくるようですが、かなり複雑です。

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 京阪宇治交サービスは京阪宇治交通の分社といえ、後に京阪宇治交バスになりますが、本体が京阪バスに合併され、分社が残ったわけです。
 中書島~立命館大学BKC線が京阪京都交通の運行というのは、通常のエリアから大きく離れた路線なのですが、安定して収入が得られる路線を与えたいという事なのでしょう。
 新体制になったとはいえ、ローカル線が多く苦しい経営が続く事自体は変わらないはずですから。
 写真では、京阪資本になる前の(旧)京都交通の写真が2枚。
 1枚はNSKの「かまぼこ」だ…。

◆ 車両の現況
1. 貸切・高速を除いた一般路線車(コミュニティは含む)の傾向を分析してみます。
 グループ全体の一般路線車の平均車齢は7.30年。
 ただし、事業者や地域によってかなりの差が見られます。
 大阪府内6営業所(大阪エリア)では5.47年。
 京都の男山・京田辺(京阪宇治交通)両営業所と京阪シティの合計では5.64年。
 ところが同じ京阪バスでも山科・大津の合計は8.44年。
 京阪宇治バスは9.92年、京阪京都交通は12.18年でした。
 大阪の場合はNOx規制があり、男山・京田辺〔営〕も大阪府内(枚方市樟葉)への乗り入れがあるため、車齢が若くなっているのでしょう。
 京阪バス大阪エリアの場合、21世紀以降投入の車両が90%近くに達しています。
 最高齢は1998年が交野〔営〕に1台いるだけ。

 一方、山科・大津は1990年代の車両が5割を超えています。
 登録番号から推定して、大阪エリアから経年車が大量に転属してきている事が伺えます。
 京阪京都交通に至っては、1990年代の車両が7割以上です。
 京阪バスが一般路線車全体の58%あります。
(旧)京都交通の破綻時点の車両の傾向が不明なのではっきりは言えませんが、やはり大阪エリアで使用していた車両を移籍させる事で、体質改善を図る、という方向性が推測できます。

2. ノンステップ車はどうでしょうか。
 京阪バスは39.5%と意外に低い気がします。
 特に大阪エリアの寝屋川〔営〕が27.5%、枚方〔営〕が33.3%と意外に低いのが目につきます。
 割合が高いのが香里団地〔営〕62.5%、枚方〔営〕57.5%でしょうか。
 一方、山科・大津両営業所は共に5%に届きません。
 京阪宇治バスは32.9%、京阪シティバスは18.2%、京阪京都交通に至っては10.7%に留まっています。
 車両面では、最近になってブルーリボンシティⅡの導入が相次いでいますが、それ以前のノンステップ車は全て中小型、あるいは中型系です。
 
3. ここからは貸切車・高速車も含みます。
 NSKボディは関西の大手事業者としては珍しく、非常に少ない。
 全体で5台しかなく、京阪バス本体は京阪宇治交通から引き継がれた特定車1台のみ。

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 京阪京都交通の2台はいずれも(旧)京都交通から引き継がれた、神戸市営バス。
 なお、後述のエアロキングも含め、17年前の「ハンドブックシリーズ」に記載された車両が、今も若干生き残っているようです。
 京阪バスの外への移動だと、社番が変わるので追跡が難しくなるのですが…。
 定期観光専用車が17年前には67両もあったものが(大津・山科などにも配置があった)、11両に激減してしまいました。

 以下は京阪バスそのものについての感想になります。
 大阪エリアの経年車を京都・滋賀に転用するという傾向は今後も続くでしょうが、NOx規制がないとはいえ、古都京都をも基盤にする上は(「京都議定書」が採択された地でもあるし)、京都エリアでも積極的な新車両の導入を期待したい所。
 上では一般路線バスのデータのみ取り上げましたが、事業の主力の一つである定期観光バスも、専用車となると小型車1台を除いて全車両1990年代の導入と、経年化が進んできているようです。
(貸切登録の新セレガの運用も見られるが)
 1993年式エアロキングの後継をどうする?という直近の問題もありますが、セレガ・ハイブリッドなんて選択も期待したいと思います。
 それ以前に、定期観光バス事業そのもののテコ入れも望まれる所でしょう。

 
 次回刊は富士急行が予告されました。
 グループ7社とは、富士急行観光、フジエクスプレス、富士急山梨バス、富士急平和観光、富士急湘南バス、富士急シティバス、富士急静岡バスでしょう。
 他誌の富士急行特集の時にも再三書いていますが、最近の富士急行は電車・バスとも非常にアクティブな動きが目立ちますから、データ的な面でも大いに期待したい所です。

 申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
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《今日のニュースから》
阿久根市長リコール運動 12月5日に住民投票実施