ドイツの敗戦を的中させてしまった?タコにドイツ・サポーターの皆さんはご立腹の様子ですが、タコのやる事に目くじら立てたってしょうがないじゃんか(笑)。
昨日の「私鉄の車両シリーズ」で、名鉄の古豪・モ700及び750形について書きました。
両形式は(旧)名古屋鉄道の西部線用として製作、昇圧後に各支線に散った後、晩年には残存車両が揖斐・谷汲線に集結した、という事は昨日書きました。
戦前に美濃電気鉄道・谷汲鉄道が開業させた揖斐・谷汲線は、モ700・750やモ510(機会があったら書きます)などの旧型車両もさることながら、駅を中心とした沿線のムードそのものも、およそ大手私鉄とは思えない、ローカル私鉄以上のローカル色をかもし出していました。
しかし、残念ながら両線を含むいわゆる「600V線」(架線に供給される電力の電圧から来ている。本線系統は1500V)は20世紀の終わり頃から急速に経営が悪化(元々良くはなかったが)。
揖斐・谷汲線については2001年9月一杯を持って黒野から先の区間が廃止になった後、残存区間も、直通運転があった岐阜市内線等共々、2005年3月一杯を持って全線廃線になってしまいました。
ここでは1990年代に撮影した、揖斐・谷汲線の全ての駅と主要な鉄橋の写真をご覧頂こうかと思います。
1.揖斐線
揖斐
岐阜市内線との接続駅。
揖斐線では大半の列車がモ770・780形を使用した市内線直通列車でしたが、揖斐線内専用のホームもありました。
駅舎はスーパーを兼ねていました。
近ノ島 忠節から0.7㎞
急行は通過。
旦ノ島 近ノ島から1.3㎞
急行は通過。
近くに旧岐阜市営バスの終点があって、旦ノ島を出ると右手に見えました。
尻毛 旦ノ島から1.2㎞
交換可能。
又丸 尻毛から1.1㎞
急行は通過。
北方東口 又丸から0.8㎞
北方千歳町 北方東口から0.6㎞
美濃北方 北方千歳町から0.5㎞
交換可能。
中間では黒野と並ぶ主要駅で、駅員が常駐していましたが、2001年の区間廃止時に駅員無配置になってしまったようです。
また日中の普通列車はここで折り返していましたが、これも区間廃止時に黒野まで延伸し、折返しが廃止になっています。
樽見鉄道の北方真桑駅までは徒歩で10分位だったでしょうか。
真桑 美濃北方から2.1㎞
政田 真桑から1.2㎞
交換可能。
下方 政田から1.3㎞
相羽 下方から0.8㎞
黒野 相羽から1.1㎞
揖斐線最大の駅で、車庫があります。
一番上の写真がその構内です。
岐阜市内・忠節から来た列車は全てここが折返しになり、本揖斐方及び谷汲線は全て折返し運転になります。
駅舎から一番遠いのが1番線で本揖斐行、2番線が忠節・岐阜市内方面行、手前の3番線が谷汲線でした。
駅舎前のバス停は名阪近鉄バスの大垣駅行です。
中之元 黒野から2.0㎞
清水 中之元から1.4㎞
瀬戸線に同名の駅がありますが、瀬戸線の「しみず」に対し、こちらは「きよみず」です。
本揖斐 清水から2.2㎞
ユニークなスタイルの駅舎が人気でした。
駅前に名阪近鉄バス(旧塗装)がいます。
近鉄養老線(現養老鉄道)の揖斐駅は揖斐川の対岸にあり、2㎞程離れていてバス便もあります。
2.谷汲線
黒野北口 黒野から0.9㎞
豊木 黒野北口から1.1㎞
稲富 豊木から0.8㎞
更地 稲富から1.1㎞
北野畑 更地から1.9㎞
谷汲線では唯一の交換可能駅。
朝夕はここで行き違いがあり、駅員がタブレットの交換を行っていました。
しかし末期には列車本数の削減で定期の行き違いがなくなってしまい、毎月18日の谷汲山の命日の時に臨時列車が運転されるとき以外は、閉塞統合により駅員がいなくなってしまいました。
ここから路線は山間部に入って行きます。
赤石 北野畑から1.1㎞
長瀬 赤石から1.5㎞
昔は交換が可能だったようです。
ここと谷汲の間にはかつては結城という駅(長瀬から1.8㎞)がありましたが、1990年4月22日限りで廃止になっています。
末期には朝方の上り、夕方の下りが各3本ずつ停車するだけでした。
谷汲 長瀬から2.8㎞
雰囲気のある木造駅舎でした。
但し駅員無配置。
谷汲駅は1996年に近代的な駅舎に改築されました。
廃止後、モ514とモ755が構内で静態保存されています。
3.主な橋梁
伊自良川橋梁 旦ノ島~尻毛間
根尾川橋梁 政田~下方間
2001年9月の区間廃止の時点で、黒野駅があった大野町の役場近くにバスターミナル(といってもただの折返所)が設けられ、名阪近鉄バスによる代替バスが設定されました。
しかし、谷汲線については、なんとわずか4年で廃止に追い込まれてしまいました。
転換時点で既に鉄道時代より便数が少なく、しかも小型車両だったので、当初より不安が大きかったのですが。
(根尾川の対岸に樽見鉄道が走っていた事もあったかも知れない。車両についてはこちらをご覧下さい)
また揖斐線についても現在は揖斐川町コミュニティバスという形態に移行しています。
バス転換でこういう状況だと、やはり鉄道で維持していくのは無理だったのでしょう。
全線廃止後は岐阜~大野町間に岐阜バスが運行されています。
今回の記事は
「名鉄時刻表vol6」
「谷汲線の四季」(井上英樹/岐阜新聞社/岐阜新聞情報センター)
「私鉄廃線25年」(寺田裕一/JTBキャンブックス)
「日本鉄道旅行地図帳 7号・東海」(新潮「旅」ムック) 等
を参考にさせて頂きました。
この内「谷汲線の四季」は小さいですが素晴しい写真集で、モ700・750形を中心にしたローカル色豊かな沿線の風景が存分に収められています。
9年前の発行で入手は相当難しいと思われますが、何とか入手されてご覧になって頂ければ、と思います。
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