「バスグラフィック」の第7号が先月発行されました。
表紙のデザインが若干変わったような気がします。
◆BUS GRAPHIC TOPICS JRバス関東の新型「プレミアムドリーム号」と、「アルピコバスまつり2010」。
「プレミアムシート」「スーパーシート」という発想は京急・弘南の<ノクターン>が先鞭を付けたものですが、さすがに東京~大阪間だと、1車両丸々プレミアムという車両で5往復も設定できるのですね。
ただ、エアロキングはポスト新長期規制には対応せず、この夏で生産が終了するので、後継車両が必要になった時はどうするのか。
その時点で高速バス事情自体がどうなるかも解りませんが…。
北村ボディのいすゞ車は個人が保有していたのですか。
本体でも書いているのですが、20~30年位前の松電バスといえばほとんどこれ。
(カラーは松電自身が「ブル」に施しているもの)
◆バスについてのQ&A50 表紙もそうだけれど、タイトル写真が相鉄ホールディングスのPKG-MP35UK(改)
Q36の問の答に対応しているのでしょう。
この車両は改造形式ですが、市販より2ヶ月前に導入された事が話題になりました。
この他、名古屋市営や尼崎市営にも市販より先に導入があり、尼崎市営は完全ノンステップ化を達成する事になります。
Q12の「1日1本・1週間に1本しか走らない路線」は、実は今月になって新たに横浜市内に設定されました。
東急バスの〔新横82〕系統で、新羽駅→小机新道→又口橋→新横浜駅を走るのですが、新羽駅を土曜日の19時05分に出発するだけ。
(復路なし)
以前は新羽営業所→小机駅に〔市03〕系統の出庫便が平日早朝に1本だけありました。
ところが、〔市03〕系統が今月から青葉台〔営〕持ちになったため、この出庫系統は廃止になりました。
しかしこのままだと途中東急バスが走らなくなる区間が発生するため、〔新横82〕系統の設定で対応しているものと思います。
小机駅は近くに日産スタジアムがあるため、観客輸送のための便の運行を想定しているのかもしれません。
Q15の白ナンバーの教習車は、確かに最近はよく見かけます。
先日も神奈中の舞岡〔営〕に白ナンバー(湘南ナンバー)も元「YAMATE LINER」車がいました。
緑ナンバーの営業用車両による「教習車」も、最近良く見かける所です。
Q28で掲げられていたシンガポールの5Eは、日本の車両よりは若干広めです。
隣のミャンマーの元京急バスは、相変わらず凄い事。
Q35の「乗客を乗せないバス」の一例。
2004年4月17日に中山競馬場のバスターミナルを撮影したものですが、右手にセレガR顔の馬匹車が見えると思います。
中央競馬の馬匹車の場合は過去の名馬の名前をつける事が多く、この車両は「ジャングルポケット」(2001年のダービー馬)の名が付けられていました。
Q39の「バス窓」のところで秋田中央交通のバス車の写真がありました。
私も、全く同じではないけれどたぶん同型の車両を撮影していますのでご覧頂ましょう。
「バス窓」って、こんな窓です。
「バス窓」は鉄道でも、旧国鉄キハ20やキハ55の初期車両にありましたし、最近でも紀州鉄道のキハ600で見る事ができました。
でも今や「バス窓」どころか「2段窓」さえ、都心ではほとんど見なくなってきました。
◆「バス」の風景 素晴らしき どれも本当に何気ない風景を切り取っているだけだと思うのですが、特に村上の海岸を走る新潟交通はいいなあ。
撮るのもいいけれど、やはり乗って海を眺めてみたい。
◆日野スケルトン・バスものがたり 中型車編 前回の大型車編に続き、日野自工開発担当主査として、スケルトンバスの開発に関わった根本直樹氏が語るエピソード。
又も軽妙な語り口で読ませてくれます。
ここで、中型車のモノコックとスケルトンを、同じ事業者で両者撮影していたので、ご覧頂きます。
1989年1月に初めて四国に行った時に撮影した、高知県交通の日野中型車です。
こうして並べてみると、確かに見た目のインパクトが全然違います。
今後、バスのボディそのものはどういう方向へ向かう事になるのだろう?
特に路線バスは、ノンステップ化などシャーシーの革新のほうが強く望まれて、ボディはそれに対応したデザインの変化はもちろんありうるけれど、「モノコック」→「スケルトン」のような、デザイン的にも技術的にも画期的なボディ工法は生まれるのでしょうか?
◆東武鉄道 関東平野を駆け抜けた覇者たち
凄すぎ!!
今では信じられないという若いファンも多いはずですが、昔の東武バスは茨城・栃木・群馬といった関東平野一体に広大な路線網を持っていました。
昔の東武鉄道は特急も貨物列車もたくさん走っていたので「ミニ国鉄」と呼ばれたものでしたが、バスだって通勤も観光もローカルもたくさん走っていたので … さすがに高速道路が未整備だったから高速バスはなかったが … 「ミニ国鉄バス」(こちらはこう呼ぶ人はあまりいなかったか)という様相でした。
何しろ当時は東武鉄道の直営バス部門だったのに、東武鉄道が走っていないエリアにも路線が広がっていたのです。
その最後の輝きを放っていたといえる、30年近く前の東武バス。
紺+クリームの旧塗装→現行塗装への移り変わりの時期でしたが、とにかくよくこれだけ撮っていてくれたと感激します。
車両そのものもさる事ながら、行先表示や、さらに撮影場所自体も貴重な部分が多々あります。
例えば、下館営業所(茨城県)で撮影したというFHI3Eボディの日野RE新塗装車があります。
車両自体凄いのですが、下館営業所というのも今となっては良くぞと思います。
営業所がある下館市は今は市町村合併で筑西市になっているのですが、今はなんと、東武バスどころか乗合タクシーすらありません!
車両面でいうと、上の下館〔営〕でも触れましたが、FHIボディの日野車が非常に多かった事が特徴的です。
やはり富士重工のお膝元だからでしょう。
東武博物館にFHIボディのキャブオーバー(日産)を展示している位ですから。
前後ドア車両が大半だったのも、やはり郊外のローカル線が中心だったからでしょうか。
なお貸切格下げの路線車は現在でも日光では主力ですが、扉増設みたいなダイナミックな改造はもうしません。
巻末に折り込み付録で6形式の側面の写真が掲載されています。
◆あの頃キミもバスも若かった- 70年代中央沿線のバス・ラプソディ。
東京駅の八重洲口は、今やJR系の高速バスばかりで都営バスは片隅に追いやられている感もありますが、当時はのんびりしていますね…。
何しろ高速バスも当時は東名ハイウェイしかなかったのですから。
私も切符売り場で、発車時刻の記入を受けた硬券を購入して乗り込んだ記憶があります。
東急バスの〔東82〕(撮影場所が丸の内口と間違っちゃっている)は都営バスとの共同運行系統で、廃止とありますが、渋谷で分断され、東京駅側が都営の〔東82〕(今はなし)、等々力側が東急の〔渋82〕になっているものです。
関東バスは、北村ボディというだけでも凄いのに、3ドアですか!
関東バスや京王バスはオーバルタイプのヘッドライトの車両もあったりして、今見ると都会なのにどこか田舎くさくも感じられます。
立川駅前もとてつもなく大きく変わりましたね…。
今は駅ビルにペデストリアンデッキのため、とても撮影には向きません。
◆安芸灘の水面に映えるとき 呉市営バスのボンネットバスの今昔。
一般路線用としても、1980年代になってまで走っていたのですか。
ボンネットバス最後の聖地、だったのかもしれません。
ナンバープレートの痛みが激しくて登録をやり直したというのは、そんなケースもありうるのかとも思いましたが、海沿いの路線を走るので、潮の影響を受けるのでしょう。
現在も1台が残り、交通局のHPにも簡単に紹介文がありました。
貸切やイベントで運用されるのでしょうか。
◆小さなバス走る 京王電鉄バスのRNも、ついに引退の時が近づいています。
三沢台線は、一部にマンションも見えるものの、なかなか「東京」離れした区間も走るようです。
すぐ近くには帝京大学のキャンパスもあったりするらしいですが…。
次回刊も大いに期待。
首都圏以外の地域の昔のバスも、腹いっぱい見たいです…。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)