前シリーズ「ニューハンドブック・33」(以下「NH」)以来、9年振りになります。
◆ 「武蔵」「甲斐」桜くらべ
クラッセブックス編集長富田康裕氏による、国際興業エリアの赤羽~大宮間と、山梨交通エリアの石和温泉~韮崎間に点在する桜の名所を、2日間(4月3日~4日)にかけて訪れるというもの。
前回の東急バスの時にも時々意外な紅葉の名所が出てきましたが、自然を巡るバス乗り継ぎというのも贅沢でいいものです。
国際興業エリアから山梨交通エリアへの移動に羽田空港を経由するのは、なるほどそうか、それしかないと思いました。
新宿には国際興業は入っていないし、大宮~甲府間の高速バスは早々に廃止になってしまいましたから。
(9年前の種村直樹氏らによる乗り継ぎでは飯能エリアにも立ち寄り、各エリア間はJRや西武の電車を利用していた。)
羽田空港の待ち合わせも含めてよく酒が入るようだけれど、酒を飲んでも長距離移動ができるのも、マイカーではできない公共交通ならではの利点です。
◆ 終点の構図 間野黒指
国際興業の飯能エリアのローカル線の終点で、やはり山奥の終点はそれだけで味わいがあるものです。
都心で見慣れている国際興業の姿からは大分かけ離れて見えます。
それだけに本文にあるとおり、通常は本数が少なくて訪れるのが大変なのですが…。
〔飯11〕はご存知の方も多いでしょうが、途中ほんのわずか東京都青梅市を走る区間があり(1ヶ所停留所も存在)、加えて都県境付近で都営バスと競合する区間も存在します。
◆ 国際興業・山梨交通の路線エリア
国際興業は飯能エリアを除くと、例外もあるが基本的には伊勢崎線・東上線という東武鉄道の2大本線にはさまれた、東京23区北部~埼玉県西部。
最北は宇都宮線の蓮田駅。
なお路線一覧には深夜急行バスはありませんが、深夜急行バスでは久喜・本庄と、通常国際興業とは何の縁もない所への路線があります。
山梨交通は清里付近の一般路線は全滅してしまったようです。
(ただ、なぜか営業所ができているようですが。)
また塩山のエリアも、他とつながらなくなってしまいました。
◆ 国際興業・山梨交通のあゆみ
国際興業というと、本当は「政商・小佐野賢治」の名を避けて通る事はできないと思うのですが、私は政治・経済の(特に裏の)世界は全く疎いので、ここでは触れないでおきます。
母体となる事業者は戦前からあったようですが、国際興業自身のバス事業開始は終戦直後ですから、現在の関東地方の大手バス事業者としては、比較的歴史が浅い方だと思います。
1970年代以降だと都営三田線・旧営団有楽町線・埼玉高速線の開業も大きかったでしょうが、なんと言っても1985年の旧国鉄埼京線の開業が最も深刻だったようで、2度に渡って大幅な再編成を強いられています。
埼京線は他の鉄道と違い、郊外から都心へダイレクトに結ばれて快速の設定まである高速鉄道なので、影響が格段に違うでしょう。
貸切では3年前に国際観光バスを引き継いだ訳ですが、国際観光バスについては全くといっていいほど記されていませんでした。
国際観光バスは、末期には紫系のカラーになっていましたが、個人的にはそれより前の紺色をベースとした上、1台ずつに国の名前をつけ、国旗を書いていた旧塗装が印象的でした。
国際観光バス S-8775「イラク」
同社は所沢市内にも営業所がありましたが、そちらは廃止になったようです。
さいたま国際バスは、「一定の効果が得られた」事から本体に再吸収したとあります。
しかし、他に特定輸送(競艇・オートなどの公営競技やサッカーの試合。埼玉スタジアムのオープンもあった)への対応が難しくなったためだとも聞いています。
なお、後の車両編にも関わりますが、「NH」との谷間に関わる時期に蕨市と戸田市でクセニッツのシティを使用していましたが、全く記述がありませんでした。
クセニッツは他にも西武バスや関東バスなどでもコミュニティで使用されていましたが、サポートが早々に打ち切られた事で、あっという間に姿を消していきました。
山梨交通は正直馴染みが薄い事業者なので解りにくい部分もありましたが、国際興業の資本が入ったのが1960年前後位で、国際興業の本体エリアが確立した時期と一致しています。
一つ物足りないと思ったのは、清里エリアの変遷。
上で書いたように、一般路線は全滅してしまったように見えるのですが、引き続きレトロバスが残り、営業所まで開設されているのはどういう事か、そのあたりまで踏み込んでいただければ。
◆ 車両の現況
国際興業
1. まず、貸切・高速を除いた一般路線車(ここではコミュニティ・深夜急行等は含む)の傾向を分析してみます。
各営業所の配置台数と、9年前との比較を記してみます。
2001年3月1日現在 2010年4月1日現在 増減
〔東京都〕
池袋 38→ 49 11(+28.9%)
練馬 58→ 70 12(+20.7%)
赤羽 70→ 83 13(+13.6%)
志村 61→ 71 10(+16.4%)
小計 227→ 273 46(+20.2%)
〔埼玉県〕
戸田 82→ 98 16(+19.5%)
西浦和 79→ 82 3(+ 3.8%)
川口 112→ 117 5(+ 4.5%)
鳩ヶ谷 112→ 115 3(+ 2.7%)
さいたま東 118→ 143 25(+21.2%)
飯能 28→ 37 9(+31.2%)
小計 531→ 592 61(+11.4%)
【合計】 758 865 107(+14.1%)
東京都よりも埼玉県、それも京浜東北線より東に手厚く配置されている事が読み取れます。
離れ小島の飯能〔営〕が少なめなのは当然としても、都心の池袋〔営〕も意外に少ない。
今は郊外から都心に向かう路線が中心だから、都心だけ走る営業所は、台数が少なくなっていくのでしょう。
最も、9年前と比較して全ての営業所で増車がなされています。
さいたま東〔営〕は20%以上の大幅な増車。
なるほど、埼玉高速鉄道の開業の影響は、それ程マイナスではなかったようです。
メーカー別では、9年前はいすゞ以外は日野が1台あるだけでした。
(日高市コミュニティ用リエッセ・但し2007年3月を持って廃止)
現在は日野が40両・三菱ふそうも4両あります。
但し全て地方自治体のコミュニティバスなのですが。
(飯能〔営〕のリエッセⅡはよく解らないが)
なお、特定輸送は行っていないようです。
エリアには有力な特定バス事業者が多いからでしょうか。
2. 平均車齢は5.74年という結果が出ました。
ただし、やはり離れ小島の飯能〔営〕に経年車が集中するため、ここだけ12.68年と図抜けて高くなっています。
U-LV324Kも3台残っています。
練馬〔営〕も6.63年と意外に高いのですが、ここは中型のKC-LR333Jが相当残っている事があるでしょう。
国際興業というと、飯能〔営〕を除けば置き換えのサイクルが早目である事、そして一般路線車は全ていすゞを採用している事で、特にこの数年は、大型路線車といえばエルガばかりが目に付きます。
それはデータからもはっきり出ています。
2000年発表以降のエルガ8形式(深夜急行用を含む)は、既にいすゞ路線車全体の76.2%。
特に志村〔営〕では、なんと94.3%がエルガという数字が出ました。
キュービックは今や飯能〔営〕を除くとわずかなノンステップ車(これとて既に移籍車両も発生している)と、あとは企業などの輸送用と思われる貸切車などばかり。
遠からず、都心では全部エルガ・エルガミオという時期が来るでしょう。
年式別では、2004年式が145両、2002年式が142両。
逆に2001年式はわずか7両(一般路線車は1両だけ)ですが、これは埼玉高速鉄道の開業があったからでしょう。
2004年も17両と少ないのですが、これはちょっと理由が解りませんでした。
3. ここからは貸切車・高速車も含みます。
そうして経年車は早目にグループを中心とした他事業者に譲渡・売却を行うので、国際興業というと、中古車両の供給元というイメージが強いと思われます。
昔からそうですし、何しろ今は国際興業自ら中古バスの販売に力を入れているのですから。
(歴史編では全く触れられていませんでしたが、商事部で中古車の売買を行っており、公式HPにもコンテンツがあります。)
ところが、その一方で東京の事業者でありながら、意外に他社の中古車も相当数購入しているのです。
路線車でも、鳩ヶ谷〔営〕の9501号車はなんと江ノ電バスから。
高速・深夜急行車でも、セレガ4台は全て他社からの移籍です。
これは意外だった。
国際観光バスからの引継車両は大半が引き続き板橋、あるいはさいたまの営業所に在籍していますが、川崎〔営〕及び国際興業大阪への配置も見られます。
山梨交通
1.やはり地方の事業者らしく、一般路線車の平均車齢は15.46年(ボンネットとK-CCMを除くと14.97年)とかなり高目。
しかも、1999年までの車両が全体の80%と、逆ピラミッドの構成になっています。
当然、他事業者・特に国際興業本体からの移籍が中心だからでしょう。
最古参は動態保存的な上2台を除くと1986年式のP-LR312J。
最も離れ小島の静岡に、エルガミオ2台が新製配置されているのは目につきました。
2.山梨交通でも高速・貸切車に中古車両が多く使用されています。
地方の会社だと、特に東京へ行く高速路線は看板だから、多少苦しいかもしれないがエース級の最新鋭車両をバンバン投入する、というイメージがありますので、少々意外に感じられました。
(2004年4月16日撮影)
例えば、これは新宿発甲府・湯村温泉行の運用のC721号車(1998年式KC-LV781R1)ですが、淡路交通からの移籍だそうです。
これは事業者に対しての感想なのですが、まず国際興業。
飯能〔営〕は離れ小島ゆえ経年車が多くなるのは現状では仕方ない事でしょうが、飯能エリアとてローカル線ばかりでもなく、ニュータウンや最近では埼玉医科大学への路線もあるのだから、都心と同様のノンステップ車の導入も期待したいところ。
あと、山梨交通ですが、これは国際興業グループ全体でそうですけれど、貸切・高速はともかく、一般路線車については、もう少し地域カラー・事業者オリジナルカラーを尊重しても良いのではないかと感じました。
次回刊は京阪バス。
グループ3社は、京阪宇治バス・京阪シティバス・京阪京都交通でしょう。
このグループは1993年の「ハンドブックシリーズ17」以来17年振りになりますが、この間に京阪国際観光自動車の廃業に加えて旧京都交通の南部エリアを引き継いだ事もあり、年月以上に大きく様変わりしているのではないでしょうか。
その次の予告がないのですが、続刊を期待したい所です。
申し訳ありませんが、コメントは受け付けない事にしています。この記事について何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。
また、何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。(名前は公表しません。)